「がん」と共存しながら計画した家族旅行
Lさんは30代後半のお母さん。大腸がんで消化管が狭くなり、食事制限で十分な栄養を摂れないため、中心静脈ポートを造設、夜間の在宅点滴を受けながら生活を送っていました。

星砂の浜辺にたたずむヤドカリ(=写真・かみうせまゆ)
ある年の5月、Lさんから、「今年は長男が小学校最後の夏休みなの。沖縄へ家族旅行をしたいの」と希望を伝えられました。主治医や看護師を含む医療チームと、Lさん家族で入念な計画づくりが始まりました。
主治医が中心となり、抗がん剤の投与スケジュールを慎重に見極め、念のために、旅先の医療機関の事前調査、体調不良時に受け入れてもらうための事前連絡、診療情報提供書の準備をしました。そして、3カ月が経った8月下旬、念願の5日間の沖縄離島旅行が実現しました。
島のお医者さんからの電話
Lさん一家が沖縄へ向かって、3日が経過した頃でした。旅先にある総合病院のB先生から、主治医宛てに電話が来ました。どうやらKさんが入院したようで、先方も急いでいる様子。ちょうど外来治療室へ来ていた主治医へ電話をつなぎました。
様々な検査を行い、「発熱性好中球減少症」との診断がつきました。慎重に血液検査や投薬をしながら、旅行へ送り出しましたが……。 のちに主治医から聞いた話によると、Lさんは繰り返す抗がん剤治療によって、血液を作る細胞へのダメージが長引き、抵抗力が弱ったことによる発熱だったそうです。
入院中に方言を教えてもらう
約2週間、Lさんは地元の病院で入院・点滴治療を受け、無事に自宅へ戻ることができました。 久しぶりの診察日に元気な姿を見せたLさんは、申し訳なさそうに「ご心配をおかけしました。島の病院の方にもお世話になりました。先生からの紹介状(診療情報提供書)が役に立ちました」と話されました。
5日間の旅行の前半2日間は、島の自然やお祭りを楽しむことができたそうです。入院生活のあいだは、家族とのメールやテレビ電話、そして何よりも入院先の病院で知り合った人々との温かさに救われたそうです。

広大なさとうきび畑(イメージ写真)
病院スタッフ・入院患者さんに、島の方言を教えてもらったり、病院の窓から見えるさとうきび畑を眺めたり、退院間近になると、病院の許可を得て夜空の星を眺めに行ったり。 入院が長引いて、家族が恋しくて泣きそうになった時、同室患者のおばあ(おばあさん)が「泣きたいときは、泣けばいいさー」と眠るまで近くにいてくれたとか。
2日分の写真集
旅先の病院から退院後、初めての抗がん剤投与日、治療室ではLさんの周りに、顔なじみの患者さんやスタッフが何人か集まり、何やら楽しそうな様子がうかがえました。
私も仕事の合間にLさんのところへ伺い「何かいいことあったんですか?」と声を掛けました。すると、満面の笑みで「看護師さんも見てくれますか? この間の旅行の写真です。2日分ですけどね」と言いながら、一冊の写真集を差し出しました。
「わぁ、素敵な景色ですね!」 サンサンと照らされる太陽のもとには、美しい八重山ブルー(エメラルドグリーン)の海が一面に広がり、写真の中から波の音が聴こえてくるようでした。 ほかにも、島のフルーツ、水牛観光などたくさんの写真が納められていました。 何度も沖縄の離島に足を運んでいた私も、鳥肌が立ちそうなくらい、綺麗な天の川の写真もありました。 Lさん一家の楽しそうな家族写真が何枚もあり、しばし、私も旅行した気分になりました。

イメージ画像 沖縄の夜空に天の川を臨む
治療中でも、仕事や家族行事を大事にしたい
病院では患者であるLさん。病気を抱えているように見えず、ファッションや美容に気を遣われていらっしゃる方でした。 がんサバイバーであるのは、生活のほんの一部。病院から一歩外に出れば、「がん」と共存しながら、妻・母・職場の一員としてかけがえのない存在なのです。 治療中でも、仕事や家族旅行を大事にしたい。 そんな気持ちを忘れませんでした。
病気や治療のタイミングにもよりますが、治療が生活の中心になり、どんどん疲れていく患者さん・ご家族にたくさん出会いました。しかし、Lさんの家族旅行を通して、患者さんの生活を大切にし、治療だけでなく、どのような目標に向かって「生きる」を支えるのか、そこが医療チームの使命だと感じています。