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がん専門医ががんになって気づいたこと ~中川恵一先生のカルペディエム(今を生きる)~

掲載日:2019年2月13日 16時46分

 東京大学医学部附属病院の中川恵一准教授は、メディアなどで、がんについてわかりやすく発信している、いわば伝道師だ。がん教育にも熱心で、日本対がん協会のアニメ教材も監修している。そんな中川先生が、2018年12月に膀胱がんになった。年末に手術を受けて、現在は経過観察中だ。当初は「まさか、自分ががん……」と青天の霹靂だったという。病状や治療、気持ちの移り変わりなどを伺った。
中川恵一先生。東大医学部附属病院の放射線治療部門長を務める=日本対がん協会・大石しおり撮影
超音波エコーで自ら発見

超音波エコーの画像。右上の突き出ている部分ががん細胞=中川先生提供

 がんは自分で見つけました。昨年12月9日、先輩の病院で当直のお手伝いをしていたとき、空いている時間に超音波エコーで自分の肝臓を診たのです。    というのも、2年ほど前から肝臓に、肝硬変などの原因になりかねない脂肪肝があったのです。この日はふと気になって、膀胱も映してみました。すると、左の尿管と膀胱のつなぎ目である尿管口の近くに、白い影が見えました。  実は2017年6月に、超音波エコーで膀胱を見た際に、内壁に小さな影を見つけていました。しかし、忙しくて放っておいたのでした。今回の白い影は、それが大きくなったものです。膀胱を映してみたのは、心のどこかで影のことが気になっていたからかもしれません。
 中川恵一先生は、1960年生まれ。85年に東大医学部を卒業し、東大医学部放射線科で、放射線の専門医となった。2002年、東大医学部附属病院放射線科准教授。国のがん対策推進協議会の委員などを務めた。2014年には、日本対がん協会の評議員にも就任。複数の新聞連載のほか、著書も多い。

 見つけた瞬間、「がんに違いない」と思いました。念のため、東大病院の泌尿器科の後輩にメールで画像を送ったところ、「膀胱腫瘍を否定できない所見だと思います」という返信が届きました。良性の可能性もあるが、「頻度はごくわずか」と書いてあります。わずかの可能性に期待しましたが、精密検査の結果、大きさ1.5センチのがんと判明しました。幸い、がんは筋肉の層までは浸潤しておらず、早期でした。血尿もなく、自覚症状はありませんでした。
たった40分の手術

 生まれて初めての入院。12月28日、検査をしてくれた後輩の医師の手術を受けた。内視鏡による切除だ。尿道から直径1センチ弱の鉄の棒を膀胱まで差し込み、電気メスでがん細胞を切除した。
   手術は朝から始まりました。たった40分です。痛みはなく、下半身麻酔なので、モニターを見ながら医師と話していました。しかし、麻酔が切れると下腹部に猛烈な痛みが襲ってきました。胃カメラなど需要が多い内視鏡はどんどん進化していますが、尿道に入れる管は市場が小さく、私が医師になった35年前と大して変わっていないような気がします。  痛み止めをもらって何とか乗り切りました。緩和ケアの大切さが身に沁みます。私は2003年から10年ほど、東大病院の緩和ケア診療部長も兼任していたのですが、自分が患者になって、「手術による痛みへのケアが足りなかったな」と反省しました。
 手術は成功した。がん細胞も完全に取りきれた。ステージ0の超早期だ。再発予防のため、手術の直後に膀胱内に抗がん剤を注入した。ただ、がん細胞の悪性度は3段階の真ん中の「2」。2の中でもハイグレードだった。

内視鏡手術を受ける中川先生。意識ははっきりしている=中川先生提供

 漠然と「1ならいいなあ」と思っていたので、かなりショックでした。膀胱がんは再発する可能性が高く、ハイグレードだと、1年以内の再発率が約24%、5年以内では約46%に上ります。これから3カ月に1度は内視鏡を使った検査を受けなければならず、心の中に重い錘(おもり)があるような感じです。もし再発すると、今回と同じ手術を受けることになります。  再発を予防するのには、BCG(ウシ型弱毒結核菌)を膀胱に注入するのが有効です。BCG治療を受けた場合の再発率は約4割、受けない場合は6~7割です。ただほぼ全員に、排尿時の痛みなど何らかの副作用が出ます。得るものと失うものを総合的に判断して、見送ることにしました。  がん治療は、QOL(生活の質)の低下と引き換えに、将来の時間を手にするもの。ただ、未来は不透明です。
たばこは吸わず、運動も欠かさないのに……

 中川先生は大みそかに退院し、年明けから仕事を再開、多忙な日々を送っている。手術の影響の血尿も1月半ばには出なくなり(検査をすると若干赤血球が混じる)、スポーツジムにも通う。日常を取り戻したが、がんとわかったときには、動揺を隠せなかった。

「私ががんに? なぜ?」  というのが最初の気持ちです。青天の霹靂でした。膀胱がんは人口10万人あたり10人程度の発生率で、がんの中でも珍しいほうです。危険因子は喫煙で、男性の膀胱がんの50%以上の原因と言われます。  しかし、私はたばこを吸いません。毎日早朝からスポーツジムに通い、30分のランニングなど運動を欠かしません。お酒は好きですが、家で2、3合の晩酌をするぐらいです。運が悪いとしか言いようがありません。
 だが、「青天の霹靂」と思った理由は、こうしたデータ的なものだけではない。
 動物は「自分がいつか死ぬ」と思って生きていません。人間も同じなのです。頭では「いつか死ぬ」とわかっていますが、いつも意識しているのは不自然で、そんな人はいないでしょう。生き物の本能というか、そういうふうにプログラムされているのだと思います。  私もそうでした。日本人の2人に1人、男性なら3人に2人が生涯にがんになる。「がんになることを前提にした人生設計が必要です」などと講演で話したり書いたりしているのに、根底では、「自分はがんにならない」と思い込んでいました。  妻には電話で知らせました。「がんになってしまったよ。膀胱がんだ。でも大丈夫」と、心配させないように話しましたが、電話の向こうで泣き出していました。妻も私と同じで、夫ががんになるとは想定していなかったのでしょう。
家で飲むワインの値段が上がった

 がんになったことで、日常生活や死生観が変わるという人は少なくない。中川先生の場合はどうなのだろうか。
 医師は若いころからたくさんの死に接しています。だから、一般の人よりは「死のリアリティー」を高く持っているでしょう。  私も、がんになったからといって、死生観が大きく変わったわけではありません。それでも、三人称の死と一人称の死では、違います。言葉としてわかっている死と、具体的に想起する死の違いでしょうか。論理が実感になるのです。  死のリアリティーが高まると、今を大事にしようという気持ちが出ます。  私は昔から「カルペディエム(carpe diem)」という言葉が好きです。ラテン語で「今を生きる」「今をつかめ」「時をとらえよ」といった意味です。刹那主義ではなく、今を大切にする、今やれることはやっておこうという意味にとらえています。
 カルペディエムは、具体的には、どんな形に現れているのだろう?
 もともと今年のお正月は、大みそかから1月4日まで、熱海の温泉で過ごす予定でした。膀胱がんとわかって一度はキャンセルしたのですが、退院した大みそかに思い直して、復活させました。1月2日から4日まで出かけたのです。  自分の体験を伝えようという思いも高まりました。日本経済新聞や日刊ゲンダイの連載で5回ぐらいに分けて書いたほか、週刊新潮にも載りました。一般の人に対してだけでなく、医療者にも伝えたいと考えています。  あと、購入するワインの1本あたりの値段が上がりましたね。私は外では飲みません。ワインは家で夕食のときに楽しむのですが、1本1500円ぐらいだったのが3000円ぐらいになりました。ちなみにお酒は、1月2日から飲んでいます。  もうひとつ挙げれば、遺言は書いておこうかなと考えています。ただ、夫婦の間でエンディングの話をすることはなく、普段通りです。
余命を告げるのはやめたほうがいい

 よく患者は「がんになったこともない先生に俺の気持ちがわかりますか?」などと迫る。中川先生も今回、本当の意味での「医療のリアリティー」を体感したという。
 たとえば、抗がん剤を外来で投与しているとします。医師が会う患者さんは、元気な姿です。抗がん剤治療を受けられる状態で来ているのだから、当然です。副作用で調子が悪いときには来ません。そういう患者さんを、医師は見ていません。  私自身の例でいえば、手術中、麻酔が効いていたときにはとても元気でした。後輩の医師となごやかに会話していました。下半身に関する情報が入ってこないぶん、脳は解放感にあふれていました。でも、麻酔が切れたら激痛です。その場面を、後輩の医師は見ていません。  患者さんには、医師と接している時間の向こう側に長い生活があります。そんなことは頭ではわかっているのですが、今回、実感しました。同僚の医師たちも、患者になってみないとわからないと思います。医師、特に若い人は、どうしても、患者さんを医療的なデータという視点で見てしまいます。  今後私は、本当の意味で、全人的に患者さんを診られるようになる気がします。
 医療のリアリティーや全人的に患者を診ることの延長にあるのが、余命宣告だ。
 私も余命を告げたことはあります。しかし今は、医師が余命を告げるのは、やめたほうがいいと思います。 生命は本来、動物も人間も、時間に縛られることが前提になっていません。そんな中で、3カ月などと残り時間を告げられると、人間はかえって生きにくくなるのではないでしょうか。つらさだけが募り、残りの時間のクオリティーが下がる気がします。  むろん、残り時間で人生をたたむ支度をする、という意味はあります。しかしそれは、余命を告げるかどうかには関係なく、必要なことでしょう。
やれることはやって、体を守ろう

 自身の体験を積極的に語る中川先生が読者にくみ取ってほしいことは、「明日はわからない。できる範囲で体を守ってほしい」というメッセージだという。

自分自身で診る超音波エコーはこんな感じ(再現)。誰もができる範囲でセルフケアを=中川先生提供

 人間が、自分ががんになるとか死ぬとか考えないのは、自然なことです。ネコがそうであるように。しかし、人間には言葉も知識もあります。人が死ぬことも、がんという病気があることも、防ぐ手段があることも知っている。  だったら、やれることはしたほうがいい。超音波エコーは無理でも、乳房を触ることはできます。リンパ腺が腫れていないか、手を当てることもできます。痛みのない血尿など少しでもサインがあったら検査を受ける。それだけでも全然違います。そこは、人間ならではの世界です。
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