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第21回 治療の“いらないオマケ”にこんにちは 〜後遺症・合併症と出会う〜
木口マリの「がんのココロ」

掲載日:2019年6月11日 11時53分

 がん治療には、いらないオマケ(=後遺症・合併症)が付いてきます。通常、オマケというと「グリコのオマケ」のようにワクワクするものだけれど、治療のオマケは全然ありがたくありません。できればもらいたくないものです。しかし、もらってみて初めて「人間の体のすごさ」を実感したり、「意外にも良いオマケだった!」と気づいたりすることもあるものです。


各種オマケ

 “オマケ”の中身は多種多様。治療法によって付いてくるものは違います。手術をすれば傷跡が付いてくるし、抗がん剤や放射線による治療で後遺症や合併症が起こることもあります。

 手術は、がんを体から取り出すもので、すべて取りきれれば完治の可能性もある治療法です。しかし、いずれの手術も「切って、貼って、終わり!」という単純なものではありません。たとえ生命の維持に直接関係するわけではない臓器だったとしても、それまで体内で活動していたものを失えば、何かしらの不具合が起こることもあります。手術が適切に行われても、予想外の部分に影響を及ぼすなんてことも。


キグチに付いてきたオマケ・第一弾

 私は子宮を取ったのですが、そのためには膀胱の神経を切る必要がありました。人体の構造として、子宮と膀胱がピッタリとくっついているためです。そんなわけで、術後はしばらく膀胱の神経がストップ。「トイレに行きたい」という感覚すら、まったくなくなってしまいました。しかも、トイレに行っても自力で出すことができません。押そうが、踏ん張ろうが出ません。感覚がないと、ずっと我慢できて便利そうですが、知らないうちに膀胱が満タンになっているのは考えるとちょっと怖い。度を越せば、パーンと破裂……なんてことになるかもしれません。
   意識的に時間を計り、そのたびに尿道から膀胱まで管を入れて排泄するという、面倒な作業が必須となりました。抗がん剤の副作用でフラフラだろうと、破裂を考えたらやらずにはおれません。同じ手術で不具合が出ない人も結構いるようですが、私の場合は神経が自然に修復されるまで、半年間はその状態が続きました。

「トイレに行きたいと感じて、行ったら出る」というのは、当たり前すぎて意識したこともなかったけれど、「なんてすごい機能だったんだ!」と感心したものです。人体って、すばらしい。

 聞くところによると、子宮を取ることで腸に不具合が出る人もいるそうです。「妊娠できなくなる」ということは想像できますが、その裏側には、このような思いもしないオマケもあるのでした。

 それはほかの手術でも同様で、「腸を多少切っても大丈夫」「この臓器はなくても生きていける」という通説があっても、それ以前とまったく変わらないかと言われれば、そうでもない。人知れず難を抱える人は多いのではと思います。


キグチに付いてきたオマケ・第二弾

 さらに私は手術の合併症で腸閉塞になりました。腸閉塞は、開腹手術に必ず付いてくる一生モノのオマケです。手術から数十年後になる人もいます。
 私の場合は滅多にないほどひどい腸閉塞だったため、緊急手術でお腹にストーマ(人工肛門)を造設することになりました。いきなりの事態に心が処理しきれず、しばらくシャットダウンのような状態。これまた想像したこともないオマケでした。

 排尿障害といい、ストーマといい、「私は病院に排泄講座に来ているのかな。ははは」と、笑うしかない。しかし医療の進歩がなければ、すでに生きてはいなかっただろうし、そう考えると「命のためのオマケ」かもしれないとも思います。


キグチに付いてきたオマケ・第三弾

 まだまだオマケは付いてくる! 私は手術で腹部のリンパ節を取ったり、足の付け根のリンパ管を切ったりした影響で、下半身に「リンパ浮腫」が発生しやすくなっています。いわゆる「むくみ」で、「リンパドレナージュ」という自分で行うマッサージや、医療用の着衣を使うなどの対処法があります。

 時折いくらかの症状が出つつも極度に悪化するようなことはないまま数年が経っていたのですが、先日突然、「リンパ菅炎」になってしまいました。リンパが流れにくいために、足に入った細菌を排除することができず、腫れ上がって高熱が出たりするものです。入院して治療にあたる場合もあります。  
 リンパなんて、排泄よりもさらに意識していなかったのに、「こんなに大事な役割があったとは!」。細部に渡ってスゴイ生物の構造を、オマケ経験から学んだのでした。  
 きっともっと、びっくり機能が体にはあるのでしょう。もしかしたら、今後起こりうる体の不具合から、それに気づくかもしれません。


オマケとプラス思考

「妊孕性(にんようせい)」は、ここ数年でようやく医療のなかで意識されてきた「子供をつくる能力」のこと。子宮や卵巣を取る、睾丸を取るといった、直接的な要因だけでなく、抗がん剤や放射線の影響で失う可能性もあります。私も抗がん剤治療中、ホルモン値が閉経後と同じくらいになってしまいました。しかし、ひとつだけ残せた卵巣ががんばってくれたのか、投薬終了の数ヶ月後には正常値まで復活しました。

 また、抗がん剤の副作用である「手足のしびれ」が、投薬が終わってもしばらく続いたり、放射線が体を透過することによって、治したい部分以外の組織にも影響を及ぼすため、数年後に合併症が出ることもあります。

 私が「これから治療を受ける」というときには、このような起こってほしくない事実を知っただけで、何とも言い難い、闇のような恐怖がモヤモヤと心を取り巻いたことを覚えています。今、まさにそこにいる人もいるでしょう。
 イヤなことに関する想像は、だいたいにしてさらにイヤなものばかりで、心をおとしめていってしまいます。恐怖や失意にあるときの自分は、信用すべきでないと思ってもいいくらいです。

 いらないオマケは、確かに欲しくありません。でも、いらないながらも、そのなかに「何か」を見つけることもあるものです。  私がそれを強く感じたのは、これまでの人生で最大の衝撃的出会いだったストーマでした。大多数の人は「絶対になりたくない」と思うでしょう。私も自分がなるまではそうでした。
 しかし、深い落胆からしばらく経ち、気持ちが落ち着いてみたら思いは一転。「ストーマは、たいそう動きが面白いうえ(勝手によく動く)、体のために一生懸命働いている」ということに気づいたのでした。まるで別の人格がそこにあるようで、ついには見ているだけで心が和む存在に。絶対に裏切らない仲間のような気すらしていました。

 ものごとには、体験しないと見えない、素敵なものが潜んでいることがあります。たとえ「絶対イヤなもの」であっても、きっとあります。それが、私がストーマから学んだことの一つでした。
 もしもオマケが必須であるのなら、その中に何かしらプラスなものを見つけられれば、少しはいいオマケになるかもしれません。


オマケと医療者

 最近のニュースで、画期的な治療法が次々と話題になっているように、医療はどんどん進歩しています。それは治療という面だけでなく、「患者が感じている困難」についても同様です。

 私はがんになって以降、取材や講演活動で様々な医療従事者と出会ってきました。そのなかで感じるのは、「患者の抱える困難に、自分も向き合いたい」と思っている医療者が、とてもたくさんいるということです。
 自分の休日を使って様々なイベントやボランティア活動に参加し、患者の生の声を聞こうとしている人も多くいます。みんな、「自分の専門性を活かして、何かできることがあるはず」と、努力しているのでした。それを、新しい学会という形にまで発展させていることもあります。

 今の医療は、10年前、5年前よりも進んだ医療。一歩一歩ではありますが、いらないオマケも、どんどん少なくなっていくに違いありません。


木口マリ

「がんフォト*がんストーリー」代表 執筆、編集、翻訳も手がけるフォトグラファー。2013年に子宮頸がんが発覚。一時は人工肛門に。現在は、医療系を中心とした取材のほか、ウェブ写真展「がんフォト*がんストーリー」を運営。ブログ「ハッピーな療養生活のススメ」を公開中。

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