年末年始は孫と美味しい酒を飲みたい
数年前の年末、外来待ち合い室に、胃がんの手術後で、抗がん剤治療中のSさん60代ご夫妻の姿がありました。Sさんは60代、奥さんと何やら相談している様子です。
しばらくして、私がSさんのところへ抗がん剤治療前の問診に伺うと、「ほら、看護師さんに聞いてみたらどう?」と奥さんがSさんに声をかけました。
「Sさん、何か気がかりなことや困っていることがありますか?」
数分間の沈黙ののち、Sさんが語りはじめました。 「こんなこと聞いたら呆れられちゃうかもしれないけど。胃がんの手術をした後はお酒を一切やめていたけれど……少しの量でいいから、年末は孫と一緒にお酒を飲みながら、話をしたいんです」
Sさんは胃がんになる前までは、ウィスキーや日本酒などの晩酌を欠かせなかったとか。 手術で20キロ減ったという、細くなった身体からふり絞るように、「家族と年末年始を楽しく過ごしたい」という思いを語られました。
診察時、Sさんは「からだの調子は変わりません」と医師へ伝えたのち、私へ視線を向けました。 アイコンタクトを受け取った私は、「○○先生、Sさんが年末年始のことで相談したいことがあるみたいです」と添えました。

主治医は、Sさんの年末年始の予定を伺うと、こう言いました。 「Sさん、お休みの日ぐらいは病気のことを忘れて、ご家族とゆっくり過ごしていいんですよ。年末は抗がん剤の休薬期間に入っているから、問題はないですよ。グラス一杯くらいは飲んでも大丈夫です」
主治医の言葉を聞いた瞬間、Sさんはホッとした様子で笑みをこぼされました。 その様子を見た主治医は、さらにこう続けました。 「Sさん、医者の私も人間ですから、たまにお酒を飲むこともあります。普段はSさんの治療のために細かいことを言う時もあります。でも、抗がん剤治療のために辛い毎日を過ごすのではなく、Sさんが大切にしていることも応援したいので、いつでも相談してください」
診察後、Sさんは私に、「ありがとう。年末年始だけは病気のことを忘れてみようと思う。安心して妻と息子一家とゆっくり過ごすよ。先生にもよろしく伝えてください」と話されました。
年越し夜勤で恋愛相談
病院に休みがないのは当たり前ですが、私も年越し夜勤を5回くらい経験したことがあります。時計を見てカウントダウンできたのは2回くらいでしょうか。ナースコールの対応で気づいたら0時をとうに過ぎていたり、緊急入院の患者さんを迎えに行ったり……。
外泊や一時退院ができず、病院で年越しする方も多くいらっしゃいます。 ある年の夜勤で、血液がん治療で長期入院中だった40代のYさんが、同じ病棟に入院中のNさんとともに(おふたりとも小学生の子どもさんがいる)「何だか眠れないの……」と病室からナースステーションまでやってきました。
その日の夜、ナースステーション前の面談室が空いていたので、私はおふたりとしばらくの間お話をしました。同僚も途中、少しの時間でしたが参加しました。 治療のこと、家族のこと、スタッフの恋愛相談まで。
あたたかい飲み物(お酒ではないです)を飲みながら、年越しの瞬間は、アイドルの特番のチャンネルをつけて、小声で「今年もよろしくね」と交わしました。 巡回時間が来たので、YさんとNさんにあいさつし、私はその場を後にしました。

巡回後に、おふたりの病室を見回ると、穏やかな表情で眠りに就いていました。 共に過ごし、語ることも、大切な看護(ケア)であると感じました。
年越し夜勤のご褒美は、何と言っても、病室の窓から、初日の出を患者さんたちと眺めることです。この日ばかりは、早起きが苦手な患者さんも窓辺に並んで、「まだかねぇ」と湖畔を見つめています。
新しい年を迎えた外来にて
お正月休み明けの外来は、年末年始休業で治療のスケジュールが変更になった患者さん、通常予約の患者さん、連休中、体調が悪くても我慢していた患者さんらがどっと受診されます。
混雑している外来も落ち着いた昼下がり、先にお話しした胃がん治療中のSさんと奥さんが診察を終えて会計窓口にいらっしゃいました。Sさんは、 「年末年始は孫と一緒におとそを飲んで、おせち料理も食べることができました。あの時相談して本当に良かった、ありがとう」と、うれしそうに話されました。


かみうせまゆの「忘れえぬ患者さんたち」は、今回が最終回となります。2019年の10 月から、17回にわたり、お読みいただき、ありがとうございました。年末年始、暖かくしてお過ごしください。