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もうすぐ87歳、Fさんが孫と訪ねた「約束の地」

掲載日:2020年2月20日 13時26分

孫が大学受験に合格したら……

 私たちが緩和病棟を始めた、今から20年ほど前のことです。

 肺がんは手術で治癒し、糖尿病、高脂血症で通院しているFさん(86歳男性)は、定期の外来診察で、

「2週間前から食後に胃がもたれる気がします。晩酌を休んでみたけど良くならない。まあ、いつ死んでもいいと思っています。もうすぐ87歳です」

 と話され、翌週に胃内視鏡検査を行うことになりました。

 内視鏡検査後、診察室に入って来られたFさんに、

「がんはありませんでした。胃の出口に少し糜爛(びらん=ただれること)がありました。お薬を出しますよ」

 と私が言うと、

「がんはなかったですか? それは良かった。まだ生きられそうですか。実は、孫との約束で、大学受験に合格したらハワイに連れていくことになっていまして。大丈夫ですね?」

 と満面の笑顔です。

 もうすぐ87歳と言われても、いつ死んでもいいと話されても、生きたいのは当たり前だと思うのです。高齢の方が、遠慮して、「生きたい」と言い難い社会の雰囲気になっているのかもしれません。



小さな希望を糧に


「垣添先生のがんサバイバーストーリー」、に出演された関原さん(2017年)

『がん六回、人生全快』を書かれた関原健夫氏は、患者の立場から次のようなことを述べておられます。

「患者は最後まで生きる希望を捨てられません。それを医師は理解して欲しい」

 そして私にくれたメールにはこうありました。

「希望は生きる糧。どんなに小さな希望や光や周囲の支えであっても、それらを持つことが如何に大切かで、希望がなければ絶望しか残らず、絶望だけでは人間は生きていけないということです。特に医師の言葉と患者に向き合う姿勢は決定的です。人間はいくつになっても、死にたくない、生き続けたい。だからこそ厳しい診断や治療を受けても、小さな希望を糧に辛い闘病に立ち向かえる」

 関原さんは、日本興業銀行ニューヨーク支店に勤務されていた39歳の時に大腸がんになりました。日本対がん協会の常務理事・理事も長く務められ、2018年11月、持病の心臓病で突然、亡くなりました。亡くなる直前まで同協会にも顔を出し、患者支援などのがん対策に力を注いでいました。


 健康な人も、いずれはみんな死ぬことは誰でも知っている。しかし、人はそれがいつ来るか分からないようにして、大小、様々な希望をもって生きるのだと思うのです。




「あの世で再会」を信じられるか

 米国の精神科医、キューブラー・ロスは、有名な死の5段階モデル(受容モデル)で、

「否認→怒り→取引→抑うつ→受容」とあげました。日本では、文化の違いもあるのか、この5段階に当てはまる方は、必ずしも多いとは思えません。

 長年、日本で{死の準備教育}の必要性を説いたドイツ出身のアルフォンス・デーケン上智大学名誉教授は、さらに6番目に{希望}を加えておられます。

 しかし、神父でもあるデーケン先生のその希望は、{死後の命を信じる}{永遠の未来}{あの世で愛する人との再会}なのです。この希望は、宗教を持たない私には、なかなか素直には受け入れられないでいます。

 また、終末期になって、穏やかな死のためには、死を受け入れることが必要だと考えている医師がいます。それは違うと思います。

 私はむろん、自分自身が死んだことはありません。しかし、50年にわたりたくさんの患者さんを看取って感じるのですが、最後まで生きる希望を持っていたら、あるいは死を受け入れなければ、穏やかになれないということはないのです。



「死にたい」は「生きたい」の裏返し

「生まれてきたからには死が必ずくる。人間はみんな死ぬ、次は自分の番だと思えばいいのだ」

 それを言われても、頭では理解できても、本当に死がすぐ近づいた時は、生きたいという気持ちが強くなるのは当然のことではないかと思うのです。たった一つの命なのですから。

 寺山修司は小説『あゝ、荒野』で、「人類が最後にかかる、一番重い病気は希望という病気である」と書きました。とても気になる言葉で、そうなのかもしれません。

 しかし、人間、生きたいのが当然で、関原健夫氏が言われるように、その糧となるのが希望です。

 ときどき、体の調子が悪い時、年老いて体力が弱った時、死にたいと思うことがあるかもしれません。それでも、生きていて良かったと思う時があるのです。生きたいのは当たり前のことなのです。

 私は患者さんに「死にたい」と言われて、「生きたい」気持ちの裏返しではないかと感じたことはたくさんあります。

 胃の調子が良くなったFさんは、希望の大学に合格したお孫さんと、ハワイへ出かけて行きました。Fさんが帰ってきたら、きっと次の目標、希望を話されると思います。

シリーズ「灯をかかげながら」 ~都立駒込病院名誉院長 佐々木常雄~

がん医療に携わって50年、佐々木常雄・都立駒込病院名誉院長の長年の臨床経験をもとにしたエッセイを随時掲載していきます。なお、個人のエピソードは、プライバシーを守るため一部改変しています。

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