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第23回 「医師に言われるがまま」なんてない
木口マリの「がんのココロ」

掲載日:2019年7月10日 14時45分

安易すぎる、他者の批判

「医師に言われるがまま」
 こんな言葉を聞くことが、ちょくちょくあります。医師から提案されたとおりの治療を行う際に、批判的な意味合いで使われることが多いようです。「もっといろいろな方法を視野に入れてみたら」というアドバイスの気持ちがあるのでしょうが、ちょっとムムっと感じたことのある人もいるのではないでしょうか。直接私に対して言われたことは、おそらく1回くらい(似たような意味のことを)しかなかった気がしますが、この言葉を耳にしたり、読んだりするとき、私は「この人は、本当に何も分かっていないんだな」と感じます。

 医師に勧められたら、ほとんどの人はそのとおりの治療を行うと思います。しかし、それは「言われてホイホイ」という安直なものではないはず。がんになった人は、告知を受けたそのときから、様々な覚悟をして治療にのぞんでいきます。

 死んでしまうのではないか、怖い治療に耐えられるのか。
 生活は、仕事は、お金は、家族は、将来は。
 家族や職場に、何て言おうか。
 この気持ちを抱えて、これからどう生きていけばいいのか。

「頭が真っ白になる」といいますが、これだけたくさんの難題がいっぺんに押し寄せて来たならば、当然の反応。心が破綻しないようにするための、人間に備わった防衛反応かもしれません。

 それでも、「じゃあ、先生の言うとおりで」で解決するようなラクな話でもない。今は、本人に直接告知する時代のため、不安にかられながらも診察室のイスに座り、医師の話を聞き、山のような書類をもらって家に帰ります。

 1枚1枚、書類を読んで、ペンを握り、同意書にサインしていく。いろんな思いが頭を巡るなかで、今できることがサインをして治療へ向かっていくこと。そんな覚悟があるわけです。

 それが、「言われるがまま」と言えるでしょうか。命の天秤を一度でも自分の目で見たことがあれば、そんな言葉は出てこないはず。勇気を持って歩いている人たちを、安易に一言で片付けてほしくないと思います。

「言われるがまま」と言いたくなる理由

 ただ、その言葉が出るのには、理由があるとも思います。それは、「医療に対する誤解」。そして、「期待」です。

 大きな病院に行くと、基本的に「標準治療」が提案されます。最近ではこの言葉もだいぶ認知度が高くなってきました。しかし、「標準」というネーミングのために、イメージまで「普通」っぽい。「それなりの治療法」という誤解を持っている人も、まだ多くいるようです。

 標準治療とは、「現時点で、最も効果が期待できる、最善の治療法」のこと。日本では多くの人が当たり前に受けられるので、感覚的には「普通」と思いたくなりますが、実は、誰もが普通に、すごく良い治療を受けているわけです。

 ところが、「もっといい治療法があるのでは」と思ってしまうときがあります。「先端医療」なんて夢の治療のような響きがあるし、「薬や手術以外の、代替医療で治せるのでは」と思いたくもなります。私もがん発覚当初は、「○○という治療って、どう思いますか」と主治医に聞いたことがあります。「それはウソです」と、スパッと一蹴されましたが(笑)。

 新しい治療法は、研究で少しでも成果があると(たとえマウスでの実験だとしても)すぐに報道され、あっという間に情報が拡散していくし、「○○でがんが治る」という話は、おかしなほどたくさん出回っています。がんが身近でない人の耳にも、自然に入っていきます。そういう聞きかじりが、いろんな期待へと転じてしまうのでしょう。「これが良いらしいよ!」と、かなり信頼のおけない情報(笑)を送ってくれる人もたまにいます。

 それは、自分自身の治療、もしくは家族や友達の病気を治したいがためのこと。良くなりたい、良くなってほしいという思いで、少しでも希望があるものに目が向いてしまいます。実際にそれで良くなっているという人が一人でもいれば、期待は大きくなります。3人いれば、「みんなそれで治っている」と思ってしまったりして。どんなウワサ話でも、身近な2〜3人から聞くと、なぜか「みんなが」という感覚になるのが人間の不思議。

 そのほか、医師や病院に対して不信感があるために、「代替医療で治したい」と思う人もいるようです。
 私の友人に、西洋医学反対派がいます。私にがんが見つかり、「それでも、とても良い医師に出会えて幸運だった」とメールしたところ、彼女から「でも、信じすぎないでね」と返ってきました。これには普段温厚な私(自称)もブチンとなって、ブワ〜〜〜! っと「ふざけんな」的なメールを送ったことがあります。

「いきなりがんと向き合っていかなければならなくなって、何とか心を無にして歩いている。そんな綱渡りのような心境のなかで、私の手を取って歩いてくれる人に出会えたのに、自分の信じるものと違うからってそんなことを言わないでくれ」

 というようなことを書いたのだけど、即座によくまあ、いろいろ言葉が出たもんだと、今になって思います。送信した直後にハッと我に返って、「ごめん、言いすぎた」と再送したのですが、彼女もびっくりしたようで、同時に「ごめん」と返ってきました。彼女は入院中にお見舞いに来てくれたし、今も友達です。結果的に、思いを伝えたのは良かったのでしょう。

 とまあ、これは余談でしたが、西洋医学の医師や製薬会社を一括して「どこか腹黒い」と思っている人は、意外といる気がします。医師や、そのほかの医療に関わる人もみんな同じ人間であって、強い思いを持ちつつ患者と向き合っている人もいるのに、その部分は見えないのかなと思うと、だいぶ残念な気分になります。

選択の勇気

 私の周囲にも代替医療を選択する人がいます。著名人の選択においては、 SNS上で様々なコメントが飛び交います。「もっと良い選択ができたのでは」「通常の治療をしていたら、治ったかもしれないのに」と。

 確かにそうかもしれないし、そうじゃないのかもしれません。おまけに、どういう気持ちでそれを選択したのかは、本人か、本当に身近な人でなければ分かるはずもない。相当、悩んだ末に選んだのかもしれません。

「医師に言われるがまま」という批判と同様に、どんな選択でも、他人が頭ごなしに批判をすべきではないと、私は思います。

 治療法であれ、病院や医師であれ、ヘンに盲信してしまうのは良くないけれど、本人が納得して行うのであれば、それは決意であって、そこにはただならぬ「人の勇気」があるのだと思います。

 言いなりでも、考えがないのでもない。みんな、勇気を持って歩いています。
 その気持ちを尊重して見守りつつ、必要なときにはそばにいて、迷いがあるのであれば助言する。考えや治療法を押し付けるのではなく、その人が自分にとって最善と思う道を見つけられるように手助けするのが、私の支え方です。支え方はそれぞれだと思いますが、みなさんはどうするのがベストだと思いますか。

 ところで私は、たびたび「普段温厚な私(自称)ですが……」と書いているようです。それだけちょくちょく書くとなると、案外、全然温厚じゃない気がしてきました(笑)。

木口マリ

「がんフォト*がんストーリー」代表
執筆、編集、翻訳も手がけるフォトグラファー。2013年に子宮頸がんが発覚。一時は人工肛門に。現在は、医療系を中心とした取材のほか、ウェブ写真展「がんフォト*がんストーリー」を運営。ブログ「ハッピーな療養生活のススメ」を公開中。

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