
Oさんは、消化器がんで抗がん剤治療を受けられた70代の男性です。薬剤性肺障害で、2週間ごとに体調の確認と処方箋をもらいに受診されていました。
奥さんには迷惑をかけたくない、弱いところは見せたくない、といつもひとりでした。 ひとりで病気のことを抱え込んでいるOさん、いつも不安の表情をのぞかせていました。 定期的に時間を取り、面談室でお話しすると、とても気さくに話されるのに、通院のことだけは、「カミさんは忙しいし、子どもらにも家庭がある。私はこうして、ひとりで動けるからそんなに心配しなくていいから」と話されていました。
患者は不安でいっぱいなんです
ある日の外来で、Oさんからこのように声をかけられました。 「この間、私の目の前を通ったのに…… 気付かないふりをしたでしょう。手を振ったのに、それも素知らぬふりをして」
私はハッとしました。 前の週、別の外来当番医の診察室を担当していた際、臨時受診をされているOさんをお見掛けしていたのです。しかし、その日担当していた外来患者さんの対応に追われていて、「今日はどうしたのですか?」と声をかけることができなかったのです。気づかないふりをしたつもりではなかったのですが……。
「Oさん、ごめんなさい。先週の水曜日の午後、予約外で受診されていましたね。別なお部屋を担当していて、そちらの対応で精いっぱいでした」 私は、謝るほかに術がありませんでした。
「いいですか、かみうせさん。どんなに忙しくても、たった数秒でも目線を合わせて声をかけてくださいね。患者は不安でいっぱいなんです。よろしくね」と、Oさんは私をじっと見つめながら語りかけました。
「たったの5分」か「5分もある」か
この言葉を聴いた瞬間、ふと新人看護師時代の、ある場面を思い出しました。 夜勤の消灯前、当時同僚だった医師と交わした会話です。

外来担当日の医師は、早朝と夕方、診察に来る。外来が終わるのが遅い日は、19時を回ることも。
「俺の入院患者さんは20人。外来診療を終えて病棟に戻る。日によっては、ひとりあたり5分程度の病室への訪問となってしまう時もある。たった5分と考えるか、5分もあると考えるか? 要は、信頼関係が大切なんだ」
限られたスタッフで、患者さんの診療が滞りなく進むよう、医師を含めて他のスタッフと連携を図りながらの外来看護。でも、いざ、当の自分が患者の立場になってみると、その気持ちは分からなくもないのです。
顔見知りの医療従事者が声をかけるか否か? 不安がいっぱいの中で通院し、ようやく順番が来ても、医療従事者から一方的に体調の質問をされ、必要な薬の確認、次の予約を取る……。 ベルトコンベアーに載せられていると表現する患者さんが他にもいらっしゃいました。
Oさんの心の叫びを聞いてから、どんなに忙しい日でも、待合室を見渡し、顔なじみの患者さんにも、そうでない患者さんにも、声をかけるよう努めました。
今も大切にしている「感謝」の書
後に、Oさんは、在宅酸素療法が必要となり、体力の消耗を最小限にするために、住まいにより近い病院へ移られました。
転院前の受診日、Oさんから、1枚のメッセージを受け取りました。 そこには「感謝」と書かれていました。 「いつも声をかけてくれて、ありがとうね」 「病院を引っ越すけれど、私のこと、忘れないでいてね」
普段は強がってしまうOさんでしたが、ポロポロ涙を流しながら、想いを語られました。
東北で生まれ育ち、両親と6人のきょうだいに囲まれながら、決して裕福ではないけれど幸せだったこと。 戦後の復興から高度経済成長期を経て、不況時代も家族(奥さんとお子さん2人)を養ってきたこと。 引退後は、書道を教えることと、お孫さんの成長が楽しみなこと。 他にもたくさんお話しました。
平日の夕暮れ時の外来。 Oさんが紡いできた人生の物語を共有させていただき、忘れかけていた新人看護師時代の初心を思い出しました。

Oさんから手渡された「感謝」の書(ご本人の許諾を得て掲載)
私の手元には、今もOさんからいただいた「感謝」の書があります。 どんな時も、目線を合わせて、少しの間でもいいから声をかける。 ずっと心に残る教訓です。
