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サッポロビール株式会社 人事部 プランニング・ディレクター 村本 高史の「がんを越え、”働く”を見つめる」第2回

掲載日:2021年6月11日 9時46分

 私の場合、前兆は秋口からの喉を押されるような違和感でした。年が明けてから内科に行き、耳鼻科にも行ったものの、異常はありません。けれども、たまたま開いた「がん情報サービス」の「食道がん」のページには、思い当たる症状が載っていました。「ここまで来たら」と思い立ち、会社の近所の病院の消化器内科で内視鏡検査をすることにしました。

 

 検査の日、内視鏡を入れられた瞬間、「食道の入口に腫瘍がある」と言われました。初めての内視鏡検査の苦しさもあって、ショックでした。1週間後、細胞検査の結果が出て正式に「食道がん」の診断が出たのは、2009年4月のことです。

 当時の私は人事総務部の人事課長。異動して半年での出来事で、診断書に書いてある病名は、リアルなものに思えませんでした。


放射線治療で生かされての気づき

 治療ができる病院に移り、改めてひと通り検査をしました。食道がんは食道がんでも、私のがんは入口付近にできる少数派の頸部食道がん。声帯の真裏に5㎝の大きさでした。「普通なら手術で声帯もろとも切除するのだけれど…」。先生はしばらく考えた後、「とりあえず放射線をかけましょう」と言いました。

 その効果は予想以上でした。併用した抗がん剤は3週目で心臓に圧迫感を感じて中止しましたが、放射線はかけられる限界まで続けました。その結果、秋にはがんが消えていました。

 生かされたのだ。ならば、目の前のことに一所懸命に取り組もう。限りがある人生なら、先送りもするまい。全国の社員と場を共にして話をし、重要課題にも全力で立ち向かいました。2011年の春、人事総務部長に昇格しました。震災の年でした。


不安の日々、そして再発

 とはいえ、再発の不安は常にありました。喉がおかしいと感じたら、先生に頼んで、度々検査をしてもらいました。その都度、特に異常はないと言われ、安心したものです。

 その年の初夏、喉にしみる感じは普段と異なるものでした。今度やったら手術するしかないなあ。手術となると声が出なくなるなあ。そう思って受けた夏の検査で、がんは再発していました。

「手術するしかないけれども、手術すれば治る可能性はあります。食道発声という方法を身につければ、小さい声だけれども、出るようになります」。先生の言葉を今も覚えています。覚悟はしていたので、ショックはあまりありませんでした。来るものが来ちゃったなあ。そんな気持ちでした。ただ、診察室に一緒に入った妻は涙ぐんでいました。

(続く) 

村本高史(むらもと・たかし)
サッポロビール株式会社
人事部 プランニング・ディレクター
1964年東京都生まれ。1987年サッポロビール入社。2009年に頸部食道がんを発症し、放射線治療で寛解。11年、人事総務部長在任時に再発し、手術で喉頭を全摘。その後、食道発声法を習得。14年秋より専門職として社内コミュニケーション強化に取組む一方、がん経験者の社内コミュニティ「Can Stars」の立上げ等、治療と仕事の両立支援策を推進。現在はNPO法人日本がんサバイバーシップネットワークの副代表理事や厚生労働省「がん診療連携拠点病院等の指定検討会」構成員も務めている。

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