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街に息づく「上等なおせっかい」 ~金沢・「元ちゃんハウス」を訪ねて~

掲載日:2017年11月2日 15時00分

 石川県金沢市の街中にある「元ちゃんハウス」(NPO法人「がんとむきあう会」が運営)は、がんを患った人や家族らがぶらりと訪れて、相談をしたり「自分らしさ」を取り戻せたりする場所だ。大腸がん専門の外科医で、2015年3月に胃がんと判明した西村元一さんが中心になってつくり、2016年12月にオープンした。西村さんは2017年5月に58歳で旅立ったが、暖かくホッとできる場は、今日もしっかり息づいている。
(文:中村智志)

元ちゃんハウスの1階。温かく迎えてくれる。

4つの島とバラバラなイス

 元ちゃんハウス3階のサロンルームに上がり、ふっと息をのんだ。想像以上に「くつろげて、ずっといたくなる」雰囲気に包まれていたのである。
 L字型に広がるサロンは、大まかに4つの島(エリア)に分かれている。

 入ってすぐに4人ぐらい座れそうなソファとテーブルが置いてある。
 その先にケヤキの一枚板のテーブルがあり、イスが8脚、置かれている。テーブルは金沢市内の工房が手がけた特注品だ。
 部屋はテーブルの奥の調理台でL字に曲がり、その先では、10人近く座れそうなソファとイスが、いくつかの小テーブルを囲んでいる。
 隣接して、一段上がった12畳ほどの和室がある。広い窓から外の緑が見える。

 壁は自然の珪藻土(けいそう)で、化学物質は使っていない。イスはすべて形が異なっている。イスにはこだわりがあり、ほとんどは地元で購入したが、神戸まで買いに行ったものもあるという。
「がんの患者さんと言ってもさまざまです。治療中の人、終末期の人、寛解した人、再発した人、告知されたばかりの人……。状況が違う人が同じテーブルを囲むのが難しい場合もあります。だから、4つの島に分けました。イスの形がバラバラなのも、体の状態によって座りやすさが違うからです」
 と、元ちゃんハウスを運営するNPO法人「がんとむきあう会」理事の櫻井千佳さんと毛利葉月さんが解説してくれた。
 このほか、個別相談ができる個室もある。

3階のサロンルーム。手前がケヤキの一枚テーブル。右奥のソファのあたりが、入ってすぐの島だ。

サロンルームの奥にある2つの島。和室もある。

看護師から僧侶まで……メンバーとの語らい

 サロンルームには、多いときには40人以上が集まる。
 偶数月の第1土曜日の料理教室では、噛みやすい、飲みこみやすいなど、治療に伴う諸症状に配慮したメニューを心がける。皮から作る餃子、ピザ、中華ちまき……。メンバーでもあるスーパー主婦の手作りベーコンや、患者さんが育てた野菜を素材にしたこともある。管理栄養士でもある櫻井さんは言う。
「作るのに1時間、食べるのに1時間といった感じです。お互いに顔を見て、話すことが楽しみなのです。自宅で1人だと料理をする気になれない人も、ここではできます」

4階にある西村先生の書棚。幅広い分野の本が並んでいる。

 毎月3回、「金沢マギー」を開く。患者、家族、友人、専門職などさまざまな人たちを「がんとむきあう会」のメンバーが迎えて語らう。メンバーは、医師、歯科医師、看護師、がん看護専門看護師、僧侶、建築家、管理栄養士、ピアサポーターなどと、多彩だ。
 ハンドマッサージやメイクの教室を開くこともある。

 元ちゃんハウスの1階はコミュニティルーム。大きなテーブルが一つあり、日替わりでメンバーが常駐している。がんに限らず、地域の人々にも開かれている。2階は使ってなくて、4階がセミナールーム。教室のように机とイスが並ぶ。料理教室と同じ偶数月の第1土曜日に、がんに詳しい看護師らによる「金沢マギー まなびの教室」を行っている(その後、3階で茶話会)。また随時、町内会や福祉団体、患者会などに貸し出している。

 どのフロアにも西村元一さんの写真が飾られている。西村さんも好きだったいうムーミンのぬいぐるみもいくつかある。
 元ちゃんハウスは、いつでも誰でも無料で利用できる(料理教室は予約制)。来訪者は女性が8割を占めるという。国立病院機構金沢医療センター、金沢大学付属病院に近いという立地もあって、入院中の患者が顔を出すこともある。

もやもやがすっきりする

 私が訪れた9月8日には、40代半ばの男性が姿を見せた。悪性リンパ腫で、2016年1月ごろ、床屋でひげを剃っていたときに「ほおの下に変なしこりがあるよ」と教えてもらったという。2度にわたって入院し、抗がん剤や放射線で治療して、現在は経過観察中だ。元ちゃんハウスには、月に1回ぐらい立ち寄っている。

「病気の治療中は休職中で、妻は働いているので、昼間は家に一人でいました。すると、悪いほう悪いほうに病気のことばかりを考えてしまいました。そんなとき、元ちゃんハウスのような居場所があると、落ち着けます。病気の先輩も、人生の先輩もいる。話を聞いてもらったり、逆に体験や意見を聞いたり。もやもやしていたのが、すっきりした気分になれます。雑談だけでもリフレッシュできる」

 男性は、元ちゃんハウスの良さは、病院の外にあることだという。
「病院内のサロンと比べると、自由度が高いんです。あと、スタッフの情熱や意気込みが、目に見えるように伝わってきます」

イギリスのマギーズセンターを目指して

 元ちゃんハウスの名前の由来となった西村さんは、1958年(昭和33年)に金沢市で生まれた。金沢大学医学部を卒業し、金沢市内の病院に勤務してきて、「石川県・金沢市が大好き」という人だ。2008年、金沢大学付属病院から金沢赤十字病院へ移る。中規模病院である新天地で、地域連携、在宅医療推進にも力を入れた。

 その過程で、多くのがん患者が「退院すると医療スタッフとの関係も希薄になり、さまざまな不自由や不安に襲われる。小さな不調や生活の悩みを相談・解決できないままでいる」という現実に気づく。
 病院の外に患者を支援する場が必要ではないか。そう考えていた2010年2月、西村さんも運営に携わり金沢市で開いた市民公開講座「がん患者さんの声からつくる支援のかたち」で、イギリスの「マギーズキャンサーケアリングセンター(マギーズセンター)」のCEOらを招いた。

 マギーズセンターは、1996年、イギリスのエジンバラでオープンした。95年に乳がんで亡くなった造園家のマギー・K・ジェンクスさんの「がん患者が自分を取り戻せる、もう1軒の我が家を」という願いを受け継ぎ、建築評論家の夫が完成させた施設である。
 予約なしで利用できて、専門的な支援も無料で受けられる。お茶を飲んだり読書をしたり、好きなように過ごしていい。

「金沢にマギーを」

 西村さんは仲間とともに2011年9月、「金沢一日マギーの日」を石川国際交流サロンで開いた。大正末期に建てられた民家を利用した施設に、患者、家族、医療者ら60~70人が集まり、語り合った。いきなり常設は無理でも、年に1回マギーズを開き、理解を広めていこうという狙いだ。1回目を終えて、「重要なのは人と空間」と認識したという。

 2012年1月、イギリスの「マギーズセンター」を視察する。2013年3月には仲間と「がんとむきあう会」を立ち上げて活動を開始した。
 副理事長で歯科医の綿谷修一さんによると、金沢マギーのコンセプトは3つある。

「①がんを患ってもその人らしく生きられる場所、②がんに関わるすべての人にとって出会いの場所になること、③病院の外につくること、です。病院と家庭の隙間を埋める場所なのです。『金沢らしいマギーとは何か』を議論して、『町家を改装し、地域の人たちが通いやすい場所につくる。地域地域にできることが大切』という結論が出ました」

がん患者になったがん治療医だからこそ

西村先生の58回目の誕生日。妻の詠子さんとケーキにナイフを入れる。(西村詠子さん提供)

 構想は固まってきた。そんなとき、西村さんの胃がんが発覚した。
 2015年3月26日、金沢赤十字病院で外来の診察中のことであった。体調を崩してトイレに行ったところタールのような便が出た。フラフラになってベッドに横たわった。検査の結果は、胃がんのステージ4。治療をしなければ余命半年という診断だった。多忙や根拠のない自信から、検診は長年、受けていなかった。

 後輩が主治医となり、手術や抗がん剤治療を受ける。西村さんは数年前にある患者から、「がんになったことがないあんたらに、俺の気持ち、わからんやろ」と言われたことがある。今回初めて、「体験しないとわからないことがたくさんある」と知ったという。

「抗がん剤の副作用で起こる味覚障害では、最初に甘みの閾値(いきち)が低下して、口の中が絶えず甘く苦くなり、次に味覚全体が下がる」
「水なしでも飲める抗がん剤『口腔内崩壊錠(OD錠)』は実は飲みづらい」
 といった体調面。

「患者の気持ちは日々、1日の中でも変化する。だから週に1回の緩和チームが来てもわかるわけがない」
「『ゆっくり休んでね』などと言われると自分の役割はないのか、と疎外感を覚える」
「ちょっとしたことでもバッドニュースになる」
「人はひとりでは生きていけない。誰かがそばにいてくれるからこそ生きていける」
「わかったふりはやめてほしい。安直な同意や同情は、患者を傷つける場合がある」
「医療者と患者は体感している時間の経過が異なる」
「神頼みでも何でもあり(地元の白山比咩<しらやまひめ>神社に朔日参りをしていた)」
 といった精神面。

 西村さんは、手術を受けた2015年6月以降、全国で講演を行った。約200カ所に及んだ。講演では、金沢マギーをつくるための寄付も募った。

「本当に大事なことは、人とのつながり。がん患者となった、がん治療医という希少種の僕だからこそ、伝えられることがある。この境遇を利用して、同じような境遇にある患者の皆さんに役立ち、できれば勇気づけたい」

 という思いがあったのだ。

やりたいことを支えたい

元ちゃんハウスの外観。「越屋メディカルケア」の名前が残っている。

 西村さんの発症で、マギーズづくりに拍車がかかった。2015年11月には「金沢ときどきマギーの日」を始めた。各地に出向く出張マギーで、お寺やカフェなどでも実施し、書き初め、落語会、お焼き作りなども試みている。12月からは、理事の櫻井さんが暮らす町家で、月に2回、「金沢マギー」を始めた。現在も続く「金沢マギー」の源流である。

 2016年2月に「元ちゃん基金」を創設し、6月には「がんとむきあう会」をNPO法人にした。理事長には西村さんが就いた。
 そのころ、地元の医療機器メーカー「越屋メディカルケア」から、本社移転に伴い空くビルを無償で提供してもらえた。町家を提供してくれるという話も3件ほどあったが、広さや、ワークショップで検討した建物の立地場所などの条件をクリアできなかった。

 西村さんは、城山三郎の小説『男たちの好日』に出てくる「あれこれ考えるより、つくるのが先決だ。まずいところがあれば、動かしながら直して行けばいい」という言葉が好きだった。現理事長で、西村さんの妻の詠子さんによると、「人生限りあるとわかったら、人は何かを残したくなるもの」と話していたという。詠子さんが振り返る。

「主人には、『こういう場所が、医療者でもある自分にとっても必要なら、一般の患者や家族にはもっと必要に違いない』という確信がありました。また『患者さんのやりたいことは支えたい』とも言っていましたが、まさにみんなが主人を支えてくれました」

 こうして2016年12月1日、「元ちゃんハウス」がオープンした。病気は進んでいたが、西村さんも、テープカットに臨んだ。
 その後も、西村さんは、何もなければ元ちゃんハウスに来た。体調が悪そうに見えて、詠子さんが「本当に行くの?」と聞いたときにも、うなずいた。詠子さんの目には「自分のためにつくったんじゃないかな、と思えるほど患者の立場で利用していた」と映った。「先輩患者から学べることがある」と話していたという。

「あ、この日だったんだな」

元ちゃんハウスのあちこちにある西村先生の写真。

 詠子さん自身、2013年に早期の膀胱がんが見つかっている。その経験もふまえて、西村さんと「家族であっても患者本人の気持ちはわからないように、家族の気持ちも本人にはわからない」と笑いながら話していたという。何か話をしようとする場合、体調がよくても悪くても、「いま言わないほうがいいかなあ」と逡巡してしまうこともあった。

 西村さんは2017年5月31日に亡くなった。直前の27日には、2016年10月にオープンしたマギーズ東京の共同代表を務める秋山正子さん、鈴木美穂さんが「元ちゃんハウス」を訪れた。そして、日本テレビの記者・キャスターでもある鈴木さんとの対談形式で、金沢市のがん検診の啓発ビデオを撮影した。その中で西村さんはこう語っている。

「チャリティー文化の根付いていない日本で、こうした施設を継続していけるような社会にしたい。後に続く人がいないと意味がない。そのためには自分たちのところを成功させ、情報発信をしていくことが重要です」

 29日は詠子さんの誕生日。がんとむきあう会のメンバーが、病室に花とケーキを持って来て、「今日、誰の誕生日かわかる?」と聞くと、詠子さんのほうを指さして笑った。
 そして31日。主治医、看護師長、受け持ちの看護師が当直で、子どもたちやがんとむきあう会のメンバーたちも病室にいた。「消灯だから帰るね」とメンバーたちが廊下に出たころ、西村さんは他界した。詠子さんはこう回想する。

「ストストストっと亡くなったんです。『あ、この日だったんだな』と思いました」

「おもてなし、です」

「がんとむきあう会」は、金沢市、金沢医療センターと「がん患者への支援に関する協定」を結んでいる。
 西村さんと金沢大学時代の同級生で、金沢市保健局長の越田理恵さんはこう語る。
「学生時代から、体も大きくて、温かい人でした。みんなとワーワーやるのが好きなタイプで、いろんな人をつなぐ天才です。西村さんのところへ行くと、病室でも必ず新たな出会いがありました。私も、保健医療や介護の仕事をしていくうえで、福祉、在宅医療など彼からいただいた人脈のプレゼントがどれほど役立っているか」

 越田さんは、本人や家族ががんになった知人に、元ちゃんハウス訪問を勧めている。ある人は、心ゆくまで話を聞いてもらい、利用できそうな介護保険の制度も教えられた。
 また別の人は、西村さん本人から、足がしびれて普通の靴を履けないときには高齢者のリハビリの靴がよいと助言され、実際に楽になったという。

「癒やしだけでなく、日常生活の中で困っていることへのアドバイス。人間くさいというか、相手の気持ちを読んで、心の会話をして、上等なおせっかいをしてくれる。そんな場だと思います」

 詠子さんによると、西村さんは気弱になったときに「メンバーに、(元ちゃんハウス運営という)荷物を背負わせてしまっていいのだろうか」と口にしたこともあった。亡くなる1週間ぐらい前にも、「がんばっても難しければ、閉じてもいい」という趣旨のことを周囲に伝えたという。
 しかし、西村さんとともに歩み、思いを共有してきたメンバーにやめる気持ちはない。副理事長の綿谷さんが決意を示す。

「元ちゃんハウスを着実に続けることが目標です。また、来年はNPO法人『がんとむきあう会』の設立2年なので、認定NPO法人になることを目指しています。第2、第3の元ちゃんハウスをすぐにつくるのは、これだけの人材を集めなければいけないので難しいけれど、つくりたいという人がいれば、ノウハウを伝えて応援していきたい」

 10月21日、横浜市で開かれた「日本癌治療学会学術集会」。特別展示企画会場で一般向けに講演した詠子さんはこう語った。

「同じベクトルを持っているメンバーが集まり、阿吽の呼吸で進めています。いい雰囲気で、お互いちょっとだけ無理をしつつ楽しくやっています。主人がつないでくれたメンバーたちが、さらに新たなメンバーをつないでくれています」

 西村さんは旅立っても、スピリットは息づいている。やがて、「元ちゃんハウス」が各地に広がるときが来るかもしれない。「がんとむきあう会」の建築家、吉村寿博さんに設計のコンセプトを聞くと、短い答えが返ってきた。

「おもてなし、です」

 東京五輪招致で盛んに使われたときには、どこか白々しかったこの言葉が、ここではストンと腑に落ちた。


西村さんと仲間たち。西村さんの左は詠子さん。(「がんとむきあう会」提供)

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