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5月18日 がん医療は、がん患者のためにある

掲載日:2018年5月21日 12時55分

垣添忠生の全国縦断がんサバイバー支援ウォーク 一言ブログ 5月18日




 つくばエクスプレスの「流山おおたかの森駅」から、国立がん研究センター東病院(千葉県柏市)まで。今日は久しぶりに約5キロのウォークです。日本対がん協会千葉県支部の方2人、テルモ東関東支店の方2人、リレー・フォー・ライフのボランティアスタッフの女性の方、日本対がん協会の職員1人の合計7人で歩きました。

 東病院は、1992年に設立されました。私が国立がんセンターの院長や総長をしていたころは、よく訪問していました。また、妻が約1カ月入院して陽子線治療を受けた病院でもあります。それだけに、懐かしい東病院に戻ってきた、という感じがあります。
 訪問を通じて確信したのは、こんな姿勢です。
「がん医療は、がん患者のためにある」

 ここでは、25室ある緩和ケア病棟のどの部屋からも、扉を開ければそのまま広い庭に出られるようになっています。
 横断幕と花束の歓迎を受けて、大津敦院長とその庭を歩きました。ボランティアのみなさんが手入れをしてくださっている庭は、私の知らない十数年の間に、様変わりしています。樹木は順調に成長していて、シャクヤクが白い花を咲かせていました。庭の成熟ぶりに、歳月を感じました。

むろん、2005年発足の臨床開発センター、2014年にオープンした新外来病棟、2017年の次世代外科・内視鏡治療開発センター棟の完成など、組織としても発展しています。2014年にはサポーティブケアセンターをスタートさせ、総勢20人で、初診時から切れ目のないケアを提供しています。

 大津院長によると、敷地内に、ある会社がホテルを建てるそうです。がん剤治療も通院が中心の時代、患者さんが長期滞在しながら治療を受ける、お見舞いのご家族が滞在するなどさまざまな利用が考えられます。米国式で、日本では「ホスピタルイン獨協医科大学」(栃木県壬生町)の例がありますが、先進的な試みです。

 交流会では、東病院の医師や看護師らスタッフのみなさんだけでなく、3つの患者会の方もいらしていました。NPO法人「パンキャンジャパン」(すい臓がん、本部はロサンゼルス)、NPO法人「GISTERS」(希少がんのGIST=ジスト)、認定NPO法人「希望の会」(スキルス胃がん)です。

 まず大津先生のご挨拶がありました。
「2人に1人ががんになる時代で、我々も、サバイバーシップのサポートを精力的にやっています。今日は、日頃お世話になっている患者会のみなさんにもおいでいただきました。医療者では見えない部分もたくさんあるので、いろんなご意見をいただいて、診療やサポーティブセンターの活動に生かして行ければと思います」
 この言葉からも、患者との信頼関係を大切にしていることがよくわかります。私を迎えてくださった横断幕には、3つの患者会の名前が、東病院と同じ大きさで記されています。

 続いて、患者会のみなさんの発言です。
「2020年に向けて、すい臓がんの生存率を倍にしようという目標を持っています。早期発見に向けて血液検査の試験がスタートしています。すい臓がんも、少しずつ良くなっている。私はすい臓がん6年のサバイバーですが、元気な顔を見せることが希望につながると思います」(パンキャンジャパンの眞島喜行理事長)

「妻が9年前にジストで亡くなりました。最後に土井先生(土井俊彦副院長)にご意見をいただいたり、その縁で東病院でGISTERSの講習会を開かせていただいたりしました。ジストは薬に頼る部分が大きく、海外ベンチャーが開発する薬を日本に入れなければならず、また先生方に相談させていただきたいと思います」(GISTERSの西舘澄人理事長)

「ここにいらっしゃる先生方にお世話になり、またメディアに取り上げられたことで、スキルス胃がんの認知度も上がりました。若い患者さんが多く、残されたお子さんたちも多い。そのため、定款に『リレー・フォー・ライフに参加して遺族も含めた患者家族が集まってお互いに力になること』と挙げています。先生のウォークもみんな見ていて、励みになっています」
(希望の会の轟浩美理事長)

 それから、土井副院長をはじめ医師や看護師のみなさんのお話があり、さらにしばらく歓談を楽しみました。その中で、ある県では、新たな研修医として内科医が10人、外科医が5、6人と、医師になる人自体が少ないことが話題に上りました。地域格差は、がん医療以前の課題です。

 サプライズは、帰り際に起こりました。玄関を出たところで、戸塚洋二さんの奥様に会ったのです。戸塚さんは、東大空手部で私の1年先輩で、ニュートリノの研究でノーベル賞確実と言われた物理学者です。2008年に大腸がんで亡くなりました。
 戸塚さんは自分のがんを、専門家でもなかなか真似できないほど緻密に記録していました。そして私に、「がん患者は自分と似た病態の人が、どんな治療を受け、どうなったか、という記録があると大変な参考になるのです。垣添さん、作ってよ」と託されました。

 この言葉が、私が「がんサバイバー・クラブ」を立ち上げた根源にあります。奥様とは今も、年に1回ぐらい、銀座で食事をしています。
 奥様は東病院で、化学療法で髪が抜けた方向けに毛糸の帽子を作るなどのボランティアをされています。今日、私が来ることをご存知だったそうです。疲れを癒やすように、ということでしょう。梅干しをいただきました。
 再会とお心遣いのうれしさで、景色がぼやけました。


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