垣添忠生 全国縦断 がんサバイバー支援ウォーク

一言ブログ

  • 2018年4月13日

    4月13日 すぐには退職しないように


     今日は、ウォーク第4回の最終日です。
     新潟県立がんセンター新潟病院を訪問しました。

     12日に泊まったワイナリーから海岸沿いを約20キロの道のり。風が強く、砂が顔に当たって痛いほどでした。途中の青山海浜公園でリレー・フォー・ライフ新潟の方と合流しました。若いころに奥様を脳腫瘍で亡くした方で、長岡の大花火大会のすばらしさなどを伺いながら歩きました。

     佐藤信昭院長はじめ病院のスタッフ、地元の医師会の幹部、リレー・フォー・ライフ新潟、日本対がん協会新潟県支部(公益財団法人「新潟県健康づくり財団」)などのみなさんが、横断幕で迎えてくれました。

     新潟県立がんセンターは、「レインボープラザ」という名前の相談支援センターを備えていて、佐藤院長によると、年間1万件を超える相談を受けているそうです。最近は就労の相談も目立ち、「すぐには退職しないように」とアドバイスしているそうです。有用な助言だと思います。

     この日は、佐渡の建設会社「近藤組」の近藤光雄社長(写真右)もいらっしゃいました。今回のウォークでもお世話になっている、「医療法人秀和会 秀和総合病院」理事長の坂本徹さん(東京医科歯科大付属病院の元院長)のご紹介です。73歳で、とても元気。

     近藤組は創業約120年。前半の60年は三菱の金山で掘り出された金鉱石を佐渡島の大間港まで運ぶ仕事をしていました。金鉱石は瀬戸内海の直島まで運ばれ、精錬されていました。1953年から建設業に転じたそうです。

     近藤さんは、「にいがた観光大使」「佐渡国際親善大使」の両方に任命されています。私の活動を理解してくださり、信濃川にかかる萬代橋のたもとに立つ新潟日報社の社屋1階に、募金箱と「がんサバイバー・クラブ」のパンフレットを置いてもらえるように依頼してくださいました。近藤さんご自身からもご寄付をいただきました。新潟日報の役員の方にもお目にかかれました。

     また、JR東日本の新潟駅では、駅ビルなどを運営している株式会社「トッキー」(JR東日本の100%出資)の古川岳史社長らもご紹介いただきました。新潟駅はちょうど、在来線を新幹線と同じホームに上げる工事が終わったばかり。古川社長には新幹線のホームまで送っていただきました。

     さまざまな方が、ウォークを、そしてサバイバー支援の活動を応援してくださいます。ありがとうございます。こうした暖かい支援の輪の広がりが、がんサバイバーを孤立させない社会の構築につながっていくのでしょう。

     都内の自宅に戻ったら、妻を想って植えた牡丹が立派な花を咲かせていました。
     次回は4月24日から。連休前なので、さらっと新潟から群馬へと向かいます。

    インスタグラムでも発信中です!

  • 2018年4月12日

    4月12日 存在と時間


     2月からほとんど徒歩で旅をしていると、さまざまな出来事が折り重なり、ときおり、記憶が断片的になります。
     今日は、午前中は新潟県内を列車で移動。JR大糸線の姫川駅から何度か乗り換えて、JR弥彦線の西燕駅まで。左に日本海、右に山々を眺めながらローカル線の旅です。
     こんなに長い間列車で移動したのは、これまでのウォークで初めてのこと。国道の喧騒や緊張感から解放されて、瞬間的に、時間や空間の概念がなくなることもありました。「あれ、自分は今どこで何をしていて、どこに向かうのだろう?」と。不思議なものです。
     ふと、ドイツの哲学者、ハイデカーを思い浮かべました。代表的な著作『存在と時間』に挑戦して、歯が立たなかった記憶があります。改めて、先人に敬意を抱きました。それから、対照的に、やさしい言葉で深い思索を綴る哲学者で、大阪大学総長などを務めた鷲田清一さんの文章を思い出しました。
     西燕駅から宿までは20キロ以上のウォーク。快晴で暖かいけれど、越後平野を抜ける風がとても強かった。首から提げている地図はリュックにしまい、サバイバー支援を訴える幟を握りしめて歩きました。
     水田では苗代に水が張られ、一部では田植えも始まっています。桜の季節から初夏へ。
     富山、新潟と米どころが続きます。ふだんはお酒を飲むとお米は食べないのですが、ここ数日は、お漬物と一緒にごはんをいただいています。

    インスタグラムでも発信中です!

  • 2018年4月11日

    4月11日 如砥如矢


     4月10日は、富山県黒部市の生地(いくじ)温泉の老舗旅館に泊まりました。上杉謙信ゆかりの湯です。

     夕方のNHKニュースで、今回のウォークを取材した特集が流れました。10分ぐらいはあったでしょうか。宿の女将もご覧になって、とても感激して、寄付のお約束までしていただきました。
     また、サプライズで、「医療法人秀和会 秀和総合病院」理事長の坂本徹さん(東京医科歯科大付属病院の元院長)から、大きな誕生日ケーキが届きました。宿のみなさんと一緒にいただきました。
     みなさん、ありがとうございます。

     今日は、暖かかったものの、風が強く雨も降っていました。生地駅から市振(いちぶり)駅まで電車を利用し、そこから歩いて新潟県の糸魚川に到着しました。1日の歩行距離は約28キロです。

     印象に残ったのは、親不知・子不知です。かつては、波打ち際を通るときに、親は子を、子は親を顧みることを忘れるというほどの難所で、荒波にさらわれた人もいたそうです。「天下の険」と呼ばれました。松尾芭蕉も通っています。

     明治16(1883)年、ようやく道路が開通します。昭和41(1966)年に国道8号のトンネルが完成したため、現在は、「親不知コミュニティロード」という遊歩道になっています。

     私は、この遊歩道を歩きました。途中、道路の開通記念に「如砥如矢(とのごとくやのごとし)」という文字が彫られた大きな岩がありました。「砥石のように平らで、矢のように真っ直ぐ通れる」という意味だそうです。
     たった4文字に、明治の人の喜びが凝縮されています。海側の絶壁を見降ろしながら歩いていると、喜びを実感できました。


    インスタグラムでも発信中です!

  • 2018年4月10日

    4月10日 剣岳


     東京から新幹線で金沢方面へ向かうときは左側、帰るときは右側の座席を取ります。北アルプスの山々、中でも剣岳を見たいからです。
     剣岳は標高2999メートル。「岩と雪の殿堂」と言われるように、非常に険しく、カニのヨコバイ、カニのタテバイ、といった難所があります。長く前人未踏でした。明治末期、旧陸軍の陸地測量部が“初登頂”に成功します。しかし、山頂で彼らが見たのは、修験者が使う錫杖や焚火の跡でした。奈良時代ごろのものらしいです。
     新田次郎の小説『剣岳 点の記』が2009年に映画化されたので、ご存知の方もいらっしゃるでしょう。
     私にとって、この剣岳は、思い出深い山です。
     2007年の大みそかに妻が亡くなって2カ月後ぐらい経ったころのこと。銀座のなじみの老舗割烹のカウンターでひとり、鬱屈して酒を飲んでいたら、山の話が聞こえてきました。「そばに行っていいですか?」とお断りして話の輪に加わりました。
     そこで出会ったのが、Wさんです。若いころに仲間を剣岳で失っていました。毎年9月に、慰霊の気持ちも込めて剣岳に登っているそうです。1年半後の9月に私も同行させていただくことになりました。
     それから、本格的に体を鍛えるようになり、4人のパーティーで、無事に山頂に立てました。その後も1回登っています。1人では到底無理です。いわば、私が悲しみから立ち上がる大きなきっかけとなった山なのです。
     今日は快晴のもと、そんな剣岳を見ながら、ゆっくり歩きました。春霞に包まれていましたが、屹立する姿を堪能できました。
     実は今日は、77歳の誕生日。喜寿です。感慨や抱負? 何もありません。年を1つとっただけ。まだまだ通過点に過ぎないのです。



    インスタグラムでも発信中です!

  • 2018年4月9日

    4月9日 30年もボランティアをしてきたサバイバー


     4月6日は金沢市に泊まり、7日は富山県小矢部(おやべ)市の宮島温泉、8日は射水(いみず)市まで移動しました。先日までと打って変わり、真冬の寒さ。東京ではまず経験しない大きな雷鳴が轟き、雪も舞いました。気温3度、息は真っ白、防水の手袋が力を発揮します。それでも桜が咲いていました。
     途中、わざわざ車を止めて、「昨日、テレビを見ました」とお声がけくださったご夫婦もいらして、記念の自撮り。ご主人はサバイバーです。気持ちが上向きになりました。
     今日9日も雨の中、富山市の富山県立中央病院へ。ひとりで20キロ弱、歩きました。
     清水康一院長をはじめとした病院スタッフ、患者の方たち、テルモの方、日本対がん協会富山県支部(公益財団法人「富山県健康づくり財団」)の職員ら総勢30人ぐらいのみなさんに迎えていただきました。緑色の横断幕を広げて。
     患者の中には、昨年、ヨーロッパアルプスの最高峰、モンブラン登頂を目指したという女医さんもいらっしゃいました。天候が悪くて断念し、別の山を登られたそうです。
     富山県立中央病院のがん相談支援センター「こもれび」では、サロン風の部屋でどんな相談にも乗るほか、がん哲学外来なども開いています。
     センターの女性が「もっと存在を知ってほしい」という趣旨のお話をされました。私も大賛成です。残念ながら、病院によって患者支援の態勢に格差があるのが現状です。「ぜひ広げてください」と伝えました。
     緩和ケア病棟の男性医師も、緩和ケアの大切さを訴えていました。これまた同感です。清水院長も「十分に認識している」とおっしゃっていたので、今後にさらに期待したいところです。
     約30年ボランティアをしてきたというサバイバーの男性にもお目にかかりました。60代半ばぐらいとお見受けしましたが、「生きがいを感じてやってきました」と押しつけがましくなく語っていました。
     こうした方たちと語り合いながら、病院全体からにじみ出る暖かさを感じていました。


    インスタグラムでも発信中です!

  • 2018年4月6日

    4月6日 テレビ・新聞の取材に答えたこと


     北陸本線で福井から美川まで乗り、そこから金沢市の石川県立中央病院まで約20キロを歩きました。

     同行者は、日本対がん協会石川県支部(公益財団法人「石川県成人予防センター」)の職員3人、金沢市の元ちゃんハウス(患者や家族らがいつでも来訪して、相談したりくつろげたりする施設)の女性スタッフ、日本対がん協会のスタッフの6人。途中で元ちゃんハウスの方とテルモの社員の方が入れ替わりました。

    その後、石川県支部、元ちゃんハウス、兼六園、石川県がん安心生活サポートハウスと回りました。盛りだくさんのスケジュールです。
     県立病院では、テレビ局や新聞社が何社も集まり、囲み取材を受けました。記者たちの関心は、やはり「なぜウォークをしているのか?」。
     私は、3つのポイントを語りました。

     ①がんと告知されると、サバイバーは苦しみ、孤独になる。彼らや家族らを支えるため、がんサバイバー・クラブを立ち上げた。寄付で成り立つこの活動を国民運動に育てていくためにウォークを通じて認知度を高めたい。
     ②「がんだって普通の病気だ」と多くの人に知っていただきたい。社会復帰している人はたくさんいる。国民の意識が変われば、就労や差別などの問題も改善するはずだ。
     ③がんは、予防と早期発見が大切。最大の予防はたばこ対策(禁煙、受動喫煙の防止)だ。早期発見には検診が欠かせない。

     石川県立中央病院では、リレー・フォー・ライフ石川の方や、10人ぐらいの患者さんもいらしていました。患者さんのプライバシー保護のため、テレビカメラは後ろから映していました。そんな状況を変えたいと思います。

     あるテレビ局から妻を亡くしたときの話も聞かれました。スタッフに頼まれて、能率手帳にそっと忍ばせている妻の写真を見せました。

    インスタグラムでも発信中です!

  • 2018年4月5日

    4月5日 発言し続けることで世の中は変わる!


     発言し続けることで世の中は変わる!
     一転して寒い日。宿場町の今庄からメガネで有名な鯖江まで電車に乗り、そこから福井駅まで歩きました。福井駅で、日本対がん協会福井県支部(公益財団法人「福井県健康管理協会」)の職員、テルモの社員2人と合流し、4人で福井県立病院を目指しました。

     県立病院では、橋爪泰夫院長をはじめとした病院スタッフ、リレー・フォー・ライフ福井の方も待っていました。
     私は以前、福井県のがん対策推進計画の策定に携わったことがあります。その縁で、西川一誠知事が院長室まで見えて、福井の新しいお米「いちほまれ」をいただきました。
     ここでは、陽子線治療を行っています。しかし、陽子線治療の保険点数は低く、施設の維持もままならない。そんな悩みを聞きました。
     また、患者会の方たち約15人が扇形に並び、要の位置に私が座り、お話ししました。30代後半の白血病の男性が切々と訴えたのは、やはり治療費の高さです。治療をやめて再発し、また再開する。それを何度か繰り返したそうです。今は、音楽仲間のサポートも受けながら、何とかしのいでいるそうです。

     これまでのウォークでも治療費の話をよく耳にします。生の声のインパクトは大きい。病院の幹部が聞いていることも、意義深いでしょう。
     私は「発言し続けることで、世の中は変わります」と答えました。国のがん対策基本計画も、大まかに言えば、最初(第1期=2007年)は5大がんが中心で、希少がんや小児がんは第2期(2012年)から。就労の話も同様です。

     学生の奨学金返済、保育園の待機児童など、多くの人が声を上げれば、そこに問題があることに社会が気づき、解決への第一歩を踏み出せます。だからこそ私は、がんサバイバー100万人の国民運動を築きたいと考えているのです。



    インスタグラムでも発信中です!

  • 2018年4月4日

    4月4日 桜の樹の下で


     桜の樹の下で
     敦賀では風が強く、桜の花びらが舞っていました。ところが、歩みを進めて山間部に入ると、桜が満開です。桜の樹の下で、大判カメラを構えている男性がいました。ドイツのリンホフカメラでしょう。その昔、土門拳や入江泰吉などの写真家も愛用した懐かしの名機です。桜をめぐる歌がいくつも頭に浮かびました。

     花の色はうつりにけりないたづらに わが身世にふるながめせしまに(小野小町)
     ひさかたの光のどけき春の日に 静心なく花の散るらむ(紀友則)
    世の中にたえて桜のなかりせば 春の心はのどけからまし(在原業平)
    見わたせば柳桜をこきまぜて 都ぞ春の錦なりける(素性法師)

     川端康成の『雪国』ではありませんが、木の芽峠の長いトンネルを抜けると、雪が残っていました。雪解け水が清冽な流れをつくっています。せせらぎの音が心地よく響きます。それなのに、ペットボトルや空き瓶、空き缶がたくさん捨てられています。
     強烈な対比で、何とも残念でした。捨てた人たちは、どんな育ち方をしたのだろう?
     ふと、数年前に雑誌「サイエンス」に載っていた米国の研究を思い出しました。就学前に国語と算数をしっかり勉強するのとしないのとでは、その後の人生が大きく変わるそうです。30代のメタボの兆候にさえ大差があるそうです。幼少期の教育の重要性を再認識させられます。貧困の連鎖を断ち切る必要性も、まさにここにあるわけです。
    今日のゴールは、今庄。そばで知られる宿場町です。歩行距離は32キロ。疲れはありません。



    インスタグラムでも発信中です!

  • 2018年4月3日

    4月3日 多様性を認める社会を!


     滋賀県長浜市には歴史の舞台がたくさんあります。
    昨日泊まった宿は、賤ヶ岳の戦い(豊臣秀吉と柴田勝家の合戦)の古戦場の近く。晩酌に地酒の「七本槍」を1合、冷やでいただきました。
     今日、琵琶湖の北端の近江塩津から日本海に面した福井県の敦賀まで歩いた塩津街道(国道8号)は、敦賀に揚がった海産物や塩、米などを畿内へ運ぶ重要な道です。平安時代には紫式部も父と通ったそうです。

     快晴で暑くなったので、途中、グリーンのゴワテックスのジャンパーを脱いでリュックにしまいました。これからは病院訪問の直前に、シンボルカラーの緑のジャンパーを羽織ることになりそうです。
    道端のつくしが伸びていました。ふきのとうも花を咲かせています。季節はしっかり進んでいます。

     2月からずっと歩いていて感じるのは、沿道での葬祭施設の多さ。同時に、「環境を守るために葬祭場の建設に反対しましょう」といったビラや看板もたくさん見てきました。多死社会を迎え、葬儀場は誰にとっても必要なはず。想像力を欠き、他者に不寛容になっている社会の表れではないでしょうか。

     原発事故で避難した人へのいじめ、保育園建設への反対、沖縄への基地押し付け、LGBTの人への根強い差別……。多様性を認めるのが、成熟した民主主義社会のはずです。
     がんサバイバーへの偏見も、「がん=死」というイメージだけでなく、その奥に、この問題が立ちはだかっています。スピード感を持って、丁寧にときほぐすしかないでしょう。



    インスタグラムでも発信中です!

  • 2018年4月2日

    3月31日~4月2日 桜に導かれるように


     ●ヤフーのナビを活用しながら
     第4回となる「全国縦断 がんサバイバー支援ウォーク」が始まりました。
     今回は北陸方面を歩きます。

     3月31日は東海道新幹線で名古屋へ。名古屋から東海道本線で清須まで乗り、そこから岐阜羽島まで歩きました。翌4月1日は米原まで、そして2日は北陸を目指して滋賀県長浜市まで。いずれも少しずつ電車の力も借りながら、1日25キロ前後、歩いています。

     この3日間は、単独行。桜に導かれるようなぶらり旅です。今回は、スマホでヤフーのカーナビアプリを活用しながら進んでいます。

     ●懐かしのすかんぽ
     4月1日に通った大垣市には、国の名勝に指定された「奥の細道むすびの地」(松尾芭蕉の「おくのほそ道」はこの地で終わっている)があります。水門川が流れ、江戸時代に建てられた住吉燈台が残っています。水門川を小さな和船で進みながらお花見ができます。

    私も、ナビのルートを少しはずれて、寄ってみました。
     川の両側に満開の桜並木が続きます。伸びた枝が川面に映えています。赤い欄干の橋から眺めながら、春を思い切り吸い込みました。



     4月2日もまた、ナビの指示に背いて(笑)、琵琶湖の湖畔を歩き、桜を楽しみました。桜といっても、ソメイヨシノだけでなく、枝垂桜も彼岸桜も誇らしげに立っています。

     桜だけではありません。もくれん、こぶし、チューリップ、たんぽぽ、すみれ、パンジー、れんげ、犬ふぐり、スギナ……。さまざまな花が沿道や耕作地などで咲き乱れています。

     懐かしかったのは、すかんぽ(スイバ)です。茎の長さが50センチから1メートルにもなる多年草です。戦後の食糧難だった子どものころ、茎を切って塩漬けにして食べました。ちょっと酸っぱい味がしたなあ。そんなことを思い出しました。
     モンシロチョウやモンキチョウが舞うのを楽しみ、ウグイスの鳴き声に心をなごませながら歩く。贅沢な日々です。

       ●お茶を飲みませんか
     この旅でも、出会いが多そうです。大垣では、69歳の女性に「何を持っていはるんですか?」と声をかけられました。おなじみのサバイバー支援の幟を広げて説明すると、「素晴らしいことをやってはるね。すぐ近くですからウチでお茶を飲みませんか」と誘っていただきました。先があるので、丁重にお断りしましたが。

     長浜では、琵琶湖畔を離れて内陸に向かう途中で、水車を見かけました。たまたまその水車を造ったおじいさんと出会いました。81歳で、喉頭がんと胃がんのサバイバーです。奥様も出てこられたので、幟を持ってもらい、写真を撮らせていただきました。ウォークの話をすると、「すごい旅行ですねえ」と驚いていました。



     田んぼの水路を、豊富な水が流れています。そろそろ田植えの季節なのでしょう。はなみずきも咲きそうです。
     自然や出会いを満喫しながら、この先の旅の意義に改めて思いを馳せました。



    インスタグラムでも発信中です!

  • 2018年3月13日

    3月13日 10年かけて庭木を育てる


       今日は相鉄線いずみ野駅から、サバイバーの女性、ケアギバーの男性と3人で、神奈川県立がんセンターまで歩きました。
     ケアギバーの男性は、植木会社にお勤め。剪定ではなく、松や木斛(もっこく)、槇(まき)といった、名前を知らない人でも見ればわかるような樹木を育てるほうです。小田原方面に広い土地を確保して、10年ぐらい、形を整えつつ成長させて顧客の庭に納めるそうです。息の長い仕事です。人間の赤ちゃんではないけれど、樹木も、芽吹いたときには赤く、それからどんどん色が変わるそうです。新緑の美しさを強調されていました。思わず、俳句の「山笑う」という季語が浮かびました。
     前日に泊まった茅ヶ崎市の旅館は、かつて日本映画の巨匠・小津安二郎監督が定宿にされていました。とても趣のある老舗です。庭も、丹精込めて樹木が配されています。こうした美しさも、今日ご同行いただいたような方たちが支えているのですね。
     一緒に歩く方は、何らかの形でがんに関わっている半面、仕事はバラバラです。ウォークの楽しさは、さまざまな出会いにもあります。
     神奈川県立がんセンターでは、大川伸一院長や患者の方たちに拍手で出迎えていただきました。案内された大広間で、何かの手違いがあったのか、患者のみなさんと話せなかったのが残念でした。
     駅に着くと、女性のサバイバーが待っていてくださいました。病院到着時に頼まれたけれどできなかった拙著にサインをして、お渡ししました。ホッとしました。
     第3回のウォークは短めで、本日で終了です。次回は3月末。北陸へ向かいます。今回もご支援ご声援、本当にありがとうございました。

    インスタグラムでも発信中です!

  • 2018年3月12日

    3月12日 スピリットは「心」!


       富士市のホテルから静岡県立静岡がんセンター(静がん)を目指しました。リレー・フォー・ライフ静岡のメンバー、今回のウォークもご支援いただいているテルモの社員の方々も一緒です。テルモの方は、私ののぼりと同じようなサバイバー支援のぼりを作り、緑のジャンパーを着ています。
     静がんの手前に「ファルマバレーセンター」があります。静がんと連携して、医療機器などの研究開発・製造を行っています。静がんと両輪で世界一の健康長寿県を目指すという静岡県のプロジェクトで、中核企業としてテルモも入っています。
     そこに寄ってから、いよいよ静がんです。横断幕の出迎えを受けて、山口建総長はじめスタッフや地元の患者会のみなさんと濃密な交流ができました。
     2002年に開院した静がんのスピリットは「心」。富士山の裾野の右側に雲が2つ浮かんでいる光景は「心」と読める。山口総長からそんな解説を受けました。
     たしかに、このスピリットが貫かれています。「がんよろず相談」と「患者家族支援センター」が病院の一等地にあります。よろず相談では毎年1万件の相談を受けて、患者や家族の声を病院の運営にも生かしています。院内の照明や植栽までも、患者の心をなごませるように工夫がされています。すっかり感服しました。
     帰途、手話ができるという患者会の女性が「聴覚障害者は、健常者と比べて、説明を受けるのが難しい」と訴えてこられました。聴覚に限らず、障害を持った方にもしっかりと情報を提供する。すぐには難しいかもしれませんが、また一つ重要な課題を伺えました。

    インスタグラムでも発信中です!

  • 2018年3月11日

    3月10日~11日


       10日の土曜日は単独行で、国道1号を東へ。国道2号や3号の沿道とさして変わらない風景が続きます。これもグローバリゼーションがもたらした景色の均一化なのか。地域の独自文化は今後、消えていってしまうのだろうか。曇り空のせいもあって、うーむという気持ちになりました。インスタグラムに上げた写真も、安倍川だけです。
     翌日の日曜日は、好天。リレー・フォー・ライフ静岡のメンバーが午前と午後で入れ替わりながら同行してくださいました。午前中は、国道を外れて薩埵峠(さったとうげ)へ。峠を登ると、正面に富士山の麗容が飛び込んできます。手前には、駿河湾と東海道本線、東名高速道路。峠には早咲きの河津桜が咲き、夏ミカンの樹木ともども楽しませてくれました。少し工夫して歩くと、こんな光景を味わえるのですね。1人では回れません。
    午後は、リレー・フォー・ライフの方と一緒に自撮り! ちゃんと、富士川と富士山をバックに入れていますよ。
     みなさんのおかげで、35キロを歩き通せました。

    インスタグラムでも発信中です!

  • 2018年3月9日

    3月9日 中国人のエネルギーに思う


     本日から第3回ウォークの始まりです。といっても、第2回の始まり同様に、気負いはありません。
     朝に東京を発って、昼前にJR東海道本線の金谷駅に到着。大井川鉄道に乗りました。驚いたのは、老若男女の中国人観光客が30人ぐらいもいたことです。有名な観光地ならともかく、こんなローカル線にまで! しかも、みんな楽しげでエネルギーが凄まじい。
     どうやら、大井川鉄道名物の蒸気機関車がお目当てのようです。普通のSLのほか、きかんしゃトーマス号もあります。新金谷駅の構内を、試運転のように、SLがそろりと走っていました。すると、中国人のみなさんが一生懸命に写真を撮っています。新金谷駅では車両の整備工場も見学できるそうで、そこも訪れるのでしょう。
     ふと思い出したのが、リレー・フォー・ライフの寄付金を基にした「マイ・オンコロジー・ドリーム奨励賞」を受賞して、シカゴ大学医学部で研修中の日本人医師の話です。大学で会うアジア人の多くは中国人か韓国人で、日本人は少数派。危機感を覚えているそうです(「対がん協会報」第660号より)。
     人口減が大きな課題の日本。人々の発するエネルギーまで枯渇しないとよいのですが。
     そんなことも考えながら、大井川橋で大井川を渡り、のんびりと歩き続けました。


    インスタグラムでも発信中です!

  • 2018年3月6日

    3月6日 歩道あれこれ


     暖かい陽気のもと、栄のホテルから千種区の愛知県がんセンターまで約7キロを歩きました。日本対がん協会事務局長の岡本宏之と一緒です。
     センターでは、富永祐民名誉総長、木下平総長らの出迎えを受けました。サバイバーの方たちとは会えませんでしたが、日本対がん協会愛知県支部(公益財団法人「愛知県健康づくり振興事業団総合健診センター」)のメンバー2人、対がん協会理事長の後藤尚雄も加わり、お話を伺いました。  さて、本日で、第2回ウォークは終了です。締めのランチは、名古屋名物のひつまぶし。
     西日本の主要国道を歩いてきて感じたのは、歩道の歩きやすさです。
     山間部で道幅が狭いと、白線の外側に30センチぐらいしか歩道がありません。とはいえ幹線道路ですから、ダンプや大型トラックがビュンビュン通ります。サバイバー支援ののぼりを見せるどころではなく、ときに壁にへばりついてやり過ごしました。
     都市部でなくても街中に入れば歩道はありますが、狭くて、排水のためか斜めになっています。歩道があるだけマシとはいえ、バランスを取りにくいです。  それに比べると、幅がある歩道は、きれいに舗装されていて歩くのが楽です。
     最高なのは、自転車の専用部分も分けている歩道です。こういうところではたいてい、車道との間に街路樹や植栽があり、車に直接触れる危険もありません。気分よく歩けました。
     そういえば、瀬戸内しまなみ海道では、サイクリストのため、車道と自転車を仕切る青い線が描かれており、行く先や距離の表示もきめ細かく路上に記されていました。
     強者のトラックやダンプ、自動車に対して、弱者の自転車、さらに弱者の歩行者をどのように守るか。地域差もあります。がん対策にも通じるな、と思いました。
     足はだいぶ快復してきました。9日からは第3回のウォークに出かけます。いつも暖かい励ましやご支援に感謝しております。引き続き、どうぞよろしくお願いいたします。



    インスタグラムでも発信中です!

  • 2018年3月5日

    3月5日 サバイバー同士がつながる力


      ●3月3日、4日 忍者にもサバイバー支援を!
     のんびりと、「ザ・日本の農村」のような風景の中を歩きました。
     同行者は、がんサバイバー・クラブもご支援いただいているテルモの末永義久・京都支店長と、滋賀県担当の若手の男性。若手が「がんサバイバーを支援しよう」ののぼりをよく見えるように持ってくれたので、車の中、自転車などから、何度も声をかけられました。
    「僕もここまでは来たことがありません」と言いながら、グーグルマップで確認して細い道も迷いません。昼食を取る店も見つけます。「旅には、グーグルマップを使いこなすことが必須だなあ」とつくづく思いました。テルモのみなさん、本当にありがとうございました。
     忍者の里・甲賀市(「こうが」ではなく「こうか」です!)では、子どもの飛び出し注意の看板も、忍者の絵です。よし、忍者にもサバイバー支援を呼びかけよう!
     歩く際のバランスもあるのでしょう、左足の足首が腫れています。痛みもあります。鎮痛薬を塗りましたが、4日は大事を取って、当初予定より電車に乗る区間を長く取りました。宿泊は、東海道53次のひとつで水郷のまち、三重県の桑名市です。


    ●3月5日 医師を気遣うサバイバー
     名古屋駅まで電車の力を借りて、名古屋城のすぐそばにある国立病院機構名古屋医療センターまで歩きました。今日は、リレー・フォー・ライフのスタッフパートナーの大菅善章さんらと一緒です。日本対がん協会の岡本宏之事務局長も駆けつけました。雨の中で足が痛くても、仲間と歩くと笑顔になります。
     名古屋医療センターでは、堀田知光名誉院長(元国立がん研究センター理事長)、直江知樹院長、緩和ケアの先生、看護師長さんらスタッフの方々、患者会のみなさんと話し合う時間を持ちました。司会は、これまた駆けつけた日本対がん協会の後藤尚雄理事長です。
     肺がんのサバイバーの方が、医師の過重労働を心配されていました。自身が大変なのにそんな心遣いをしていただけることが印象的でした。
    腎臓がんの女性が「特に女性の腎臓がんの患者会がなくて……」と話されました。たしかに腎臓がんの患者会は少ないです。すると、別の女性が「私も腎臓がんです」とおっしゃり、大学教授の男性が「私もです。今度、外国の腎臓がんの患者会に参加します」と続きました。この男性は、2月1日に東京の対がん協会で開かれた「がんサバイバーカフェ」で私の話を聞いてくださった方でした。
    院内で開かれたキャンサーフィットネスでも、患者同士が語り合うことでカタルシスを得て、体を動かすことで気分を一新していたそうです。
    患者のつながりの力を実感した訪問となりました。


    インスタグラムでも発信中です!

  • 2018年3月2日

    3月2日 みんなで手を乗せて


     朝、左の足首が少し腫れていました。大阪市内のホテルからJR大阪駅まで約4キロを歩き、東海道本線で東へ。京都で降りる予定でしたが、大事をとって大津まで乗りました。そこから、滋賀県守山市の滋賀県立総合病院を目指します。琵琶湖を左に、比叡山を遠くに望みながら進みます。琵琶湖にかかる近江大橋も渡りました。とにかく寒い。
     ただ、ご支援していただいているテルモの末永義久・京都支店長が、大阪のホテルから同行してくださったので、心強かったです。末永さんは55歳。フルマラソンを何度も走っています。ランチは、ボリュームたっぷりのかつ丼定食を食べました。
     2016年秋に新病棟が完成した滋賀県立総合病院は、とても立派です。日本対がん協会滋賀県支部(公益財団法人「滋賀県健康づくり財団」)の方たちとも合流。病院スタッフや患者会のメンバーたちと濃密な時間を持てました。年配の女性が「がん経験者は自分の体験を公表したほうがいいと思います」と話しました。同感です。多くの人ががん体験を語れば、がんがごく普通の病気で早期発見すれば治ることが伝わります。
     琵琶湖の形を白抜きにした黄色いTシャツに、みんなで手を乗せました。サバイバー支援と医療の向上を誓って。シンボルカラーの緑のジャンパーが見えるのが、私の手です。
     足首はもう大丈夫です。

    インスタグラムでも発信中です!

  • 2018年3月1日

    3月1日 総長と患者会メンバーが貴重な試み


     関西の川べりは、松の木が並んでいるところに情趣があるなあ。兵庫県を流れる武庫川を渡りながら、そんなことを思いました。やがて神崎川を越えると、大阪府に入ります。しかし、「ああ、大阪だなあ」と実感するのは、その先の淀川を渡ってからです。摩天楼がグッと近づいてきます。国道2号の大半を歩きました。大阪まで150キロ、なんて標識を見ていたころを思い出すと、感慨が湧いてきます。
     今日は、兵庫県芦屋市役所からスタートして、大阪国際がんセンターを目指しました。日本対がん協会兵庫県支部(公益財団法人「兵庫県健康財団」)、リレー・フォー・ライフのメンバーらと一緒です。



     大阪国際がんセンターは、大阪城の隣、大阪府庁と大阪府警の間に、デンと構えています。松浦成昭総長はじめ研究所や患者会の方たちまで、病院をあげて出迎えてくださいました。ここでも治療費の悩みを聞きました。また、院内の患者会からは「もっと活発に活動したい」という声も出ていました。病院も理解していて、改善されそうです。
     松浦総長と患者会のメンバーは、国が定めたがん診療連携拠点病院を訪問して、患者目線でよりよい医療について話し合っているそうです。地域のがん医療向上を目指した貴重な試みです。



    インスタグラムでも発信中です!

  • 2018年2月28日

    2月28日 肺がんのサバイバーと歩く


     Tさんは70代の男性。若いころは、たばこを2箱吸っていたそうです。60歳でやめたそうですが、非小細胞肺がんになりました。いくつかの抗がん剤を経て、今は、話題の免疫チェックポイント阻害剤の治療を受けています。
     そんなTさんが、今日のウォークで、イオン明石ショッピングモールから合流しました。抗がん剤の後遺症で足がしびれるそうですが、朝から一緒の日本対がん協会兵庫県支部(公益財団法人「兵庫県健康財団」)のメンバーら約10人ともども、私と同じ速度で、兵庫県立がんセンターまで約5キロを歩きました。「転移はなく、(今の治療薬の)オプジーボのやめどきが難しい」などとおっしゃっていました。薬価の高さ、やめても効果が続く人もいるので医師でも判断が難しい……。期せずしてサバイバーの思いにも触れました。
     兵庫県立がんセンターでは、副院長はじめ大勢のスタッフ、患者会、リレー・フォー・ライフ兵庫などのみなさんに歓迎され、活発な意見・情報交換もできました。たまたま、医師や看護師の会議があったので、飛び入りでサバイバー支援の重要性を訴えました。帰りがけに玄関で、外出から戻られた院長とも会えました。手応え十分の訪問です。
     ちなみにお昼は、人生初の丸亀製麺です!(とろ玉うどん)




    インスタグラムでも発信中です!

  • 2018年2月27日

    優雅な姫路城、それに引き換え……


     今日は、日本対がん協会兵庫県支部(公益財団法人「兵庫県健康財団」)のみなさん6人と歩きました。兵庫県相生市から高砂市まで。30キロ近くの長丁場です。荷物を車で運んでくださるなど、とても助かりました。ありがとうございました。
     おしゃべりしながら歩くのは楽しいですね。「検診の将来はどうなるのか」などの話をしました。幹部の方が「マイナンバーで、ワクチン接種や検診も含めて、健康情報を生涯にわたって管理できるようにすればいいですね」と提案されていました。同感です。日本は実は、ワクチン接種の後進国。検診の未受診もチェックできるでしょう。
     お昼の前に、姫路市役所の方なども集まり、姫路城(白鷺城)の前で10数人で記念撮影をしました。優美な姫路城。春になると、桜に彩られるそうです。お城は戦闘のための仕掛けを備えているのに、かくも美しい。日本刀や甲冑も同様です。
     江戸時代からこうしたすばらしいものを造形できる。それに引き換え、21世紀になっても、がんへの理解が乏しく、ときにがんサバイバーを孤立させたり差別したりしてしまう……。瀬戸内しまなみ海道で抱いた感想と同じことを痛切に思いました。


    インスタグラムでも発信中です!

  •   
  • 2018年2月26日

    2月24日~26日 国道で気付く、多死社会と超高齢社会


    ●2月24日 第2回ウォーク、自然体でスタート
     リュックに中国地方の地図を入れて、午前6時に東京駅を出る新幹線で出発しました。朝の光をわずかに受けた富士山がきれいです。9時半前に福山駅に到着しました。
     さあ、第2回支援ウォークの始まりだ!! がんばるぞ!!
     と力むこともなく、自然体で歩きはじめました。
     好天のもと、国道2号を東へ。お昼を食べるところがなかなかありません……。岡山県に入り、江戸時代末期に金光教が生まれた浅口市金光町にある、やはり江戸末期に創業した老舗旅館に投宿。約30キロを歩いて、初日を終えました。



    ●2月25日 運転手さんもサバイバー
     長い旅です。ときに電車やタクシーなどのお世話にもなります。
     JR津山線で吉井川の流れと山陽の山を楽しみ、岡山の次の法界院で降りました。2つ先の玉柏(たまがし)まで列車で行く予定でしたが、歩くことに。
     喫茶店で一休みしてコーヒーを飲んでいたら、疲れているように見えたのか、お店の人がタクシーを呼んでくれました。60代後半とおぼしき運転手さんは、前立腺がんのサバイバーでした。「岡山大学病院で手術して、うまくいきました」と喜んでいます。担当されたのは、私も知っている那須保友先生です。思わず、「今度、垣添を乗せたと言っていただければ、わかりますよ」と伝えました。
     今回のウォークでは、本当によく、サバイバーの方に会います。
     この日は、岡山県和気町の和気鵜飼谷(わけうがいだに)温泉に泊まりました。和気町は、奈良末期から平安初期の貴族で、僧の道鏡が皇位に就くのを阻止した和気清麻呂(わけのきよまろ)の生誕地です。歴史も身近に感じています。

    ●2月26日 命がけと命がけの戦い。
    「test of will」という言葉があります。意志の試金石、という感じでしょうか。
    今日は、国道2号を東へ。関西方面に近づくにつれて、トラックの数が増えてきます。歩道がないところもしばしばで、怖いぐらいです。
     トラックの運転手さんたちも、生活がかかっています。荷物を早く確実に運ぶために命がけです。私も、サバイバー支援のウォークに命がけです。まなじりを決して歩きます。いわば、命がけと命がけの戦い。運転手さんが大きくよけてくれると思わず、「勝った!」という気持ちになります。まさに、意志を試されています。  ここ3日間は、すべて単独行でした。それだけに、景色がより一層目に入ります。途中、黄色の蝋梅(ろうばい)がきれいに咲いていました。
     国道を歩いていて気付くのは、セレモニーホールや老健(介護老人保健施設)、デイサービスなどの多さ。多死社会と超高齢社会を実感しています。


    インスタグラムでも発信中です!

  •  
  • 2018年2月20日

    お金の切れ目が治療の切れ目


     快晴。宿を出て、リレー・フォー・ライフ山口、日本対がん協会山口県支部(公益財団法人「山口県予防保健協会」)のみなさんと、山口県立総合医療センター(防府市)まで、約18キロを歩きました。支部の車が伴走して、写真を撮ってくれたりしました。防府天満宮では、御影石でできた「夢叶う」牛の像にも願をかけました。病院に着くと、リレーや患者会、病院スタッフの方たちの大歓迎。優に100人は超えていました。



     30代ぐらいの女性のサバイバーの方が、「治療が長くなるとお金がかかります。家族にも迷惑をかけられない。お金の切れ目が治療の切れ目になりかねません」と訴えられました。まったく同感で、対応策が求められます。
     男性サバイバーの方からは、検診や予防が大切とわかっているのに行動につながらない現実にどう対応したらよいのか、というお話がありました。私は、①人の行動変容を促す学問の現場での応用、②小学校からのがん教育、③サバイバーが体験を語ること、の3点を申し上げました。戦争でも震災でも、体験者の語りは響きます。がんにも通底するでしょう。

     今日で、ウォークの第1章は終了です。夜は飛行機で東京へ。みなさん、ご支援、ご声援を本当にありがとうございました! 引き続きよろしくお願いいたします。


    インスタグラムでも発信中です!

  •  
  • 2018年2月17日~19日

    痛切に感じた「若者の命」


    ●2月17日 渡船で尾道へ
     生口島のペンション(!)を出て、瀬戸内の光景を満喫しながら、因島を通り、向島から渡船で尾道へ。尾道は、年末に「がんサバイバー・クラブ」で対談させていただいた映画作家・大林宣彦さんの故郷で、「尾道三部作」でも知られる街です。海から入ると、感慨もひとしおです。
    渡船のりばに、「乳腺疾患患者の会 のぞみの会」のみなさんが出迎えに来てくれました。会長の浜中和子さんもサバイバーです。その後、浜中さん、地元で緩和ケアや地域医療に取り組む片山壽(ひさし)先生とお話しました。

    ●2月18日 猿も歩いています!
     今日は、主に国道2号をひたすら歩き、一部新幹線の力も借りて、広島へ。とても天気がよく、猿もウォークしていました! 広島に着くと、久しぶりの大都会。明日は、広島東洋カープの本拠地、マツダスタジアムを回ってから、15日以来の病院訪問です。

    ●2月19日 和顔愛語
     今朝は、日本対がん協会の広島県支部(公益財団法人「広島県地域保健医療推進機構」)のメンバー3人と、呉市の呉医療センター・中国がんセンターを目指しました。約26キロの道のりです。
    途中、江田島が視界に入ってきました。戦前は海軍兵学校があった島。呉市に入ると、大和ミュージアムが見えてきます。戦艦大和は、軍港や海軍工廠の街として栄えた呉で建造されました。戦前、戦争や結核で理不尽に奪われた若者の命のことを、痛切に思いました。今は、結核よりも、がんですね。


    中国がんセンターでは、院長の谷山清己先生にもお会いしました。病院の経営理念は「相手の心情に寄り添う愛のある医療を笑顔で実践します」(「和顔愛語」)。相談支援センターのスタッフがとても熱心なことなどから、それを肌で感じました。


    インスタグラムでも発信中です!

  • 2018年2月16日

    これだけの橋が造れるのだから……


     愛媛県の今治と広島県の尾道をつなぐ、瀬戸内しまなみ海道。今日は午前7時30分に大島の旅館を出発し、大小いくつもの島々を見ながら、尾道を目指して歩きました。村上海賊ゆかりの大島。伯方(はかた)の塩で知られる伯方島。日本総鎮守の号を持つ大山祇(おおやまづみ)神社があり、神の島とも呼ばれる大三島。広島県に入り、レモン、みかんなどの生産が盛んな生口(いくち)島。
     お天気も良く、来島海峡の激しい潮の流れを聞いたりしながら約30キロ歩きました。ランチは新鮮な刺身(クエっぽい)の盛り合わせです。
     感服したのは、島と島を結ぶ橋。来島海峡大橋、伯方・大島大橋、大三島橋、多々羅大橋。どの橋も、近代科学の粋を尽くしたという印象を受けました。そして、ハッとしました。「これだけの橋が造れる人間が、がんという身近な病気に対する理解が不十分で、サバイバーを孤立させたり、ときに差別したりする状況は、絶対に変えなければならない!」。このウォークの原点です。


    インスタグラムでも発信中です!

  • 2018年2月15日

    患者第一主義!


     今日は午前10時前にJR予讃線北伊予駅で、日本対がん協会愛媛県支部(公益財団法人・愛媛県総合保健協会)のお二人と合流。四国がんセンターまで約10キロを一緒に歩きました。二人は検診を訴えるオリジナルの黄色ジャンパーを着用しており、当方のシンボルカラーの緑と合わせて、大変目立ちました。
     連日の病院訪問。昨日に続き大歓迎を受けました! いつも通り、がんサバイバー支援を訴えました。
     四国がんセンターは、ボランティア活動が盛んで、カフェやサロンも新しくなっていました。本館の横に「患者・家族総合支援センター 暖だん」があります。2013年の開設で、就労や生活のことを相談できたり、サロンで語り合えたり。たくさんの本もそろえています。「だんだん」は愛媛の方言で「ありがとう」。愛称を公募したそうです。
     四国がんセンターは患者第一主義が鮮明で、とても良い雰囲気でした。
     雨が降ってきたので、松山駅から波止浜(はしはま)駅まで鉄道で移動し、そこからは、瀬戸内海にかかる来島海峡大橋の写真を撮るために歩きました。写真はインスタで。

    インスタグラムでも発信中です!

  • 2018年2月14日

    声を出さないと、世の中も政治も動かない!



     今日は、朝一番で大分県立病院へ。
     ご覧の横断幕です。病院スタッフ、患者さん、リレー・フォー・ライフ大分、日本対がん協会大分県支部(公益財団法人「大分県地域保健支援センター」)のメンバーなど、100人以上の方が大歓迎してくださいました。ありがとうございました!
     私の左隣に立つ背広姿の方は、高田三千尋さん(血液内科医で、大分記念病院名誉理事長)。対がん協会の評議員でもある坂下千瑞子・東京医科歯科大学病院助教のお父さんです。「2つの法律(がん対策基本法とがん登録推進法)はできたけれど、セカンドオピニオンなど、患者の視点からはまだ欠けていることがありますね。こういう活動を通じて訴えていくことは大切です」とおっしゃっていました。私がみなさんに、「声を出さないと、世の中も政治も動きません!」と呼びかけると、全員が賛同してくれました。
     快晴で、気分爽快です。5、6人の方たちと1時間半ぐらい歩いて大分駅へ。フェリーに乗ってのんびりと、四国は愛媛県八幡浜へ渡りました。船内で、病院でいただいたバレンタインのチョコレートをパチリ。インスタに上げました。

  • 2018年2月10日 ~ 2月13日

    大腸がんサバイバーの女性にマッサージを受けて

     三連休、みなさんはどのようにお過ごしでしたか? この間の一言をアップします。


    ●2月10日 ランチは豆大福
     一日中雨。歩くのがつらかったです。筑後川などの景色は素敵なのですが、写真も数枚しか撮れませんでした。ランチも、レストランがなく豆大福のみ。人生ままならないですなあ。午後3時半ごろ、早めに宿に到着しました。
     前日の晩に受けたマッサージで、筋肉痛は少し解消されました。担当してくれた方は、大腸がんステージ4の60代の女性。とても圧の弱い施術を受けながら、改めて就労のひとつのあり方を思いました。サバイバーの方たちが、それぞれの状況に応じた働き方ができることが大切だと痛感します。チップを差し上げてお接待です。

    ●2月11日 乳がんの店員さん
     7時30分、大分県日田市の玖珠川沿いに広がる天ケ瀬温泉のホテルを出発しました。
     雪で、しかも強風です。極寒で指がジンジンします。昨晩ドライヤーで手袋を乾かしておいてよかった! また東京医科歯科大付属病院の元院長で、現在は「医療法人秀和会 秀和総合病院」の理事長を務められている坂本徹先生に勧められた鎮痛剤で筋肉痛も和らいでいます。坂本先生、ありがとうございます。
     道に迷いルート変更になりましたが、とてもよい景色を楽しめました。玖珠川の両岸に断崖絶壁がそそり立つ紅葉の名所、九酔渓。その展望所では、乳がんに罹患した店員さんが、私のジャンパーを見て声をかけてくれました。
     展望所でトロロご飯をいただき、歩行者専用の九重夢大吊橋を渡りました。一大パノラマです。九重町の旅館に宿泊。夕食はキジ、鯉こく、馬刺し、ヤマメの塩焼きなど山里料理を堪能しました。



    ●2月12日 湯布院でほっと一息
     本日の目的地、湯布院町まで続く「やまなみハイウェイ」は凍結していて危険なため、今朝は最寄駅までタクシー、その後は久大本線に乗りました。車内は暖かく快適です。歩くと一日かかる道のりもあっという間。12時には湯布院の老舗旅館にチェックインし、部屋の準備が整うまでコーヒーを飲みながらゆっくり寛ぎました。まるで天国にいるようです。
     友人ともお話しできて、エネルギーをチャージしました!
     外は雪。旅館近くの金鱗湖の雪景色をインスタに上げました。

    ●2月13日 予行演習で歩きました
     本日も路面凍結のため、大分まで鉄道で移動しました。13時にホテルに到着。別府湾に面している大分市では、雪も溶けています。
     明日は大分県立病院へ。連日歩いていないので、予行練習として、4キロ先の病院まで片道1時間かけて歩いてきました。佐賀県医療センター好生館以来、1週間ぶりの病院訪問。がんをめぐる話はもちろんのこと、九州横断のよもやま話もできそうです。出会いが楽しみです。

    インスタグラムでも発信中です!

  • 2018年2月9日 

    ケータイをタオルでくるんで


     昨晩マッサージを受けたのに、今朝は全身筋肉痛。今がいちばんきつい時期で、体重も3キロぐらい減った感じです。少しすると体が慣れてくるでしょう。
     次なる訪問地の大分県立病院を目指して、国道210号を東へ。1日30キロほど進む九州横断です。午前中は指先がジンジンしましたが、午後は陽射しに春の力を感じました。軽装にしようと一息入れていると、一羽のタテハチョウがひらり。冬眠から目覚めたみたいです。昆虫好きの私には、うれしい一コマでした。
     今日の裏ワザは携帯電話をタオルでくるんだこと。スタッフに教えてもらったのですが、なるほど、バッテリーの持ち時間が違います。
     応援メッセージ(このサイトでご紹介しています)、インスタへのコメント、ありがとうございます。みなさんと一緒に歩いている気持ちになります!
      インスタグラムでも発信中です!

  • 2018年2月8日 16:26

    日焼け止めクリームを塗りました


    朝は寒かったですが、午後は汗ばむぐらいの暖かさでした。佐賀平野を流れるいくつものクリーク(水路)、九州一の大河の筑後川沿いなどを、ひたすら24キロも歩きました。
    片手にのぼり、片手にストック。のぼりの「がんサバイバーを支援しよう」の文字が目に留まったのでしょう、若い男性のサイクリストが「がんばってください!」と温かい声援を送ってくださいました。私もにっこり笑い返しました。
     日焼け止めクリームを2回塗りましたが、顔は赤くなっています。76歳の男だって、お肌の手入れは大切です(笑)。これからマッサージで体をほぐします!
      インスタグラムでも発信中です!

  •   
  • 2018年2月7日 15:00

    人の情けを感じています


     今日は八女茶で知られる八女市を出て、佐賀県医療センター好生館へ。朝、宿を出発したときは雪で、気温も氷点下でした。徐々に晴れてきましたが、雪がちらつき、手袋に包んだ指先が冷たかったです。
     筑後川にかかる橋で小休止して、佐賀県に入るころには晴天に。佐賀県医療センター好生館は、佐賀市の中心部、県庁や県立美術館、佐賀大学の近くにあります。到着してびっくり。職員、患者会、リレー・フォー・ライフ・ジャパン佐賀実行委員会のみなさんら総勢約80人で歓迎してくれました。白地に「がんサバイバー支援ウォーク」などと書かれた垂れ幕も見えます。意見交換会を行い、個人の方からご寄付までいただきました。ありがとうございます。
    「人の情けって健在だなあ」。ここ数日、そんなことを感じています。今日の歩行距離は約30キロ。私は元気です!
      インスタグラムでも発信中です!

  • 2018年2月6日 13:27

    うれしかったトラックの運転手さんの励まし


     鹿児島本線に乗る前のことです。国道3号の上りは雪のためか、大渋滞。ゆっくり歩いていると、「がんサバイバーを支援しよう」ののぼりを見つけたトラックの運転手さんが、わざわざ窓を開けて「がんばってください!」と声をかけてくれました。ご自身の周囲にサバイバーがいらっしゃるのでしょうか。とてもうれしかったです。励まし、ありがとうございました。
      インスタグラムでも発信中です!

    写真は支援者様よりご提供いただきました
  •   
  • 2018年2月5日

    九州がんセンターから一歩を踏み出しました


     博多のホテルから2時間歩いて、午前9時に福岡市南区の九州がんセンターに到着。藤也寸志院長、日本医師会の横倉義武会長らと懇談し、地元のサバイバーのお話も伺えた。ここから、札幌まで「がんサバイバー支援ウォーク」が始まる。内ポケットには、約10年前に肺がんで亡くなった妻の写真。
     10時半過ぎに九州がんセンターを出発。自分の体を賭して歩き、サバイバー支援を訴えたい。今日の福岡は最高気温3.1度。ときどき雪が舞う。でも、7つ道具があるから大丈夫。一緒に歩くリレー・フォー・ライフの仲間らの思いも集まって、気持ちは暖かい。
      インスタグラムでも発信中です!

  • 2018年2月2日

    がんサバイバー支援ウォーク実施のお知らせ


    日本対がん協会会長 垣添忠生は2月5日に福岡:九州がんセンターからスタートし、全国がんセンター協議会加盟の32病院、総移動距離約3,500kmの道のりを歩く「全国縦断ウォーク」を実施してがん患者支援を訴えることを決意しました。76歳にして大いなる挑戦です。日本対がん協会・がんサバイバー・クラブのサポートのもと、全国のサバイバーにエールを送りつつ、日本国民にがんサバイバーの支援を呼びかけます。

マスコミ紹介

今後の予定

※記載された訪問日時は目安になります。状況により予告なく変更される可能性がございますので、何卒ご了承ください。

がんサバイバー支援ウォークとは

 はじめまして。垣添忠生です。国立がんセンターの総長を経て、現在は公益財団法人「日本対がん協会」会長としてがんサバイバーの支援をしています。

 日本には約700万人のがんサバイバーがいるのをご存知でしょうか。日本人の2人に1人が、生涯のうちにがんと診断されるともいわれています。医学の進歩により、いまや「がん=死」ということはありません。がんは長く付き合い、向き合っていく病です。しかしながら社会のサポート体制は十分とは言えず、がんと診断された方の中には、強い孤独感や疎外感を感じ、孤立される方も多くいらっしゃいます。就労問題や心のケアなど支援の体制はまだまだ整ってはいません。がんサバイバーは自分の気持ちを安心して打ち明けられる仲間を求めますが、お住まいの場所や、がんの種類・進行状況、経済的な事情などによって、向き合う課題や悩みは様々です。

私はがんの専門医として、数多くの患者を診てきました。自分自身も大腸がんと腎臓がんを患いましたが、早期に発見できたので大事に至りませんでした。しかし私は10年前に妻をがんで亡くした経験があります。覚悟はしていたものの、精神的衝撃は想像をはるかに超えていました。40年間互いに助け合い励ましあってきた病弱な妻を喪った苦痛はすさまじいものでした。悲しみから立ち直るために新たにまったく未体験のことも始めました。居合道、本格的な登山、時には雪山までも挑戦しました。自ら「グリーフワーク」を積極的に実践し、その際はいつも仲間に助けられました。

 2017年6月、日本対がん協会では「がんサバイバー・クラブ」という事業を立ち上げました。公式サイトでは、がん患者の「治りたい」「普通の生活がしたい」に寄り添い、「支えたい」を実現する情報を提供しています。「がん関連注目ニュース」は、平日ほぼ毎朝更新し、信頼できる情報の発信を行なっています。また「必要としている方の一番近くにある患者会をご紹介したい」という気持ちで、全国の患者会情報などを提供しています。新たに、社会保険労務士による「がんと就労」電話相談を実施したり、定期的に交流イベント「がんサバイバーカフェ」を開催してきました。

 しかし残念ながら、すべてのがんサバイバーの方々を支援するまでには至っていません。そこで今回、サイト内に新たに「がんサバイバーnet(仮)」を設置します。これは、利用者がいつでも、どこでも、オンライン上でつながり、リアルタイムで交流できる「場」です。全国のサバイバーをつなぐことで、一人で悩み、苦しむ人を救いたいと私たちは考えています。会員専用のコミュニティとし、ご利用される方には、安心してご利用いただけるようにしたいと考えています。「がんサバイバーnet(仮)」の作成のための クラウドファンディングを始めました。ぜひご支援ください。


 76歳の挑戦!資金集め&全国のがんサバイバー支援呼びかけのために・・・
私は、今回「がんサバイバーnet(仮)」を構築する資金の一部を募り、また全国のサバイバー支援を呼びかけるため、総移動距離約3,500kmを延べ90日間かけて歩く、76歳の挑戦を決意しました。

 全国がんセンター協議会加盟の32病院を訪ね、できる限りサバイバーと会って、語り合います。彼らのニーズを探り、「がんサバイバーnet(仮)」に反映します。総移動距離3,500kmを歩くことは容易ではありませんが、不安より期待で胸が高まっています。昨年は、がんで亡くした妻に感謝、慰霊をする四国88ケ所のお遍路巡りを達成しました。今回は、全国のサバイバーを巡るお遍路です。がんサバイバー・クラブの活動を知ってもらい、多くのサバイバーを支えることにもつなげたいと意気込んでおります。

 最後までお読みいただきまして、どうもありがとうございました。

【垣添忠生】(かきぞえただお)プロフィール 
1941年大阪生まれ、1967年東京大学医 学部医学科卒業。泌尿器科を専攻し、1975年より国立がんセンター泌尿器科 医員。1992年中央病院長。2002年国立がんセンター総長。2007年定年退職し、現在は公益財団法人日本対がん協会会長。高松宮妃癌研究基金学術賞、日本医師会医学賞、瑞宝重光章などを受賞。著書に『妻を看取る日』(新潮社)、『悲しみの中にいるあなたへの処方箋』(新潮社)、『巡礼日記-亡き妻と歩いた600キロ』(中央公論新社)など

7つ道具

  • のぼり

    1のぼり

  • のぼり

    2ジャンパー

  • リュック

    3リュック

  • 手袋

    4手袋

  • ストック

    5ストック

  • 靴

    6

  • 帽子

    7帽子

応援メッセージ

ぜひメールマガジンにご登録ください。
ぜひメールマガジンに
ご登録ください。
治りたい
治りたい
治りたい
治りたい
治りたい