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【イベント報告】夫に作った料理のレシピは、彼が残してくれた財産
介護食アドバイザー・クリコさん
ネクストリボン2020 第2部「がんについて語ろう」 その2

掲載日:2020年5月26日 9時42分

 友寄さんに続いて、介護食アドバイザーのクリコ(本名・保森千枝)さんが講演した。タイトルは「食べることは生きること。夫・アキオが教えてくれたこと」。料理教室を開く腕前だったクリコさんは、がんになったアキオさんがおいしく食べられるためにさまざまな工夫をした。静かな口調に思いが込められていた。

(文・日本対がん協会 中村智志)


雨が降ったら「会社休めば」

 クリコさんは、電機メーカーの広報室に勤務していた1991年、出版社の記者だった3歳年上の夫と出会い、結婚・退職した。イタリア料理がブームになっていた時代で、翌年から約6年間勉強し、98年に自宅でイタリア料理教室を開いた。2009年には和食教室も開講している。

クリコさん。1960年生まれ。料理講習会、講演会、執筆を中心に活動している。著書に『希望のごはん』『噛む力が弱った人のおいしい長生きごはん』など。ホームページは、クリコ流ふわふわ希望ごはん。

 アキオさんは記者の仕事を天職だといい、毎晩のように取材や企画などの楽しい話を聞かせてくれた。仕事の愚痴を聞いたことはない。一方で、クリコさんが好きなことに熱中すると喜び、料理教室を開くときには、チラシを作って応援してくれたという。

 クリコさんのほうはアキオさんに“過保護”で、雨や雪の日には「会社休めば」と真剣に止めていた。
 ちなみにクリコという愛称は、玖保キリコさんの漫画「いまどきのこども」に登場するクリコちゃんから来ている。アキオさんや彼の仲間がつけたという。

 結婚から十数年たったころ、アキオさんが言った。
「僕らは依存夫婦だね。どちらかが欠けても生きていけない」
 それを聞いてクリコさんは、互いの信頼がゆるぎないとうれしくなり、平凡で穏やかな生活がずっと続くと思った。


口の中の形が毎日変わる

 ところが、結婚19年目の2010年春、アキオさんに肺がんが見つかる。53歳だった。手術の後、リハビリを乗り越えて職場に復帰した。

 2011年秋、今度は口腔底がんになり、8時間にわたる手術を受けた。舌を大きく切除した関係で抜歯も行い、下の歯は、左の奥歯が1本しか残らなかった。下あごも麻痺し、噛む力を失った。

「それなりに、食べられます」と医師は説明したが、食べる力は想像以上に損なわれていた。病院の流動食を1時間半かけても半分しか食べられない。食欲も湧かない。そして、笑顔が消えていく……。体重は7キロも落ちた。

 しかもこのころ、早期の食道がんも見つかっていて、体力の回復を待って手術を受けることになっていた。そのためには、何と言っても食べることが大切だ。
「私が作る食事に、夫の命がかかっていました」

 クリコさんは、料理教室を開いているとはいえ、介護に適した食事を作る経験はない。しかし、探してみても、介護食に関する情報はほとんどなく、相談窓口も見つからなかった。1日中キッチンにこもり、試行錯誤する日が始まった。

 退院からおよそ10日後。アキオさんがキッチンに来て、「このおかゆ、水分減らしてくれないかなあ」と茶碗を差し出した。この一言にクリコさんは火がついた。

「お水の量ぐらいで、なんでわがまま言うの? 昨日は食べられたじゃない」
「ごめんね、手術の傷の腫れが引いて、口の中の形が毎日変わるみたいなんだよ」
 アキオさんが申し訳なさそうに謝った。

 口の中の形が変わる! 想定外の言葉に、クリコさんは衝撃を受けた。そして、アキオさんが失ったもの、苦しみの大きさを想像できていなかったと反省した。

「私にとっては、おかゆ事件とも呼べるこの出来事をきっかけに、介護食への取り組みが変わりました。流動食ではなく、見た目にも食欲の湧く肉や魚の料理を食べさせてあげたいと思いました」

若き日の2人の写真も見せながら語るクリコさん。


おいしいから、食べる量が増える

 クリコさんは、肉や魚をミキサーにかけてから元の形に整えてみた。ひき肉とヤマトイモ、豆腐の量を調節して混ぜ合わせ、舌と上あごでつぶせる柔らかさのバンバンジーを作った。ミキサーにかけたエビのすり身に細かいパン粉をまぶして揚げ、エビフライにした。

 とんかつ、ホタテのソテー、鮭のクリームシチュー……。アキオさんは、毎日2時間以上の口腔リハビリを続けながら、食べる喜びを取り戻していった。笑顔も浮かんだ。

「おいしいから、自然と食べる量が増えるよ。クリコは本当に天才だね」
 体重が増えるたびに2人でハイタッチをした。アキオさんは、食道がんの手術を終えて、職場に復帰できた。

「初めての介護食づくりは、苦しい毎日でした。でもいつの間にか、『介護食づくりってなんて楽しいんだろう』と思えるようになりました。おいしくごはんを食べることが心と体を育む。生きる自信や希望につながっていく。食べることは生きることそのものなのだ、と夫に教えてもらいました」

 2人は、確かな快復を実感していたが、2012年5月、アキオさんは肺がんが再発し、余命4カ月と宣告された。
 だが、アキオさんは仕事を続けて、どんな小さな記事でも心を込めて書いた。ドクターストップがかかるまで、体を引きずるようにしてでも、出社していた。

 ある晩、クリコさんは、どうしても涙をこらえきれずに聞いた。
「アキオ、私、どうしても覚悟できない。アキオはなんで泣かないの?」
「だって、僕が泣いたら、クリコが泣けないじゃん」
 アキオさんは即答した。アキオさんも本当は泣きたかったのかもしれない。
「あのとき、私がもっと強くいられたら……と何度も悔やみました」

クリコさんが作った料理(バンバンジー、エビフライ、クリームシチュー)。小さく刻むだけではなく、とろみをつけないと誤嚥しやいという。(写真提供=クリコさん)


僕の人生は圧倒的に幸せだった

 クリコさんは、会場に映像を流した。
 アキオさんが、肩から酸素吸入器を提げながら、音楽に合わせて踊っている。おどけた感じだ。「息があがるからやめなさい。ゆっくり。ダーメ。おかしくて画面が揺れる」などと、撮影するクリコさんの声や笑い声が入っている。
 この2週間後、2012年11月にアキオさんは亡くなった。

「私は、彼の明るさと強さに支えられてきました。亡くなってすぐ、私は彼の闘病記を書きました。そして、心が和むことやクスっと笑えることがある日には、ピンク色のラインを引いた。できあがった闘病記を見ると、たくさんのピンク色が飛び込んできたのです。ささやかでも、喜びの瞬間がたくさんあったからこそ、乗り越えられたんだと改めて思いました」

 患者も家族も日々、揺れ動く。うまく寄り添うことは、言葉とは裏腹に難しいと、クリコさんは実感している。正解はないのだ。

「亡くなる少し前、彼が『僕の人生は圧倒的に幸せだった』と言ったのです。この言葉が、今も、これからも私の大きな支えです。夫のために作った料理のレシピは、彼が私に残してくれた財産だと思います」
 だからこそ、自身の経験やレシピを、悩んでいる人たちに役立てる活動を続けたいという。


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