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がんと歩み、がんを語る ~ネクストリボン2019 第2部レポート~

掲載日:2019年3月8日 10時53分

 2月4日の世界対がんデーに開かれたネクストリボン第2部のテーマは、「がんについて語ろう -がんとともに生きる、寄り添う-」。女優の古村比呂さんらが自身のがん体験を語り、うち3人には、サバイバーでもあるタレントの向井亜紀さんが聞き手となった。ユーモアあり、心を打つエピソードあり。がんを機会に新たな人生が始まる可能性も感じさせた。

フォトセッションで笑顔を見せる、左から向井亜紀さん、古村比呂さん、矢方美紀さん、木山裕策さん。


胃がんの父が笑うようになった 岩越涼太さん

岩越涼太さん。1人でも多くの人が光を見つけるきっかけになればと思い、応募した

 今回のネクストリボンではイメージソングを公募した。
 最優秀作品賞を受賞したのはアーティストの岩越涼太さん。第2部は、岩越さんの語りから始まった。

 岩越さんの父は現在、胃がんで闘病中だ。当初は、「父が半年とか1年でいなくなる世界が考えられなかった。この先どんな思いで生きていけばいいのか」と受け入れられない時期が続いた。

 そのうち、父が笑うようになった。クリスマス、正月、誕生日……誰よりも笑う。

「苦しい中から光を見つけて前へ進んだのかな、と思い、最後まで楽しく生きていこうと約束をしました。音楽は最強な薬だと思います。音楽が、自分を前へ進ませてくれたり、何か光を見つけるきっかけになったりする力を持っていると信じています」

 曲名は「fly」。
「希望を抱いて明日も生きるのさ 窓の向こう側自由に飛ぶ鳥たちのように」
「闇の中でしか見えない光を 探して探して誰よりも大切にすれば ここにある全てが幸せに見える」
 キーボードを弾きながら想いを込めて歌う声が響いた。


悩んだときは大きく、苦しいときは未来を考える 岸田徹さん

岸田徹さん。大阪弁でユーモアたっぷりに語り、聴衆を引き付けた

 続いて、「NPO法人がんノート」代表理事の岸田徹さんが登壇した。テーマは「Think Big! 今日1日を大切に」だ。

 岸田さんは1987年、大阪府生まれ。アニメが大好きだという。立命館大学卒業後は東京でインターネットの広告営業をしていた。
 社会人2年目の25歳のとき、首が腫れてきた。クリニックや会社の健康診断でも、原因がわからない。血液検査も問題なし。半年ぐらい放置したら、ぷよぷよして痛くはないものの腫れが大きくなり、体調も悪化した。

 いくつかの病院にかかり、国立がん研究センター中央病院で「胎児性がん」という珍しいがんとわかった。がんは全身に広がっていた。「5年生存率は五分五分です」と医師。それを聞いて岸田さんは「こんなに広がっていても、5割も助かるんだ」と考えたという。

 たくさんの人がお見舞いに来てくれた。「お見舞いノート」をつくった。その中で、ある先輩がくれた言葉が、岸田さんを勇気づけ、目を開かせた。
「『Think Big』おおきく考えろ。人生で起こるすべての出来事には意味がある。トオルの10年後はメッセージに溢れている」
 岸田さんはそれから、悩んだときは大きく、苦しいときは未来を考えるようになった。


 治療を乗り越えたが、手術で射精障害という後遺症が残った。情報がなく、必死にネット検索すると、夫が似たような症状になったという女性のブログを見つけて連絡を取った。夫は3カ月で自然と治ったという。
「患者さんの見通しになる情報が大切なんだ、と身に染みて思いました」

 岸田さんはこれをきっかけに、「がんノート」を始めた。インターネット生放送で、岸田さんがゲストにインタビューする番組だ。お金、性、恋愛・結婚、仕事……さまざまなことを一歩踏み込んで聞く。放送(配信)は100回を超えた。

「ゲストの体験が、視聴者の方のロールモデルになればいいなと思っています。この会場にいるみなさんも、がんに限らず、誰かのロールモデルになるでしょう。 そのときには、自分だけ苦しいと考えず、『Think Big』という言葉を少しだけ思い出していただければうれしいです」

「1人じゃないな、とこの1年で感じました」 矢方美紀さん

 ここからは、タレントの向井亜紀さんが聞き役となって、3人の話を聞いた。
 向井さん自身、2000年に、妊娠中に子宮頸がんで子宮全摘出をしたサバイバーだ。2013年には大腸がんにもなった。そのとき受けた手術が18回目だという。

 その後も毎年、内視鏡検査を受けていて、「いつも小さながんが見つかっていましたが、先週受けた検査で、胃にも十二指腸にも腸にも、ひとつもがんがないという大合格の結果が出ました。手術してからこういう結果は初めて」という。


 そんな向井さんと語り合うトップは、タレントの矢方美紀さん。2017年までSKE48に所属していた。2018年4月、セルフチェックで左胸にしこりがあることに気づいたことがきっかけだった。乳がんのステージ2Bで、左乳房全摘出・リンパ節切除の手術を受けた。25歳だった。

「『なんで私だけが』と思い、落ち込みました。医師から『再発を防ぐために全摘を』と言われたときに『絶対嫌だ、このお医者さん何言ってんのや』と思ったのですが、冷静に考えると今後の人生のほうが長いし、1週間後に『全摘したいです』と話しました。だんだん受け入れていった」


 手術の2週間後に公表。治療の選択によっては外見の変化が出るので、誤解を避けるためにも情報は公開すべきだと考えたという。
「隠すよりどんどん言ったほうが自分の性格に合ってるんじゃないかな、思って決断しました」


 公表後は、後悔もあった。「ネットなどでバッシングを受けないか」と不安になった。自分のSNSも怖くて見られなかったが、あるタイミングで見ると、温かい言葉がたくさん届いていた。手紙などでアドバイスをもらうこともあった。
「1人じゃないな、とこの1年で感じました。病気をしたから全てが悪いわけじゃないと感じています」

 いろいろ考えたが、再建もしていない。
「この自分でも私らしい、このままで行こうと思っています。友だちに手術した胸を見せることもあります。ある友人は『えっ、かっこいいよ』みたいに言ってくれました」
 向井さんに髪型について聞かれると、「ウイッグ取ると、短髪のハイトーンなんです。テレビ見て、あっ似てると思ったのは、ダウンタウンの松本人志さんです」と笑いを誘った。
 今後の夢は、声優。名古屋でレッスンを受けている。「近く、自分の名前と声をお届けできる仕事ができたらいいなと思っています」と語った。


向井亜紀さん(左)と矢方美紀さん。向井さんが涙ぐむ場面もあった

コンプレックスを互いに受容し、支え合いたい 濱松誠さん

濱松誠さん。ONE JAPANとして、書籍『仕事はもっと楽しくできる』(プレジデント社)がある

 大企業の若手有志のコミュニティ「ONE JAPAN共同発起人」の濱松誠さん(36)は、家族としての思いを語った。テーマは「がんがつないでくれた縁」。
 濱松さんは、2017年、乳がんの経験者である日本テレビの記者・キャスターの鈴木美穂さんと結婚した。

 出会いは2016年。鈴木さんは手術から8年経っていて、がんサバイバーや家族らがぶらりと立ち寄り、悩みを話せる場「マギーズ東京」をつくろうとしていた。濱松さんはパナソニック勤務のかたわら、大企業で働く若手の活性化を図ろうとしていた。
 会社の枠を越えた活動に力を注ぐ。そんな共通項などから惹かれ合った。

 濱松さんの母はシングルマザー。2歳の時に両親が離婚して女手一つで兄2人と自分を育ててくれた。
「みんなコンプレックスを持っています。私は、結婚式で両親に並んでもらえない。妻も、外見も含めたコンプレックスがある。コンプレックスは比べるものではなく、お互いが受容して、支え合いたいと思いました。妻とは、命あるものは精一杯生きよう、と話しています」

 2人とも昨年末に会社を退職。将来は孤独を抱える人の居場所づくりなどをしたいと考えている。その種を探すことも目的に、5月から、鈴木さんの夢だった世界一周に出かける。濱松さんは「もっとも大切な人と後悔のない人生を歩みたいと考えています」と語った。


「抗がん剤を卒業しました」 古村比呂さん

古村比呂さん。リンパ浮腫情報交流サイト「シエスタ」なども開設している

 対談のラストは、女優の古村比呂さん。2012年に子宮頸がんで2度の手術を受け、治ったと思った2017年に再発、さらに再々発。2018年のネクストリボンでそれを公表した。
「比呂ちゃんはいろいろ山を越えながら、いつも全然自慢しない。もっと自慢していい。今日の午前中、いいお話があったんですよね?」
 と向井さんが振ると、古村さんが飾らない口調で語った。

「今回は明るい報告なんですけど、抗がん剤治療がお休みになります。完治ではないけれど、今後は経過観察をしながら治療をしていく。今日の午前中に決まりまして」
 会場に拍手が起こった。続いて向井さんが、自身の大合格について報告すると、再び拍手が沸いた。


向井亜紀さん。明るく真摯に、対談相手の話を引き出していた

 再々発から1年を古村さんはどう過ごしてきたのか?
「なるようにしかならないと開き直れました。それが大きかったです。治療の選択肢も限られていて、考え方もシンプルになりました。正直、『大変』とは思わなくなった。現実と感情は別物。治療をやることと、どう思うかは別。そう割り切りました」

 とはいえ、感情は波のように来る。お気に入りの鍋をキッチンで叩いてへこませてしまったこともある。どうしよう、と途方に暮れていたら、三男が火にあぶり金づちで直しながら「もう少しうまく叩いたらよかったのに」と言った。その対応で、気が楽になった。

 落ち込むことも大切だという。感情は押し殺さず、委ねていく。
「叫ぶときもあります。紙に思いを思いっきり書いて、破って捨てるとすっきりします。底なし沼にも底があります。泣きはらすと、おなかが鳴ったり、眠くなったり。でも、どう過ごしたいかと言えば、笑っていたいですね。それなら、切り替えて気持ちを上げていこう、と思えるようになった」

 しんどい経験も、今しかできないこと。必ず生かされる。そんなことを、ほかの人のブログなどから教わっているという。向井さんが語った。
「比呂ちゃんが、また強くなっている。柳のようにやわらかく。これからも、つらいときは、お互いに愚痴を言いましょうか。笑い飛ばせれば……」
「そう思います!」


ささいなことに幸せを感じる 木山裕策さん

 第2部の最後は、ネクストリボンのキャンペーンソング「幸せはここに」を歌う歌手の木山裕策さん。平日は会社員をしている。
 木山さんは1968年生まれ、大阪府出身。ずっと歌が好きで、息を吸うように歌っていた。大学時代はバンドを組んだ。いまも通勤途中、自転車で歌っているという。

 27歳で結婚し、すぐに長男が生まれた。30代に入り、次男、三男と生まれた。課長になりインターネットの広告制作の仕事で多忙だった2004年、36歳で左側の甲状腺にがんが見つかり、左側の甲状腺の摘出手術を受けた。
 手術の前の晩、医師から、のどを切るので声が出なくなる可能性を告げられた。声が残ったら歌にチャレンジしよう。そう思った。手術の後、看護師に起こされると、麻酔が残る朦朧とした状態で、「アー、アー」とやってみた。声は出た。


 日常生活が戻っても、反対側の甲状腺に腫瘍ができる夢をよく見た。ずっと平均寿命までは生きるつもりだったが、突然、タイマーが鳴り始めたように思えた。
 この世からいなくなっても生きた証を残したい。そんな思いが募る中で四男が生まれて、その2カ月後、歌手になる夢に挑戦した。2008年2月に「home」でデビューし、その年のNHK紅白歌合戦にも出演した。

「がんになることでもう一度自分に向き合い、自分が何をしたいのか、子どもたちに何を残したいのか、を考えました。ささいなことに幸せを感じるようにもなりました」
 そう語り、木山さんは、「幸せはここに」を歌った。

「いつでも変わらない愛見つけて ありふれた朝も輝いている」
 透き通った声から、昨日と同じ日常を迎えられる喜びが、会場全体へ広がった。


木山裕策さん。満面の笑顔で語り、心を込めて歌った。昨年、シングル「手紙」をリリース

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