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第28回 言葉のチカラ ~何でもない一言が支えとなる〜
木口マリの「がんのココロ」

掲載日:2019年9月26日 9時30分

 私たちは日々、いたるところで「言葉」に接しています。その多くは耳から耳へ、目から目へ通り過ぎるもの。しかし不意に、何でもない一言に心をガッとわしづかみにされるときがあります。
 そのときの自分がどんな状況か、心がどんな状態か。言葉は、それらに応じていろいろな形となって心に届きます。同じ言葉によって悲しい気持ちになることもあれば、逆に生きる支えとなることもあるでしょう。
 意思を伝達するために作られた言語が、それほどまで心に多彩な影響を及ぼすとは、何とも面白い。

 言葉のなかでも特に、「温かく強く、心に響いたもの」は、後々の人生の力となります。突然、がんと向き合わなければならなくなるなど、辛い状況のときは、心が非常に繊細になっているもの。だからこそ、そのときに響いた言葉はより深く、より力を持った存在であり続けます。

だれかがいつも、そこにいる

「そりゃ、そうだよ」の日。何も言わず、ただ、そばにいてくれただけ。それだけで、心のうちを話せそうな気がしました。

 がんが見つかって間もないころ、姉が言いました。
「そりゃ、そうだよ」

 何の変哲もない言葉です。
しかしそのときの私にとっては、この上なく救いとなった一言でした。

 そのころは、医師からの「子宮だけでなく、卵巣や卵管、リンパ節などもすべて取りましょう」という話を受けて、ひどく心が不安定になっていました。開腹手術への恐怖やら、「女性ですらなくなってしまうのではないだろうか」という思いやら。
 自分でも気持ちの置きどころがよくわからず、食事はどんどんのどを通らなくなっていくし、疲労はたまって心身ともにフラフラになるばかり。

 そのときの私は、「怖い」「不安」といった言葉を口に出すこともできませんでした。言葉にしたが最後、それらと真正面に向き合わなければならないような感覚にとらわれていたからです。

 それに、「不安だ」と伝えたときの、相手からの反応が恐ろしかったのも一つ。不安定な心には、ちょっとした言葉が大打撃となってしまいます。

 もしも、「でも、やるしかないでしょ」とか「がんばって」などと言われたとしたら、それこそ一人で立ち向かわざるを得なくなってしまって、私には耐えられる気がせず。気持ちを誰かにわかってもらいたいと思いつつも、心のなかに抱えておくしかありませんでした。

 ある日、今なら話せそうだという瞬間が訪れました。姉が私をお出かけに連れ出したものの、病気のことには何も触れず、ただ一緒に時間を過ごしてくれたときです。だんだんと穏やかな気持ちになってきて、「実は、手術がすごく怖い」と打ち明けました。

姉が旅先から送ってくれた「元気づけパック」。旅行中もずっと私のことを考えていてくれたそうです。

 そのときに返ってきたのが、静かな声での「そりゃ、そうだよ」。深い安心を与えてくれる言葉でした。

 「気持ちを受け止めてくれた」という思いと、「怖いと思ってもいい」という肯定があると同時に、「この人はきっと、これからも必要なときにそばにいてくれる」と信じられたのです。

 今も、このときのことを思い出しては、だれかがそこにいてくれることの心強さを感じます。

主治医の言葉「安心しました」

 続いて、主治医からの言葉。
 私は、主治医のことが大好きです。初めての診察で会ったときの受け答えや雰囲気から「この医師は信頼できる」と確信し、以降、事あるごとに株が上がっていきました。
 これはぜひお仕事でもご一緒したいと思い立ち、「いい医師がいます」と編集者に持ちかけて取材を取り付けるに至るという。

 無事に取材を終えたあとに主治医からもらった言葉が、私にとっての心わしづかみワード。

 それは、「仕事をしている姿を見て、安心しました」。
「よかったです」とか「がんばってますね」ではなく、「安心しました」だったのです。

 「安心したということは、これまで心配してくれていたんだ!」と思いました。
毎日大勢の患者を診ているのに、その一人ひとりに心を配っているなんて。そのことに、とてつもなく感動。そんな温かい想いを持った人に支えられてきたのだなあと、思い出すたびに涙が出ます。

だれの力も大きい

小さなタンポポの力も大きい

 上記の二つは、身近な人から私に対しての言葉ですが、不意に見聞きする一言に心を動かされることも多々あります。特に、病気を経験したり、そばで支えたりしている人たちの心からの想いは、スッと奥へと入っていきます。
 多くは何かを訴えかけるためのものではなく、日常的であったり、ちょっとした気づきであったり。辛さを語るだけではなく、そこから歩もうとしている姿が、私はとても好きです。

 人間にとって、命は究極のテーマです。がんは、それに直面させてくれる、数少ない機会。生きる瞬間、生きていた時間のすべてが貴重だと知った人だからこその言葉は、自然と深みを増すように思います。


 私の好きなアニメに「夏目友人帳」(@緑川ゆき・白泉社)というものがあります。抗がん剤治療中から見ていたもののひとつで、日本の美しさあり、哀愁あり、人間ありで、なかなかに深い物語です。

 そのなかで、自分に自信を持てずに「俺なんて……」と言う主人公に対して仲間がかけた言葉が、そのときの私の心に強く残りました。

 「卑屈なことを言うな。君の力は大きい」

 だれしも、自分の存在を薄く感じるときがあるものです。特に体が弱っていると、心もトーンダウンしてしまいます。そのころの私も、きっと自信が弱まっていたから、この言葉にハッとさせられたのだと思います。そして喝を入れられたような気がしました。

 力というのは、特別に秀でたものではなく、だれの内にもあるものです。飾るのでもなく、語るのでもなく、自分自身でいることで、ふとそれは外に出てくるものなのではないかと思います。

 人に込められた力は偉大です。

 「君の力は大きい」

 だれの力も大きいのです。

木口マリ

「がんフォト*がんストーリー」代表
執筆、編集、翻訳も手がけるフォトグラファー。2013年に子宮頸がんが発覚。一時は人工肛門に。現在は、医療系を中心とした取材のほか、ウェブ写真展「がんフォト*がんストーリー」を運営。ブログ「ハッピーな療養生活のススメ」を公開中。

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