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[中編]医者はバッター、患者はピッチャー
肺がんステージⅣ
小林豊茂校長の明るく「がんに立ち向かう力」

掲載日:2017年9月6日 15時27分

 いきなり肺がんのステージⅣと診断されたら、「頭が真っ白になる」のが普通かもしれない。しかし、小林豊茂さんの心に浮かんだのは、こんなフレーズであった。
「これで治せて生徒の前に立てたらかっこいいな。『やったぞ、どうだ!』と」
小林さんは、東京都の豊島区立明豊中学校の校長先生である。
明るさを失わず、市民農園で汗をかき、防災教育で被災地へも行く。入院中には、親しい知人たちに、発見や笑いがあふれる「入院報告」メールを送る。
独特の闘病スタイルは、読むだけで元気になれます。たっぷりとお伝えします。(文:中村智志)

前編 「やったぞ、どうだ!」
中編 「ドカンと抗がん剤、どんと来い、ですね」
後編 「誰もが持っている命のタイマー」

中編「ドカンと抗がん剤、どんと来い、ですね」

1日でも長生きすれば、新しい薬も出てくる

 8月30日、明豊中学校の始業式の翌日に小林先生は入院した。がんのことは、職員にだけ告げた。
 小林先生の肺がんは、特定の遺伝子変異が見つからなかった。がん細胞だけを攻撃して副作用の弱い分子標的薬を使えない。

 週に1回、カルボプラチンとパクリタキセルという2種類の抗がん剤をミックスして点滴で投与され、平行して約30秒の放射線治療を30回受ける。そんな治療だ。
 担当の女医からこう言われた。
「白血球の値が下がったら抗がん剤を打てないんです。毎回、採血しながら見ていきます」
 そのとき、小林先生はひらめいた。

--医者がどんなに治療をしたくても、白血球の数値が下がったらできないのか。治そうと戦うのは医者だけれど、負けないという患者の気持ち、がんに立ち向かおうという生命力が必要なんだ。野球にたとえれば、医者はバッターで、患者はピッチャー。いくら打者が点を取っても、投手がそれ以上に点を取られたらダメだ。守って守って、引き分けまでは持って行く。1日でも長生きすれば、新しい薬も出てくる--。

入院報告をメールで送る

 小林先生は、退院予定日を「10月26日」と心の中で定めた。治療のスケジュールを計算してのことである。
 そして、メールで「入院報告」を親しい人たちに送りはじめた。

【9月1日(木)】先週の金曜日から抗がん剤治療が始まり、これから毎週金曜日に行います。月曜日から毎日、放射線治療も始まります。抗がん剤の副作用、嘔吐や筋肉痛、関節痛などは全くありませんでしたが、2、3週目に白血球や赤血球、血小板が低下して感染症になる注意が必要になります。今はいたって元気で、朝30分病棟内を歩いています。その後1階から9階まで下り上りして運動してます。担当看護師が、3年目で娘みたいで可愛いですよ

(抜粋、一部読みやすいように改変。以下同)

【9月10日(土)】9日、2回目の抗がん剤治療がありました。点滴1滴ずつ祈りを込めて体に入れようと思いのぞんだのですが、点滴の落ちるのが早く、祈りを込めきれませんでしたし、『しずくが一滴、二滴』が『羊が一匹、二匹……』となり、気持ちよく寝てました!
放射線も5回、毎日30秒ぐらい当ててきました。きっとガン細胞にしては北朝鮮より怖かったと思いますが、この体は核実験ではなく、核戦争が始まっているのです!! やられるか、やるかの命がけの闘いですから

 このころには、毎朝のラジオ体操も始めていた。副作用は、依然としてなかった。ありあまる時間を、ナンプレ(数独)やクロスワードパズルなどで費やした。

【9月17日(土)】9月16日現在、いよいよ正念場が来ました。白血球が低下してきました。3250と正常範囲からは1500下がり、3000を割ると治療が1回中断するかもしれないとのこと。ただ想定通りで点滴は予定通り。食欲旺盛、運動継続中、体重2kg減。以上。リゾート病院からの報告です

 9月20日(火)の「入院報告 番外編1」には、「準ジャニーズ系放射線技師団」と呼ぶ技師たちに「入れ墨のある患者は放射線治療を受けても大丈夫か」と質問した、とある。答えは、「塗料の鉄分が放射線に影響、体が焼けるらしい」とのことだった。
 小林先生の入院報告には、暗さがない。心のゆとりがあり、ユーモアもにじむ。


病室から撮影した朝焼けの写真。
スカイツリーに後光が射している!(小林豊茂さん提供)

初めての副作用

 抗がん剤と放射線の2本立ての治療は効果を見せてきた。
 9月末には、右肺の二つのがんは、半分以下になった。放射線を当てていない左肺のがんも半分以下で中が空洞になっていた。

 10月中旬までに、第1クルーの6回の抗がん剤治療と30回の放射線治療が、すべて終了した。放射線治療と併用しての完全実施は珍しい、とほめられたという。
 そして、入院時に心の中で定めた通り、10月26日に退院した。

 10月31日(※)、第2クルーの抗がん剤治療を受けるために再入院。今回は、「11月18日」に退院すると決意した。
 翌日、一気に第2クルーの4回分、350ミリグラムの薬を入れたという。問題が出なければ、今後は月に1度の通院で済む。(※)小林先生は「入院報告」でこんなふうに書いた。

【11月1日】ドカン、と抗がん剤を入れます。せっかく、髪の毛が抜けるのが止まっていたのに。まあ、どんと来い、ですね

 だが、ドカンは、さすがに強力だったのだろう。ついに副作用が出た。
 体中にチクチクと痛みが走り、びりびりして痺れる。手足の指先にも痺れが出る。痛みは、正座をした後に痺れている部分を触られたような感覚で、線香花火みたいに全身にパチパチと来た。痺れは、点字ブロックの上を歩いているような、神経が乗っかっている感覚。体験者だけがわかるつらさだ。

 11月3日がピークだった。それまでは朝の6時に起床したら、就寝までベッドに寝たことがなかったほど元気だったのに、1日横になっていた。痛み止めも飲んだ。
 白血球の数値も下がった。14日には1190(正常値は5000~8000)になり、注射を打った。感染症にかかりやすくなると注意を促された。

 16日、髪を洗ったら、手が触れたところの毛がそのまま抜けた。ベッドの枕をどかすと、毛だらけになった。9月下旬にもシャワーで髪が抜けたが、今回ほど本格的ではなかった。
 そして11月18日、白血球の値が5220まで上昇しており、退院が決まった。最初の入院と同じく、決意通りの退院日となった。

 抗がん剤治療は続く。
 11月23日、再び入院。翌24日に、第3クルーの抗がん剤を一気に入れた。前回よりは少ない265ミリグラムだったという。痛みや痺れは出た。糖尿病の副作用止めの薬が血糖値を上げてしまうという事態も生じた。
だが、やはり入院時に自分で決めた通り、29日に退院できた。
 こうして、治療は一段落した。この間、嘔吐や食欲減退はなかった。

髪の毛が抜けたためニット帽をかぶる。(小林豊茂さん提供)

荷物を2人で持てば軽くなる

 入院報告は約20通に及び、返信メールで励まされてもきた。お見舞いに訪れた人は延べ200人を超えた。談話室で後輩の教師の相談に乗り、年配の入院患者に「どちらが患者かわからない」と感心されたこともある。

 小林先生はなぜ、がんであることを周囲にためらわずに伝えたのだろう。今なお、患者の3割が離職するという調査結果があるなど、周知のハードルは低くない。

「少なくとも私は、話すことでみなさんから励ましももらったし、つらさも喜びも共有できました。私は、語ることで、がんを特別な存在にするのではなく、普通のところに落としていきたいのです。あと家族なら、荷物を2人で持てば軽くなるのと同じで、喜びも苦しみも分け合うべきでしょう」
 花粉症を隠す人はいない。がんであることを気軽にオープンにできる社会は、きっと優しい社会であろう。

 入院報告には、読む人の後学のためになりたいという願いも込められている。がんと告知されても落ち込まない人がいる。受け止め方にも幅がある。そんな例を知ってもらえるだけでも、うれしいという。

再び学校へ

 12月1日。小林先生は、93日ぶりに学校へ戻った。校門をくぐると、
「思っていた通りにできたな。この姿を見せるために3カ月入院して、がんばれたんだなあ」という感慨が湧いてきた。
「荷物、持ちましょうか」と声をかけてくれる生徒もいた。

 午後、体育館で全校集会を開いた。念のため事前に、各クラスで家族にがんがいる生徒がいないかをリサーチさせておいた。
集まった生徒たちを前に、小林先生は、3カ月不在だった理由を説明して、かぶっていたニット帽を脱いだ。髪の毛が抜けた頭が、生徒たちと対面した。
 冷ややかな反応をする生徒は誰もいなかった。受け止めてくれている実感があった。

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