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村本 高史の「がんを越え、”働く”を見つめる」第8回

掲載日:2022年4月7日 13時17分

 がんに関連してよく使われる言葉に「闘病」があります。
 知人のがんサバイバー、永江耕治さんはご自身のnoteの中で、この言葉の由来や学術的考察について非常に詳しく書いています(※)。
私自身、「闘病」は熟語としてさらりと使ってしまいます。一方で、「がんと闘う」や「がんに負けるな」という言葉に接すると、どこか心がざわつきます。
 今回は、私なりに「がんと闘う」ことについて考えてみたいと思います。


「がんと闘う」と言ってしまう心理とは

 様々な辞書によれば、「闘病」の「闘う」には、困難に立ち向かうという意味があるようです。一方、「たたかう」には「戦う」という字もありますが、こちらは勝ち負けを競うという意味のようです。意味合いは若干異なりますが、対象を乗り越えるべく自己を鼓舞する点では、いずれもほぼ同じではないでしょうか。
 同様によく使われる「がんに負けるな」や「絶対に勝てよ」という言葉。これらはがんを「たたかう」相手と位置付ける様子を感じます。

 

 なぜこのような言葉がよく使われるのでしょうか。言葉の歴史的な経緯もさることながら、私たちが日常的に働く環境にもその原因があるような気がします。
 日頃、私たちが仕事をする上では、様々な「たたかい」が極めて身近に繰り広げられています。企業や事業の存続。他社との競争。環境激変の荒波に揉まれ、生き残りを賭け、打ち勝つか敗れ去るか。経営者やリーダーの訓示でも頻繁に言及される内容は、まさに「たたかい」そのものかもしれません。
 そのイメージがあまりに身近だからこそ、働きながらがんになった場合に、あるいは職場などでがんになった人に対して、無意識の内に「闘い」や「勝ち負け」に例えて言ってしまうこともあるように思うのです。


果たして当事者にとっては

 

 それでは、当事者にとってはどうなのでしょうか。
 「闘い」や「勝ち負け」に例えた方が自分の気持ちが盛り上がるのなら、それはそれで別に構いません。こうした考え方を好む人もいたりします。あるいは、家族を抱えたり若くしてがんになったりした悲痛な思いを考えると、「絶対に負けるわけにはいかない」と誓うこともあるはずです。そうした心情は尊重すべきであり、決して否定するものではありません。
 問題は、がんになった人の中には、がんと向き合う日々を「闘い」や「勝ち負け」に例えることに違和感を持つ人も少なからずいることです。もう充分大変なのに、さらに「闘え」と言うのか。そもそも何をもって勝ちなのか、負けなのか。生涯、がんと共に生きていく人もいるでしょう。当事者に対して安直に「闘い」に例えて言うことは、価値観の押し付けにもなりかねません。
 結局は当事者の気持ちに寄り添うことが大切だと改めて思います。寄り添う側は自分の価値観だけで語らないこと。どう伝えるかに正解はないけれど、当事者にごく普通に接しながら自然に寄り添える、そんな社会にしていきたいものです

 ※永江耕治さんnote2022/2/12
https://note.com/kooozii/n/n30a254c11791


村本高史(むらもと・たかし)
サッポロビール株式会社
人事部 プランニング・ディレクター
1964年東京都生まれ。1987年サッポロビール入社。2009年に頸部食道がんを発症し、放射線治療で寛解。11年、人事総務部長在任時に再発し、手術で喉頭を全摘。その後、食道発声法を習得。14年秋より専門職として社内コミュニケーション強化に取組む一方、がん経験者の社内コミュニティ「Can Stars」の立上げ等、治療と仕事の両立支援策を推進。現在はNPO法人日本がんサバイバーシップネットワークの副代表理事や厚生労働省「がん診療連携拠点病院等の指定検討会」構成員も務めている。

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