垣添忠生 全国縦断 がんサバイバー支援ウォーク

一言ブログ

  • 2018年6月12日 13日

    6月12日、13日 先生のスピードについていくのが大変です


    ●八幡平へ(6月12日)
     盛岡のホテルを出て、八幡平を目指しました。私の友人で、昨日のブログでも触れた藤岡知昭・岩手医科大名誉教授の山荘で過ごすのです。
     いわて沼宮内クリニック(岩手町)の職員、澤田さん(写真左)が同行してくれました。泌尿器科がメインで、藤岡先生も診察をされているクリニックです。

     澤田さんがサバイバー支援を訴える幟を持って、スタートです。気温15度前後、向かい風。澤田さんはアイスホッケーの経験があり、今は子どもたちに教えているそうです。スポーツマンなのですが、「最近は歩きなれていないから、先生のスピードについていくのが大変です」と苦笑されていました。そう、私のウォークはかなり速いのです!

     途中、澤田さんのお父様(写真右)が車で見えて、温かいお茶を差し入れてくださいました。また、澤田さんの奥様と義理のお母様も、仕事の合間に赤い車で通りがかり、手を振ってくださいました。通りがかりの車からも声援が届きます。

     お昼は、藤岡先生お勧めの豆腐田楽茶屋です。豆腐屋さんがやっている店です。田楽定食を頼むと、豆腐一丁で1本、というボリュームたっぷりの田楽が2本出てきました。みそ味で、1本は山椒を利かせていました。やわらかく、おいしくいただきました。デザートの白玉だんごも食べて、再び出発です。

     八幡平市に入り、道の駅「にしね」で、車で来た藤岡先生と合流。乗せていただいたとたんに、雨が激しくなりました。
     藤岡先生は狩猟の免許をお持ちです。狩猟仲間の方からもらったクマの肉が冷凍してあり、藤岡先生の奥様が、クマ汁をふるまってくださいました。「脂肪がうまいんです」と藤岡先生がおっしゃる通りの味でした。
     ほかに、焼き根曲がり竹(クマと争って食べるといわれるほどの美味)、山荘の庭で採れた野菜、もちろん日本酒も、で、4人の宴が続きました。外は雨が降り続いていました。

    ●岩手山や見えた!
     今日は青い空が広がっています。
     山荘の周囲の樹木も気持ちよさそうです。何年か前に訪れたときと比べて、どの木も大きくなっています。私の好きなカツラの木がそびえていました。こんなに大きなカツラは、見たことがありません。

     昨日までの心残りは、岩手山が雲に隠れていたこと。それが今日の帰途、一瞬ですが、頂上が見えました。雪をかぶっています。八幡平側からの岩手山は、よく写真で見る岩手山とは逆からの景色となり、また別の味わいがあります。

     昨日の歩行距離は20キロほど。澤田さんは足が筋肉痛になったそうです。最後だけ歩くことにして、藤岡先生の奥様の車で戻りました。クリニックの500メートルぐらい手前で降りて歩いていると、「テレビ見ました。がんばってください!」と30代か40代ぐらいの女性に声をかけられました。妹さんが乳がんのサバイバーだそうです。
     栄養ドリンクのタフマンを差し入れていただき、第7回のウォークは終了しました。


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  • 2018年6月11日

    6月11日 永遠の課題


     岩手県紫波町の「ラ・フランス温泉館」の方が、東北本線の岩手飯岡駅まで車で送ってくれるというので、お言葉に甘えました。
     午前10時に一緒にウォークをする、テルモ、日本対がん協会岩手県支部(公益財団法人「岩手県対がん協会」)のみなさんと待ち合わせです。ところがそこに、私の剣道・居合道仲間の姫野夫妻の姿が見えるではありませんか。東京からのサプライズです。ご主人は剣道7段、奥様は居合道5段です。

     岩手県立中央病院までの道のりは8キロ。昨日までの20キロ前後のウォークに比べると短距離ですし、午後1時半までに到着すればいいので、ゆとりがあります。雨の中、盛岡に着くと、姫野さんご夫妻のご希望で盛岡名物の冷麺をいただきました。
     病院では、「おでんせ!! 垣添忠生先生」という文字に、わんこそばのゆるキャラ「そばっち」をあしらった横断幕で迎えていただきました。4月に院長に就任されたばかりの宮田剛先生、リレー・フォー・ライフ・ジャパンいわて、患者会の方たちがいらしています。

     交流会では、医師との関係の難しさについて、発言が出ました。
     年輩の男性からは、余命宣告についてです。この方は患者会活動をされていて、不本意な余命をさらりと言われた人の気持ちを3時間、傾聴したそうです。
     大腸がんのサバイバーで、リレー・フォー・ライフにも何度も参加されている男性は「告げ方がある」とおっしゃっていました。その通りです。医師の言い方によって患者さんの受け止め方、響き方が違ってきます。
    「これは、永遠の課題です。簡単には答えられません。ただ、告げ方に工夫が必要なことは確かです」
     私も、こう申し上げるのが精いっぱいでした。

     医師の偏在も話題に上りました。
     岩手県内でも、盛岡市といわゆる過疎地域では、格差があります。県の北部ではがんを隠す傾向もあるそうで、そのうえ医師が少ないとなると、たとえ医師と関係が悪くなっても医療機関を替えようがありません。セカンドオピニオンという言葉は浸透しましたが、全国どこでも気軽に受けられる環境は整っていないのです。
     これもまた、簡単には答えが出ません。私も即答できませんでしたが、重要な課題を伺えた意味は大きいと思います。

     岩手県立中央病院を出て、対がん協会岩手県支部の車で岩手医科大学へ。ここの藤岡知昭名誉教授は、泌尿器科医で私の親友です。5月に尿閉に悩まされたときにも貴重なアドバイスをいただきました。藤岡先生、伊藤薫樹・腫瘍センター長はじめ学生さんたち、がん患者・家族サロンのみなさんが迎えてくださいました。

     交流会では、お母様をすい臓がんで看取ったという女性が、「ボランティアで、中学校でご自身の体験を語っている」とおっしゃっていました。生徒さんたちが、熱心に聞いてくれるそうです。すばらしい試みです。私はこう申し上げました。
    「がん教育は、医療者だけでは無理です。患者さんやご家族が入らないと回りません」

     オストメイト(人工肛門)の相談を受けているという男性はこんな問いを投げかけました。
    「オストメイトの人は全国に20万人ぐらいいると思うけれど、表に出てこない人がたくさんいます。これから手術を受ける人や、術後の人は、経験者の話を聞ければ不安がだいぶ解消すると思います。どうしたら、引き出せるでしょうか」
     たしかに、オストメイトでは、体験者の話が有用でしょう。藤岡先生は、こんなケースで、ご自身が知っている患者さんを紹介したことがあるそうです。

     高齢の女性サバイバーからは「患者会は傷を舐め合うみたいでなじめない」という意見が出されました。お気持ちはわかります。しかし、患者会の役割はもっと幅広いはずです。
    「患者会のみなさんには、勉強されて、政策提言ができるくらいになっていただきたいと思います」
     と、これまでのウォークでも折に触れて述べた考えをお話ししました。
     緩和ケア講習会を受講した11人の方と記念撮影もしました。地域に戻れば、大きな力になるでしょう。



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  • 2018年6月9日 10日

    6月9日、10日 1人1人の勇気が世界を変える


    ●空は澄み 雲は白く 風は聖らかだ
     詩人の立原道造に「アダジオ」という詩があります。

     光あれと ねがふとき
     光はここにあつた!
     鳥はすべてふたたび私の空にかへり
     花はふたたび野にみちる
     私はなほこの気層にとどまることを好む
     空は澄み 雲は白く 風は聖らかだ

     立原は、1939(昭和14)年に24歳で夭折しました。結核性肋膜炎でした。亡くなる前年の秋、盛岡に1カ月ほど滞在しています。この詩はそのときに生まれました。
     私はこの詩を5、6年前に知りました。盛岡グランドホテルでパーティーがあり、ホテルが立つ愛宕山をぶらぶら歩いていたら、詩碑を見かけたのです。「お、これはいいな」と思い、手帳にメモしました。

     土曜日のウォークは、まさに「空は澄み 雲は白く 風は聖らかだ」の中を進みました。好天、気温24度。風が心地よく吹いています。
     立原の詩を思い浮かべたときに、パーティーのセレモニーでこの詩を披露したのに反応が乏しかったことも思い出しました。さらに、滋賀県でも似た経験をしたことがよみがえりました。「さざなみや志賀の都は荒れにしを昔ながらの山桜かな」という平家物語に出てくる歌に触れたのですが、聴衆はシーンとしていました。  約16キロを一気に歩き、地元に対する関心の薄さについて思いをめぐらせました。

    ●ダウン症の若い女性が料理を運ぶ
     日曜日は、ふだんより1時間ぐらい早く、朝7時半に花巻の宿を出ました。
     気温14度で、寒いぐらいです。今度は、詩人・童話作家の宮沢賢治の「雨ニモ負ケズ」が脳裏をよぎりました。賢治は花巻で農業指導をしていました。
     私は歩くとき、アリを踏まないように注意しています。暑い日は、踏まないのが難しいくらいたくさんのアリが走り回っています。今日は、数が少なく、動きも緩慢です。たぶん気温のせいでしょう。

     国道4号の両側には田んぼが広がります。畔の雑草を刈ったり焼いたりしてあります。なぜなのだろう? 収量に影響があるのかな? ちょうど30代ぐらいの男性が、歯車が回る機械で除草をしていました。さっそく聞いたところ、自分のエリアだからきれいにしているそうです。「ゴミも捨てられないんです」とのこと。
     たしかに、ビンや缶が捨てられていません。ごみが多くてがっかりした北国街道とは対照的です。

     思考の歯車が回り始めました。景観への関心は、地元への関心でもあります。県政と県民、国政と国民。人々の愛着や意識が政治にも反映される。
     米国のケネディ大統領の就任演説にこんな一節があります。

     Ask not what your country can do for you, ask what you can do for your country.

    「国が何をしてくれるかではなく、あなたが国に何をできるかを問うてほしい」
     とでも訳せましょうか。

     民衆の意識、1人1人の勇気が世界を変えます。
     パキスタンのマララ・ユスフザイさんは、女性が教育を受ける権利を訴えただけで、イスラム過激派のタリバーンに銃撃され、瀕死の重傷を負いました。しかし、イギリスで手術を受けて回復し、2014年にノーベル平和賞を受賞しました。マララさんはずっと声を上げ続けています。そのことで、世界は変わりつつあります。

     ひるがえって、がんはどうでしょう。ウォークの取材でテレビ局が入ると、映りたくない人を事前に聞きます。でも、1人1人が勇気をもって、がんであることをオープンにしていけば、がんを隠す必要がない社会が生まれるのではないでしょうか。それは、だれにでも優しい社会につながるはずです。

     今日のお昼、「しあわせキッチン」というお店で、生姜焼き定食を食べました。お米は自家製です。ダウン症の若い女性が、一生懸命に料理を運んでいました。トイレには、脚力のない人が立ち上がりやすいように、可動式のとってが付いています。
    どんな人も、それぞれのできる力を活かして暮らしていける。そんな思いがにじみ出ていました。



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  • 2018年6月8日

    6月8日 世界情勢とつながっている


     仙台発8時2分の新幹線で一ノ関まで乗り、東北本線に乗り換えて平泉まで。9時6分に到着して、のんびり歩きました。
     平泉の毛越寺は去年、リレー・フォー・ライフ・ジャパン・いわてで、訪れました。中尊寺もすぐ近くです。どちらも、世界文化遺産にも登録されています。立ち寄りたい気持ちを我慢して、蒸し暑い中を北上しました。
     稲が刻々と生長している様子が見えます。沿道で気づくのは、ガソリンの値段です。2月に九州を歩いていたころは、1リットル137円前後だったのが、1リットル148円前後に上がっています。わずか4カ月で10円の値上げ。
     米国がイラン核合意を離脱して、イランに対する経済制裁を再開することが、背景にあるようです。イラン産の原油の輸出が減ることが懸念されているのでしょう。米国が在イスラエル大使館をエルサレムに移転したことで、中東情勢が不安定になる影響も出てくるかもしれません。
     全国どこにいても、世界情勢とつながっています。
     そして全国どこにでも、名産があります。
     米沢が米沢牛なら、岩手県奥州市では前沢牛。国道4号に面した白い洋館風のレストランが目に入りました。「ベーシック」という名前です。奮発して、オーストラリア産ではなく、前沢牛のヒレステーキ150グラムをいただきました。食べている牧草からして違うのではないか、と思うほどの味でした。
     この店では、ナイフ、フォーク、コーヒーカップなども美しく、トイレも清潔。年輩の女将には、「すごいですね。お体を大事にしてくださいよ」と励ましの言葉をいただきました。接客も含めて、総合力の高さを感じます。
     総合力が重要なのは、がん治療も同じです。



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  • 2018年6月7日

    6月7日 世の中一丸となって、がんと向き合おう!


     今朝は9時15分ごろに秋保温泉の宿を出て、宮城県立がんセンターまで、約16キロの道を歩きました。
     同行したメンバーは、テルモの方2人、日本対がん協会宮城県支部(公益財団法人「宮城県対がん協会」)の方6人。合計9人で歩きました。テレビ東日本が密着取材です。9人で何本かの旗を持って歩いているので、目立つのでしょう。道行く人や車から、「何だろう?」という注目を浴びました。

     緑濃い山からだんだんと市街地へ。不思議なことに、山形ではあれほどにぎやかだったカナカナ(ヒグラシ)に似たセミの鳴き声は、ここ2日ぐらいは聞こえません。
     宮城県立がんセンターを訪問する約束の時間まで、4時間ほど。快晴で30度近い中を、トイレ休憩ぐらいで昼食も取らない強行軍です。支部の車が1台、伴走してくれました。エネルギー補給型の、チューチューと吸うタイプのゼリーなどを差し入れていただき、大変ありがたかったです。
     病院の手前の“心臓破りの丘(笑)”を越えて、約束の時刻にゴールしました。

     荒井陽一総長をはじめとする病院スタッフら多くの方に、横断幕とともにお迎えいただきました。リレー・フォー・ライフ・ジャパン・みやぎの方や、東京から来た日本対がん協会理事長の後藤尚雄の姿も見えます。
     応接室でのご挨拶が終わると、会議室で交流会です。院内に掲示を貼ってくださった効果もあるのか、100人ぐらいはいらっしゃるようです。

     最初に、吉田さんとおっしゃる70歳前後に見える乳がんサバイバーの方が発言されました。
    「垣添先生たちが、病院の前の坂を登ってこられるのを見て、目頭が熱くなりました」
     吉田さんは、東京都の受動喫煙防止条例が、国が健康増進法改正で定める内容よりも厳しいことを取り上げて、国のたばこ対策をどう思うか、とお聞きになりました。私は、
    「受動喫煙対策に力を入れない国にオリンピック・パラリンピックを開催する資格があるのか。人の命より(たばこによる)税収を重んじる国に未来はありません」
     と、持論を述べました。また、JTなどたばこ産業は、キャンペーンが極めて上手であることも指摘しました。テレビCMでも、ストレートに喫煙を勧めるのではなく、ソフトに思いやりのある社会を築くことをアピールする。気を付けないと、「うん、うん」とうなずいてしまいます。

     吉田さんはさらに、
    「日本はまだ、ピアサポーター(がんの経験者のサポーター)が手薄だと思います。もっと強化してほしい」
     と訴えられました。私も同感です。と同時に、以前はピアサポーターという言葉すら使われていなかったことを思い出しました。そして、こう申し上げました。
    「おっしゃる通り、地域によってばらつきがあります。大事な活動なので、全国的な底上げが必要です。そのためにも、声を上げ続けましょう」

     リレー・フォー・ライフ宮城の女性は、ここのがん相談支援センターで、ボランティアもされているそうです。
    「子育て中、仕事中のAYA世代(15歳~30代)の患者は、イベントなどになかなか参加できません。彼らが行きたいときに行けるような場がほしい」
     AYA世代の方は、就職、結婚などの課題も抱えていて、さまざまなケアが求められます。宮城県立がんセンターの中ではカバーできているようですが、院外は難しいとのことです。やはり、発言していくことが大切です。

     がん相談支援センターのリーダーの方からは、相談員へのメッセージを求められました。
    「がん医療は、医療者が患者を治すことに必死だった時代から、5年生存率が60%を超えて、総力戦の時代に移っています。医療者と同時に、患者、家族、世の中が一丸となって向き合う時代です。大きな学会でも、ここ数年、患者や家族と医療者が一体となった発表があります。一丸となって立ち向かうことで、がん=死のイメージを変えましょう!」

     意見交換も活発で、とてもいい訪問となりました。
     夕食ですか? 吉田さんから「ぜひ牛タンを」と勧められたこともあり、ホテルの近くの専門店で、厚い牛タンステーキ定食をいただきました。お供は日本酒ではなく、生ビールです!


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  • 2018年6月6日

    6月6日 実益実害を伴わないと改善しないのか……



     このところ、1日20キロぐらい歩いています。
     ウォークを始める前には体重が、65、6キロありました。意外と重いのです(笑)。それがいっときは60キロ台まで落ちました。意識的に肉類をたくさん食べて、今は62キロ台です。それでもスーツのズボンがゆるいので、6月1日の日本対がん協会の理事会では、おなかにタオルを巻いていました! 目立たないように……。

     今日はタクシーで宮城県の川崎町役場まで行き、そこから仙台市の秋保温泉まで歩きました。東北はまだ梅雨入り前。曇っていたものの、雨にはたたられずに済みました。
     朝、笹谷温泉の旅館を発つ前に、女将とタクシーの運転手さんに、昨日しきりに鳴いていたセミについて尋ねました。しかし、おふたりとも、怪訝な顔をされています。地元の人にとっては、さほど関心がないのかもしれません。
     ここまでなら、よくある話です。さほど気に留めることでもないでしょう。

     ただ私は、ふと、考えてしまったのです。
     ――セミについての会話は、予防(たばこ対策)や検診の大切さを説いても浸透しないことに通じるかもしれない。日本は国民皆保険なので、日本人は病気に対する認識が甘いのではないか。米国なら、莫大な医療費がかかるので、必死に自分で身を守る(がん検診の受診率も、日米では雲泥の差)。日本も、「検診で早期発見した人には医療費の自己負担割合を少し優遇する」とか、「喫煙者は保険の加入費を高くする」といった、実益実害を伴わないと、状況は改善されないのではないか……。

     みちのく杜の湖畔公園(みちのく公園)、釜房湖と景勝地が続きます。みちのく公園は、「ポピーまつり2018」の真っ最中で、赤やピンクのポピーが一面に咲いていました。3万㎡の花畑に約200万本のポピーがあるそうです。このあたりで、国道286号と別れて、秋保温泉方面へ向かいました。

     道中は、とにかく森が豊かで、緑が濃い。
     ――アップアンドダウンヒルズ、スルーフォレスト。
     桐朋中学の英語の授業で習った、イギリスの田園風景を歩いている様子の描写を思い出しました。まさに、その感じなのです。

     回想のつばさは広がり、中学の国語の授業で、京都の大徳寺の庭園美を描いた随筆を読んだことを思い出しました。「石組み」という表現があり、先生が「どういう意味か?」と質問されたのです。
     たまたま顔を上げたら当てられたので、「枯山水のことではないですか」と答えました。枯山水は、水を使わず、石、砂、地形で表現する庭。龍安寺の石庭が有名ですね。富士銀行(現在のみずほ銀行)の銀行マンだった父が、趣味で、京大の先生たちとよく京都や奈良を訪れていました。私は門前の小僧で、知っていたのです。



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  • 2018年6月5日

    6月5日 山形県でリレー・フォー・ライフを!



     今朝、ホテルに来客が見えました。
     竹永哲夫さんです。20年前に大腸がんを経験されて、患者会の活動もされています。がんになった後に日本百名山を踏破しているつわもので、地元の山形牛などでサラミを作る「サラミ家」の会長さんでもあります。

     竹永さんは、昨日、私が山形県立中央病院を訪れたときに、いらしていたそうです。私が申し上げた「1人から始める」「人のために働く」といった言葉に刺激を受けて、
    「私もこれからは、人のために働きます。山形県でも、リレー・フォー・ライフを開催したい」
     とおっしゃっていました。まさに、1人から始める、ですね。

     聞けば、お隣の福島を中心に活躍中の鈴木牧子さんともお知り合いです。鈴木さんは、アメリカ対がん協会がリレー・フォー・ライフの功労者として認定する「グローバル・ヒーローズ・ホープ」にも選ばれています。
    「昨日いらしていた患者会の方にも声をかけて、鈴木さんのアドバイスを受けながら、ぜひ、立ち上げてください。そのときには、スケジュールが合えば伺いますから」
     と、竹永さんを激励しました。私は、初開催のリレー・フォー・ライフには、できるだけ参加するようにしています。楽しみです。

     竹永さんと別れてから、ウォーク開始です。
     笹谷峠を越えて、宮城県へ向かいきます。まずはタクシーで、峠のふもとにある「峠の茶屋」へ。そこから国道286号の旧道を歩きました。
     ブナ、トチ、クヌギ、ミズナラ、カツラ、カエデ、サワグルミ、ホオノキ(朴の木)……。豊かな広葉樹林が広がります。県境の頂上近くでは、山ツツジの群落が山腹を覆っていました。道も、日光のいろは坂のようにクネクネしています。

     セミの鳴き声がにぎやかです。カナカナ(ヒグラシ)に似ていますが、季節が早いし、ハルゼミとは声が少し違います。鳥の鳴き声も聞こえます。遠くから、ツツドリの「ポポッ、ポポッ、ポポッ、ポポッ」。近くではウグイスの「ホーホケキョ」。
     それらが、濃い新緑を舞台に入り乱れて、天然のハーモニーを奏でていました。

     途中、山菜採りに向かう女性たちと会いました。ヤマフキ(山ふき)でも取るのでしょうか。
    「山菜採りですか?」
    「んだ。あんだ何してんだ? 歩いてんのか?」
     簡単な会話を交わしましたが、訛りが強く、あまり話せませんでした。
     旧道から外れて、急峻な道なき道へ入っていきます。冬眠明けのクマと鉢合わせすると、仰天したクマに襲われる可能性があります。無事を祈りました。


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  • 2018年6月4日

    6月4日 深いうなずきでも手ごたえ十分



    ●鶴が傷を癒やした温泉(6月3日)
     5月31日に東京へ戻り、とんぼ返りのように、6月3日の朝、東京駅7時12分の山形新幹線で、山形県米沢市へ向かいました。
     第7回のウォークの始まりです。福島から奥羽本線に入ると、本当に深い山の中を実にゆっくりと走ります。米沢で降りて、在来線に乗り換えて4つ先の中川という駅で降りました。

     山形はニセアカシアの樹木が多く、白いハナミズキも真っ盛りです。
     ゴールは、かみのやま温泉。1458年に発見されたといわれる古い温泉です。肥前(佐賀県)の僧が、脛をけがした鶴が湯で癒やしていたのを見たそうです。風情のある温泉です。
     旅館では、夕食時に、山形の日本酒、出羽桜をいただきました。これまでは焼酎にしていましたが、いよいよ日本酒の解禁。大丈夫でした。

    ●口の中に広がる幸せ(6月4日)
     今日は、久しぶりの病院訪問です。
     かみのやま温泉駅から山形駅までは電車に揺られて、そこから北山形駅まで歩きました。道中、武士が出てきそうな板塀の古民家を何軒も見かけました。
     北山形駅で、いつもお世話になっているテルモの方4人(男女2人ずつ)、日本対がん協会で私のアシスタントを務める森田幸子と合流。ご寄付もいただいている、ミシンや食品機器などの製造・販売等を手がける「ハッピージャパン」(山形市)の方もいらっしゃって、アクエリアスを差し入れてくださいました。

     6人で8キロほど歩いて到着した山形県立中央病院では、細矢貴亮院長、福島紀雄副院長をはじめ、日本対がん協会の山形県支部(公益財団法人「やまがた健康推進機構」)のみなさんなど、多くの方に歓迎していただきました。
     東北の人は口数が少ない、という印象がありますが、ご高齢の方たちには、今もあてはまるのかもしれません。確かに、交流会に出席された患者のみなさんは、雄弁ではありません。

     そのぶん、私が話しました。家で最期を迎えるために体を鍛えていること、がん対策基本法の成立前後の思い出、声を上げ続けることで世の中は変わること、決断したら1人から始めるという哲学、グリーフワークを医療に取り組みたいという思い……。
     一つ一つの話に、みなさん、深くうなずかれています。
     受け止めてもらえていることが実感できました。手ごたえ十分です。とても暖かい訪問となりました。

     夜は、ウォークのメンバーと一献。ブリ、サクラマス、マグロ、ソイ……。お刺身の一切れが分厚いのに圧倒されました。日本酒もいただきました。食後酒は、十四代で知られる高木酒造の「黒縄」、珍しいお酒です。甘口で濃厚。口の中に、幸せが広がりました。



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  • 2018年5月31日

    5月31日 自分を責めることはありません



     今朝は、米沢駅近くの喫茶店で、2人の女性とお会いしました。安藤藤子さん(写真右)と小野寺恭子さんです。

     安藤さんは米沢の方です。3年前にご主人を急性心不全で亡くされました。以前、私が読売新聞のコラム「地球を読む」でグリーフケア(近しい人を亡くした人が悲しみから立ち直れるように寄り添い、支援すること)の大切さについて書いた文章をご覧になり、何度かお手紙をいただきました。私も手紙を添えて、拙著『悲しみの中にいる、あなたへの処方箋』をお送りしました。先日もお手紙が届き、ウォークで米沢を通ることをお伝えしたところ、お会いしたいというリクエストをいただいたのです。

     小野寺さんは、安藤さんのお知り合いで、仙台からお越しになりました。東京女子医大を出て看護師さんになり、今は老健施設で働いています。10年前に大腸がんを手術され、快復されました。何年か前に当時65歳のご主人が前立腺がんになったとき、「簡単なんだから」と手術を勧めました。ところがご主人は手術を嫌がり、入院前に身辺整理をして、「死ぬかもしれない」とおっしゃっていたそうです。手術は無事に成功したのですが、その晩、急性くも膜下出血で他界されました。

     安藤さんが仙台で開かれたグリーフケアのファシリテーター(担い手)養成講座を受けたときに、小野寺さんと出会ったそうです。安藤さんは、養成講座を行った仙台グリーフケア研究会に相談して、今年3月、山形県でも「わかちあいの会」を開きました。医療が届いていない、しかしとても重要な領域でもあります。

     おふたりとも、深い自責の念にかられています。安藤さんは、救急車を呼ばずにご自身で病院に連れて行ったこと、別れを告げることもできなかったことが今もつらく、ときおり、涙をふいていました。小野寺さんは、ご主人の反対を押し切って手術を勧めたことに罪悪感を抱いています。
     お気持ちはよくわかります。ただ、人の命は、限りあるもので、どんな運命が待っているかは誰にも知りえません。

    「自分を責めることはありませんよ。人は、死ぬときは死ぬんですから」
     と言って、あちこちで披露しているトレーニングの話をしました。高齢者の1人ぐらしの私が家で死ねるように、腹筋、背筋、スクワット、居合などで体を鍛えている。安藤さん、小野寺さんともに大笑いしていました。
     小野寺さんがお持ちの拙著『妻を看取る日』と『巡礼日記』にもサインをさせていただきました。ふと気づけば、おふたりとも、表情がやわらかく、明るくなっています。

     米沢発10時37分の山形新幹線で東京へ。途中、昨日のウォークで、1日前の同じ新幹線を撮影した踏切を通ります(山形新幹線は在来線の奥羽本線と同じ線路です)。見逃さないように、窓の外に目を凝らしました。
    ニセアカシアが咲き乱れ、新緑まっさかり。ふと目を上げれば美しい山並み。そんな景色の中を、列車は、新幹線とは思えないぐらいゆっくりと進みました。

     さて、東京。いよいよお酒の解禁日です。
     つまみも大切です。特製の野菜スープを作りました。知る人ぞ知る茅乃舎のだしを少し効かせて、煮立ててから30分ほどとろ火にかけます。皮を付けたままの新じゃが、新たまねぎ、カボチャ、ブロッコリー、トマト。新じゃがは包丁の通りもいいです。米沢のおみやげにいただいた米沢牛のみそ漬け、2月に鳥取県の境港から取り寄せたカレイの干物(10匹ぐらい買ったうちの最後の1匹です)。

     そして、高知県の珍しい栗焼酎「ダバダ火振」。以前、高知で泊まったホテルの隣の酒屋で見つけた焼酎で、これも最後の1本です。ロックでいただきました。
    「一口口にすると¥&@!?^_^^_^^_^」
     と、インスタにアップしました。「¥&@!?^_^^_^^_^」は、言葉にできないほどうまい、という意味。かつて開高健が、カニを食べるエッセイで使っていた表現方法を拝借しました。


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  • 2018年5月30日

    5月30日 ルール・オブ・スリー



     今朝は早朝6時55分にホテルを出て、JR福島駅を目指しました。約4.5キロ。福島発8時5分の米沢行きに乗ろうと、急ぎましたが、逃してしまいました。30分後の電車は、わずか2駅で終点。次の米沢行きは、なんと12時51分までありません。

     さすがに4時間は待てないので、タクシーで大沢駅を目指しました。ところが、ここが本当に山の中で、熊が出てきそうなところです。
     1人で歩くのは怖いので、もう一つ先の関根駅まで行ってもらいました。途中、何軒かの家を見ましたが、冬はどうするのだろうか、などと気にかかりました。

     今日のウォークは、関根駅から米沢までです。
     山間部のこのあたりでは、ちょうど今が新緑の季節。ニセアカシア、シャクヤク、アヤメ、カキツバタなどの花が真っ盛りです。山形らしく、果樹園ではサクランボを見かけました。天気は薄曇りで、蒸し暑いくらいです。

     実は昨日、濃い茶色に白いスジが入った蝶のコミスジが、国道4号の歩道で死んでいるのを2回見ました。
    「ルール・オブ・スリー」という言葉があります。ビジネスの世界では、「ポイントを3つにまとめると整理しやすいし相手にも伝わりやすい」という意味で使われているようです。しかし、私が知っているこの言葉は、「同じ現象が2つまであるのは偶然だけれども、3つあると、裏で何か原理が働いている」、そんな意味です。
     今日もコミスジが死んでいるのを見つけたら何かある。気を付けながら歩きましたが、飛んでいるのを見かけただけでした。

     この考え方は、がんの症例にもあてはまります。
     20世紀初頭のドイツで、染料工場で働いている工員3人が膀胱がんになりました。そこから、主治医で外科医のレーンは、いくつかの染料の原料に発がん性があることを突き止めました。職業性膀胱がんと言われ、今は先進国では根絶されています。
     18世紀後半には、イギリスの外科医ポットが、若くして陰嚢(いんのう)がんを発症する患者には、少年時代に煙突の中に入って掃除をしていた人が多いことに気づきました。陰嚢のしわにたまった煤(すす)が原因でした。

     1人で歩くのもまた、いいものです。あれこれと回想や思考のつばさを広げています。宿泊した米沢は、上杉家ゆかりの地。戦国武将の上杉謙信をまつった上杉神社などの史跡もありますが、ウォークも終盤、疲れがたまっています。
     史跡めぐりはやめて、米沢牛のステーキ定食を食べました。もちろん、水です。明日、帰京したら、お酒を解禁しようかなと思っています。


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  • 2018年5月29日

    5月29日 ツバメを撮りました!



     朝、少しだけ電車に乗ろうと、午前8時にJR東北本線本宮駅に到着したら、少し前に電車が出たばかりでした。1時間弱、涼しい風に吹かれていました。
     3駅乗って、安達駅で降りました。詩集「智恵子抄」で知られる高村光太郎の夫人、高村智恵子の生家や記念館の近くです。また、奥州安達ケ原の鬼婆(「黒塚」という演目で、能や歌舞伎にもなっています)に関するお墓(黒塚)や岩屋などもあります。

     残念ながら観光スポットには寄らず、国道4号を北上しました。
     会津磐梯山、安達太良山、吾妻小富士といった山々が見えます。まだ少し雪をかぶっている山もあります。
    東北は米どころ。すでに田植えも終わり、田んぼの水面から稲が少し顔を出して、風に揺れています。

     道の駅「安達」で一休みしていたときです。キーキー鳴き声が聞こえるので、見上げると、軒下にツバメがいました。のどが赤いので、間違いありません。フラッシュを焚かないようにしてシャッターを切りました。巣も写っています。

     ここ数日、川べりでよく見かけるのが、コヨシキリです。スズメより小さいスズメ目の鳥です。
    ♪チャッ、チャッ、チャッ、チャッ、キン、キン、ジリジリジリー
     ジャズのアドリブのようにリズミカルで次々と変化する音楽を奏でます。私はコヨシキリの鳴き声が大好きなのです。葦や木の枝の先端に止まっているので、可憐で愛らしい姿も楽しめます。

     オオヨシキリの鳴き声も、茨城県立中央病院へ行く途中で聞きました。こちらは「ギョウギョウシイ、ギョウギョウシイ」と鳴きます。俳句の夏の季語「行々子」にもなっていて、小林一茶が「行々子口から先に生まれたか」と詠んでいます。
     今回のウォークでは聞いていませんが、クロツグミの鳴き声も多彩です。
     鳥の鳴き声がわかると、気持ちが豊かになります。CDも出ているので、みなさんもぜひ聞いてみてください。

     今日は、国立がんセンターで一緒に働いた女性、Oさんからメールをいただきました。がんセンターで生化学の研究をされた後に長年、フランス・リヨンにあるIARAC(国際がん研究機関=WHOの下部機関)で働いていたのですが、このほど定年となり、ドイツ・ベルリンの新しい職場で研究員となられたそうです。日本に戻らず、ヨーロッパで研究を続ける道を選んだのですね。とても感動して、励ましのメールを送りました。


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  • 2018年5月28日

    5月28日 コインランドリーでチャリティー!?



    ●宗谷岬まで歩きたい!(5月26日)
     26日の土曜日から連日、列車の力も一部借りながら、1日20キロほど歩いています。体調は大丈夫です。禁酒を続けていますが、とんかつ定食、天重など食事はしっかり取っています。那須高原は牧畜が盛んなので、牛乳やヨーグルトも積極的に味わいました。
     26日は、東北本線で那須塩原から黒田原まで乗り、国道4号を北へ向かいました。この日の出会いは、若者3人組。自動販売機で水分補給をしていたら、声をかけられました。2日前にもコンビニで私を見かけたそうです。
     3人は、北海道の最北端・宗谷岬まで歩いている最中。1日約20キロ進み、夜は公園でテントを張っているそうです。テントをかつぎ、ソーラーパネルを付けたカートを転がしています。宗谷岬には7月上旬に到着する予定とのことです。
     私のウォークの趣旨を説明して、お互いに写真を取り合いました。インスタに上げていいか断ると、
    「インスタやってるんですか?」
     と驚かれました。この先、またどこかで会うかもしれませんね。
     夜は新白河で宿泊。いよいよ福島県に入りました。

    ●芭蕉の言葉に思いを重ねて(5月27日)
     27日の朝、新白河駅前で松尾芭蕉の銅像を見つけました。
    《心もとなき日数重るまゝに/白河の関にかゝりて旅心定りぬ》
     と「奥の細道」の一節が書かれています。簡単に言えば、「白河の関に到着して、旅をする心構えができた」というところです。
     私は桐朋中学時代に授業で「奥の細道」を学び、修学旅行も「奥の細道をたどる」という形で、東北地方でした。芭蕉の言葉がすっと頭に入ってきます。感慨を覚え、自身のウォークに対する思いも重ねました。
     この日の宿泊は、須賀川。静かな城下町で、風情があります。老舗の和菓子屋さん、カフェ、レストランが目に入ります。私の持論は、「カフェやレストランが多いところは、街がいい」。須賀川からもそれを感じました。
     もう一つ、街で目立つのは、ウルトラマンやウルトラセブン、怪獣たちの人間と等身大の像です。ここは、特撮の神様と言われた円谷英二さんの故郷なのです。
     しかし、何よりも印象に残ったのが、ホテルのコインランドリーでした。
     利用しようとしたら、鍵を渡されました。洗濯200円、乾燥100円なのですが、お金の代わりにこの鍵を使います。鍵を返却するときに、その代金を払う仕組みです。
    「2011年3月の福島第一原発の事故の後から、工事関係者がたくさん長期に泊まっています。そこで、コインランドリー代を子どもたちへのチャリティーに使うことにしたのです」
     なるほど、とてもいい試みです。私は洗濯・乾燥の300円に加えて、500円の寸志をお渡ししました。

    ●カッコウの鳴き声(5月28日)
     28日の朝、ホテルから須賀川駅まで15分ほど歩く途中で、カッコウの鳴き声を聞きました。今回のウォークで、ホトトギスの鳴き声はよく聞きましたが、カッコウは初めてです。
     ふと、カッコウの托卵(たくらん)が頭に浮かびました。托卵とは、ほかの鳥の巣に卵を産むことです。その際、元からある卵を落としてしまいます。カッコウのヒナも、生まれると、本来の親鳥の卵を落としてしまいます。親鳥は、知ってか知らずか、カッコウのヒナを一生懸命育てます。
     カッコウにとっても、子育ては大変な仕事。では、子育てしない時間は、生産的なことをやっているのだろうか? ヨーロッパのカッコウも托卵をするのだろうか? そんなことも頭をよぎりました。
     歩いていると、会津磐梯山が見えてきました。気分は「奥の細道」です。



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  • 2018年5月25日

    5月25日 偶然ってヤツは



     昨日泊まったJR矢板駅前のビジネスホテルは、シングルとは思えないほど広々としていて、ゆっくり過ごせました。
    今日は、約25キロのウォーク。朝、ホテルを出てすぐに、60代ぐらいの女性2人に会いました。散歩中とお見受けしましたが、
    「テレビで見ました! がんばってください」
     と激励されました。朝から力が湧きます。

     私をナビゲートしてくれるのは、スマホに入れてあるカーナビのアプリ。徒歩だと距離感覚がずれるからでしょうか、ときどき道を間違えてしまいます。
     今日も、国道4号に出そびれて、地元の道をグルグルしていました。すると、前方に停まっている軽トラックから、頭に白いタオルを巻いた中年の男性が降りてきました。

    「新聞で読みました。先生がこのへんを歩かれているようなので、会えるかなと思って待っていました」
     がんの疑いを持たれたが、晴れたそうです。ただ、仲間にはがんの方がたくさんいらっしゃるとのこと。ご寄付までいただきました。ありがとうございます!

     それにしても、この男性の「野性の勘」には舌を巻きました。もし私が道を間違えなければ会えなかったのですから。
     まったく、偶然ってヤツは……。だからこそ、旅はやめられません。
     私が生物学の面白さに目覚めたムラサキツユクサや、かつて登ったことがある那須岳(たぶん)の写真を撮りながら、マイペースで歩きました。
     昨日と同じく早めに宿に入り、大相撲観戦です。あっ、全勝の栃ノ心が負けました!



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  • 2018年5月24日

    5月24日 声をかけられる幸せ



     昨日は、栃木県立がんセンターから東武宇都宮駅周辺まで15人ぐらいでウォークしました。今朝はホテルからJR宇都宮駅まで1.5キロ近くの道のりを1人で歩いていて、駅の近くまで来てふと気づきました。
     帽子を忘れてる!

     ホテルまで取りに戻り、再び駅へ向かっていたら、突然、女性に声をかけられました。
    「あら、先生!」
     なんと、4月9日、今回のウォークで訪れた富山県立中央病院でお目にかかった臨床検査技師さんです。日本輸血・細胞治療学会に参加されていたそうです。さっそく自撮りをしました。

     無理をしないで電車に4駅乗り、蒲須坂という駅で降りました。それから、のんびりとウォークです。午前中は涼しくてよかったのですが、午後から気温が上がってきます。
     途中、コンビニに寄ったら、また女性に声をかけられました。
    「昨日、NHKを見ました。まさかこんなところで会えるとは思いませんでした。1人で歩いていらっしゃるとは驚きました!」

     聞けば60代で、乳がんのサバイバーだそうです。私と会えたことをとても喜んでくださり、「何かごちそうしましょうか」とお誘いいただきました。
     丁重にお断りしてウォークを続けていると、雨が降ってきました。すると、後ろから来た車が止まりました。先ほどの女性です。
    「車でお送りしましょうか」
     暖かい言葉に感謝しつつも、歩くことにしました。

     今日はほかにも、国道4号で信号待ちをしていたら、ガソリンスタンドの方から励ましの言葉をかけられました。やはり、テレビをご覧になったそうです。
     声をかけられる幸せを実感した1日でした。
     お昼は、もやしラーメンとコーヒー。ものすごい量ですが、600円の安さです。おいしくいただきました。早めに宿に入り、大相撲観戦を楽しみました。体調は、戻っています。


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  • 2018年5月23日

    5月23日 内野手のボール回しのように



     真岡鐵道は、蒸気機関車が走ります。真岡駅は、駅舎もSLをかたどっています。
     ただ今日は、残念ながらSLには乗らず、バスでJR東北本線の石橋駅まで行き、そこから15キロほど歩いて、栃木県立がんセンターに着きました。ここまでは1人です。

     横断幕とともに、菱沼正一理事長をはじめ、病院スタッフ、リレー・フォー・ライフとちぎ、日本対がん協会栃木県支部(公益財団法人「栃木県保健衛生事業団」)、患者会のみなさんなど100人ぐらいの方に歓迎していただきました。
     清水秀昭先生、小山靖夫先生といった歴代のトップもおられます。小山先生は今も、栃木県立がんセンター内で「こやまカフェ」を開いています。NHK、民放、新聞各社も取材に来てくれました。

     広い会議室で交流会が開かれました。ロの字型に囲んだテーブルで、質問に対して私が答えるというより、誰かの発言に別の誰かが触発されて発言する。野球の内野手のボール回しのように意見が飛び交いました。

     呼吸器内科の医師が問題提起をされました。
     ――喫煙は、格差の問題とも密接な関係があるのではないだろうか?
    「たばこは、一番安い娯楽なのです。両親がたばこを吸っていると、子どもは、受動喫煙だけでなく自分も吸うようになってしまいます」
     リレー・フォー・ライフとちぎの実行委員長が続きます。
    「子どもの教育に力を入れることが大切です」
     私も発言しました。
    「アメリカでは、小さいときにきちんと教育を受けた子どもは、成長した後、健康面でも成功している、という調査があります」

     対がん協会栃木県支部で肺がんの検診を担当している女性からは、
    「診断よりも予防が大切ではないか」
     という意見も出ました。
     どちらも大切ですが、予防の1丁目1番地は禁煙です。私は、読売新聞4月8日付の「地球を読む」の欄に書いた「受動喫煙対策に力を入れない国に未来はあるのか」などに触れて、ふだんから駅のホームで最前列に立たないことを明かしました。
     すると、さきほどの呼吸器内科の先生が「本当にそうです」とおっしゃるではありませんか。笑いに包まれると思ったのですが……。

     医療と宗教をめぐる話題も出ました。リレー・フォー・ライフの実行委員長からです。
    「病院に宗教家が入ることについて、どう思いますか?」
     一口に宗教といっても、仏教やキリスト教から新興宗教、さらには怪しげな宗教(宗教と呼べるかどうかはともかく)まで、さまざまです。菱沼理事長が、
    「うちはお断りしました」
     とおっしゃいました。

     これに対して、これまでに4度、別のがんを体験されたという77歳の女性は、こんなエピソードを語ってくれました。彼女は栃木県立がんセンターで20年もボランティア活動をされています。あるとき、終末期の患者さんに引退した牧師を紹介したところ、患者さんは穏やかに旅立てたそうです。
     宗教家が病院で活動するのは、布教活動ではありません。その意味では、熱意あふれる人よりも、よく傾聴する人のほうがふさわしいと思います。そんな考えを述べました。

     乳がんの患者会「あけぼの会」の方は、長年活動しているのに知名度が上がらない(患者さんに十分に知られていない)という悩みを投げかけられました。
     ある医師は、患者さんがネット検索でたどり着いた間違った情報を正しいと思い込んでしまう、という懸念を表明されました。
    いずれも、切実なテーマです。すぐに妙案は浮かびませんが、多くの人と議論する中で、ヒントが見つかるかもしれません。三人寄れば文殊の知恵、ですから。



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  • 2018年5月22日

    5月22日 知られざる茨城県


     21日に泊まった茨城県笠間市のホテルのレストランは「森のレストラン」と謳っています。
     その言葉通り、森の中にあるようなイメージです。窓からは木々が見えて、気持ちの良い朝食を楽しめました。私には珍しく、オムレツ、ソーセージ、サラダ、フランスパン、ヨーグルトといった洋食です。

     笠間は、品のいい街です。焼き物で有名ですね。ギャラリーが点在し、笠間焼のみならず、ガラス工芸品の店も見かけました。茨城県陶芸美術館や笠間工芸の丘などもあります。また、花崗岩(かこうがん)の一種の稲田石の産地でもあります。白さが際立つ石で「白い貴婦人」とも呼ばれているそうです。この石は国会議事堂、最高裁判所、東京駅などにも使われているそうです。
     実はメロンや栗の生産量は、茨城県が日本一です。レンコンは全国生産の約5割、干し芋にいたっては約9割が茨城産です。知られざる茨城県!

     今日は、笠間からJR水戸線で下館まで行き、私鉄の真岡(もおか)鐵道に乗り換えて、ひぐち駅で下車。無人駅です。そこから10キロほど、真岡市まで歩きました。
     途中、妻が好きだった矢車草がたくさん咲いていました。第5回ウォークの際に群馬県でも見かけましたが、群生する全体を写真で撮ったので、個々の花が目立ちませんでした。その教訓を生かして、今回は、青い花のアップを収めました。

     体調は、ほぼ戻りました。私のアシスタントの森田幸子が、今年のラマダン(イスラム教徒の断食月)が5月15日から1カ月間だと教えてくれました。それにならって、私もお酒をラマダンします!



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  • 2018年5月21日

    5月21日 魔法はありません



     どうやら、お酒は少し早かったのかもしれません。
     20日の夜に尿の出がまた悪くなり、夜中にカテーテルを再装置しました。30分ぐらいで導尿を終えて抜き、体調は戻りました。ただ、しばらくお酒は我慢します。

     今日は、JR常磐線で石岡から1つ乗って羽鳥で下車。テルモの方1人、日本対がん協会茨城県支部(公益財団法人「茨城県総合健診協会」)の方4人と歩きはじめました。テルモの方はマラソンランナーで、週末につくば市で開かれたリレー・フォー・ライフにも参加したうえでのウォークです。さすがです。

     支部の4人は、おそろいの明るい緑色のTシャツを着ています。胸元には、シンボルマークのハートの聴診器。茨城県支部のキャッチフレーズは「けんこうリンク」です。健康に関する課題を通じて、健康診断を受けるみなさまと支部が「つながっている」という意味を込めているそうです。
    ウォークをされない支部の方は、私の荷物を積んで車で伴走してくださいました。歩道がない危険なところもチェック済みで、そんなところでは車に乗せてくれました。

     途中、時間調整も兼ねて、筑波海軍航空隊記念館に寄りました。戦時中の司令部庁舎や号令台などがそのまま残っている旧海軍基地で、映画「永遠の0」のロケ地でもあります。戦争遺構や特攻隊関連の展示を見ていると、胸が痛みます。私は1941(昭和16)年4月生まれなので、戦争の記憶もあるのです。

     さて、茨城県立中央病院(笠間市)では、吉川裕之院長をはじめとする医師や看護師、スタッフのみなさん、10名ぐらいのサバイバーの方と、私が扇のかなめに座るような位置でお話ししました。
     病院側が患者さんたちを大切にしていること、みなさんが一生懸命なことはよく伝わってきました。惜しむらくは、医師たちも患者さんたちも、発言が控えめでした。

     私は「患者会は、小異を捨てて大同につき、勉強をされて、政策提言できるぐらいになっていただきたいと思います」と申し上げました。
     相談支援センターの女性スタッフが約10人、濃い青と濃い赤のそろいのはっぴ姿で見えていました。「お金と就労の問題にどう取り組めばいいのでしょうか」と率直に訴えられました。
     重要なテーマです。しかし、私にも名案はありません。魔法のような解決手段はないでしょう。だからこそ、「こういう問題は、みなさんが声を上げ続けることが大切です」と、いつもの信念をお伝えしました。

     泊まったホテルは、森を思わせる緑に囲まれています。すぐ近くのカフェに夕食を取りに出かけると、ホトトギスが鳴いていました。幼鳥なのでしょう、鳴き方があまり上手ではありません。そこがまたいいですね。
     カフェでは、ポークカツ、サラダ、オニオンスープ、ライス、杏仁豆腐、コーヒー。健康的です!


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  • 2018年5月19日、20日

    5月19日、20日 ビールを小ジョッキで1杯



     19日の朝、ホテルをチェックアウトする前に、仲の良い泌尿器科医の藤岡知昭・岩手医大名誉教授に電話を入れました。症状を説明して、アドバイスを求めたのです。
     実は藤岡先生も尿閉の経験があります。尿道を緩めて排尿しやすくする薬の服用を勧められました。

     薬局では売っていないので、さっそく、前日訪問させていただいた国立がん研究センター東病院へ行き、救急で受診。薬を処方してもらいました。
     藤岡先生からは「カテーテルを抜いても、すぐに元に戻るわけではありません」とも教えられて、気分がグッと楽になりました。

     つくばエクスプレスに2駅乗って守谷で下車。タクシーで10キロ乗り、そこから、ひたち野うしくまで歩きました。40代後半とおぼしき運転手さんは、元競輪選手。若いころに東京から京都まで、自転車で4日で走ったことがあるそうです。
    降車したときに、「先は長いから、しっかり頑張ってください」と励まされ、ガッチリ握手を交わしました。

     座薬や飲み薬などの効果もあり、体調は戻ってきました。ふだんは何も意識せず行っている排尿も、実は高度な機能だと、今さらながら実感しました。
     翌20日も一部タクシーの力を借りて、国道6号を石岡まで歩きました。晴天のもと、緑はいよいよ濃くなり、ところどころ田植えも始まっています。筑波山も見えます。
     栗の白い花、アザミ、ムラサキツユクサなどが咲いていました。桐朋中学1年のとき、顕微鏡でムラサキツユクサの細胞分裂を観察し、植物の成長を実感した記憶がインプットされています。

     疲れや尿閉の影響もあるのでしょう。2月のウォーク開始前より5キロやせて、太もももほっそりしてきました。そのため、18日の夜には、Tボーンステーキ400グラムとトマトの冷製パスタを食べました。水でステーキを食べたのは、私には前代未聞のことです。
     19日には、恐る恐るお酒を再開。ビールを小ジョッキ1杯、飲みました。大丈夫でした。そこで20日は、ビールを普通のジョッキで1杯と、石岡市の地酒の府中誉を1合、ぬる燗でいただきました。
     酒飲みにとって、お酒が飲めるかどうかは、大きいのです。


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  • 2018年5月18日

    5月18日 がん医療は、がん患者のためにある



     つくばエクスプレスの「流山おおたかの森駅」から、国立がん研究センター東病院(千葉県柏市)まで。今日は久しぶりに約5キロのウォークです。日本対がん協会千葉県支部の方2人、テルモ東関東支店の方2人、リレー・フォー・ライフのボランティアスタッフの女性の方、日本対がん協会の職員1人の合計7人で歩きました。

     東病院は、1992年に設立されました。私が国立がんセンターの院長や総長をしていたころは、よく訪問していました。また、妻が約1カ月入院して陽子線治療を受けた病院でもあります。それだけに、懐かしい東病院に戻ってきた、という感じがあります。
     訪問を通じて確信したのは、こんな姿勢です。
    「がん医療は、がん患者のためにある」

     ここでは、25室ある緩和ケア病棟のどの部屋からも、窓を開ければそのまま広い庭に出られるようになっています。
     横断幕と花束の歓迎を受けて、大津敦院長とその庭を歩きました。ボランティアのみなさんが手入れをしてくださっている庭は、私の知らない十数年の間に、様変わりしています。樹木は順調に成長していて、シャクヤクが白い花を咲かせていました。庭の成熟ぶりに、歳月を感じました。

    むろん、2005年発足の臨床開発センター、2014年にオープンした新外来病棟、2017年の次世代外科・内視鏡治療開発センター棟の完成など、組織としても発展しています。2014年にはサポーティブケアセンターをスタートさせ、総勢20人で、初診時から切れ目のないケアを提供しています。

     大津院長によると、敷地内にある会社がホテルを建てるそうです。がん剤治療も通院が中心の時代、患者さんが長期滞在しながら治療を受ける、お見舞いのご家族が滞在するなどさまざまな利用が考えられます。米国式で、日本では「ホスピタルイン獨協医科大学」(栃木県壬生町)の例がありますが、先進的な試みです。

     交流会では、東病院の医師や看護師らスタッフのみなさんだけでなく、3つの患者会の方もいらしていました。NPO法人「パンキャンジャパン」(すい臓がん、本部はロサンゼルス)、NPO法人「GISTERS」(希少がんのGIST=ジスト)、認定NPO法人「希望の会」(スキルス胃がん)です。

     まず大津先生のご挨拶がありました。
    「2人に1人ががんになる時代で、我々も、サバイバーシップのサポートを精力的にやっています。今日は、日頃お世話になっている患者会のみなさんにもおいでいただきました。医療者では見えない部分もたくさんあるので、いろんなご意見をいただいて、診療やサポーティブセンターの活動に生かして行ければと思います」
     この言葉からも、患者との信頼関係を大切にしていることがよくわかります。私を迎えてくださった横断幕には、3つの患者会の名前が、東病院と同じ大きさで記されています。

     続いて、患者会のみなさんの発言です。
    「2020年に向けて、すい臓がんの生存率を倍にしようという目標を持っています。早期発見に向けて血液検査の試験がスタートしています。すい臓がんも、少しずつ良くなっている。私はすい臓がん6年のサバイバーですが、元気な顔を見せることが希望につながると思います」(パンキャンジャパンの眞島喜行理事長)

    「妻が9年前にジストで亡くなりました。最後に土井先生(土井俊彦副院長)にご意見をいただいたり、その縁で東病院でGISTERSの講習会を開かせていただいたりしました。ジストは薬に頼る部分が大きく、海外ベンチャーが開発する薬を日本に入れなければならず、また先生方に相談させていただきたいと思います」(GISTERSの西舘澄人理事長)

    「ここにいらっしゃる先生方にお世話になり、またメディアに取り上げられたことで、スキルス胃がんの認知度も上がりました。若い患者さんが多く、残されたお子さんたちも多い。そのため、定款に『リレー・フォー・ライフに参加して遺族も含めた患者家族が集まってお互いに力になること』と挙げています。先生のウォークもみんな見ていて、励みになっています」
    (希望の会の轟浩美理事長)

     それから、土井副院長をはじめ医師や看護師のみなさんのお話があり、さらにしばらく歓談を楽しみました。その中で、ある県では、新たな研修医として内科医が10人、外科医が5、6人と、医師になる人自体が少ないことが話題に上りました。地域格差は、がん医療以前の課題です。

     サプライズは、帰り際に起こりました。玄関を出たところで、戸塚洋二さんの奥様に会ったのです。戸塚さんは、東大空手部で私の1年先輩で、ニュートリノの研究でノーベル賞確実と言われた物理学者です。2008年に大腸がんで亡くなりました。
     戸塚さんは自分のがんを、専門家でもなかなか真似できないほど緻密に記録していました。そして私に、「がん患者は自分と似た病態の人が、どんな治療を受け、どうなったか、という記録があると大変な参考になるのです。垣添さん、作ってよ」と託されました。

     この言葉が、私が「がんサバイバー・クラブ」を立ち上げた根源にあります。奥様とは今も、年に1回ぐらい、銀座で食事をしています。
     奥様は東病院で、化学療法で髪が抜けた方向けに毛糸の帽子を作るなどのボランティアをされています。今日、私が来ることをご存知だったそうです。疲れを癒やすように、ということでしょう。梅干しをいただきました。
     再会とお心遣いのうれしさで、景色がぼやけました。


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  • 2018年5月17日

    5月17日 県内の患者団体が集結!



     今日は、千葉市の千葉県がんセンターを訪問しました。
     ウォークは800メートルぐらいです。日本対がん協会千葉県支部(公益財団法人「ちば県民保健予防財団」)の方々、日本対がん協会の中嶋幸子らと歩きました。

     千葉県がんセンターでは、山口武人院長、浜野公明副院長をはじめスタッフの方々がポスターまで作って歓迎してくださいました。愛媛県の四国がんセンターを訪問したときにいらした先生が、人事異動で千葉県がんセンターに移り、もう一度私を迎えてくださるというサプライズもあれば、手術を終えたばかりなのでしょう、帽子とマスクを外しながら駆けつけた医師たちもいらっしゃいました。日本対がん協会千葉県支部の藤澤武彦理事長らの姿もあります。

     そんな中で目立ったのは、黄色いTシャツを着た方たちです。10人以上いらっしゃいました。
     千葉県内の10の患者会が、がん種を越えて集まった「千葉県がん患者団体連絡協議会」のみなさんです。冊子「がんと生きる仲間たち ひとりで立ち向かわないで」も作成し、各会の紹介はもちろん、県内のがん相談支援センターの一覧も載せています。

     活動は活発です。千葉県がんセンターとの信頼関係の厚さを感じました。それだけに、貴重な成功モデルになると思います。
     だからこそ私は、交流会の席で、もう一歩踏み込んでお願いしました。
    「すばらしい動きですね。みなさん方がさらに勉強されて、千葉県のがん対策について提言するまでの力を付けてください」

     交流会では、肺がんのサバイバーの男性から、こんな相談がありました。
    「私は受動喫煙で肺がんになったと思います。だから周囲にたばこをやめるように言うと、嫌な顔をされます。苦労しているので、もう言うのをやめようかと悩んでいます」
     私は、きっぱりと申し上げました。
    「私は4月8日付の読売新聞の『地球を読む』という欄で、受動喫煙対策に力を入れない国にオリンピック・パラリンピックを開催する資格があるのか、と書きました。人の命より(たばこによる)税収を重んじる国に未来はありません。私はいつもこういう発言をしているので、駅で並ぶときには最前列にならないようにしています。やむを得ず最前列になった場合は、後ろの気配に気を付けています」
     最後はドッと笑いが起きましたが、本当のことです。
    「禁煙を言い続けてください。それが世の中を変えます」

     別の男性からは「検診への疑問もありますが?」という問いかけを受けました。そういう声があるのは事実ですが、検診による早期発見は、禁煙による予防と並ぶ重要ながん対策です。今度もきっぱりと申し上げました。
    「検診は大事です。ぜひ受け続けてください」

     前日の都立駒込病院にいらしていた女性が、顔を出してくださっていました。千葉県がんセンターの中で患者カフェの活動をされていて、それを院外に広げたいというお話でした。これもまた、大切な活動です。
     おかげさまで、とてもいい雰囲気で訪問を終えました。



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  • 2018年5月16日

    5月16日 声を上げ続けていこう!!


     今日は、いよいよ首都東京です。
     都立駒込病院、国立がん研究センター、がん研有明病院の3カ所に加えて、国会前でもアピールするという、今回のウォークきっての濃密な1日でした。
     尿閉はまだ全快せず、導尿用のカテーテルを入れたままです。このため、今日も移動は車。各訪問先の少し前から歩くパターンでした。

     それぞれの交流会で、状況を説明しながら、「インチキして」「お目こぼしいただいて」などとお断りすると、ときに笑いながら、みなさん暖かく受け入れてくださいました。ありがとうございます。
     なお、日本対がん協会のスタッフたちが、しっかりウォークをしました!




    ●言い続けて、言い続けて十数年 ~都立駒込病院~
     都立駒込病院では、鳶巣(とびす)賢一院長をはじめ、多くの方々にお出迎えいただきました。
     病院の理念は「医療を通して人がその人らしく生き抜くことを支援する」。鳶巣院長が「サバイバーシップそのものです。体の問題、心の問題、お金の問題。すべてに私たちで精いっぱいの対応ができないか。これから先はそこに高齢化が加わってきます。それらをカバーできる組織を作るしかない」とおっしゃいましたが、まさにその通りです。

     駒込病院では、2017年3月、「患者支援センター」を「患者サポートセンター」に組織変更し、院内の目立つ場所に移して、活動を拡大しました。消化器外科医の出江(いずみ)洋介医師がセンター長です。
     出江先生によると、センターは病院の理念を実現するためのエンジン。設置場所を、病院の玄関入ってすぐ、会計の隣に移したら、それまでは月に数十件だった利用件数が、一気に1300件に伸びたそうです。

     社会福祉士、看護師、臨床心理士などスタッフは総勢34人。ハローワークの職員も週に1回来て相談を受けています。「会社をやめないように」という取り組みに力を入れていくそうです。的を射たアドバイスだと思います。
     ピアサポートも行っているそうで、手厚さを感じました。
     車座になっての交流会では、駒込病院にかかわっている患者会、遺族会のみなさんとお話しできました。
     ピアサポートをされているというNPO法人「がん患者団体支援機構」理事の女性が、「駒込病院の院内での活動はうまくいっているが、地元の県では、病院内に患者サロンを設置することも難しい(場所を提供してもらえない)」という現実をお話しされました。議員を通して訴えかけてもなかなか開催できない、とのことです。

     私は「新しい活動を始めるのは、常に困難を伴います。とにかく声を上げることです」と申し上げました。
     私も、がんセンターの院長・総長を務めた15年間、がん対策は法律に根差すべきだと訴えましたが、全然取り合ってもらえませんでした。
     島根県のカメラマンの方が抗がん剤治療の地元と東京での格差に気づいて、奥様と2人でがん治療改善を求める運動をはじめ、やがて全国に広がりました。最終的には、民主党の山本孝史さんが国会でご自身のがんについて発言されたことで、ついに「がん対策基本法」が成立したのです。
    「言い続けて、言い続けて十数年です。国民が声を上げ続けることが世の中を動かします」

     会場には、山本孝史さんの奥様の山本ゆきさんもいらっしゃいました。ゆきさんは2年ほど前に、孝史さんと同じ胸腺がんの患者会を立ち上げたそうです。
    「希少がんで、声を上げていかないと、なかなか社会や医療者の理解を得られません」
     会員は全国で130人ぐらい。治療法が確立されていないので、治療や生活の情報交換をされているそうです。
     37年前から悪性リンパ腫を4回経験された「がんカフェ ぷらな」の方からは、月に1回、お寺の一部屋で、がん患者や家族、遺族の方まで対象にお話の会を開いている、というご紹介がありました。遺族の悲しみは医療の外側にあります。大変いい活動をされていると思いました。

     ほかにも、患者がヨーロッパ最高峰のモンブランに登ったことで知られる、がん患者と家族「どんぐりの会」(遺族の会として「青空の会」も)、院内院外で活動されているNPO法人「血液患者コミュニティももの木」、駒込病院血液内科の患者と家族でつくる「つつじの会」などの方から気持ちのこもったお話を伺えました。




    ●がん対策基本法は患者の尊厳法 ~国会前~
     国会議事堂と道路を挟んだ衆議院議員会館の前に、駒込病院からウォークにご同行いただいた「どんぐりの会・青空の会」の旗と、「がんサバイバーを支援しよう」の横断幕を掲げました。外科医で在宅の緩和ケアにも携わっている中島克仁衆議院議員(民進党出身で今は無所属)が、駆けつけてくださいました。
     中島議員からは「これからも超党派で、がん対策のあり方、サバイバーのみなさんのご支援を一歩でも二歩でも進めていきます」と力強いお言葉をいただきました。

     山本ゆきさんも引き続きお越しいただき、こんなご挨拶をいただきました。
    「(2016年に)がん対策基本法が改正されて、希少がんや難治性がんにも光が当たるようになりました。山本孝史が議員のみなさんに託した思いは、がん対策基本法は患者の尊厳法ということです」

     2006年、がん対策基本法が国会で廃案になりそうになったときに、流れを一気に変えたのが、山本孝史さんのご発言でした。深く感謝を申し上げています。今日は、ゆきさんとお目にかかれると思っていなかったので、うれしく、また決意を新たにする再会でした。




    ●病院なのに病院でない空間 ~国立がん研究センター~
     続いて訪れた国立がん研究センターは、言うまでもなく、私の古巣です。中釜斉理事長、西田俊朗院長をはじめ、多くのみなさんに歓迎していただきました。私の飲み友達や、中高と過ごした桐朋の同級生の顔も見えます。

     西田院長は、「国立がん研究センターも、がん医療のみならず、がんサバイバー支援に力を入れています」とおっしゃっていました。ご自身は、就労、仕事の継続に取り組んでいらっしゃるそうです。
     さらに全人的なケアを「患者サポート研究開発センター」で展開し、効果があれば全国に広げていきたいという構想をお持ちです。ただ、保険適用外なので、経済基盤が不安定で、クラウドファンディングを始めたそうです。

    「病院で完結するのではなく、社会全体で患者さんを支えていく。逆に社会も患者さんに支えられる。そういう社会を築きたいという志を持っています」
     すばらしい構想です。ここでも、多くの人が声を上げていくことで世の中は変わるはずです。
     同センターは病院棟8階にあります。2016年8月に、センター長で、化学療法の専門家でもある朴成和先生によると、「病院に来ているのに病院でない空間」というコンセプトだそうです。窓を大きく取り、景色がよく見えます。鏡を作ることで、空間を広く感じられるようにしています。
     ここでは、看護相談、薬剤師外来、栄養相談、緩和医療相談などのほか、リンパ浮腫、抗がん剤治療、すい臓がん・胆道がんなどの患者教室も開いています。
     朴先生によると、大切なのは「半歩先」を行くこと。十歩前だと、視察に来られた方も「自分のところでは無理」と判断してしまいます。「患者の待合室も、テーブルを置くだけで全然違うんですよ」とも。大切な視点です。
     クラウドファンディングなどで、私も応援していきたいと思います。




    ●ご自身の体験を伝えてください ~がん研有明病院~
     最後は、がん研有明病院です。
     ご主人がすい臓がんで、残念ながら最近再発されてしまったという方が、
    「5大がんの6番目にすい臓がんも入れてもらえないのか。すい臓がんが仲間外れになっているみたいな気がします」
     と訴えられました。

     すい臓がんは、厳しいがんです。すい臓がんの患者さんは増えています。私は「5大がんは象徴としての言い方です。みなさんが声を上げ続けておられると変わります。研究を応援する意味でも、ありがたいです」と申し上げました。
     山口院長も、「すい臓がんは重要な病気です。ここ5年ぐらいの間に、いい抗がん剤が出てきました。今も新しい薬がどんどん開発されています。決して希望を失わないでください。必ず克服される日が来ます」とフォローされました。私も同感です。

     お母さんを7年前にスキルス胃がんで亡くされた女性は、それをきっかけに検診を受けたら4センチの胃がんが見つかったそうです。お父さんと参加されていました。
    「生き残った若い元がん患者が、みなさんにできることは何でしょうか?」
     こう問いかけられました。私は、
    「ご自身の体験をみなさんに伝えてください。がんが治って元気になった方がたくさんいることが伝われば、がん=死というイメージが変わっていきます」 と申し上げました。

     山口院長からは変化球の質問も出ました。
    「先生は前から歩いていたのですか?」
     お遍路をしているときにさまざまなアイデアが湧いたこと、日ごろから腹筋やスクワット、居合道などで体を鍛えていること、趣味のカヌーのことまでお話ししました。そんな“サイドストーリー”も含めて、充実した訪問となりました。
     一言ブログなのに、長くなってしまいましたね。お目こぼしください!



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  • 2018年5月14日

    5月14日 波乱の幕開け


     第6回のウォークは、波乱の幕開けとなりました。
     私が先週、「尿閉」になってしまったのです。尿閉とは、膀胱内にたまった尿をうまく外に出せない状態です。もともと前立腺肥大の傾向があるので、それが原因かもしれません。
     異変に気付いたのは、先週の半ばでした。尿意があるのに尿が出ない。おかしいな、と思っていましたが、5月10日には、フランスから長年の友人(泌尿器科医の仲間)が日本人の夫人と来られていたので、夕食を楽しみながらお酒も嗜んでしまいました。それもあって、症状が顕在化しました。

     翌朝、国立がん研究センター泌尿器・後腹膜腫瘍科の藤元博行科長に電話をかけて説明すると、「尿閉」という言葉が出ました。それでピンときました。「紺屋の白袴」とはよく言ったもので、私は専門医でありながら、自分のことは後回しにしてしまうというか、自己診断はかくも難しいものなのです。

     藤元先生のもとを訪れ、カテーテルで導尿しているので、長時間歩くことはできません。
     そこで今日は、自宅からタクシーで埼玉県立がんセンター(埼玉県伊奈町)へ向かいました。センター手前のコンビニで、日本対がん協会埼玉県支部(公益財団法人「埼玉県健康づくり事業団」)の方たち、リレー・フォー・ライフ・ジャパン・さいたまの実行委員でサバイバーの方、日本対がん協会の職員と合流して、5人で800メートルほど歩きました。

     おかげさまで、とても充実した訪問となりました。
     交流会の会場となったセミナールームは、リレー・フォー・ライフのようにルミナリエ(それぞれの想いを書いた白い紙バッグ)が部屋の周囲に置かれています。埼玉県立がんセンターでは、坂本裕彦院長をはじめスタッフのみなさんが毎年、リレー・フォー・ライフに参加されているそうです。

     100人ぐらいは参加されたでしょうか。座りきれない方もいらっしゃいました。座席には2枚の資料が配られています。
     1枚がウォークとリレーの説明、もう1枚が埼玉県立がんセンターの相談支援センターの説明でした。看護師13人、医療ソーシャルワーカー6人の態勢で、ハローワークなどとも連携しながら、年間延べ2万5000件もの相談を受けています。件数もさることながら、リピーターが多いことも、丁寧な相談を裏付けています。

     交流会では、活発な意見が出ました。
    「日本対がん協会の無料電話相談は、大変ありがたい。しかし、夜が本当につらい。夜の相談はできませんか」(乳がんのサバイバーという中年の女性)
     私は以前、米国・アトランタで、アメリカ対がん協会の無料電話相談の現場を見学したことがあります。夜にかかってくる電話は、数は少ないものの、深刻な内容が多いそうです。「電話をつないだまま警察に連絡して自宅へ行ってもらい、自殺を食い止めたこともある」と伺いました。日本の状況も大差ないはずです。
    「日本対がん協会も24時間365日を目指しています。財政的なこともありますので、ご支援よろしくお願いします」
     と申し上げました。

     ほかにも、
    「AYA世代(10代半ば~30代にかけて)のケアをもっと充実させてほしい」(30年ほど前にがんを経験された女性)
    「病院内のケアは充実しているが、病院の外へ出ると何もない。院外で患者支援をするカフェを開きたい」(サバイバーとみられる女性)
     などの声がありました。
     AYA世代のサバイバーには、就職、結婚、生殖機能の温存など長期間のフォローが求められます。院外のケアは、重要な課題です。どちらも、声を上げたり自ら動いたりされることで光が当たり、道が開けていきます。

     終わりのほうで、私も種明かしをしました。
    「私は泌尿器科医なのに尿閉になってしまいました。カテーテルが入っています。今日はズルして車で来て、800メートルだけ歩きました」
     ズルして、のところで、会場が笑いに包まれました。


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  • 2018年5月2日

    5月2日 トップの理解と覚悟で、組織は動く


     今日は、今回のウォークで唯一の病院訪問で、群馬県立がんセンターへ向かいました。
     朝、日本対がん協会群馬県支部(公益財団法人「群馬県健康づくり財団」)の戸塚俊輔専務理事がホテルまで迎えに来てくださりました。その後、徳川家発祥の地という太田市の世羅田東照宮でも何人かと合流して、そのうち戸塚さんら3人と私で歩きはじめました。

     旧中島家住宅の前を通ります。中島飛行機(後の富士重工=現スバル、の前身)の創設者・中島知久平が、昭和初期に両親のために築いた大邸宅です。敷地1万平方メートルの近代和風邸宅で、2016年に国の重要文化財に指定されました。当時のお金で100万円、今なら何億円になるのでしょうか。

     その後、カフェ尾島という元は呉服屋さんだったカフェで一休み。戸塚さんがすかさず、今年10月のリレー・フォー・ライフ・ジャパンぐんまのご案内をすると、女性主人が「私は毎年、参加しています」とのお答え。うれしいサプライズでした。
     県立がんセンターの建物が見えてきたところで、お昼です。うなぎとナマズの天ぷらをいただきました。最近はうなぎが激減しているので、いつまで食べられるかわかりません。機会があればいただくようにしているので、ありがたかったです。ナマズの天ぷらは、淡泊な白身で、キスに似た品のいい味でした。

     いよいよ群馬県立がんセンターに到着です。ざっと見たところ、80人ぐらいの方が横断幕を掲げて待っていてくださいました。
     病院のスタッフ、リレー・フォー・ライフや支部の方、群馬県患者団体連絡協議会の方などです。東京から、日本対がん協会でリレー・フォー・ライフを担当している原優子さんも駆けつけています。

     鹿沼達哉院長とは初対面ですが、とても柔らかい感じを受けました。院長室でさっとお話ししたあと、一緒に会議室へ。入院中の患者さんでしょうか、パジャマ姿の方も2人ぐらいいらっしゃいます。聞けば、私の来訪を館内放送で2度も流してくださったそうです。開かれた対応は出色ですね。

     病院でボランティアをされているサバイバー、平日は院内、休日は院外の集まりやすい場所でカフェを開いているサバイバーといった方たちも見えました。がん相談支援センターでは、ハローワークと連携したり、社労士による相談を実施したりしています。
     深刻な訴えは出ませんが、とても暖かい雰囲気です。トップの理解や覚悟があれば組織は動く。それを実感しました。

     会議室には、今回のウォークでお世話になっている、群馬県立県民健康科学大学の狩野太郎教授もいらっしゃいました。狩野先生が質問しました。
    「垣添先生はなんでそんなにお元気なのですか?」
    「私は家で妻を看取り、幸せに亡くなったと思っています。私も家で最期を迎えたいと考えています。高齢者の単独世帯なので、しっかり体を鍛えているのです。毎朝腹筋を500回やって……」
     と答えたところで、「ウォー」と驚きの声が上がりました。

     私は、もし体が不自由になったら、ベッドから遠隔操作で玄関を開け閉めできるようにして、訪問看護を受けたいと考えています。最後の旅立ちは1人でもいいと思っています。遺骨は、妻との思い出の場所に散骨してもらう心づもりです。
     実はこのことは、狩野先生にはウォークの最中に話していました。先生はすべてご存知で、場の空気を盛り上げるために、聞いてくださったのですね。おかげで、一段と暖かい空気に包まれました。

     そんなこんなで、私にとっては、とても楽しく、印象に残るウォークとなりました。10月に前橋市で開かれるリレー・フォー・ライフ・ジャパンぐんまへの出席もお約束して、上州路を後にしました。
     みなさんのお力添え、誠にありがとうございました。


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  • 2018年5月1日

    5月1日 がん検診の危機


     今日は朝、日本対がん協会群馬県支部(公益財団法人「群馬県健康づくり財団」)の方が、車で渋川のホテルまで迎えに来てくださりました。まずは、「リレー・フォー・ライフ・ジャパンぐんま」の会場でもある、前橋市の「ALSOKぐんま総合スポーツセンター」へ。

     今日も好天。ニセアカシアの木を彩る乳白色の花たちの向こうに、榛名山がくっきり見えます。その手前では、新緑と風車の白が鮮やかな対比をなしています。
     スポーツセンターに着くと、リレーの会場前で、新緑のもと、「ようこそぐんまへ」「全国縦断がんサバイバー支援ウォーク」の横断幕とともに、支部のみなさんが出迎えてくださいました。元気が出ます。

     そこから戸塚俊輔専務理事らと5人ほどで歩き、昨日ご一緒した狩野太郎さんが教授を務める群馬県立県民健康科学大学を目指しました。途中から、高田邦昭学長も参加されました。解剖学がご専門で、群馬大学の学長だった方です。
     キャンパスでは、若い人たちを中心に30人ぐらいが、「ようこそ群馬県立県民健康科学大学へ」の横断幕を掲げて歓迎してくださいました。狩野教授から、キュウリ、ニンジン、レタスなどの手作りぬか漬けもいただきました。実は昨日もいただいたのですが、絶品です。ぬか床には鰹節を混ぜています。なぜか昆布だと、こうはいかないそうです。

     その後、いよいよ群馬県支部へ。またも横断幕で、何十人もの方々が大歓迎です。支部は、リレー・フォー・ライフぐんまの事務局も担っています。広い駐車場に、検診バスがずらりと並ぶ様子は、壮観です。

     ところが、支部の屋台骨である検診が、いま、危機に直面しています。

    “検診屋”とでも呼べばいいのでしょうか。簡単に言えば、精度の高い検診をとても望めない格安価格で検診を請け負う業者が増えているそうです。たとえば、複数の医師で読影すべきところを1人で読影している、とか。
    そうした業者が淘汰されればよいのですが、現状は逆で、中小企業や、県の公共機関までが委託し始めています。県外の業者も進出しています。

     以前、こんな噂を聞いたことがあります。検診でがんが見つかるのは、おおむね1000人に1人。それを悪用して、検診結果を精査せず、受診者全員に「異常なし」と通知している業者がいる、と。
     安かろう悪かろう、の検診で、がんを見落とされたら大変な問題です。まっとうな検診機関の財政が悪化して、事業縮小になる恐れもあります。まさに、悪貨が良貨を駆逐する事態になりかねません。

     がん検診の危機は、群馬県だけでなく、全国の問題です。日本対がん協会の全国の支部が2016年度に実施したがん検診の受診者は延べ約1150万人で、前年度より約24万人減少しました。
     早急に全国で実態調査をして、対策を考えるべきでしょう。


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  • 2018年4月29日 30日

    4月29日 30日 3本のタスキ


     29日は、越後湯沢から上越線に乗って水上で降り、沼田まで歩きました。新潟県と群馬県の県境は、清水トンネルで通過しました。川端康成の『雪国』で有名な「国境の長いトンネル」を、小説とは逆方向に進んだわけです。先の長いウォーク、さすがに三国峠を徒歩で越えるのは無謀です。

     雪をかぶった谷川連峰がよく見えます。沿道では、九輪草が紫色の花を気持ちよさそうに咲かせています。利根川の清流が陽の光に反射しています。ラフティングのメッカでもあり、ゴムボートで水しぶきをあげて下っている人もいました。

     30日は、久しぶりに同行者と歩きました。リレー・フォー・ライフぐんまの実行委員長の大島主好(ちかよし)さん、副実行委員長の狩野太郎さん、日本対がん協会群馬県支部(公益財団法人「群馬県健康づくり財団」)元専務理事の新木恵一さん、の3人です。

     朝、沼田のホテルまで迎えに来ていただきました。狩野さんは、群馬県立県民健康科学大学(前橋市)の看護学部教授でもあります。なんと、3本のタスキを用意してくださっていました。片面に「がんサバイバー支援」、もう片面に「希望と共に生きる がんサバイバー・クラブ」の文字。暖かいサプライズに感動です。私はオレンジ色のリュックに巻きました。

     歩き始めると、いきなり、竹林の暗がりでゴソゴソという音が聞こえています。「野生動物かな」という声が上がると、イノシシでした! あっと思いカメラを取り出しているうちにいなくなってしまいました。タケノコでも食べに来たのでしょうか。
     利根川をはさんで、左に赤城山、右に榛名山を眺めながら進みます。大好きな矢車草が群生していて、青い花を満喫しました。

     新木さんは兼業農家でもあります。畑に帯状に何本もビニールが張ってあることが気になっていたので、聞いてみると、レタスなどを植える前に防虫措置を施したビニールをトラクターで張るそうです。
     ちなみにこのあたりは、榛名山の噴火の影響で砂礫が多く保水性に乏しいので、田んぼではなく畑、レタスやこんにゃくの栽培に適しているそうです。

     渋川の市街地が近づき、室町時代に起源をもつ白井宿の土蔵造りの町並みを通っていると、のぼりやタスキに気づいた中年のご夫婦に声をかけられました。私の代わりに狩野さんがウォークの説明をすると、「すごいですねえ」と感服されました。
     タスキの力もすごいですね。



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  • 2018年4月28日

    4月28日 こんなに親切な方がいらっしゃるとは


     こんなに親切な方がいらっしゃるとは

     東京から届いた新しいスマホを手にしたのは、28日(土)の夕方。それまでは、小千谷市のパソコンショップ「マッハパソコンオフィス(会社名はマッハ・プランニング・オフィス)」の平澤智さんにお借りしたデジカメで写真を撮りました。
     浦佐駅前の田中角栄元首相の像、「北越雪譜」を著した江戸時代の商人・文人の鈴木牧之(ぼくし)生誕地の碑、美しい新緑、桃の木の向こうに見える谷川連峰……。

     平澤さんは28日まで3日間にわたり、夕刻に私の宿までお越しになって、デジカメの写真をパソコンに移して日本対がん協会のスタッフへ送信してくださいました。おかげで、インスタへのアップが途切れませんでした。最終日には、デジカメのSDカードまで渡してくださる念の入れようです。

     平澤さんは、2016年3月にお母様を肺がんで亡くされています。78歳でした。5月4日に三回忌の法要をなさるそうです。ネットで私のウォークのことをお知りになったとき、お母様に「役に立つことしれや」と呼びかけられた気がしたそうです。
     そんなことも背景にあるのでしょうが、なんといってもお人柄でしょう。「世の中にこんなに親切な方がいるのか」と驚きました。

     私も人に親切なほうだと思いますが、とてもここまではできません。お礼を申しあげても、
    「困ったときはお互いさまです」
     と受け流します。押しつけがましくないのです。
     平澤さん、本当にありがとうございました。

     今日は、ウォークを始めてから50日目。宿泊する越後湯沢に早めに着いたので、商店街で植木ばさみを買いました。刃物の街、燕三条で作られた逸品。柄が片方は紅、もう片方は白で、1600円です。
     東京の我が家では、春と秋に植木屋さんにお願いするほかは、私が植木ばさみでちょんちょんと手を入れています。妻が大事にしていた牡丹もそのひとつ。帰京後の楽しみが増えました。



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  • 2018年4月27日

    4月27日 錦鯉は平和主義者


     錦鯉は平和主義者
     新潟県小千谷市は、錦鯉発祥の地です。今朝は、昨日スマホの故障で写真を撮れなかった、市内の施設「錦鯉の里」に寄りました。地元のパソコンショップ「マッハパソコンオフィス」の平澤智さんにお借りしたデジカメで、悠々と泳ぐ錦鯉を撮影できました。

     錦鯉は19世紀の前半ごろ、初めて出現しました。食用に飼われていた鯉の突然変異だそうです。それから“品種改良”が続けられて、赤、白、黒が基調ですが、金色、銀色もいます。今では世界30数カ国に輸出されています。

     錦鯉の特徴は、おとなしくて争わないこと。リーダーもいません。平和主義なのです。人なつこいので、世界中に、手ずからえさをあげる飼い主がたくさんいそうです。
     資料展示室のビデオで、鯉を大事に抱えて容器に移す映像が流れていました。釣り好きの作家、開高健のエッセイで読んだ「鯉とりまあしゃん」を思い出しました。九州一の大河、筑後川にいる鯉を取る名人の話です。名人は、裸で川に素潜りし、鯉をそっと抱きます。体温の暖かさで鯉がうとうとしたところを舟へ放り込む。そんな手法でした。

     その後は、国道17号をひたすら歩きました。2004年10月の新潟県中越地震で大きな被害が出た一帯です。
     雨と雪解けで、信濃川の水量は多く、濁流のようでした。川の上をツバメが何羽も飛んでいます。八海山、中ノ岳、越後駒ヶ岳の魚沼三山(越後三山)のすばらしい眺望を楽しみながらのウォークは快適です。

     1人で歩いていると、どうしても、昔のことが頭をよぎります。小出を通ったときには、ここから銀山湖(奥只見湖)まで妻と紅葉を見に行った思い出が浮かびました。
     南魚沼市に入ると、かつて合併前の南魚沼郡だったころの患者さんの記憶がよみがえりました。この方は、進行した精巣腫瘍でしたが、抗がん剤のシスプラチンがよく効いて、残った腫瘍も手術で取り除けました。

     それから亡くなる前年まで約20年にわたり、コシヒカリを毎年送ってくださいました。「こんなにおいしいお米を食べている人とそうでない人では、人生に差が出る」と本気で思うほどのおいしさでした。
     浦佐のビジネスホテルの夕食でも、地元のお酒「鶴齢」をぬる燗にして、コシヒカリを食べました。これまた飛びきりの味でした。



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  • 2018年4月26日

    4月26日 勇気100倍!


     勇気100倍!
    「あ、先生だ!」
     玄関から入っていくと、女将の弾んだ声が聞こえました。
     本当は25日に泊まるはずだった早川旅館さんを、本日26日の朝、ぶらりと訪ねたときのことです。

     女将の大屋雅子さんは40代後半。2年前の11月に義母を大腸がんで、3年前の10月に実父をすい臓がんで亡くしています。私に会うことをずっと楽しみにしていたそうです。ところが、手違いで部屋が空いておらず(8部屋の小さな旅館です)、泊まれなかったのです。

     雅子さんによると、義母の桂子さんは10代のころから約60年、旅館を引っ張ってきました。骨董品が好きで、館内に伊万里焼のお皿など素敵な品々が飾られています。
     桂子さんは両足がパンパンに腫れて、総合病院を訪ねたところ、最初は整形外科、次は心臓内科で異常なし、と診断されました。
     その後も具合がよくならず、明るくお出かけ好きな性格だったのに、ふさぎ込んでしまったそうです。そこで地元の心療内科にかかり、血液検査をしたところ、「すぐに大きな病院へ」と助言されて、大腸がんだとわかりました。
     それから1カ月ほど。桂子さんはご自宅で静かに旅立たれました。

     最初の段階で、すでに腹水がたまっている状態だったのでしょう。しかし、すぐに大腸がんだとわかっていれば、原因不明な体の不調に悩まれることはなかったかもしれません。
     がん医療の均てん化(全国どこでも同じ水準の治療が受けられること)が叫ばれて久しいですが、まだ追いつていない現実を目の当たりにしました。
     雅子さんは、地元の小学校で発達障害の児童の支援をしていましたが、旅館を継ぐことに。私のことを以前からご存知で、大歓迎してくれたわけです。前日には、雨の中のウォークを心配して国道などを見回ってくださったそうです。
     私にとっても貴重な出会いとなりました。

     スマホは結局、復活しませんでした。でも、そのおかげでうれしい出来事もありました。
     スマホがないと、写真が撮れないし、インスタにも上げられません。信濃川の上を飛ぶツバメたち、小千谷市の錦鯉など絵になる風景を前にしても、ただ見ているだけ。そこで私は、気持ちを切り替えました。
    「健康問題でウォークが中止になったわけではない!」
     それから、グッと楽になりました。

     アシスタントの森田幸子さんが地元のパソコンショップに電話をかけて、デジカメのレンタルをご相談したところ、なんと無料で貸してくれることになりました。しかも、新しいスマホが東京から届くまでの間、ご主人が夕方、私の宿までいらして、代わりに写真を送ってくださるそうです。心より感謝しています。勇気100倍になりました!
     曹洞宗の開祖・道元の言葉「放てば手にみてり」を実感しています。



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  • 2018年4月25日

    4月25日 トラクターに迫る


     トラクターに迫る
     朝に最寄り駅まで宿の車で送っていただき、2駅だけ電車に乗り、加茂駅から約30キロを歩きました。今日も雨。いったんやんだのですが、午後から大粒になりました。しかも、横殴りの風が強くて、傘もさせません。
     途中の10キロほどは、誰にも会わず、食事をできる店もなく歩きました。さすがに孤独を感じました。
     その後のことです。
    「何の幟(のぼり)ですか?」
     40代ぐらいの男性が声をかけてきました。トラクターで田んぼの整備をしていた兼業農家の方です。ウォークの趣旨を説明すると、
    「それは素晴らしい。誰にでもできることではありません。ぜひ、お体を大事にしてがんばってください」
     と励ましていただきました。寂しく歩いてきた後だけに、本当にうれしかった!
     ふと思い立って、トラクターでどのように田んぼを整えるのか聞いてみました。最初は、去年の切り株ごと田を掘っくり返す。それによって田んぼに酸素も入るし、切り株も栄養になる(田起こし)。次に水路から水を入れてかき混ぜて、泥状になったところをローラーで平坦にする(代かき)。水を貯めて3日ぐらい経ったら、いよいよ田植えだそうです。
     トラクターをどう使うかって、案外知らないもの。とても興味深い話でした。この方は東京にもよくいらっしゃるそうで、「防衛省の近くに行きつけの店があるから今度行きましょう」とお誘いいただきました。

     道すがら「コンバインの刃、手入れします」といった電柱広告も目に入りました。新潟は刃物でも有名。農業と刃物づくりがいかにもマッチしているな、と思いました。
     私のウォークに欠かせないのは、スマートフォン。インスタグラムに上げる写真撮影はもちろん、カーナビのアプリも強い味方になっています。ところが、雨に濡れてしまったのでしょ
    うか。ホテルにたどり着くころに故障してしまいました。
    さてこの先、どうするか? ちょっぴりピンチです。


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  • 2018年4月24日

    4月24日 菜の花と八重桜に迎えられて


     菜の花と八重桜に迎えられて

     今日から、ウォーク第5回の始まりです。
     今回は、新潟から埼玉までをゆっくり歩きます。病院の訪問は1カ所なので、これまでとは違うウォークになりそうです。

     いつもながら「さあ、スタートだ!」と気合を入れることもなく、午前7時東京発の上越新幹線「Maxとき303号」の2階席から風景を楽しみ、淡々と新潟駅に降り立ちました。そこから信越線で3駅乗り、荻川駅から歩きました。

     あいにくの雨。雨脚は大したことないのですが、越後平野を吹き抜ける風が強い。傘をさすのはかえって危険なので、ゴアテックスのレインウエアのフードをかぶり、がんサバイバー支援を訴える幟も短く持って歩きました。
     国道403号はフラワーロードとも呼ばれ、沿道を、約4キロにわたり、菜の花と八重桜が彩っています。目の覚めるような黄色と、ソメイヨシノとはまた違うピンク。雨に濡れて、何とも言えない味わいです。

     国道に平行して、農道が通っています。舗装されて道幅も広く、トラクターが落としたらしき泥が目につきます。国道の反対側と行き来しやすいように、ところどころ、国道の下をくぐるトンネルがあります。周囲は田んぼや畑ばかり。「こういうところでおいしいお米や農作物ができるのだろう」と改めて思いました。

     本日のゴールの湯田上(ゆだがみ)温泉に近づくと、男女5、6人の高齢者と出会いました。新潟歩く会のメンバーだそうです。1人の男性が、「垣添先生ですよね? 新潟県立がんセンターから新潟駅まで歩いたときに私もいました」とおっしゃいました。
     前回のウォークの最終日に一緒に歩いた方と再会したのです。

     こんな出会いもありました。お昼に国道沿いで見つけた和食店に入ったところ、お店の中年の女性が「大変だったでしょう」とタオルを持ってきて拭いてくれました。私には「新潟の女性は働き者」という印象があります。
     そういえば、国立がんセンターの泌尿器科でも、新潟出身の看護師さんに大いに助けられたなあ。揚げたての天ぷらまで付いているサバの塩焼き定食をおいしくいただきながら、そんなことも思い出しました。


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  • 2018年4月13日

    4月13日 すぐには退職しないように


     今日は、ウォーク第4回の最終日です。
     新潟県立がんセンター新潟病院を訪問しました。

     12日に泊まったワイナリーから海岸沿いを約20キロの道のり。風が強く、砂が顔に当たって痛いほどでした。途中の青山海浜公園でリレー・フォー・ライフ新潟の方と合流しました。若いころに奥様を脳腫瘍で亡くした方で、長岡の大花火大会のすばらしさなどを伺いながら歩きました。

     佐藤信昭院長はじめ病院のスタッフ、地元の医師会の幹部、リレー・フォー・ライフ新潟、日本対がん協会新潟県支部(公益財団法人「新潟県健康づくり財団」)などのみなさんが、横断幕で迎えてくれました。

     新潟県立がんセンターは、「レインボープラザ」という名前の相談支援センターを備えていて、佐藤院長によると、年間1万件を超える相談を受けているそうです。最近は就労の相談も目立ち、「すぐには退職しないように」とアドバイスしているそうです。有用な助言だと思います。

     この日は、佐渡の建設会社「近藤組」の近藤光雄社長(写真右)もいらっしゃいました。今回のウォークでもお世話になっている、「医療法人秀和会 秀和総合病院」理事長の坂本徹さん(東京医科歯科大付属病院の元院長)のご紹介です。73歳で、とても元気。

     近藤組は創業約120年。前半の60年は三菱の金山で掘り出された金鉱石を佐渡島の大間港まで運ぶ仕事をしていました。金鉱石は瀬戸内海の直島まで運ばれ、精錬されていました。1953年から建設業に転じたそうです。

     近藤さんは、「にいがた観光大使」「佐渡国際親善大使」の両方に任命されています。私の活動を理解してくださり、信濃川にかかる萬代橋のたもとに立つ新潟日報社の社屋1階に、募金箱と「がんサバイバー・クラブ」のパンフレットを置いてもらえるように依頼してくださいました。近藤さんご自身からもご寄付をいただきました。新潟日報の役員の方にもお目にかかれました。

     また、JR東日本の新潟駅では、駅ビルなどを運営している株式会社「トッキー」(JR東日本の100%出資)の古川岳史社長らもご紹介いただきました。新潟駅はちょうど、在来線を新幹線と同じホームに上げる工事が終わったばかり。古川社長には新幹線のホームまで送っていただきました。

     さまざまな方が、ウォークを、そしてサバイバー支援の活動を応援してくださいます。ありがとうございます。こうした暖かい支援の輪の広がりが、がんサバイバーを孤立させない社会の構築につながっていくのでしょう。

     都内の自宅に戻ったら、妻が大切にし、私が後を守ってきた牡丹が立派な花を咲かせていました。
     次回は4月24日から。連休前なので、さらっと新潟から群馬へと向かいます。

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  • 2018年4月12日

    4月12日 存在と時間


     2月からほとんど徒歩で旅をしていると、さまざまな出来事が折り重なり、ときおり、記憶が断片的になります。
     今日は、午前中は新潟県内を列車で移動。JR大糸線の姫川駅から何度か乗り換えて、JR弥彦線の西燕駅まで。左に日本海、右に山々を眺めながらローカル線の旅です。
     こんなに長い間列車で移動したのは、これまでのウォークで初めてのこと。国道の喧騒や緊張感から解放されて、瞬間的に、時間や空間の概念がなくなることもありました。「あれ、自分は今どこで何をしていて、どこに向かうのだろう?」と。不思議なものです。
     ふと、ドイツの哲学者、ハイデカーを思い浮かべました。代表的な著作『存在と時間』に挑戦して、歯が立たなかった記憶があります。改めて、先人に敬意を抱きました。それから、対照的に、やさしい言葉で深い思索を綴る哲学者で、大阪大学総長などを務めた鷲田清一さんの文章を思い出しました。
     西燕駅から宿までは20キロ以上のウォーク。快晴で暖かいけれど、越後平野を抜ける風がとても強かった。首から提げている地図はリュックにしまい、サバイバー支援を訴える幟を握りしめて歩きました。
     水田では苗代に水が張られ、一部では田植えも始まっています。桜の季節から初夏へ。
     富山、新潟と米どころが続きます。ふだんはお酒を飲むとお米は食べないのですが、ここ数日は、お漬物と一緒にごはんをいただいています。

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  • 2018年4月11日

    4月11日 如砥如矢


     4月10日は、富山県黒部市の生地(いくじ)温泉の老舗旅館に泊まりました。上杉謙信ゆかりの湯です。

     夕方のNHKニュースで、今回のウォークを取材した特集が流れました。10分ぐらいはあったでしょうか。宿の女将もご覧になって、とても感激して、寄付のお約束までしていただきました。
     また、サプライズで、「医療法人秀和会 秀和総合病院」理事長の坂本徹さん(東京医科歯科大付属病院の元院長)から、大きな誕生日ケーキが届きました。宿のみなさんと一緒にいただきました。
     みなさん、ありがとうございます。

     今日は、暖かかったものの、風が強く雨も降っていました。生地駅から市振(いちぶり)駅まで電車を利用し、そこから歩いて新潟県の糸魚川に到着しました。1日の歩行距離は約28キロです。

     印象に残ったのは、親不知・子不知です。かつては、波打ち際を通るときに、親は子を、子は親を顧みることを忘れるというほどの難所で、荒波にさらわれた人もいたそうです。「天下の険」と呼ばれました。松尾芭蕉も通っています。

     明治16(1883)年、ようやく道路が開通します。昭和41(1966)年に国道8号のトンネルが完成したため、現在は、「親不知コミュニティロード」という遊歩道になっています。

     私は、この遊歩道を歩きました。途中、道路の開通記念に「如砥如矢(とのごとくやのごとし)」という文字が彫られた大きな岩がありました。「砥石のように平らで、矢のように真っ直ぐ通れる」という意味だそうです。
     たった4文字に、明治の人の喜びが凝縮されています。海側の絶壁を見降ろしながら歩いていると、喜びを実感できました。


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  • 2018年4月10日

    4月10日 剣岳


     東京から新幹線で金沢方面へ向かうときは左側、帰るときは右側の座席を取ります。北アルプスの山々、中でも剣岳を見たいからです。
     剣岳は標高2999メートル。「岩と雪の殿堂」と言われるように、非常に険しく、カニのヨコバイ、カニのタテバイ、といった難所があります。長く前人未踏でした。明治末期、旧陸軍の陸地測量部が“初登頂”に成功します。しかし、山頂で彼らが見たのは、修験者が使う錫杖や焚火の跡でした。奈良時代ごろのものらしいです。
     新田次郎の小説『剣岳 点の記』が2009年に映画化されたので、ご存知の方もいらっしゃるでしょう。
     私にとって、この剣岳は、思い出深い山です。
     2007年の大みそかに妻が亡くなって2カ月後ぐらい経ったころのこと。銀座のなじみの老舗割烹のカウンターでひとり、鬱屈して酒を飲んでいたら、山の話が聞こえてきました。「そばに行っていいですか?」とお断りして話の輪に加わりました。
     そこで出会ったのが、Wさんです。若いころに仲間を剣岳で失っていました。毎年9月に、慰霊の気持ちも込めて剣岳に登っているそうです。1年半後の9月に私も同行させていただくことになりました。
     それから、本格的に体を鍛えるようになり、4人のパーティーで、無事に山頂に立てました。その後も1回登っています。1人では到底無理です。いわば、私が悲しみから立ち上がる大きなきっかけとなった山なのです。
     今日は快晴のもと、そんな剣岳を見ながら、ゆっくり歩きました。春霞に包まれていましたが、屹立する姿を堪能できました。
     実は今日は、77歳の誕生日。喜寿です。感慨や抱負? 何もありません。年を1つとっただけ。まだまだ通過点に過ぎないのです。



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  • 2018年4月9日

    4月9日 30年もボランティアをしてきたサバイバー


     4月6日は金沢市に泊まり、7日は富山県小矢部(おやべ)市の宮島温泉、8日は射水(いみず)市まで移動しました。先日までと打って変わり、真冬の寒さ。東京ではまず経験しない大きな雷鳴が轟き、雪も舞いました。気温3度、息は真っ白、防水の手袋が力を発揮します。それでも桜が咲いていました。
     途中、わざわざ車を止めて、「昨日、テレビを見ました」とお声がけくださったご夫婦もいらして、記念の自撮り。ご主人はサバイバーです。気持ちが上向きになりました。
     今日9日も雨の中、富山市の富山県立中央病院へ。ひとりで20キロ弱、歩きました。
     清水康一院長をはじめとした病院スタッフ、患者の方たち、テルモの方、日本対がん協会富山県支部(公益財団法人「富山県健康づくり財団」)の職員ら総勢30人ぐらいのみなさんに迎えていただきました。緑色の横断幕を広げて。
     患者の中には、昨年、ヨーロッパアルプスの最高峰、モンブラン登頂を目指したという臨床検査技師さんもいらっしゃいました。天候が悪くて断念し、別の山を登られたそうです。
     富山県立中央病院のがん相談支援センター「こもれび」では、サロン風の部屋でどんな相談にも乗るほか、がん哲学外来なども開いています。
     センターの女性が「もっと存在を知ってほしい」という趣旨のお話をされました。私も大賛成です。残念ながら、病院によって患者支援の態勢に格差があるのが現状です。「ぜひ広げてください」と伝えました。
     緩和ケア病棟の男性医師も、緩和ケアの大切さを訴えていました。これまた同感です。清水院長も「十分に認識している」とおっしゃっていたので、今後にさらに期待したいところです。
     約30年ボランティアをしてきたというサバイバーの男性にもお目にかかりました。60代半ばぐらいとお見受けしましたが、「生きがいを感じてやってきました」と押しつけがましくなく語っていました。
     こうした方たちと語り合いながら、病院全体からにじみ出る暖かさを感じていました。


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  • 2018年4月6日

    4月6日 テレビ・新聞の取材に答えたこと


     北陸本線で福井から美川まで乗り、そこから金沢市の石川県立中央病院まで約20キロを歩きました。

     同行者は、日本対がん協会石川県支部(公益財団法人「石川県成人予防センター」)の職員3人、金沢市の元ちゃんハウス(患者や家族らがいつでも来訪して、相談したりくつろげたりする施設)の女性スタッフ、日本対がん協会のスタッフの6人。途中で元ちゃんハウスの方とテルモの社員の方が入れ替わりました。

    その後、石川県支部、元ちゃんハウス、兼六園、石川県がん安心生活サポートハウスと回りました。盛りだくさんのスケジュールです。
     県立病院では、テレビ局や新聞社が何社も集まり、囲み取材を受けました。記者たちの関心は、やはり「なぜウォークをしているのか?」。
     私は、3つのポイントを語りました。

     ①がんと告知されると、サバイバーは苦しみ、孤独になる。彼らや家族らを支えるため、がんサバイバー・クラブを立ち上げた。寄付で成り立つこの活動を国民運動に育てていくためにウォークを通じて認知度を高めたい。
     ②「がんだって普通の病気だ」と多くの人に知っていただきたい。社会復帰している人はたくさんいる。国民の意識が変われば、就労や差別などの問題も改善するはずだ。
     ③がんは、予防と早期発見が大切。最大の予防はたばこ対策(禁煙、受動喫煙の防止)だ。早期発見には検診が欠かせない。

     石川県立中央病院では、リレー・フォー・ライフ石川の方や、10人ぐらいの患者さんもいらしていました。患者さんのプライバシー保護のため、テレビカメラは後ろから映していました。そんな状況を変えたいと思います。

     あるテレビ局から妻を亡くしたときの話も聞かれました。スタッフに頼まれて、能率手帳にそっと忍ばせている妻の写真を見せました。

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  • 2018年4月5日

    4月5日 発言し続けることで世の中は変わる!


     発言し続けることで世の中は変わる!
     一転して寒い日。宿場町の今庄からメガネで有名な鯖江まで電車に乗り、そこから福井駅まで歩きました。福井駅で、日本対がん協会福井県支部(公益財団法人「福井県健康管理協会」)の職員、テルモの社員2人と合流し、4人で福井県立病院を目指しました。

     県立病院では、橋爪泰夫院長をはじめとした病院スタッフ、リレー・フォー・ライフ福井の方も待っていました。
     私は以前、福井県のがん対策推進計画の策定に携わったことがあります。その縁で、西川一誠知事が院長室まで見えて、福井の新しいお米「いちほまれ」をいただきました。
     ここでは、陽子線治療を行っています。しかし、陽子線治療の保険点数は低く、施設の維持もままならない。そんな悩みを聞きました。
     また、患者会の方たち約15人が扇形に並び、要の位置に私が座り、お話ししました。30代後半の白血病の男性が切々と訴えたのは、やはり治療費の高さです。治療をやめて再発し、また再開する。それを何度か繰り返したそうです。今は、音楽仲間のサポートも受けながら、何とかしのいでいるそうです。

     これまでのウォークでも治療費の話をよく耳にします。生の声のインパクトは大きい。病院の幹部が聞いていることも、意義深いでしょう。
     私は「発言し続けることで、世の中は変わります」と答えました。国のがん対策基本計画も、大まかに言えば、最初(第1期=2007年)は5大がんが中心で、希少がんや小児がんは第2期(2012年)から。就労の話も同様です。

     学生の奨学金返済、保育園の待機児童など、多くの人が声を上げれば、そこに問題があることに社会が気づき、解決への第一歩を踏み出せます。だからこそ私は、がんサバイバー100万人の国民運動を築きたいと考えているのです。



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  • 2018年4月4日

    4月4日 桜の樹の下で


     桜の樹の下で
     敦賀では風が強く、桜の花びらが舞っていました。ところが、歩みを進めて山間部に入ると、桜が満開です。桜の樹の下で、大判カメラを構えている男性がいました。ドイツのリンホフカメラでしょう。その昔、土門拳や入江泰吉などの写真家も愛用した懐かしの名機です。桜をめぐる歌がいくつも頭に浮かびました。

     花の色はうつりにけりないたづらに わが身世にふるながめせしまに(小野小町)
     ひさかたの光のどけき春の日に 静心なく花の散るらむ(紀友則)
    世の中にたえて桜のなかりせば 春の心はのどけからまし(在原業平)
    見わたせば柳桜をこきまぜて 都ぞ春の錦なりける(素性法師)

     川端康成の『雪国』ではありませんが、木の芽峠の長いトンネルを抜けると、雪が残っていました。雪解け水が清冽な流れをつくっています。せせらぎの音が心地よく響きます。それなのに、ペットボトルや空き瓶、空き缶がたくさん捨てられています。
     強烈な対比で、何とも残念でした。捨てた人たちは、どんな育ち方をしたのだろう?
     ふと、数年前に雑誌「サイエンス」に載っていた米国の研究を思い出しました。就学前に国語と算数をしっかり勉強するのとしないのとでは、その後の人生が大きく変わるそうです。30代のメタボの兆候にさえ大差があるそうです。幼少期の教育の重要性を再認識させられます。貧困の連鎖を断ち切る必要性も、まさにここにあるわけです。
    今日のゴールは、今庄。そばで知られる宿場町です。歩行距離は32キロ。疲れはありません。



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  • 2018年4月3日

    4月3日 多様性を認める社会を!


     滋賀県長浜市には歴史の舞台がたくさんあります。
    昨日泊まった宿は、賤ヶ岳の戦い(豊臣秀吉と柴田勝家の合戦)の古戦場の近く。晩酌に地酒の「七本槍」を1合、冷やでいただきました。
     今日、琵琶湖の北端の近江塩津から日本海に面した福井県の敦賀まで歩いた塩津街道(国道8号)は、敦賀に揚がった海産物や塩、米などを畿内へ運ぶ重要な道です。平安時代には紫式部も父と通ったそうです。

     快晴で暑くなったので、途中、グリーンのゴワテックスのジャンパーを脱いでリュックにしまいました。これからは病院訪問の直前に、シンボルカラーの緑のジャンパーを羽織ることになりそうです。
    道端のつくしが伸びていました。ふきのとうも花を咲かせています。季節はしっかり進んでいます。

     2月からずっと歩いていて感じるのは、沿道での葬祭施設の多さ。同時に、「環境を守るために葬祭場の建設に反対しましょう」といったビラや看板もたくさん見てきました。多死社会を迎え、葬儀場は誰にとっても必要なはず。想像力を欠き、他者に不寛容になっている社会の表れではないでしょうか。

     原発事故で避難した人へのいじめ、保育園建設への反対、沖縄への基地押し付け、LGBTの人への根強い差別……。多様性を認めるのが、成熟した民主主義社会のはずです。
     がんサバイバーへの偏見も、「がん=死」というイメージだけでなく、その奥に、この問題が立ちはだかっています。スピード感を持って、丁寧にときほぐすしかないでしょう。



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  • 2018年4月2日

    3月31日~4月2日 桜に導かれるように


     ●ヤフーのナビを活用しながら
     第4回となる「全国縦断 がんサバイバー支援ウォーク」が始まりました。
     今回は北陸方面を歩きます。

     3月31日は東海道新幹線で名古屋へ。名古屋から東海道本線で清須まで乗り、そこから岐阜羽島まで歩きました。翌4月1日は米原まで、そして2日は北陸を目指して滋賀県長浜市まで。いずれも少しずつ電車の力も借りながら、1日25キロ前後、歩いています。

     この3日間は、単独行。桜に導かれるようなぶらり旅です。今回は、スマホでヤフーのカーナビアプリを活用しながら進んでいます。

     ●懐かしのすかんぽ
     4月1日に通った大垣市には、国の名勝に指定された「奥の細道むすびの地」(松尾芭蕉の「おくのほそ道」はこの地で終わっている)があります。水門川が流れ、江戸時代に建てられた住吉燈台が残っています。水門川を小さな和船で進みながらお花見ができます。

    私も、ナビのルートを少しはずれて、寄ってみました。
     川の両側に満開の桜並木が続きます。伸びた枝が川面に映えています。赤い欄干の橋から眺めながら、春を思い切り吸い込みました。



     4月2日もまた、ナビの指示に背いて(笑)、琵琶湖の湖畔を歩き、桜を楽しみました。桜といっても、ソメイヨシノだけでなく、枝垂桜も彼岸桜も誇らしげに立っています。

     桜だけではありません。もくれん、こぶし、チューリップ、たんぽぽ、すみれ、パンジー、れんげ、犬ふぐり、スギナ……。さまざまな花が沿道や耕作地などで咲き乱れています。

     懐かしかったのは、すかんぽ(スイバ)です。茎の長さが50センチから1メートルにもなる多年草です。戦後の食糧難だった子どものころ、茎を切って塩漬けにして食べました。ちょっと酸っぱい味がしたなあ。そんなことを思い出しました。
     モンシロチョウやモンキチョウが舞うのを楽しみ、ウグイスの鳴き声に心をなごませながら歩く。贅沢な日々です。

       ●お茶を飲みませんか
     この旅でも、出会いが多そうです。大垣では、69歳の女性に「何を持っていはるんですか?」と声をかけられました。おなじみのサバイバー支援の幟を広げて説明すると、「素晴らしいことをやってはるね。すぐ近くですからウチでお茶を飲みませんか」と誘っていただきました。先があるので、丁重にお断りしましたが。

     長浜では、琵琶湖畔を離れて内陸に向かう途中で、水車を見かけました。たまたまその水車を造ったおじいさんと出会いました。81歳で、喉頭がんと胃がんのサバイバーです。奥様も出てこられたので、幟を持ってもらい、写真を撮らせていただきました。ウォークの話をすると、「すごい旅行ですねえ」と驚いていました。



     田んぼの水路を、豊富な水が流れています。そろそろ田植えの季節なのでしょう。はなみずきも咲きそうです。
     自然や出会いを満喫しながら、この先の旅の意義に改めて思いを馳せました。



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  • 2018年3月13日

    3月13日 10年かけて庭木を育てる


       今日は相鉄線いずみ野駅から、サバイバーの女性、ケアギバーの男性と3人で、神奈川県立がんセンターまで歩きました。
     ケアギバーの男性は、植木会社にお勤め。剪定ではなく、松や木斛(もっこく)、槇(まき)といった、名前を知らない人でも見ればわかるような樹木を育てるほうです。小田原方面に広い土地を確保して、10年ぐらい、形を整えつつ成長させて顧客の庭に納めるそうです。息の長い仕事です。人間の赤ちゃんではないけれど、樹木も、芽吹いたときには赤く、それからどんどん色が変わるそうです。新緑の美しさを強調されていました。思わず、俳句の「山笑う」という季語が浮かびました。
     前日に泊まった茅ヶ崎市の旅館は、かつて日本映画の巨匠・小津安二郎監督が定宿にされていました。とても趣のある老舗です。庭も、丹精込めて樹木が配されています。こうした美しさも、今日ご同行いただいたような方たちが支えているのですね。
     一緒に歩く方は、何らかの形でがんに関わっている半面、仕事はバラバラです。ウォークの楽しさは、さまざまな出会いにもあります。
     神奈川県立がんセンターでは、大川伸一院長や患者の方たちに拍手で出迎えていただきました。案内された大広間で、何かの手違いがあったのか、患者のみなさんと話せなかったのが残念でした。
     駅に着くと、女性のサバイバーが待っていてくださいました。病院到着時に頼まれたけれどできなかった拙著にサインをして、お渡ししました。ホッとしました。
     第3回のウォークは短めで、本日で終了です。次回は3月末。北陸へ向かいます。今回もご支援ご声援、本当にありがとうございました。

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  • 2018年3月12日

    3月12日 スピリットは「心」!


       富士市のホテルから静岡県立静岡がんセンター(静がん)を目指しました。リレー・フォー・ライフ静岡のメンバー、今回のウォークもご支援いただいているテルモの社員の方々も一緒です。テルモの方は、私ののぼりと同じようなサバイバー支援のぼりを作り、緑のジャンパーを着ています。
     静がんの手前に「ファルマバレーセンター」があります。静がんと連携して、医療機器などの研究開発・製造を行っています。静がんと両輪で世界一の健康長寿県を目指すという静岡県のプロジェクトで、中核企業としてテルモも入っています。
     そこに寄ってから、いよいよ静がんです。横断幕の出迎えを受けて、山口建総長はじめスタッフや地元の患者会のみなさんと濃密な交流ができました。
     2002年に開院した静がんのスピリットは「心」。富士山の裾野の右側に雲が2つ浮かんでいる光景は「心」と読める。山口総長からそんな解説を受けました。
     たしかに、このスピリットが貫かれています。「がんよろず相談」と「患者家族支援センター」が病院の一等地にあります。よろず相談では毎年1万件の相談を受けて、患者や家族の声を病院の運営にも生かしています。院内の照明や植栽までも、患者の心をなごませるように工夫がされています。すっかり感服しました。
     帰途、手話ができるという患者会の女性が「聴覚障害者は、健常者と比べて、説明を受けるのが難しい」と訴えてこられました。聴覚に限らず、障害を持った方にもしっかりと情報を提供する。すぐには難しいかもしれませんが、また一つ重要な課題を伺えました。

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  • 2018年3月11日

    3月10日~11日


       10日の土曜日は単独行で、国道1号を東へ。国道2号や3号の沿道とさして変わらない風景が続きます。これもグローバリゼーションがもたらした景色の均一化なのか。地域の独自文化は今後、消えていってしまうのだろうか。曇り空のせいもあって、うーむという気持ちになりました。インスタグラムに上げた写真も、安倍川だけです。
     翌日の日曜日は、好天。リレー・フォー・ライフ静岡のメンバーが午前と午後で入れ替わりながら同行してくださいました。午前中は、国道を外れて薩埵峠(さったとうげ)へ。峠を登ると、正面に富士山の麗容が飛び込んできます。手前には、駿河湾と東海道本線、東名高速道路。峠には早咲きの河津桜が咲き、夏ミカンの樹木ともども楽しませてくれました。少し工夫して歩くと、こんな光景を味わえるのですね。1人では回れません。
    午後は、リレー・フォー・ライフの方と一緒に自撮り! ちゃんと、富士川と富士山をバックに入れていますよ。
     みなさんのおかげで、35キロを歩き通せました。

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  • 2018年3月9日

    3月9日 中国人のエネルギーに思う


     本日から第3回ウォークの始まりです。といっても、第2回の始まり同様に、気負いはありません。
     朝に東京を発って、昼前にJR東海道本線の金谷駅に到着。大井川鉄道に乗りました。驚いたのは、老若男女の中国人観光客が30人ぐらいもいたことです。有名な観光地ならともかく、こんなローカル線にまで! しかも、みんな楽しげでエネルギーが凄まじい。
     どうやら、大井川鉄道名物の蒸気機関車がお目当てのようです。普通のSLのほか、きかんしゃトーマス号もあります。新金谷駅の構内を、試運転のように、SLがそろりと走っていました。すると、中国人のみなさんが一生懸命に写真を撮っています。新金谷駅では車両の整備工場も見学できるそうで、そこも訪れるのでしょう。
     ふと思い出したのが、リレー・フォー・ライフの寄付金を基にした「マイ・オンコロジー・ドリーム奨励賞」を受賞して、シカゴ大学医学部で研修中の日本人医師の話です。大学で会うアジア人の多くは中国人か韓国人で、日本人は少数派。危機感を覚えているそうです(「対がん協会報」第660号より)。
     人口減が大きな課題の日本。人々の発するエネルギーまで枯渇しないとよいのですが。
     そんなことも考えながら、大井川橋で大井川を渡り、のんびりと歩き続けました。


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  • 2018年3月6日

    3月6日 歩道あれこれ


     暖かい陽気のもと、栄のホテルから千種区の愛知県がんセンターまで約7キロを歩きました。日本対がん協会事務局長の岡本宏之と一緒です。
     センターでは、富永祐民名誉総長、木下平総長らの出迎えを受けました。サバイバーの方たちとは会えませんでしたが、日本対がん協会愛知県支部(公益財団法人「愛知県健康づくり振興事業団総合健診センター」)のメンバー2人、対がん協会理事長の後藤尚雄も加わり、お話を伺いました。  さて、本日で、第2回ウォークは終了です。締めのランチは、名古屋名物のひつまぶし。
     西日本の主要国道を歩いてきて感じたのは、歩道の歩きやすさです。
     山間部で道幅が狭いと、白線の外側に30センチぐらいしか歩道がありません。とはいえ幹線道路ですから、ダンプや大型トラックがビュンビュン通ります。サバイバー支援ののぼりを見せるどころではなく、ときに壁にへばりついてやり過ごしました。
     都市部でなくても街中に入れば歩道はありますが、狭くて、排水のためか斜めになっています。歩道があるだけマシとはいえ、バランスを取りにくいです。  それに比べると、幅がある歩道は、きれいに舗装されていて歩くのが楽です。
     最高なのは、自転車の専用部分も分けている歩道です。こういうところではたいてい、車道との間に街路樹や植栽があり、車に直接触れる危険もありません。気分よく歩けました。
     そういえば、瀬戸内しまなみ海道では、サイクリストのため、車道と自転車を仕切る青い線が描かれており、行く先や距離の表示もきめ細かく路上に記されていました。
     強者のトラックやダンプ、自動車に対して、弱者の自転車、さらに弱者の歩行者をどのように守るか。地域差もあります。がん対策にも通じるな、と思いました。
     足はだいぶ快復してきました。9日からは第3回のウォークに出かけます。いつも暖かい励ましやご支援に感謝しております。引き続き、どうぞよろしくお願いいたします。



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  • 2018年3月5日

    3月5日 サバイバー同士がつながる力


      ●3月3日、4日 忍者にもサバイバー支援を!
     のんびりと、「ザ・日本の農村」のような風景の中を歩きました。
     同行者は、がんサバイバー・クラブもご支援いただいているテルモの末永義久・京都支店長と、滋賀県担当の若手の男性。若手が「がんサバイバーを支援しよう」ののぼりをよく見えるように持ってくれたので、車の中、自転車などから、何度も声をかけられました。
    「僕もここまでは来たことがありません」と言いながら、グーグルマップで確認して細い道も迷いません。昼食を取る店も見つけます。「旅には、グーグルマップを使いこなすことが必須だなあ」とつくづく思いました。テルモのみなさん、本当にありがとうございました。
     忍者の里・甲賀市(「こうが」ではなく「こうか」です!)では、子どもの飛び出し注意の看板も、忍者の絵です。よし、忍者にもサバイバー支援を呼びかけよう!
     歩く際のバランスもあるのでしょう、左足の足首が腫れています。痛みもあります。鎮痛薬を塗りましたが、4日は大事を取って、当初予定より電車に乗る区間を長く取りました。宿泊は、東海道53次のひとつで水郷のまち、三重県の桑名市です。


    ●3月5日 医師を気遣うサバイバー
     名古屋駅まで電車の力を借りて、名古屋城のすぐそばにある国立病院機構名古屋医療センターまで歩きました。今日は、リレー・フォー・ライフのスタッフパートナーの大菅善章さんらと一緒です。日本対がん協会の岡本宏之事務局長も駆けつけました。雨の中で足が痛くても、仲間と歩くと笑顔になります。
     名古屋医療センターでは、堀田知光名誉院長(元国立がん研究センター理事長)、直江知樹院長、緩和ケアの先生、看護師長さんらスタッフの方々、患者会のみなさんと話し合う時間を持ちました。司会は、これまた駆けつけた日本対がん協会の後藤尚雄理事長です。
     肺がんのサバイバーの方が、医師の過重労働を心配されていました。自身が大変なのにそんな心遣いをしていただけることが印象的でした。
    腎臓がんの女性が「特に女性の腎臓がんの患者会がなくて……」と話されました。たしかに腎臓がんの患者会は少ないです。すると、別の女性が「私も腎臓がんです」とおっしゃり、大学教授の男性が「私もです。今度、外国の腎臓がんの患者会に参加します」と続きました。この男性は、2月1日に東京の対がん協会で開かれた「がんサバイバーカフェ」で私の話を聞いてくださった方でした。
    院内で開かれたキャンサーフィットネスでも、患者同士が語り合うことでカタルシスを得て、体を動かすことで気分を一新していたそうです。
    患者のつながりの力を実感した訪問となりました。


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  • 2018年3月2日

    3月2日 みんなで手を乗せて


     朝、左の足首が少し腫れていました。大阪市内のホテルからJR大阪駅まで約4キロを歩き、東海道本線で東へ。京都で降りる予定でしたが、大事をとって大津まで乗りました。そこから、滋賀県守山市の滋賀県立総合病院を目指します。琵琶湖を左に、比叡山を遠くに望みながら進みます。琵琶湖にかかる近江大橋も渡りました。とにかく寒い。
     ただ、ご支援していただいているテルモの末永義久・京都支店長が、大阪のホテルから同行してくださったので、心強かったです。末永さんは55歳。フルマラソンを何度も走っています。ランチは、ボリュームたっぷりのかつ丼定食を食べました。
     2016年秋に新病棟が完成した滋賀県立総合病院は、とても立派です。日本対がん協会滋賀県支部(公益財団法人「滋賀県健康づくり財団」)の方たちとも合流。病院スタッフや患者会のメンバーたちと濃密な時間を持てました。年配の女性が「がん経験者は自分の体験を公表したほうがいいと思います」と話しました。同感です。多くの人ががん体験を語れば、がんがごく普通の病気で早期発見すれば治ることが伝わります。
     琵琶湖の形を白抜きにした黄色いTシャツに、みんなで手を乗せました。サバイバー支援と医療の向上を誓って。シンボルカラーの緑のジャンパーが見えるのが、私の手です。
     足首はもう大丈夫です。

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  • 2018年3月1日

    3月1日 総長と患者会メンバーが貴重な試み


     関西の川べりは、松の木が並んでいるところに情趣があるなあ。兵庫県を流れる武庫川を渡りながら、そんなことを思いました。やがて神崎川を越えると、大阪府に入ります。しかし、「ああ、大阪だなあ」と実感するのは、その先の淀川を渡ってからです。摩天楼がグッと近づいてきます。国道2号の大半を歩きました。大阪まで150キロ、なんて標識を見ていたころを思い出すと、感慨が湧いてきます。
     今日は、兵庫県芦屋市役所からスタートして、大阪国際がんセンターを目指しました。日本対がん協会兵庫県支部(公益財団法人「兵庫県健康財団」)、リレー・フォー・ライフのメンバーらと一緒です。



     大阪国際がんセンターは、大阪城の隣、大阪府庁と大阪府警の間に、デンと構えています。松浦成昭総長はじめ研究所や患者会の方たちまで、病院をあげて出迎えてくださいました。ここでも治療費の悩みを聞きました。また、院内の患者会からは「もっと活発に活動したい」という声も出ていました。病院も理解していて、改善されそうです。
     松浦総長と患者会のメンバーは、国が定めたがん診療連携拠点病院を訪問して、患者目線でよりよい医療について話し合っているそうです。地域のがん医療向上を目指した貴重な試みです。



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  • 2018年2月28日

    2月28日 肺がんのサバイバーと歩く


     Tさんは70代の男性。若いころは、たばこを2箱吸っていたそうです。60歳でやめたそうですが、非小細胞肺がんになりました。いくつかの抗がん剤を経て、今は、話題の免疫チェックポイント阻害剤の治療を受けています。
     そんなTさんが、今日のウォークで、イオン明石ショッピングモールから合流しました。抗がん剤の後遺症で足がしびれるそうですが、朝から一緒の日本対がん協会兵庫県支部(公益財団法人「兵庫県健康財団」)のメンバーら約10人ともども、私と同じ速度で、兵庫県立がんセンターまで約5キロを歩きました。「転移はなく、(今の治療薬の)オプジーボのやめどきが難しい」などとおっしゃっていました。薬価の高さ、やめても効果が続く人もいるので医師でも判断が難しい……。期せずしてサバイバーの思いにも触れました。
     兵庫県立がんセンターでは、副院長はじめ大勢のスタッフ、患者会、リレー・フォー・ライフ兵庫などのみなさんに歓迎され、活発な意見・情報交換もできました。たまたま、医師や看護師の会議があったので、飛び入りでサバイバー支援の重要性を訴えました。帰りがけに玄関で、外出から戻られた院長とも会えました。手応え十分の訪問です。
     ちなみにお昼は、人生初の丸亀製麺です!(とろ玉うどん)




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  • 2018年2月27日

    優雅な姫路城、それに引き換え……


     今日は、日本対がん協会兵庫県支部(公益財団法人「兵庫県健康財団」)のみなさん6人と歩きました。兵庫県相生市から高砂市まで。30キロ近くの長丁場です。荷物を車で運んでくださるなど、とても助かりました。ありがとうございました。
     おしゃべりしながら歩くのは楽しいですね。「検診の将来はどうなるのか」などの話をしました。幹部の方が「マイナンバーで、ワクチン接種や検診も含めて、健康情報を生涯にわたって管理できるようにすればいいですね」と提案されていました。同感です。日本は実は、ワクチン接種の後進国。検診の未受診もチェックできるでしょう。
     お昼の前に、姫路市役所の方なども集まり、姫路城(白鷺城)の前で10数人で記念撮影をしました。優美な姫路城。春になると、桜に彩られるそうです。お城は戦闘のための仕掛けを備えているのに、かくも美しい。日本刀や甲冑も同様です。
     江戸時代からこうしたすばらしいものを造形できる。それに引き換え、21世紀になっても、がんへの理解が乏しく、ときにがんサバイバーを孤立させたり差別したりしてしまう……。瀬戸内しまなみ海道で抱いた感想と同じことを痛切に思いました。


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  • 2018年2月26日

    2月24日~26日 国道で気付く、多死社会と超高齢社会


    ●2月24日 第2回ウォーク、自然体でスタート
     リュックに中国地方の地図を入れて、午前6時に東京駅を出る新幹線で出発しました。朝の光をわずかに受けた富士山がきれいです。9時半前に福山駅に到着しました。
     さあ、第2回支援ウォークの始まりだ!! がんばるぞ!!
     と力むこともなく、自然体で歩きはじめました。
     好天のもと、国道2号を東へ。お昼を食べるところがなかなかありません……。岡山県に入り、江戸時代末期に金光教が生まれた浅口市金光町にある、やはり江戸末期に創業した老舗旅館に投宿。約30キロを歩いて、初日を終えました。



    ●2月25日 運転手さんもサバイバー
     長い旅です。ときに電車やタクシーなどのお世話にもなります。
     JR津山線で吉井川の流れと山陽の山を楽しみ、岡山の次の法界院で降りました。2つ先の玉柏(たまがし)まで列車で行く予定でしたが、歩くことに。
     喫茶店で一休みしてコーヒーを飲んでいたら、疲れているように見えたのか、お店の人がタクシーを呼んでくれました。60代後半とおぼしき運転手さんは、前立腺がんのサバイバーでした。「岡山大学病院で手術して、うまくいきました」と喜んでいます。担当されたのは、私も知っている那須保友先生です。思わず、「今度、垣添を乗せたと言っていただければ、わかりますよ」と伝えました。
     今回のウォークでは、本当によく、サバイバーの方に会います。
     この日は、岡山県和気町の和気鵜飼谷(わけうがいだに)温泉に泊まりました。和気町は、奈良末期から平安初期の貴族で、僧の道鏡が皇位に就くのを阻止した和気清麻呂(わけのきよまろ)の生誕地です。歴史も身近に感じています。

    ●2月26日 命がけと命がけの戦い。
    「test of will」という言葉があります。意志の試金石、という感じでしょうか。
    今日は、国道2号を東へ。関西方面に近づくにつれて、トラックの数が増えてきます。歩道がないところもしばしばで、怖いぐらいです。
     トラックの運転手さんたちも、生活がかかっています。荷物を早く確実に運ぶために命がけです。私も、サバイバー支援のウォークに命がけです。まなじりを決して歩きます。いわば、命がけと命がけの戦い。運転手さんが大きくよけてくれると思わず、「勝った!」という気持ちになります。まさに、意志を試されています。  ここ3日間は、すべて単独行でした。それだけに、景色がより一層目に入ります。途中、黄色の蝋梅(ろうばい)がきれいに咲いていました。
     国道を歩いていて気付くのは、セレモニーホールや老健(介護老人保健施設)、デイサービスなどの多さ。多死社会と超高齢社会を実感しています。


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  • 2018年2月20日

    お金の切れ目が治療の切れ目


     快晴。宿を出て、リレー・フォー・ライフ山口、日本対がん協会山口県支部(公益財団法人「山口県予防保健協会」)のみなさんと、山口県立総合医療センター(防府市)まで、約18キロを歩きました。支部の車が伴走して、写真を撮ってくれたりしました。防府天満宮では、御影石でできた「夢叶う」牛の像にも願をかけました。病院に着くと、リレーや患者会、病院スタッフの方たちの大歓迎。優に100人は超えていました。



     30代ぐらいの女性のサバイバーの方が、「治療が長くなるとお金がかかります。家族にも迷惑をかけられない。お金の切れ目が治療の切れ目になりかねません」と訴えられました。まったく同感で、対応策が求められます。
     男性サバイバーの方からは、検診や予防が大切とわかっているのに行動につながらない現実にどう対応したらよいのか、というお話がありました。私は、①人の行動変容を促す学問の現場での応用、②小学校からのがん教育、③サバイバーが体験を語ること、の3点を申し上げました。戦争でも震災でも、体験者の語りは響きます。がんにも通底するでしょう。

     今日で、ウォークの第1章は終了です。夜は飛行機で東京へ。みなさん、ご支援、ご声援を本当にありがとうございました! 引き続きよろしくお願いいたします。


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  • 2018年2月17日~19日

    痛切に感じた「若者の命」


    ●2月17日 渡船で尾道へ
     生口島のペンション(!)を出て、瀬戸内の光景を満喫しながら、因島を通り、向島から渡船で尾道へ。尾道は、年末に「がんサバイバー・クラブ」で対談させていただいた映画作家・大林宣彦さんの故郷で、「尾道三部作」でも知られる街です。海から入ると、感慨もひとしおです。
    渡船のりばに、「乳腺疾患患者の会 のぞみの会」のみなさんが出迎えに来てくれました。会長の浜中和子さんもサバイバーです。その後、浜中さん、地元で緩和ケアや地域医療に取り組む片山壽(ひさし)先生とお話しました。

    ●2月18日 猿も歩いています!
     今日は、主に国道2号をひたすら歩き、一部新幹線の力も借りて、広島へ。とても天気がよく、猿もウォークしていました! 広島に着くと、久しぶりの大都会。明日は、広島東洋カープの本拠地、マツダスタジアムを回ってから、15日以来の病院訪問です。

    ●2月19日 和顔愛語
     今朝は、日本対がん協会の広島県支部(公益財団法人「広島県地域保健医療推進機構」)のメンバー3人と、呉市の呉医療センター・中国がんセンターを目指しました。約26キロの道のりです。
    途中、江田島が視界に入ってきました。戦前は海軍兵学校があった島。呉市に入ると、大和ミュージアムが見えてきます。戦艦大和は、軍港や海軍工廠の街として栄えた呉で建造されました。戦前、戦争や結核で理不尽に奪われた若者の命のことを、痛切に思いました。今は、結核よりも、がんですね。


    中国がんセンターでは、院長の谷山清己先生にもお会いしました。病院の経営理念は「相手の心情に寄り添う愛のある医療を笑顔で実践します」(「和顔愛語」)。相談支援センターのスタッフがとても熱心なことなどから、それを肌で感じました。


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  • 2018年2月16日

    これだけの橋が造れるのだから……


     愛媛県の今治と広島県の尾道をつなぐ、瀬戸内しまなみ海道。今日は午前7時30分に大島の旅館を出発し、大小いくつもの島々を見ながら、尾道を目指して歩きました。村上海賊ゆかりの大島。伯方(はかた)の塩で知られる伯方島。日本総鎮守の号を持つ大山祇(おおやまづみ)神社があり、神の島とも呼ばれる大三島。広島県に入り、レモン、みかんなどの生産が盛んな生口(いくち)島。
     お天気も良く、来島海峡の激しい潮の流れを聞いたりしながら約30キロ歩きました。ランチは新鮮な刺身(クエっぽい)の盛り合わせです。
     感服したのは、島と島を結ぶ橋。来島海峡大橋、伯方・大島大橋、大三島橋、多々羅大橋。どの橋も、近代科学の粋を尽くしたという印象を受けました。そして、ハッとしました。「これだけの橋が造れる人間が、がんという身近な病気に対する理解が不十分で、サバイバーを孤立させたり、ときに差別したりする状況は、絶対に変えなければならない!」。このウォークの原点です。


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  • 2018年2月15日

    患者第一主義!


     今日は午前10時前にJR予讃線北伊予駅で、日本対がん協会愛媛県支部(公益財団法人・愛媛県総合保健協会)のお二人と合流。四国がんセンターまで約10キロを一緒に歩きました。二人は検診を訴えるオリジナルの黄色ジャンパーを着用しており、当方のシンボルカラーの緑と合わせて、大変目立ちました。
     連日の病院訪問。昨日に続き大歓迎を受けました! いつも通り、がんサバイバー支援を訴えました。
     四国がんセンターは、ボランティア活動が盛んで、カフェやサロンも新しくなっていました。本館の横に「患者・家族総合支援センター 暖だん」があります。2013年の開設で、就労や生活のことを相談できたり、サロンで語り合えたり。たくさんの本もそろえています。「だんだん」は愛媛の方言で「ありがとう」。愛称を公募したそうです。
     四国がんセンターは患者第一主義が鮮明で、とても良い雰囲気でした。
     雨が降ってきたので、松山駅から波止浜(はしはま)駅まで鉄道で移動し、そこからは、瀬戸内海にかかる来島海峡大橋の写真を撮るために歩きました。写真はインスタで。

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  • 2018年2月14日

    声を出さないと、世の中も政治も動かない!



     今日は、朝一番で大分県立病院へ。
     ご覧の横断幕です。病院スタッフ、患者さん、リレー・フォー・ライフ大分、日本対がん協会大分県支部(公益財団法人「大分県地域保健支援センター」)のメンバーなど、100人以上の方が大歓迎してくださいました。ありがとうございました!
     私の左隣に立つ背広姿の方は、高田三千尋さん(血液内科医で、大分記念病院名誉理事長)。対がん協会の評議員でもある坂下千瑞子・東京医科歯科大学病院助教のお父さんです。「2つの法律(がん対策基本法とがん登録推進法)はできたけれど、セカンドオピニオンなど、患者の視点からはまだ欠けていることがありますね。こういう活動を通じて訴えていくことは大切です」とおっしゃっていました。私がみなさんに、「声を出さないと、世の中も政治も動きません!」と呼びかけると、全員が賛同してくれました。
     快晴で、気分爽快です。5、6人の方たちと1時間半ぐらい歩いて大分駅へ。フェリーに乗ってのんびりと、四国は愛媛県八幡浜へ渡りました。船内で、病院でいただいたバレンタインのチョコレートをパチリ。インスタに上げました。

  • 2018年2月10日 ~ 2月13日

    大腸がんサバイバーの女性にマッサージを受けて

     三連休、みなさんはどのようにお過ごしでしたか? この間の一言をアップします。


    ●2月10日 ランチは豆大福
     一日中雨。歩くのがつらかったです。筑後川などの景色は素敵なのですが、写真も数枚しか撮れませんでした。ランチも、レストランがなく豆大福のみ。人生ままならないですなあ。午後3時半ごろ、早めに宿に到着しました。
     前日の晩に受けたマッサージで、筋肉痛は少し解消されました。担当してくれた方は、大腸がんステージ4の60代の女性。とても圧の弱い施術を受けながら、改めて就労のひとつのあり方を思いました。サバイバーの方たちが、それぞれの状況に応じた働き方ができることが大切だと痛感します。チップを差し上げてお接待です。

    ●2月11日 乳がんの店員さん
     7時30分、大分県日田市の玖珠川沿いに広がる天ケ瀬温泉のホテルを出発しました。
     雪で、しかも強風です。極寒で指がジンジンします。昨晩ドライヤーで手袋を乾かしておいてよかった! また東京医科歯科大付属病院の元院長で、現在は「医療法人秀和会 秀和総合病院」の理事長を務められている坂本徹先生に勧められた鎮痛剤で筋肉痛も和らいでいます。坂本先生、ありがとうございます。
     道に迷いルート変更になりましたが、とてもよい景色を楽しめました。玖珠川の両岸に断崖絶壁がそそり立つ紅葉の名所、九酔渓。その展望所では、乳がんに罹患した店員さんが、私のジャンパーを見て声をかけてくれました。
     展望所でトロロご飯をいただき、歩行者専用の九重夢大吊橋を渡りました。一大パノラマです。九重町の旅館に宿泊。夕食はキジ、鯉こく、馬刺し、ヤマメの塩焼きなど山里料理を堪能しました。



    ●2月12日 湯布院でほっと一息
     本日の目的地、湯布院町まで続く「やまなみハイウェイ」は凍結していて危険なため、今朝は最寄駅までタクシー、その後は久大本線に乗りました。車内は暖かく快適です。歩くと一日かかる道のりもあっという間。12時には湯布院の老舗旅館にチェックインし、部屋の準備が整うまでコーヒーを飲みながらゆっくり寛ぎました。まるで天国にいるようです。
     友人ともお話しできて、エネルギーをチャージしました!
     外は雪。旅館近くの金鱗湖の雪景色をインスタに上げました。

    ●2月13日 予行演習で歩きました
     本日も路面凍結のため、大分まで鉄道で移動しました。13時にホテルに到着。別府湾に面している大分市では、雪も溶けています。
     明日は大分県立病院へ。連日歩いていないので、予行練習として、4キロ先の病院まで片道1時間かけて歩いてきました。佐賀県医療センター好生館以来、1週間ぶりの病院訪問。がんをめぐる話はもちろんのこと、九州横断のよもやま話もできそうです。出会いが楽しみです。

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  • 2018年2月9日 

    ケータイをタオルでくるんで


     昨晩マッサージを受けたのに、今朝は全身筋肉痛。今がいちばんきつい時期で、体重も3キロぐらい減った感じです。少しすると体が慣れてくるでしょう。
     次なる訪問地の大分県立病院を目指して、国道210号を東へ。1日30キロほど進む九州横断です。午前中は指先がジンジンしましたが、午後は陽射しに春の力を感じました。軽装にしようと一息入れていると、一羽のタテハチョウがひらり。冬眠から目覚めたみたいです。昆虫好きの私には、うれしい一コマでした。
     今日の裏ワザは携帯電話をタオルでくるんだこと。スタッフに教えてもらったのですが、なるほど、バッテリーの持ち時間が違います。
     応援メッセージ(このサイトでご紹介しています)、インスタへのコメント、ありがとうございます。みなさんと一緒に歩いている気持ちになります!
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  • 2018年2月8日 16:26

    日焼け止めクリームを塗りました


    朝は寒かったですが、午後は汗ばむぐらいの暖かさでした。佐賀平野を流れるいくつものクリーク(水路)、九州一の大河の筑後川沿いなどを、ひたすら24キロも歩きました。
    片手にのぼり、片手にストック。のぼりの「がんサバイバーを支援しよう」の文字が目に留まったのでしょう、若い男性のサイクリストが「がんばってください!」と温かい声援を送ってくださいました。私もにっこり笑い返しました。
     日焼け止めクリームを2回塗りましたが、顔は赤くなっています。76歳の男だって、お肌の手入れは大切です(笑)。これからマッサージで体をほぐします!
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  • 2018年2月7日 15:00

    人の情けを感じています


     今日は八女茶で知られる八女市を出て、佐賀県医療センター好生館へ。朝、宿を出発したときは雪で、気温も氷点下でした。徐々に晴れてきましたが、雪がちらつき、手袋に包んだ指先が冷たかったです。
     筑後川にかかる橋で小休止して、佐賀県に入るころには晴天に。佐賀県医療センター好生館は、佐賀市の中心部、県庁や県立美術館、佐賀大学の近くにあります。到着してびっくり。職員、患者会、リレー・フォー・ライフ・ジャパン佐賀実行委員会のみなさんら総勢約80人で歓迎してくれました。白地に「がんサバイバー支援ウォーク」などと書かれた垂れ幕も見えます。意見交換会を行い、個人の方からご寄付までいただきました。ありがとうございます。
    「人の情けって健在だなあ」。ここ数日、そんなことを感じています。今日の歩行距離は約30キロ。私は元気です!
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  • 2018年2月6日 13:27

    うれしかったトラックの運転手さんの励まし


     鹿児島本線に乗る前のことです。国道3号の上りは雪のためか、大渋滞。ゆっくり歩いていると、「がんサバイバーを支援しよう」ののぼりを見つけたトラックの運転手さんが、わざわざ窓を開けて「がんばってください!」と声をかけてくれました。ご自身の周囲にサバイバーがいらっしゃるのでしょうか。とてもうれしかったです。励まし、ありがとうございました。
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    写真は支援者様よりご提供いただきました
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  • 2018年2月5日

    九州がんセンターから一歩を踏み出しました


     博多のホテルから2時間歩いて、午前9時に福岡市南区の九州がんセンターに到着。藤也寸志院長、日本医師会の横倉義武会長らと懇談し、地元のサバイバーのお話も伺えた。ここから、札幌まで「がんサバイバー支援ウォーク」が始まる。内ポケットには、約10年前に肺がんで亡くなった妻の写真。
     10時半過ぎに九州がんセンターを出発。自分の体を賭して歩き、サバイバー支援を訴えたい。今日の福岡は最高気温3.1度。ときどき雪が舞う。でも、7つ道具があるから大丈夫。一緒に歩くリレー・フォー・ライフの仲間らの思いも集まって、気持ちは暖かい。
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  • 2018年2月2日

    がんサバイバー支援ウォーク実施のお知らせ


    日本対がん協会会長 垣添忠生は2月5日に福岡:九州がんセンターからスタートし、全国がんセンター協議会加盟の32病院、総移動距離約3,500kmの道のりを歩く「全国縦断ウォーク」を実施してがん患者支援を訴えることを決意しました。76歳にして大いなる挑戦です。日本対がん協会・がんサバイバー・クラブのサポートのもと、全国のサバイバーにエールを送りつつ、日本国民にがんサバイバーの支援を呼びかけます。

マスコミ紹介

今後の予定

※記載された訪問日時は目安になります。状況により予告なく変更される可能性がございますので、何卒ご了承ください。

がんサバイバー支援ウォークとは

 はじめまして。垣添忠生です。国立がんセンターの総長を経て、現在は公益財団法人「日本対がん協会」会長としてがんサバイバーの支援をしています。

 日本には約700万人のがんサバイバーがいるのをご存知でしょうか。日本人の2人に1人が、生涯のうちにがんと診断されるともいわれています。医学の進歩により、いまや「がん=死」ということはありません。がんは長く付き合い、向き合っていく病です。しかしながら社会のサポート体制は十分とは言えず、がんと診断された方の中には、強い孤独感や疎外感を感じ、孤立される方も多くいらっしゃいます。就労問題や心のケアなど支援の体制はまだまだ整ってはいません。がんサバイバーは自分の気持ちを安心して打ち明けられる仲間を求めますが、お住まいの場所や、がんの種類・進行状況、経済的な事情などによって、向き合う課題や悩みは様々です。

私はがんの専門医として、数多くの患者を診てきました。自分自身も大腸がんと腎臓がんを患いましたが、早期に発見できたので大事に至りませんでした。しかし私は10年前に妻をがんで亡くした経験があります。覚悟はしていたものの、精神的衝撃は想像をはるかに超えていました。40年間互いに助け合い励ましあってきた病弱な妻を喪った苦痛はすさまじいものでした。悲しみから立ち直るために新たにまったく未体験のことも始めました。居合道、本格的な登山、時には雪山までも挑戦しました。自ら「グリーフワーク」を積極的に実践し、その際はいつも仲間に助けられました。

 2017年6月、日本対がん協会では「がんサバイバー・クラブ」という事業を立ち上げました。公式サイトでは、がん患者の「治りたい」「普通の生活がしたい」に寄り添い、「支えたい」を実現する情報を提供しています。「がん関連注目ニュース」は、平日ほぼ毎朝更新し、信頼できる情報の発信を行なっています。また「必要としている方の一番近くにある患者会をご紹介したい」という気持ちで、全国の患者会情報などを提供しています。新たに、社会保険労務士による「がんと就労」電話相談を実施したり、定期的に交流イベント「がんサバイバーカフェ」を開催してきました。

 しかし残念ながら、すべてのがんサバイバーの方々を支援するまでには至っていません。そこで今回、サイト内に新たに「がんサバイバーnet(仮)」を設置します。これは、利用者がいつでも、どこでも、オンライン上でつながり、リアルタイムで交流できる「場」です。全国のサバイバーをつなぐことで、一人で悩み、苦しむ人を救いたいと私たちは考えています。会員専用のコミュニティとし、ご利用される方には、安心してご利用いただけるようにしたいと考えています。「がんサバイバーnet(仮)」の作成のための クラウドファンディングを始めました。ぜひご支援ください。


 76歳の挑戦!資金集め&全国のがんサバイバー支援呼びかけのために・・・
私は、今回「がんサバイバーnet(仮)」を構築する資金の一部を募り、また全国のサバイバー支援を呼びかけるため、総移動距離約3,500kmを延べ90日間かけて歩く、76歳の挑戦を決意しました。

 全国がんセンター協議会加盟の32病院を訪ね、できる限りサバイバーと会って、語り合います。彼らのニーズを探り、「がんサバイバーnet(仮)」に反映します。総移動距離3,500kmを歩くことは容易ではありませんが、不安より期待で胸が高まっています。昨年は、がんで亡くした妻に感謝、慰霊をする四国88ケ所のお遍路巡りを達成しました。今回は、全国のサバイバーを巡るお遍路です。がんサバイバー・クラブの活動を知ってもらい、多くのサバイバーを支えることにもつなげたいと意気込んでおります。

 最後までお読みいただきまして、どうもありがとうございました。

【垣添忠生】(かきぞえただお)プロフィール 
1941年大阪生まれ、1967年東京大学医 学部医学科卒業。泌尿器科を専攻し、1975年より国立がんセンター泌尿器科 医員。1992年中央病院長。2002年国立がんセンター総長。2007年定年退職し、現在は公益財団法人日本対がん協会会長。高松宮妃癌研究基金学術賞、日本医師会医学賞、瑞宝重光章などを受賞。著書に『妻を看取る日』(新潮社)、『悲しみの中にいるあなたへの処方箋』(新潮社)、『巡礼日記-亡き妻と歩いた600キロ』(中央公論新社)など

7つ道具

  • のぼり

    1のぼり

  • のぼり

    2ジャンパー

  • リュック

    3リュック

  • 手袋

    4手袋

  • ストック

    5ストック

  • 靴

    6

  • 帽子

    7帽子

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