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サバイバー支援は終わらない

掲載日:2018年7月31日 12時22分

 日本対がん協会会長の垣添忠生の「全国縦断 がんサバイバー支援ウォーク」は、7月23日に札幌市の北海道がんセンターを訪問して、ついにゴールしました。2月5日に福岡市を出発してから、総移動距離およそ3500キロに上ります。第9回は、7月16日に北海道函館市に上陸し、内浦湾(噴火湾)沿いの国道5号を北上。途中から内陸に入り、ニセコやルスツなどのリゾート地を通って定山渓温泉から札幌中心部へ向かいました。

 北海道がんセンターでは、「涙のフィナーレ‼」、になるかと思いきや、垣添はいつも通り気負いなく、集まったみなさんと交流し、思いに耳を傾けました。
 日々の様子は、特設サイトの一言ブログとインスタグラムにアップしています。今回のまとめレポートでは、ウォークを通じて印象に残ったことをお伝えします。

月桂樹の冠をかぶせられて


北海道がんセンターで、高橋はるみ道知事
から花束贈呈!

 みなさんは、私がいつウォークを成し遂げられると確信したと思われますか?
 九州で歩きはじめたときから? とんでもない。最初の訪問先である福岡市の九州がんセンターに着いた頃は、かなり緊張していました。その後、佐賀県から大分県へ向けて、雪が激しく舞う国道をトボトボと歩いていたときは、どうなることかと不安にかられました。平家物語で薩摩守忠度(ただのり)が都落ちするときに吐くセリフ「前途程遠し、思ひを雁山(がんさん)の夕べの雲に馳(は)す」の心境でした。

 近畿? 気候は暖かくなってきましたが、まだまだ「前途程遠し」です。
 関東? このころは、私は泌尿器科医なのに、尿閉になりました。前立腺肥大などにより尿道からの排尿がうまくできなくなる状態です。導尿用のカテーテルを膀胱に挿入したまま歩くのはとてもつらく、「前途多難」な心境でした。
 東北? はい、そうです。それも、青森県です。正確には、盛岡市の岩手県立中央病院を訪問して、「これはやれそうだな」と手ごたえをつかみ、青森市の青森県立中央病院で初めて、「確実にやれる!」と自信が芽生えました。

 無事にゴールをしたときには、公益財団法人「北海道対がん協会」の方々に、マラソンの優勝者がかぶる月桂樹の冠をプレゼントされ、かぶせていただきました。マラソンは42.195キロ。ウォークは3500キロ。交通機関の力を借りた部分を除いても、歩行距離は、約2500キロに上ります。「走る」と「歩く」の違いはありますが、距離だけで言えば、50回以上マラソンをしたことになりますね。月桂樹は面映ゆいけれど、我ながらよく歩いたなあ、と実感できました。

訴えてきたのは主に4点

 96日に及ぶウォークを通じて訴えてきたことは、4点です。
 まずはそのうち3つを振り返りましょう。
①がんと告知されると、サバイバーは苦しみ、孤独になる。彼らや家族らを支えるため、2017年6月にがんサバイバー・クラブを立ち上げた。寄付で成り立つこの活動を国民運動に育てていくためにウォークを通じて認知度を高めたい。
②「がんだって普通の病気だ」と多くの人に知っていただきたい。「がん=死」ではなく、社会復帰している人はたくさんいる。国民の意識が変われば、就労や差別などの問題も改善するはずだ。
③がんは、予防と早期発見が大切。最大の予防はたばこ対策(禁煙、受動喫煙の防止)だ。早期発見には検診が欠かせない。

 そして、サバイバーや医療者の方たちの声に耳を傾けてきました。
「金の切れ目が治療の切れ目になってしまう」
「仕事と治療をどうやって両立させるか」
「希少がんで同じ境遇の人に会えない」
「田舎は医師不足でセカンドオピニオンを受けることもままならない」
「たばこがよくないことはわかるが、お酒はどうなのか」
「嫌がる夫に手術を受けさせたことの罪悪感がぬぐえない」
 などなど、テーマは多岐にわたりました。

 みなさんの話を聞くことで、私自身、ハッとさせられたり気づかされたりすることがしばしばありました。ご質問に即答できないこともありました。
 がん=死ではない時代を迎えたことで、がんは医療だけにとどまらない問題になりました。社会問題であり、経済問題でもあります。がんと社会がどう向き合うかは、今がターニングポイントにさしかかっていると言えるでしょう。

 そんな中で、訴えてきたことの最後のひとつは、これです。
 ④声を上げ続けること、1人から始めること。ずっと声を上げ続けることで、社会や政治は変えられる。誰かが1人で始めることで、やがて周囲に人が集まり、物事を達成できる。私のウォークも、まさに1人から始めました。

 北海道がんセンターでは、加藤秀則院長が、約120人の聴衆に向かって、
「垣添先生のウォークは終わっても、がんサバイバー支援は終わりません」
 とおっしゃっていました。
 まるで私の気持ちを代弁してくださったかのようです。
 その通り。サバイバー支援に終わりはないのです。



北海道がんセンターでの交流風景。

人が歩くことを考えていない道、人が歩ける道

 サバイバー支援とは別に、印象に残ったのは、「道」のことです。
 国道といえども、歩道が整備されているわけではありません。歩道がなく白線だけが引いてある場合は、必ず道の右側を行きます。後ろから車に追い越されるのは怖いからです。特に、前から対向車が来ると、追い越そうとする車も歩行者(私)との間の距離を十分に取れません。

 それでも、白線の外側にたっぷりスペースがあれば、まだゆとりを持って歩けます。しかし、極端な場合は、白線の外が10センチか20センチぐらいしかない場所がありました。アリバイ的に白線を引いているだけじゃないか。そんな憤りも感じました。
 スペースそのものはあっても、沿道の草が繁茂していて歩道を覆っている場所もあります。人間の高さぐらいの植物が歩道の上にのしかかってしまえば、対向車が見えません。対向車のほうも歩行者が見えません。出会いがしらの怖さがあります。

 もっと恐怖を覚えるのは、トンネルの中です。暗いうえに、ほとんど歩行スペースがなく、カニ歩きでもするしかないようなところさえありました。
 こうしたことから浮かんでくるのは、「日本の幹線道路は、都市部を除いて、人が歩くことを想定していない」ということです。

 それはドライバーも同じ。まさか人が歩いているなんて思ってもいないから、私に気づいてびっくりしていることもありました。だからこそ、北海道のカルデラ濁川温泉へ向かう交通量の少ない道で、40代ぐらいの女性が私を追い越してから止まって、「乗っていきませんか」と誘ってくれたことは、とてもうれしく、ドライバーと歩行者の心の交流が初めてできた気がしました。

 しっかりした歩道があれば、どこを歩いても安心で、周囲の風景を眺める余裕も生まれて、楽しくなります。これもまた、社会の成熟度を測る1つの指標ではないでしょうか。
 もうひとつ、都市の成熟度を見る指標は、喫茶店(カフェ)やお菓子屋さんがどのくらい充実しているか、だと思います。カフェ文化で名高いオーストリアのウィーンが象徴的ですが、今回のウォークでもそれを感じました。



北海道の道を行く。



名前から始まる


いかにも北海道らしい風景は眼福だった。

 青森県で自信を持った私は、北海道では、リラックスして歩けました。北の大地らしい植生と広がる農耕地、駒ケ岳や羊蹄山などの名山、清流などを眺めながらのウォークは、贅沢なひとときでした。
 オオイタドリ、葉っぱが大きく成長したフキ、カラマツソウ、ナナカマドなど植物の名前がわかると、旅情も深まります。名前を知ることは、ものごとを理解する出発点。かつて「名も知らぬ雑草」という表現に「必ず名前があるんだ!」と怒っていた人がいましたが、その通りです。

 私は、名前がわからない植物を見たときには写真に収め、東京に戻ってから、日本対がん協会の会長室(ガラス張りで扉はいつもオープン)に置いてある『山渓カラー名鑑 日本の樹木』(山と渓谷社)で調べます。パラパラとページをめくりながら写真を眺めるのは、最高の気分転換です。

 一方で、否応なく目についたのは、無人駅です。
 列車の力を借りたとき、乗車駅も降車駅も無人駅だったこともあります。無人駅は、やがて廃止になることも珍しくありません。今年3月にも、JR北海道で8駅が廃止されました。路線そのものも、国鉄時代と比べると、廃線が相次ぎ大幅に減っています。

 時代の流れなのかもしれませんが、駅や鉄道がなくなれば、過疎化に拍車がかかるでしょう。東京と変わらない札幌のにぎわいと、ほとんど人に会わない道内の小さな町村との落差は、とてつもなく大きい。そんな現実も突き付けられました。

妻への感謝

 最終日、日本対がん協会のスタッフも4人、来ていました。しかし私は、1人で回想に耽りたいと思い、アシスタントの森田幸子が予約してくれた羊肉のフランス料理店「ラ・サンテ」に入りました。

 料理に合わせて、5種類のワインをグラスで楽しめます。
「平目とツブ貝のマリネ」「完熟トマトとウニと北海シマ海老とオマール海老のコンソメジュレ」「エゾアワビとキンキのスープ仕立て」といった魚介料理では、国産の白ワイン2杯とフランスの白ワイン1杯。メインのラム料理(2種類ありました)では、フランスの赤ワイン2杯。

 こまやかな気遣いです。私はお皿のソースもパンできれいに拭って食べました。おいしかったからですが、同時に、料理に満足していることを調理場に無言で伝えたかったためでもあります。
 ナイフはライヨール。蜂のマークが彫ってあるフランスの逸品です。器もまた、凝っています。そんなところにも、店主の哲学がにじみ出ていました。

 最終日、1人の晩餐で、道中のあれこれ以上に脳裏をよぎったのは、妻のことでした。
私はウォークの間も、妻の写真をウエストポーチの中の手帳に入れて持ち歩き、日々、「今日も無事に終わったよ」などと話しかけていました(日常生活でも同じですが)。
 妻が旅立ってから10年半。ずっと見守ってもらえている気がします。今回も、大雪、筋肉痛、スマートフォンの故障、尿閉、体重減、猛暑などさまざまなピンチを乗り越えられたのは、妻が守ってくれたからだと信じています。
 白いクロスがかかり、白いお皿が並んだテーブルの対面には、誰もすわっていません。しかし、グラスの向こうに、妻の微笑んだ表情が、たしかに立ち上がってきました。

 日頃も多大なご寄付を賜っているテルモ株式会社のみなさまには、随所に同行していただきました。私が持っているサバイバー支援の幟と同じ幟や緑色のTシャツ(どちらも特注)で迎えてくださいました。これらはウォークの訪問地のオフィスへ順送りされていたそうですが、とても心強かったです。
 各地のリレー・フォー・ライフ・ジャパンの実行委員のみなさんとも、一緒に歩くことができました。訪問先の病院では、サバイバーの方たちにお集まりいただき、医療者や職員の方々に交流会を仕切るなどの労を取っていただきました。
 また日本対がん協会の各支部には、陰に陽に助けられました。
 さらに、米国在住の三輪啓子さんが設立したDr. Keiko Miwa Fund から、がんサバイバー・クラブの活動支援を目的に9000万円のご寄付をいただきました。
 こうした多くの方々の善意、ご厚意、お力添えに厚く御礼申し上げます。

 みなさま、長い間のご支援ご声援、誠にありがとうございました。道中、礼を欠いた場面があったかもしれません。深い感謝を申し上げると同時に、失礼をお詫びいたします。
 がんサバイバー支援は終わらない。
 今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます。
 
 このページでは、同行していた方々にご提供いただいたお写真も掲載させていただきました。個々のお名前は省略させていただきます。ご協力どうもありがとうございました。

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