垣添忠生 サバイバーストーリー

サバイバーストーリー

【サバイバーストーリー特別編】
がんになっても大丈夫といえる共生社会に~ネクストリボン2018~

掲載日:2018年2月28日 13時27分

「ネクストリボン2018 ~がんとの共生社会を目指して~」登壇者の声 【2018年2月4日】

 2月4日は「ワールドキャンサーデー(世界対がんデー)」。日本対がん協会と朝日新聞社は、東京・丸の内の丸ビルホールで「ネクストリボン2018 ~がんとの共生社会を目指して~」を開いた。  当日、登壇されてお話しいただきました方の動画が完成し公開許可を頂きましたので、参加できなかった皆様にも見ていただきたく公開いたします。是非ともご覧ください。

西口洋平さん(一般社団法人「キャンサーペアレンツ」代表理事)

 2015年2月、35歳で胆管がんのステージ4と告知された。就学前の娘がいた。死の恐怖や孤独感にさいなまれた。周囲に同世代のサバイバーはいない。2016年4月、子どもをもつサバイバーをつなぐSNSサイト「キャンサーペアレンツ」を立ち上げた。1年9カ月で、会員が1500人を超えた。「いいね!」ではなく「ありがとう」というボタンを押せるようにしている。 「日々、沖縄から北海道まで、つながりが生まれまくっています。僕自身、仲間ができて、つながれて、社会に対して発信する。これが、生きる力につながっています」西口さんのお話しをご覧ください。

松さや香さん(フリーランス広報で文筆家)

 12年前、29歳のときに若年性乳がんのステージ2が見つかった。念願の雑誌編集者の正規採用が決まったばかりだった。  最初の編集長は「一緒にがんばろう」と言ってくれた。次の編集長は「脳腫瘍になった知人は、仕事をやめてボランティアになった。そういう道もあるわ」と言った。  「がんとの闘いに加えて、世間や自分が作り出したがんのイメージとの闘いでした。私も告知を受けたときには、もう旅行や結婚なんてできないんじゃないかと思っていました」  しかし松さんは、治療後、国際線の客室乗務員になり、38歳で結婚もした。 「(サバイバーに対しては)その人自身と向き合っていただければと思います。がん患者のみなさんの経験は、次世代の方の立派な希望になります。それはかけがえのない社会の知見になっていくと信じています」。是非ともご覧ください。

向井亜紀さん(タレント)

 向井さんは、2000年、35歳のときに妊娠中の検査で子宮頸がんであるとわかった。手術は成功したが、赤ちゃんを産めなかった。そのことで、心がこなごなになった。体にも影響が出て、敗血症や感染症などに苦しんだ。今日まで18回の手術を乗り越えた。 「もし病気が治ったら何をしよう。心のスクリーンに映しながら、ロッククライミングのような日々を過ごしてきました。心の向きを下向きに間違えないようにしましょう」

古村比呂さん(女優)

 古村さんは「あるがまま、がんと歩む」というタイトルで講演し、涙ながらに、昨年11月末に子宮頸がんが再々発したことを明かした。 「これも、私の運命です。生きていこう、と強く思っています」  2012年3月に子宮頸がんになり、二度の手術を受けた。リンパ浮腫の後遺症を抱えつつも仕事に復帰した。昨年3月に再発したが抗がん剤と放射線の治療を受けて、7月に落ち着いた。そして、今年1月から通院で抗がん剤治療を受けていて、ウイッグを付けている。 「今は、がんと闘おうとは思っていません。がんに『ともに仲良く歩み寄っていきませんか』と言ったことがあるんです。そうすると、体の力が抜けて、とても気持ちが軽くなりました。この気持ちはまた変わると思います。がんとの向き合い方に新たな気づきがあり、新たな自分に出会えると楽しみにしています」  真摯な語り口調に会場に共感の波が広がった。

小西博之さん(俳優・タレント)

 2004年に腎臓がんとわかったときには、がんが20センチもあり、医師に生きていることを不思議がられたという。その日は風呂で1時間大いに泣いて、ビールをコップ一杯飲んで眠った。「前向きじゃなくたっていいの。泣きたいときには泣こう。闘病と呼ぶのをやめて、治療と言おう」と繰り返した。  小西さんを支えてきたのは、師匠の萩本欽一さんの言葉。「すべての人は50対50だよ。幸せと不幸は同じように神様から来るんだよ」だったという。

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