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国際医療経済学者が、大腸がんになってわかったこと
~アキよしかわさんの心~

掲載日:2017年10月18日 10時32分

 日本と米国で活躍する国際医療経済学者のアキよしかわさん(59)は、2014年に大腸がんのステージ3Bであると診断された。日本のがん研有明病院で手術を受けて、米国のハワイで抗がん剤治療に取り組んだ。そして専門家と患者の両方の視点で著書『日米がん格差』(講談社)にまとめた。日米の違い、米国から学べること、そして患者の本心……。アキさんの思いは、がんに関わる多くの人のヒントになるだろう。(文:中村智志)

アキよしかわさん。患者になって初めて分かったことも多いという。その他の著書に『日本医療クライシス』(幻冬舎メディアコンサルティング)などがある。

原点は、1980年代のゲノムプロジェクト

 アキさんは、中学校を卒業後に一人で渡米した。
「出会った人たちに、『家に住んでもいいぞ』などと助けられながら、『アメリカ人になろう』として、猛烈に勉強し、猛烈に仕事をしてきました。カリフォルニア大学バークレー校の大学院生だったとき、元CIA顧問で『通産省と日本の奇跡』で知られるチャーマーズ・ジョンソン教授や、後にクリントン政権の大統領経済諮問委員会委員長を務めるローラ・タイソン教授に引っ張られて、日本について調査・研究しました」

 ときは、半導体などで日米経済摩擦が火花を散らしていたころ。米国では、日本を分析できるブレーンが必要とされていた。米国議会技術評価局(OTA)に出向し、日米協議にも携わった。そして、1980年代前半にゲノムプロジェクトに出合う。
「OTAは、新しい科学技術を審査して議会にレポートするのが仕事です。私はゲノム計画の評価プロジェクトに加わり、ゲノム解析によってアメリカがどうなるか、を評価しました。宗教観から食生活、そしてゲノムが医療を変える、という視点も出てきました」

 人の遺伝子が解明されれば、赤ちゃんのときに将来の疾患リスクがわかってしまう。リスクが高いと、民間が担っている米国の保険制度では、保険料が跳ね上がる。そこで、日本の国民皆保険制度も研究した。
「これらの経験が、医療経済学者を目指す原点です」

がんは新しいチャレンジ

大事な話になるほど口調が熱くなるアキさん。

 その後は学者として歩み、スタンフォード大学で医療政策部を設立した。7年で退職すると、1997年には医療コンサルティング会社へ移籍。生き馬の目を抜く世界に驚いた。
 数年後には、米国グローバルヘルス財団の理事長となった。全米の大学病院の経営分析、各種指標を用いたベンチマーク分析などを行い、ヨーロッパやアジアでも活動した。

 そして2004年、いよいよ日本に進出した。「グローバルヘルスコンサルティング・ジャパン(GHC)を立ち上げ、国内の多くの病院の経営改善に貢献した。
 それから10年。2014年の秋、定期的に人間ドックを受けていた東京・四谷のクリニックで、大腸がんと診断された。実は、半年前から下痢や血便があったという。
「淡々と、『乗り越えなければならない新しいチャレンジが来たか』と受け止めました。アメリカでは、人に自慢できないようなこともして、競争社会を生き抜いてきましたから」

 米環境保護局(EPA)の官僚としてワシントンにいた妻のナンシーにメールで伝えると、「悪いニュースね。だけどこれもチャレンジね。子どもたちにもあなたから伝えてね」という冷静な返信が届いた。

日本で手術を受けるのが運命

 がんは、国際医療経済学者として、患者の立場から医療を見るチャンスでもあった。
これまでの分析では、日本の病院は、国民皆保険だけに医療費のばらつきは小さいが、医療の質(治療成績)にばらつきがある。米国の病院は逆で、医療費の格差は大きいが、支払い能力さえあれば、質の高い医療をばらつきなく受けられる。

 アキさんは、今後の治療を考えた。GHCで入手したデータを自分のために使うことは、契約上も信義上も許されない。そこで、GHC社長の渡辺幸子さんの紹介で、がん研有明病院(東京都江東区)の専門医に会い、そのまま手術を受けることにした。
「日本で生まれアメリカに拠点を置く自分が、日本でがんが見つかった。日本で手術を受けるのが運命であり、責務である。そう感じました。また、告知を受けたら、身近な信頼できる人に相談することが大切だと痛感しました」
 手術前の診断ではステージ2と言われていたが、最終的にステージ3Bと判明した。

数字に表れない優しさに救われる

手術後のアキさん。病院の様子をつぶさに観察したという。(アキさん提供)

 手術は無事に成功した。日本は、米国と比べると入院期間が長い。だが、米国なら退院日である手術後5日目でも、眠気とだるさで、病室内のトイレに行くのもつらかった。また、看護師とのざっくばらんな会話にも救われた。

「ベンチマーク分析では是正すべき長期入院、あるいは数字に表れない優しさや明るさに救われました。患者になったことで実感できた気づきです。快復してくると、退院後のやることリストを作ったり、家族に伝えたいことを列挙したりしました。また、カムバックする姿を想像し、自分を鼓舞していました」

ハワイで抗がん剤治療を選んだ理由

キャンサーナビゲーターの仲間たちと。(アキさん提供)

 アキさんは、手術後の抗がん剤治療をハワイで受けることにした。ホノルルのホテルに滞在しながら、全米屈指のがん拠点病院、クイーンズメディカルセンターに通う。仕事の付き合いからスタッフとも気心が知れていた。
「ハワイを選んだのは、日本とアメリカの中間地点だからです。アメリカの家族も来やすいし、私が仕事で日本に行くこともできます」

 ホテルに滞在し、病院で点滴を受ける。それから48時間、腰に付けたポーチから胸に空けたポートを通じて抗がん剤を流し込む。強い吐き気に襲われ、吐き気止めの薬を服用すると、頭痛と下痢に悩まされる。記憶力や思考力が一時的に低下したこともあった(「ケモブレイン」という)。

「私がリセット体質だったことと、クイーンズメディカルセンターのキャンサーナビゲーションプログラムに支えられて、乗り切りました」
 このキャンサーナビゲーションプログラムこそ、アキさんがクイーンズメディカルセンターを選んだもう一つの理由であった。

キャンサーナビゲーションプログラムに学ぶ

 簡単に言えば、研修を受けて知見を備えたキャンサーナビゲーターが、患者と適切な距離感を保ちながら、正しい情報や治療にたどり着けるように導く仕組みである。キャンサーナビゲーターには、患者の家族や、大切な人をがんで亡くした人が多い。

 アキさんは、抗がん剤治療を受けながら研修に挑んだ。受講生は9人いて、アキさん以外は全員女性だった。
 週2回、朝から夕方までの講義が、全部で6日間。キャンサーナビゲーターの心得、がんの基礎知識、がんが患者の精神に与える影響、低所得者へのケア……。「するべきこと」「してはいけないこと」は表の通りだ。

 ハワイ大学の小児がん専門医の講義が印象に残った。こんな問いかけを示された。
「600人の人を死に至らせると予測される病気が発生して、2種類の治療法が考案されたとします。あなたはどちらを選びますか。

A.200人が助かる
B.600人が助かる確率は3分の1で、誰も助からない確率は3分の2」

 この質問に、Aを選んだ人は72%、Bを選んだ人は28%という調査結果があるという。実はどちらも同じなのだが、ポジティブな言い回しのほうが選ばれる。
「キャンサーナビゲーターは、どちらにも偏らないように注意しなければなりません。患者や家族とコミュニケーションを取るうえでの『表現』の重要性を学びました」


アキさん提供(一部簡略化)

リビングウィズキャンサー、本当の孤独は治療後に来る

 患者が正念場に立つのは、実は、治療中だけではない。
 アキさんは、むしろ一連の治療が終わった後のほうが厳しかったという。
「身の置き所のない不安感というか孤独感に襲われて、一番つらい時期でした。患者は、がんを忘れることはありません。リビングウィズキャンサー。がんと共に生きる、という感じでしょうか。お腹が痛いと、ひょっとしたら再発かな、と思ってしまう。検査で『肺に影があるかもしれない』と言われると、マティーニ6杯も飲まないと落ち着かない」

 治療中は患者も戦闘モードに入っているし、周囲や医療者もそれに応えてくれる。ところがその後は、いったん日常生活に放り出されてしまう。
「爆音が耳のそばで起きてしばらく体が震える状態を、英語でシェルショックといいます。そんな感じです。このことは、キャンサーナビゲーションプログラムでも教えられました。私はこのプログラムに救われました。キャンサーナビゲーションは患者会とも違います。日本にも広めたいと考えています」
 今もハワイに行けば、キャンサーナビゲーターや関係するカウンセラーと会って、さまざまな話をする。不安な気持ちも率直に語ることで、自然と力が湧いてくる。

家を処分し、終活も終えた

左からアキさん、長女のミナさん、長男のアレックスさんと恋人。(アキさん提供)

 心身ともにハードな日々を送りながら、アキさんは、いわゆる終活も終えた。
 がんとわかったときに、3人に連絡した。妻のナンシー、GHCの渡辺社長、そして30年来頼んでいる会計士だ。財産の処分を依頼し、自宅を売って現金化して、妻、26歳の息子、24歳の娘に贈与した。子どもたちには、シリコンバレーの成功者が暗転してゆく姿も見てきた者として、お金なんてすぐになくなることを強調したという。
「会計士には『よくやった。しかし、やりすぎだ。家族で一番貧乏なのは君だよ』と言われました。充実感とともに、死ぬ準備もできたのかなあ、と思いました」

 故郷は日本なのか、米国なのか。
 今、アキさんの心をとらえているのは、そんな問いかけである。
「本当に動けなくなったときに、自分は日本とアメリカ、どちらにいるのか。子どもにすがりたくはないから、ネコのように、そっと死に場所を見つけたい」

「お任せ医療」からの脱却を!

 アキさんには、日本の患者たちに伝えたいことがある。
 ひとつは、標準治療に対する認識だ。
「標準という言葉が誤解を招くのか、松竹梅の梅と思ってしまう人がいる。しかし、標準治療とは、現時点でのベストの治療です。米国では、標準治療をどこまで遵守しているかが問われ、病院間で遵守率を競っています」

 もう一つは、「お任せ医療」からの脱却だ。誰もが確定申告をする米国では、納税者意識が高い。医療に対しても同じだという。
「患者が自分で決めて、選択に責任を持つという姿勢が重要です。がん医療は日進月歩で、歴史を振り返っても、最善だと思われた医療が覆っています。だからこそ、患者は『任せきり』にせず、正しい情報を武器に、がんに立ち向かってほしい」
日本人はどうしても医師に遠慮して、聞きたいことも聞けずに診察を終えてしまうケースも少なくない。しかし、ほかならぬ自分の命をめぐる話なのである。

がんになって食べなくなったもの

 がんになった後、アキさんの中で優先順位が変わった。競争に勝つことへの興味はなくなった。お金にも執着しなくなった。若い人を育てることへの関心が高まった。
「あと、肉を食べるのをやめたのです。ひとつはゲンかつぎかなあ。それ以上に、動物を食べたくなくなった。牛とか馬とか豚とか、生命を奪いたくない。何も食べないわけにはいかないので、チキンと魚ぐらいは良しとしていますが」

 がんサバイバー特有の孤独感は、今なお、アキさんを包んでくる。それを押し戻すかのように、朝晩に海岸を散歩する。
「子どものころに海辺に住んでいたことがあるんです。波の音を聞くと安らぎます。霧笛を聞くと、自分が始まったところに戻ってくるような気がします。同時に、人間的に成長しないまま生きてきたなあ、と思ったりもしますが」
 
 リビングウィズキャンサー。がんと共に生きるには、誰もが、こうした時間や空間を必要としているのかもしれない。

「これからの人生では、どうしたらがん医療がよくなるかをテーマに、政策提言などもしていきたい。前は60歳で引退するつもりでしたが、がんになったことをきっかけに、『80歳まで仕事しよう』と思うようになりました」
 国際医療経済学者と、大腸がんステージ3Bの患者。アキさんならではの思索は、これからも続きそうだ。それはきっと、がん医療の世界に新たな視点を残すであろう。

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