ハルウララの根付
ハルウララという競走馬を覚えていらっしゃいますか? 2000年頃に走っていた、連敗続きのお馬さん。それが人気となり、日本中にブームを巻き起こします。単勝馬券が“当たらない”として、交通安全のお守りとして売られたり、映画化されたりしました。
先日、仕事道具を整理していたところ、引き出しの奥から、ハルウララのマスコットがついた根付が出てきました。この根付には、当時血液がんで治療中だった50代男性のMさんから教えてもらった大切な思い出が詰まっています。 Mさんは、血液がんの治療のため、抗がん剤大量投与中で、長期入院していました。
ある平日の夕方、「良いことがある時に食べる」と言っていた、ハーゲンダッツのバニラアイスを食べていました。
私「何かあったんですか?」
Mさん「あのね、僕のお馬さんが、今度デビューすることになったんだ。実は、僕は共同で馬主になっているの。ほら、この写真。かわいいでしょ? つぶらな瞳がたまらないよね」
遠く離れている北の大地でのびのびと育った、つややかな毛並みの牝馬。 競走馬のことは詳しくなかったのですが、Mさんの心の支えになっていることが伝わってきました。

馬はときに気高さも感じさせる(写真と本文は関係ありません)。
点滴の時間をずらす
Mさんは、日曜日になると、必ずと言っていいほど、お姉さんに差し入れてもらった競馬新聞と赤ペンを抱え、テレビに釘付けになっています。そんな姿を見て、私もときおり一緒にテレビ中継を見ることもありました(さぼっているのではなく、私なりのMさんに対するコミュニケーションでした)。
メインレースのある日曜日の15時台は、Mさんにとって大切な時間なのです。
点滴指示がある際は事前に主治医の先生に相談し、可能なものは30分ほど時間をずらしても良いと許可を得ました。
その後のとある日曜日の15時頃、後輩の看護師が「これから点滴交換に行ってきます」とMさんの部屋へ向かおうとしました。 私は急いで彼女を追い、「待って。Mさんは今、大切なテレビの時間だから。そっと様子を見に行くのは良いけれど、点滴の時間は少しずらしてあげて。担当の先生の許可はとっているから」と声をかけました。
きっと人気者になるよ

Mさんの言葉を思い出す、”ハルウララ”の根付
週に1度の楽しみの時間。 適切な医療を提供するためには、主治医の指示通りの与薬(点滴や内服など)は重要です。しかしながら、患者さんの大切にしている時間を、少し工夫して見守ることも必要だと教わりました。
Mさんは退院する際、「ハルウララ」のマスコット付きの根付を一つ、置いていかれました。
「日曜の15時、いつもそっとしてくれてありがとう。ハルウララは人気者。これを持っていたら、あなたもきっと、人気者になるよ」と。
あれから数年経ちます。Mさん、お元気にしていますか?