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第60回 「怒」の記憶 〜キグチ、怒る〜/木口マリのがんのココロ

掲載日:2021年6月10日 17時00分

 最近、「治療中に感じた『怒』を書き出す」という機会がありました。  

「うーん。怒ったことが、あったかな?」  治療中の出来事はいい記憶ばかりが色濃く残っていて、「怒」がなかなか出てこない。  

 しばらく過去をさまよってみたところ、「あ、そういえば」と怒りの記憶の糸口を発見。引っ張ってみたら、ズルズルと「怒」が現れました(しかも、よく考えたら、そのうち2、3個はすでにがんココで書いている)。  

 がんは、人生の大きな変化の一つ。がんと向き合うなかで、さまざまな怒りを感じた人も多いと思います。心が不安定になるし、家族、友人、医療者の言葉に、過敏に反応してしまうこともあります。  

 怒りは、負の感情と位置付けられるけれど、それを感じるからには、その理由も存在します。ひも解いていけば、自分も落ち着けて、周囲の人にも「なるほど」と伝わるものにできるかもしれません。  

キグチの「怒」の記憶①「がんをうつすのでは?」

 がんが見つかってすぐのころ、友人の言葉に強い憤りを感じました。  その言葉とは、「(人に)がんをうつすのでは?」  

 聞いたそのときは、「ムムッ!」というか、「イラッ!」というか、どす黒いぬめりが胸にまとわりつくような気持ちになったものの、すぐに的確な言葉を返せないワタシ。  突然で驚いたのもあるけれど、私はだいたいいつも、感情を頭で整えて言葉として表現するのに、だいぶ時間がかかります。  

 私のがんは、子宮頸がん。どうやら彼女は、私を心配してインターネットで検索したもよう。「子宮頸がんの原因の多くは、HPVというウイルスへの感染」と書かれているのを見たらしい。  

「ウイルス感染=がんになる」と思い込み、私が、がんを広げるのではと考えたようでした。「それは、大丈夫なの?」と。(注:HPVは、とてもありふれたウイルスで多くの人が感染し、うち90%の人においては自然に消えてなくなります/参考:公益社団法人日本産科婦人科学会「子宮頸がん」http://www.jsog.or.jp/modules/diseases/index.php?content_id=10)  

 この時点では何も言えず、家に帰ったあとで「このイラだちはどこから来ているのか」を考えました。考えるといっても、自分の感情とか、友人の言葉とかをグツグツ煮込んだ釜のなかから、真意を見つけ出すような作業です。  

 友人に悪気があるはずはありません。ただ、知識が足りないだけ。聞きかじりの知識のなかで、人は、印象深い部分だけを選んで覚えてしまうのだと思いました。  

その他の解消方法(1):買い食いする

 でも、私がとても不快になったのも確かです。  このときの私に大事だったのは、自分の心を守ることと、友達としての関係を崩さないこと。そのためには、ちゃんと話をしなければなりません。  

   次に会ったときには、知識として足りない部分を軽く解説。そして、「今は、がんになったばかりの不安とか、自分の命とか、とても大変なことと向き合わなければならないとき。そんなときに『人にうつす』なんて言葉は、言ってほしくない」と、正直な気持ちを伝えました。  

   感情をぶつけるのではなく、理解してもらいたいという思いを込めて。  このような話をするのは、すごく気力も体力もつかいます。でも、彼女もよくわかってくれたようでした。その後も何度もお見舞いに来てくれて、いい友達のままでいられています。  

キグチの「怒」の記憶②「社会の偏見」

その他の解消方法(2):きれいなものを見る

 がんの仲間と、子宮頸がん啓発のボランティア活動をしていたときのこと。道ゆく人にチラシを配っていた仲間の一人が、中年女性にこんな言葉を浴びせられました。  

「子宮頸がんなんて、セックスのやりすぎなのよ!」  

 これも間違った知識からの言葉だけれど、がんになってつらい思いをしている人に対して、とんでもないことを言う。こんなことを言われたと報告を受けた私たちは、みんなで怒り心頭。その中年女性を見つけ出して、みんなでコンコンと子宮頸がんの講義をしてやろうかと話していました。  

 このときは心底頭にきたし、何より人間の嫌な面を見たような気がして血が引いたのを覚えています。たくさんの仲間と一致団結して「けしからん!」と怒ることができたのはちょっと爽快でしたが。  

 また、あるときブログに人工肛門の話を書いたときのこと。 「パウチという袋を装着しているので、人工肛門があってもお風呂や温泉に入れます」という記事に、知らない人から「気になるからお風呂はやめてください(笑)」というコメントが入りました。  

 これに対しては、怒りというより「そんなことをわざわざ書く人がいるのだな」くらいの気持ちでしたが。これもコンコンと返信を入れてやろうかと考えつつ、何より大事なのは、このコメントを読んで悲しい気持ちになる人がいるかもしれないことだったため、ただちに削除しました。  

 これらについても、釜をグツグツしながらしばらく考えました。  1つ目は極端な例ですが、どちらも根本にあるのは、偏った知識と、「物の見方」の幅が狭いことだろうと思いました。  

 これらのほかにも、世の中にはがんに対するたくさんの偏見があります。 「がんになったら死んでしまう」「仕事ができなくなる」などなど。それらはいずれも、気づかないうちに「そうである」と思い込んでいるものです。  

 怒りから思いを巡らせているうち、そこには世の中の知識不足があって、それを訴えかける方法も、今のままではダメなのだろうと感じました。以降、その改善策を模索しています。 (ある意味、あの中年女性の言葉は必要悪だった……のか?)  

怒りは「センサー」……かも!

その他の解消方法(3):かわいいものを追いかける

 受け流したり、一晩寝て忘れたりできないような強い怒りは、とても不快なものです。  でも、相手の言葉を「あんなことを言うなんて信じられない!」だけで片付けずに、「なぜ、この人はそう言ったのか」をつかめれば、次につながります。  だとすれば、怒りは「ものごとを改善するためのセンサー」といえなくもない……!?  

 ……などと、ものすごくプラスに考えてみました。  今思うと、私があまり「怒」の記憶を残していないのは、その都度、折り合いをつけられたからかもしれません。発散の仕方は人それぞれですが、感情を人にぶつけるのではなく、何かを動かす原動力にしていけるといいなと思います。  


木口マリ
「がんフォト*がんストーリー」代表 執筆、編集、翻訳も手がけるフォトグラファー。2013年に子宮頸がんが発覚。一時は人工肛門に。現在は、医療系を中心とした取材のほか、ウェブ写真展「がんフォト*がんストーリー」を運営。ブログ「ハッピーな療養生活のススメ」を公開中。
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