インフルエンザにも気を遣うお母さんサバイバー
新年を迎え、早くも1月の後半に差しかかりました。
先日、仕事を終えて帰宅していると、最寄り駅で合格祈願の文房具が入った予備校のチラシが配られていました。
受験生を抱えたがんサバイバーの方にとっては、流行期に入ったインフルエンザなどにかからぬよう、ご自身だけでなく、ご家族全員の健康管理に神経を遣う時期に入っています。
この時期になると、乳がんサバイバーとして、術前補助化学療法から携わったDさんを思い出します。出会った当時のDさんは、大手企業のシステムエンジニアとして活躍されている笑顔の素敵な40代半ばの女性でした。ご主人と3人のお子さんとの5人家族です。
職場の検診で乳がんが判明し、詳しい検査の結果、大きくなっていたがん細胞を手術可能な大きさまで小さくするため、術前補助化学療法をすることになりました。
初めに多剤併用療法(2種類の抗がん剤)を4回行いました。近年、吐き気対策の支持療法薬は進化しており、吐き気の程度は、2000年代初頭に比べ劇的に軽くなってきています。

患者さんの情報を書き込んだ手作りファイル
総合病院の外来では、午前午後それぞれ3~4時間と限られた時間の中で、一人の医師が何人もの患者さんを診察しなければなりません。その中で、私たち看護師の重要な仕事の1つが、主治医の診療がスムーズにいくようにサポートすることです。
特に、抗がん剤治療の患者さんがいるときは、その日の体調を確認し、自宅や社会生活で困り事はないか、処方されている薬はきちんと飲めているか、治療の妨げになっていることはないかを尋ね、主治医や薬剤師と情報共有して、外来化学療法室へと患者さんを送ります。
私のデスクには、外来患者さんの手作りファイルがあります。患者さんの生活の様子や通院手段、仕事、家族構成のほか、趣味や今後予定しているイベント等をおひとりおひとりのページに書き足して、看護相談や主治医との相談に役立てています。

「私をモノのように扱わないでください」
Dさんが2回目の治療を受けに来た頃です。それは2月初旬でした。主治医の診察を終えて、外来化学療法室で治療前の前投薬(吐き気止めやアレルギー止め等)を投与しようとしたところ、突然Dさんが嘔吐しました。発熱も下痢もなく、感染症の疑いは限りなく低い状況でした。
その後も連続して嘔吐をされました。診察をもう1回受けてもらいます。Dさんは「治療を受ける」と意思表示をして、再度来室されました。
ところが、外来化学療法室に入った瞬間、再び嘔吐して、過呼吸気味になりました。窓際のリクライニング椅子にご案内し、私はDさんに確認しました。
「今日のDさんを見ていると、とても辛いことが伝わってきます。ひとつ教えていただきたいのですが、1回目の治療の時、吐き気が強かったり、ほかに辛い症状が続いたりしませんでしたか?」
すると、Dさんは無言で私を見つめ、手を握ってこられました。 「しばらくここに居てもらっていいですか?」
15分くらい経った頃だったでしょうか。
「もう大丈夫、点滴をお願いしてもいいですか? 外来ではたくさんの患者の一人かもしれませんが、私は名前を持った1人の人間です。モノのように扱わないでほしいのです」
涙を流しながら静かに心の内を話されました。
初回治療の抗がん剤の色が……
私はDさんの前投薬を投与しつつ、しばし椅子に腰かけながらお話を伺いました。
限られた上司にのみ病気のことを伝え、点滴の日以外は休まず出勤していること。そのため、体調が悪くても、病気になる前と同じ立ち振る舞いをしなければならず、エネルギーをかなり遣ったそうです。また、高校3年生の受験生を抱えているとのことでした。
何回かに分けてお話を伺ったところ、初回治療で赤い色のついた抗がん剤を投与された後、身体が熱くなる感じが不快だったそうです。しかも、決算期の仕事と、受験を控えた高校3年の娘さんらの子育てで本当に疲れていたことなどを、途切れることなく話されました。
1回目の治療で適切な体調管理ができないと、2回目以降に精神的な要因で予期性の悪心(吐き気)・嘔吐が出現する場合があります。そのため、悪心を含む1回目の副作用対策がとても大切になります。特に、妊娠期につわりが強かった方、車酔いしやすい方、アルコールに弱い方は要注意です。

予期性の悪心・嘔吐を乗り越えて
2回目の投与を何とか終え、主治医と3回目以降の予期性の悪心・嘔吐対策の薬剤を相談しました。
つい数年前に認可された抗不安薬の処方を検討してくれるという回答を得て、ほっとしたのも束の間、ご本人から「他の方と同じく今まで通りがんばります」という強いご希望があり、結局、追加の処方はしないことになりました。
3回目、4回目と治療前日は眠れないという症状がありました。治療当日は外来化学療法室へ近づくだけで悪心・嘔吐が出現する状況に変わりはありませんでした。
しかし、医療スタッフの声のかけ方、お話の伺い方を検討し、Dさんに合わせた医療を提供することを心がけました。
来室されたらスタッフが挨拶に伺う。目線を合わせて穏やかに声をかける。窓際のリラックスできる環境を準備する。混み合っていても、数分間だけでもDさんのベッドサイドに行く。仕事と家庭の両立の話をする。ナーバスになっている患者さんの目線に立った基本的な応対です。
すると、Dさんが少しずつ心を開いてくれました。それに歩調を合わせるかのように、嘔吐の回数も減少していきました。
前半戦の治療を乗り越え、後半戦は、悪心の出現の程度が低い抗がん剤の治療です。主治医や外来化学療法室ら医療スタッフ間で情報共有をしながら、できる限りDさんが治療を乗り越えられるよう、支援に入りました。
そして、Dさんは、仕事と家庭を両立しながら、術前補助化学療法を終え、手術を受けられました。
「お願い、1枚だけ!」
しばらく時が過ぎました。私は、部署を異動したため、院内でDさんにお目にかかることがなくなりました。そんなある日、外来の廊下を歩いていると、後方から私を呼ぶ声がします。
振り向くと、手術を乗り越え、社会復帰されたDさんが生き生きとした表情で手を振っていました。ちょうど定期検診を終えたそうです。受験生だったお子さんは無事に大学に進学できたこと、職場の理解もあり、今まで通りのポジションで無理なく働けていることを話されました。
Dさんは、現在も定期的に通院されています。ときには診察後に、受付スタッフを通じて声をかけてくださいます。「子どもたちにも、○○先生と、看護師さん(かみうせナース)に久しぶりに会えた、とこの間話したところよ」と語る姿からは、強く生きている様子が伝わってきました。
Dさんは帰り際にとっさにスマホを取り出し、「お願い、1枚だけ」と、記念撮影をしました。今も、彼女のスマホの片隅に、私とのツーショットが残っていることでしょう。