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「がん体験は命の勲章」 ~ネクストリボン2020 宮本亞門さんの講演から~

掲載日:2020年3月13日 12時08分

 2019年2月、テレビ番組の企画で気軽に受けた人間ドックが、演出家の宮本亞門さん(62)の人生を変えた。まさかの前立腺がん。全摘手術を受け、気持ちが上下しながらも、ノンストップでここまで来た。そして、これまで以上に「生きる」ことを掘り下げるようになった。2月4日に東京・品川で開かれたネクストリボン2020(朝日新聞社、日本対がん協会主催)では、体験や思考の軌跡を、舞台演出のように動き回りながら、たっぷりの笑いをとって講演した。
(構成=日本対がん協会・中村智志)

※宮本さんは2019年9月に、亜門から亞門に改名しました。講演の採録では、「亞門」に統一しています。

 


宮本亞門さん。1958年、東京・銀座生まれ。ミュージカルや歌舞伎などまでジャンルを越える演出家として活躍している。

その瞬間、がんになった人の気持ちがわかった。

 がんのことだけを話すのは初めてなので、少し緊張しています。でも、気楽にオープンに、なるべく今まで話していないことをしゃべります。

 2019年2月27日、「名医のTHE太鼓判!」というテレビ番組の企画で、軽い気持ちで、人間ドックを受けました。僕は、カップラーメンをたくさん食べたり、甘いものが大好きだったりするので、「コレステロール値が高い」となるだろうな、とは思っていました。

 スタッフも、「亞門さん、脂肪分高かったらどうするんですか?」なんて笑っていました。
 ところが、結果が出ると……スタッフが深刻な顔になって、
「亞門さんちょっと……」

 その瞬間、がんになった方の気持ちがわかりました。周囲の人の表情が違う。急に言葉が少なくなる。前立腺に影があると言われたのです。


宇宙に1人取り残されて、浮いている気分

 3月1日、NTT東日本関東病院で精密検査を受けました。ただ、僕の場合はちょっと変わっていて、テレビカメラが横にいます。

 検査のときも、寝かされて下半身を全部あらわにされた僕のすぐそばにカメラがあります。自分のことを笑い飛ばすしかありません。「もうしょうがないでしょう。僕の運命はこんなもんでしょう」と。

 そして3月18日、結果を知らされます。「がんじゃない」と言ってほしい、と思ったときに、「cancerです」と。英語で来たか、と。
 一瞬戸惑いがありました。前立腺がんで、ステージは2ではないか、と説明されました。

亞門さんは、スライドを見せながら、これまでの経緯を包み隠さず語った。

 それから1週間、転移しているかどうかの結果待ちです。
 ずっと舞台の稽古をしていました。自分らしくなれるのは舞台だと。それでも、ふっと1人になると、「演出で人にこんなこと言ってるけど、一番自信がないのは自分じゃないか、俺はがんなんだぜ……」と落ち込みます。

 それで、ちょっとでも暇があったら、湘南の海に連れていってもらったり。海で撮った写真は無理やり明るくしました。

 悩んでいる自分がつらいんです。意味のない苦しみに入る孤独感があるんです。寝ているときには、巨大な宇宙の中に1人取り残されて、浮いている気分でした。全身の、鳥肌がぞーっとしてきて。自分がいなくなるのかと。犬だけが僕を静かに舐めてくれました。


全摘手術か重粒子線治療か

 結果的に、転移はありませんでした。NTT東日本関東病院には、ダビンチ(最先端の手術支援ロボット)があり、前立腺の全摘出を勧められました。
 その後、私が何をしたかと言えば、ネットです。

 とにかく情報を知りたい。すると、「絶対に摘出はやめろ、放射線だ」「放射線はしないほうがいい」など、人によって全然違うんです。読めば読むほど混乱しました。
 テレビで公表されたため、500通近くの手紙やメールをいただきました。前立腺がんを小説にした方もいらして、「亞門さん、舞台にしてください」と書いてありましたが、「ちょっとできないなあ」と。

 そのころ、突然、建築家の安藤忠雄さんから電話があったんです。「亞門ちゃん! がんだって」と明るいんです。安藤さんは何度もがんを経験されています。「お医者はみんな死んでるはずと言うんだけど、生きてるんだ!」とあの声でおおらかに言うんです。

「全摘出ダメね。みんな放射線って言ってるよ。重粒子、重粒子。誰か紹介するから、決まったら連絡して」

まるで演出をしているように、動き回りながら語った亞門さん。

 まずはセカンドオピニオンを取ろうと、重粒子線治療(放射線治療の一種。エックス線と比べ、がん細胞をピンポイントで攻撃し、正常細胞へのダメージも少ない)の先生に会ったんです。

 すると、
「ウチは今、混んでいます。すぐには部屋を開けられないし、しかも、ちょうど機械のメンテナンスの時期と重なっちゃうんです。それでもいいなら」
 と、さばさばしているんです。

 その後、NTT病院の先生に「ステージ3になっている」と言われました。ギリギリで、薄皮まんじゅうの状態です。僕は、薄皮まんじゅうが大好きだったのに、それからは怖くて見られません。

 いろいろ考えました。自分はずっと舞台をやっていきたいし、自分の得体の知れないテンションが好きです。舞台は、演出家がすべてをやらないと動きません。重粒子線治療でゆっくり時間をかけて治していくわけにいかないのです。
 そこで、NTT病院で全摘手術を受けることにしました。


手術のBGMは「エリーゼのために」

 看護師さんから「手術中の音楽が選べるんです。20ぐらいあります」と言われました。ジャパニーズポップス、歌謡曲、クラシックから民謡までありました。「最後に聴くってことですか?」「違います!」なんて話していました。

 担架で運ばれたときに聞こえてきたのは「エリーゼのために」です。麻酔で、一瞬で眠りに落ちました。いい夢をたくさん見られて、幸せでした。「亞門さん、終わりましたよ」で目が覚めました。

 でも、それから10日間は、大変でした。後遺症で今も尿漏れは続き、勃起不全になる可能性もあります。
 私はにっこり笑って言っていますが、こういう話は、ふつうは、家族にもしづらいです。女性の方には、「いいじゃんもう、60歳過ぎたんでしょ。生きてるだけでいいのよ」と気楽に受け止められますが、「簡単にまとめないでよ」という感じです。

 僕は10代のとき、本当にドーンと落ち込んで、人と話ができず、1年間引きこもったことがあるのです。演出家になってからも、何回辞めようか、生きるってなんてつらいんだろう、と思ったか。

入院中も打ち合わせをしていた亞門さん(=ホリプロ提供)。

 周りからは、「CMでコーヒー飲んで『違いがわかる』なんて言って、うまいことやってんだろう」と見えるかもしれませんが、裏側はもう、大変なんです。今も本質的には、引きこもり体質は変わっていません。

 また引きこもりたくないという恐怖感もあって、入院中もオペラの打ち合わせをしたり、みんなを病室に呼んだりしました。わざわざ風船を持ってきてくれるなど、みんな一生懸命励ましてくれました。明るく明るく、と持っていった状況なのです。

 退院後はノンストップで、退院した日から飛行機に乗りました。おととい初めて、1日休みました。お医者さんに「さすがに動きすぎです」と注意されました。

 昨日の朝、検査に行って、ドキドキしていましたが、腫瘍マーカーの数字が下がっていた。いつどういうふうに変動するかわからないから、気を付けないといけないのですが。

  いろいろ悩んだり、気持ちが上がったり下がったりしながら、ここまで来たんです。「こうやって動けるのも生きているからだなあ」と、思います。


がんになって、違う人生を送り始める

 もともと僕は、舞台を通して生とか死とか、生きるとはなんぞや、と考えるのが大好きです。去年、黒澤明の映画「生きる」のミュージカルを東京でやりました。今年の秋にも各地で上演します。

 主人公の渡辺勘治は、市役所でハンコを押すだけの課長でした。ある日、胃の不調を感じて病院に行くと、待合室にいやらしい男がいます。「ここに来る奴は、胃がんの奴が多いんだよね。でも先生は、『胃潰瘍です』って言うんだよね」と。

 渡辺勘治はドキドキしながら診察室に入ります。先生に聞くと、一瞬沈黙があったあと、「胃潰瘍です」。そのとき背広を落とすんです。

 渡辺勘治はその後、「小さな空間に公園をつくってください」という地域のおばさんたちの意見を聞いて、「よし、つくろう」と決心します。そのとき初めて、顔色が変わるんです。違う人生を送り始める。感動的です。そして小さな公園をつくり、いのちが終わる。

 何と美しい話で、僕も、できるならこうありたい。僕もがんになり、「一瞬も無駄にせず生きるって、何だろう」と思うようになりました。

 悲劇も喜劇も、俯瞰して見るのです。そのときは絶望的につらかったけれど、「あれがあったから今の自分がある。この経験があったから自分の考え方が強くなれた」と。悲しいこともつらいことも、全部いいんです。

ミュージカル「生きる」では、胃がんを経験した市村正親さんが渡辺勘治役を演じる。今年秋にも各地で上演。写真は2018年10月、東京での公演(撮影:引地信彦)。

生きているなら、何かやろうよ

 おふくろは肝硬変で、僕が小学生のころから、寝たり起きたり、でした。それでも、実家の喫茶店に出ていました。よくこう言っていました。
「おまえ、舞台やりたいなら、人間のことを知らないといけないんだから、とにかく全部見なさい。私が死ぬときも、お葬式も全部見なさい」

 そして、僕が21歳のとき、下宿に僕の下着を洗いに来て、突然、風呂場で死んだのです。それを僕は引きずり出しました。それが、僕の舞台の初日の朝です。

 僕はそれから、「どんなにつらいことも苦しいことも、目の中に入れる」ということをやってきました。母のお葬式は涙一つ流さずに見ました。40代で交通事故に遭って頭と顔を50針縫ったときも、ニューヨークにいて9・11が起きたときも、「目をつぶるな」と言い聞かせてきました。

 母は、「私は死ぬ瞬間まで、生きたい」と、そればかり口にしていました。「本当に生きたい」ということです。

 人はいつだって死ぬ。僕もいつかは死ぬ。でも、まだ生きている。
 生きているなら、何かやろうよ。大きなことじゃなくてもいいんです。花を活けるでも、ちょっと冗談を言う、でもいい。

 がんサバイバーは大変で、つらいし、孤独です。でも、まだ感じられることがあるなら、最後の瞬間まで、最高の人生を送ってください。

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