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第26回 写真がたり 〜その一枚に、生きている時間〜
木口マリの「がんのココロ」

掲載日:2019年8月28日 9時00分

 以前、「見た夢から、自分がギリギリの心理状態であることを知った」という話を書きました。
 赤黒い夕焼けに埋もれる、小さな踏切のお話です。カンカンと警報は鳴っているのに、降りてこない遮断機。その前に立っているけれど電車は来ず、ふと忘れた瞬間に一歩前へ踏み出してしまう。すると轟音とともに目の前を巨大な電車が走っていくーー。

 その夢を見たのは、がんが見つかって間もないころ。自分では落ち着いて受け止めていると思っていたけれど、実は表面的に鎮静させているだけで、心の奥底には鉛のような重たいものがあったのでした。

 心は、その時々で違った風景を持ちます。
 夢として具現化し、自分に何かを気付かせる、なんて場合もあります。

 それは写真も同様で、ふっと目をとらえて何気なく撮った1枚に、自覚していない自分の心が映し出されていることがあります。多くの場合、それは後々見返して気付くもの。数年後に当時の自分によって刻まれた暗号を見つけるのです。

 今回はそんな、「写真に映る想い」を、私が撮った3枚の写真から書いてみたいと思います。

その先に


その先に

 数年前に旅したキューバの旧市街。こんな風景に生きることが日常の人々もいるのだと思いました。この写真の女性が目を向けているのは、きっと、いつもの景色。でも、その姿には不思議なほどの解放感と希望があるように感じました。

 そのころは、新しい人生を歩もうと、長年勤めていた会社を辞めたばかりでした。とはいえその後の暮らしに何かしっかりした宛てがあったわけではなく、この旅にしても行き当たりばったり。結構面倒なトラブルもありました。本当に、よくまあ無事に帰ってきたものだ。それでも心に残っているのは、「全部ひっくるめて面白かった」という記憶です。

 今になって思うのは、「この女性が見ているものは、私の心の目が見ているものなのだ」ということ。この先にある希望を、その目を通して見ていたのだろう、と。だからこそ、それからの人生にも、トラブルの中にも、何かしらの楽しさを感じていたのだろうと思います。

 今、この女性も、旅で出会った人々も同じ場所にいることはなく、止まることの無い時間を生きています。もしかしたら死んでしまった人もいるかもしれないし、新しい人生の岐路に立っている人もいるかもしれません。

 あの人はまだあの家にいるのだろうか、あの海はまだ同じように見えるのだろうか。あのときの希望は、そのままにあるのだろうかと思いを馳せていると、私の心はまだ旅の中にいるのかもしれないという気がしてきます。

人の祈る心


人の祈る心

 がん発覚の半年前に旅したインドの聖地・バラナシでの風景。人々は日の出のころにガンジス川で沐浴し、祈りを捧げます。

 写真の女性は、川のほとりで一人、祈っているようでした。私は何かハッと目を奪われて、思わず写真に収めました。旅で訪れた私は祈りを捧げることはしませんでしたが、「人の祈る心」には、国や宗教の境なく、感じ入るものがあります。

 この旅の最中、ピアスを片方落としてしまいました。これまで一度も勝手に外れたことのない四つ葉のクローバーのピアス。もしもガンジス川に落ちたのだとしたら、何か意味があるのだろうと思っていました。

 もしかしたら、そのピアスが川に身を捧げてくれたおかげで、私は命を落とすことなく、今、生きていられるのかもしれません。残った片方のピアスは、今も大事に取ってあります。

今、この世界に生きていること


今、この世界に生きていること

 病気になってからというもの、小さな世界をよく撮るようになりました。単純に歩みがてんとう虫くらいに遅くなって、いろいろなものが目に入るようになったからかもしれませんが。

 抗がん剤の副作用が明けると、毎日近所の公園を散歩していました。重いカメラを持つ体力はなかったので、iPhoneカメラを片手に。この写真は、どこにでも生えているナズナ。何だか好きで、お花畑に植えられたきれいな花々はそこそこに、周辺に勝手に生えるナズナを「いいよな〜」と眺めてしまいます。

 具体的に何がいいのかよく分かっていなかったのですが、この写真からはっきり自分で感じ取ることができました。ナズナの、その立ち居振る舞いというか、生き様に大変好感を持っているようです。

 小さかろうが、雑草と言われようが関係なく生きていて、それがとても楽しそうで。「ヤッホー!」と、まるで空を我が物にしているように見えました。

 こうして見返すと、私が撮るどの写真にも、だいたい共通するものがあるように思います。それが特に映し出されているのが、この写真。

 「今、この世界に生きていること」
  必死でも何でもなく、ありのままの自分で、ありのままの時間を楽しんでいること。どの世界でも、どの生き物でも、生きる時間がある。その瞬間が、とても好きなのです。


 病院と協力して定期的におこなっている、がん患者さん・ご家族・医療者からいただいた写真と言葉の展示を見ていて確信したのは、「写真は、心で撮るもの」ということでした。ほとんどの作品はスマートフォンや携帯で撮ったもので、技術的に洗練されているとは言えないのに、伝わるものがとてつもない。何だか「あったかい」のです。

 私は、かれこれ10年くらい写真を撮る仕事をしていますが、がんになる以前と今では、まったく撮り方が変わりました。技術ではなく、写真にかける想いが変わったようです。
それは、自分自身の経験からというよりも、みなさんの作品からの影響がとても強い。そして今度は、私の撮ったものから、誰かの心に何かあたたかなものが伝わるといいなと思っています。

木口マリ

「がんフォト*がんストーリー」代表
執筆、編集、翻訳も手がけるフォトグラファー。2013年に子宮頸がんが発覚。一時は人工肛門に。現在は、医療系を中心とした取材のほか、ウェブ写真展「がんフォト*がんストーリー」を運営。ブログ「ハッピーな療養生活のススメ」を公開中。

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