
次女が味噌汁を作り、長女が片付けをしながらおいなりさんの準備をする。そんな2人の姿を見守るのが、今回の主人公である中村圭子さんです。
中村さんが慢性白血病とわかったのは2年前のこと。仕事をしながら治療に励む中村さんに代わって夕飯の準備をするのは、二人の娘たちなのです。
「おこづかい制とはいえ、自発的にやってくれることは本当にありがたいです」。体調のことを隠さず家族に伝え、しっかり話し合いながら歩んできた日々についてお聞きしました。
文=晴山香織 写真=広瀬貴子
中村圭子(なかむらけいこ)さん
1975年生まれ。東京都出身。夫と高校1年生、中学2年生の娘との4人暮らし。2017年に慢性骨髄性白血病と診断される。現在は分子標的薬を服用しての治療中。2018年より日本対がん協会職員に。
白血病という診断に、不安が消えた
「『おそらく、骨髄性白血病でしょう』と医師に告げられた瞬間、ホッとしたんです。やっぱり、私病気だよね、普通じゃないよね、と」
検査を受けた日のことを、中村圭子さんはそう振り返ります。それまでずっと体がだるくて仕方なかったそうです。仕事が終わって帰宅してから、何もできない日が続くこともありました。仕事中に突然ひどいめまいに襲われ、動けなくなってしまったことも。

「会社で受けた健康診断でも白血球の数値はギリギリとはいえ基準値内だったので、血液については特別気にしていなかったんです。ただ、どうしてこんなにだるいんだろう、更年期かな、年齢のせいかな、と考えていました」
働きながら家事をこなす日々の中で、はっきりとした原因がわからない不安がいつも心の中にあり続けたのです。
だるさがあっても、働きたい
もともとは、アパレル会社の正社員だった中村さん。朝6時に家を出る生活で、さらに一日中立ち仕事というハードな勤務でした。だるさの原因は、疲れが溜まっているからかもしれないと考えていた頃、ちょうど長女の芽生(めい)さんが中学生になり、お弁当生活がスタート。朝早くからの仕事は難しいと判断し、正社員からアルバイトに切り替えます。
働く時間も日数も減って楽になるかと思いきや、だるさは変わりませんでした。となると、立ち仕事はもう辞めた方がよいのかもしれないと転職することに。
「『働かない』という選択はできませんでした。休んでブランクができてしまうと、そこから再就職するのは難しいんじゃないかという不安があって。まわりでは、子供が成長するにつれて、社会復帰するママ友たちも増えていた時期だったので、社会から孤立して、置いていかれるような不安があったんだと思います」
インテリア関係の事務所に転職しましたが、そこでひどいめまいに襲われて倒れてしまいました。メニエール病と診断され、やっと仕事を辞めて休養することに。とはいえ、やはりずっと休む気にはなれず、1ヶ月後に復帰しようと考えて健康診断を受けたところ、血液検査の数値に異常が見つかったというわけです。
「原因がわかって安心しました。祖母が白血病で亡くなっていたり、甥っ子も白血病になっていたりしたので、突然降ってきたという感じではなかったんです」
飲み薬だけの治療がスタート
詳しい検査を受けるために血液内科へ行くことに。その日の朝のことを中村さんは鮮明に覚えています。
「この子が玄関で『ママ、絶対帰ってきてね』って言って抱きついてきたんですよ。普段そんなこと言わないのに」と次女の花鈴(かりん)さんの顔を見ます。花鈴さんは照れているのか「そんなこと言ったっけ? 小学生だったから覚えてない」と、とぼけて笑っていました。

診断を受けてからの中村さんは、夫はもちろん2人の娘にも包み隠さず伝えました。もしかしたら検査後に緊急入院になるかもしれない、しばらく帰ってこられないかもしれないから、あとはよろしくね、と。その話を受けての花鈴さんの言葉だったのです。
「でも、いざ検査を受けたら、医師から『帰っていいですよ』とさらりと言われて拍子抜けしました。おそらく慢性型の骨髄性白血病だろう、と。詳しい検査の結果が出るまで抗がん剤を服用するけれど、普通に生活しても良いということでした。ちょうどゴールデンウィーク前で休みにはディズニーランドに行く予定だったので『絶叫マシーンに乗ってもいいのでしょうか』と聞いて(笑)。それも私の体調が大丈夫ならオッケーで、食べ物の制限もなかったので驚きました」

その後、詳しい検査結果が出て、今後の治療の話を聞くことに。そこでもまた、中村さんは驚くことになります。
「無菌室に入るのかな、抗がん剤の副作用で髪の毛が抜けるかもしれない、と想像していたんですが、分子標的薬を飲むだけでいい、薬を飲んでいれば症状を抑えられることが多い病気だと言われて。ただ、薬代がすごく高いと。医師からの話のメインは、お金のことでした。1錠1万円ほどの薬を一日2錠、毎日飲み続けます。高額療養費制度を使ったりしてもひと月当たりの薬代は高くて。私はがん保険には入っておらず、入院保険のみ。入院していないので、もちろん保険金はおりませんでした」
また、それまでの主な症状はだるさでしたが、薬を服用し始めると、味覚において少しずつ甘さを感じなくなってきました。
「甘いものが大好きなんですが、気がついたらいつも食べているたい焼きのあんこが甘くないな、と思って。そう感じ始めたら、あれ、このチョコも甘くない、と。でも、もともと甘いものが好きで家には置いてあったので、味がわからなくても食べちゃうんです(笑)。ただ、香りは分かるのでハチミツや果物などの香りを味わいながら食べています」
少しずつ日々のリズムを取り戻し始めた頃、家でじっとしているのが好きではない中村さんは、何かを始めたいと思うように。そして、知り合いの紹介で見つけたのが、日本対がん協会の仕事でした。
日々の食事の準備をおこづかい制に
再び働くことになって、まず家族と話したのは、食事のこと。約1年休養している間は、中村さんが日々の食事を作っていました。仕事を始めたらそれは難しくなるだろう、と予測してのことです。だるさは変わらず体に残っていたため、以前のように、また帰宅後にぐったりしてしまって何もできない日々が戻ってくるのではないかと想像したと言います。
「ちょうど長女が高校受験の時期で、バイトができる高校がいい、と。だったら家で食事を作るバイト制にしてみようか? となったんです。私は食事を作らなくていいし、娘たちはお金を稼ぐことができるし、お互いにとってメリットが大きいっていう話をして。そこから子供達が自発的に食事を作ってくれるようになりました」
診断される前に働いていたころ、中村さん自身がだるくて何もできない時に取り入れていたのが、冷凍食品や生協で売られているキットでした。キットは、野菜やお肉がカットされて入っているので、あとは炒めたり煮たりすればいいだけ。それを使ってパパッと料理する中村さんの姿を見ていたこともあって、芽生さんと花鈴さんは材料さえあれば、料理ができるようになっていたのだといいます。
「もともと、家庭科で習ったお味噌汁はよく作っていました。最初はキットを使って炒め物を作ったりしていて、最近はクックドゥーのレトルトを使って料理したりもします。でも、私が部活の時は帰りが遅いから、妹が作ってくれます。部活帰りはお腹が空いてるからすごく嬉しい」と教えてくれる芽生さん。
さらに「とりあえず冷凍庫と冷蔵庫を見て、そこにある材料で作ってます。野菜炒めとかは焼肉のたれを使えば簡単」と花鈴さんの答えからは、頼もしさを感じます。

「私としては、一応彼女たちが作りやすいものを仕込んでおくようにはしています」と中村さん。
例えば、冷凍のネギトロやしらすは、解凍してご飯にのせればよし。あとは味噌汁を作れば手軽に夕飯になります。また、味噌漬けの豚肉を冷凍してストックしておけば、焼くだけで一品に。
サラダを作るときは、レタスしかなかったとしても、豆の水煮やホールコーンが常備してあるので、それを加えることもあるのだそう。また、冷蔵庫には、中村さんお手製のきゅうりやにんじんの浅漬けがあって食卓にのぼることも多いとか。手軽に、かつ、できるだけ野菜をとるようにと考えていることがわかります。

いつしかあうんの呼吸で料理できるように
芽生さんと花鈴さんに普段のご飯を作ってもらいました。二人が選んだメニューはお味噌汁とおいなりさん。どちらもよく作るもので、家族みんなが好きな味だそう。花鈴さんが味噌汁を作り始め、芽生さんがおいなりさんの準備をスタート。2人は特に相談することもなく、それぞれ調理していきます。

花鈴さんはにんじんや大根を切り、さらに冷凍庫からほうれん草を取り出します。「お味噌汁には絶対にほうれん草を入れるんです。あとは前の日に残った野菜の千切りとかも入れちゃうこともあります」と話しながら、出汁入りのお味噌を取り出し、おたまでぐいっとすくって鍋の中で溶かしていきます。
味見をして「あ、お味噌の量、ちょうどだった」と嬉しそう。一発で味を決めました。 ここで中村さんから「野菜、ちゃんと火は通ってる?」と一言。花鈴さんはにんじんを食べて「あー通ってないや。弱火でコトコトやろうっと」と笑います。中村さんが「あんまり言うとやる気がなくなるだろうから、できるだけ口出ししないようにしてます」とこっそり教えてくれました。
一方、芽生さんは花鈴さんが使った包丁やまな板を洗ったり、野菜くずをまとめたりとさりげなく手伝いながら、ボウルを取り出しておいなりさんのご飯を準備。ドライパックのひじきと醤油味のゴマを混ぜていきます。
さらに味付け済みのおいなりさん用の油揚げのパックを開け、煮汁をご飯へ入れてさらにひと混ぜ。「酢飯にしなくても、この汁を使うだけでおいしくなります。母がやっていたのを真似しています」と教えてくれます。

てきぱきと2人で油揚げにご飯を詰めているうちに、弱火にかけていた味噌汁もできあがり。「たくさん作りすぎちゃった」という花鈴さんに「余ったらご飯入れておじやにすればいいよ」と芽生さんが答えます。日々の料理で身につけてきた知恵が2人の中に少しずつ蓄積されていることが伝わってきました。
「二人とも自発的に作ってくれるので、本当にありがたいです。お腹が空いて作らざるを得ない状況っていうのもあるかもしれませんが(笑)」

週末は夫が料理担当
ちなみに週末の食事は夫の明生さんが作ることがほとんど。もともと、中村さんがアパレルで正社員として働いていた頃は、土日勤務だったため、週末の食事の担当は自然と明生さんになりました。最初はピザなどのデリバリーが多かったものの、そのうちチャーハンを作るようになり、今はビーフシチューやカレー、麻婆豆腐などまで作っているそうです。
「どうして料理するようになったのかを父に聞いてみたら、最初は『ママが少しでも楽になるように』って言ってたんだけど」と話す花鈴さんに、芽生さんが続けます。「母が『取材用の答えじゃなくていいんだよ』って言ったら『じゃあ、食べたいから作ってるだけ』って言ってました」と笑います。
「娘たちが、こんな調子で上手なんですよ。夫に『何食べたい?』って聞かれたら『パパのビーフシチュー』って答えるし、食べたら『ママが作るよりおいしい!』ってわざと持ち上げるんです、すごいでしょ?」と笑う中村さんの横で、2人も笑っています。

どんなことでもきちんと話し合っているという、中村家の日々の様子が伝わってくる姿でした。 中村さん自身、働きながら、治療しながら、家事をこなすのは大変だったことでしょう。しかし、その都度、柔軟に対応し、家族に伝えてきました。お互いに助け合うことで、チームとしての結束力を強めたに違いありません。
また、中村さんは、芽生さんと花鈴さんが料理をすることは、決して美談ではない、と言い切ります。
「おこづかい制にしたのは『自分たちはお金をもらうに値する仕事をしている』ということを伝えたかったからです。こちらが『手伝ってくれるのが当たり前』という態度ではやらされている感じになってしまうし、それはちょっと違うかなと思って。実際、積極的にやってくれるし、彼女たちがやってくれるから私は働けているんだと思います」
その横で花鈴さんがポツリと言いました。「洗濯物を取り込んだり、たたんだりするのは、お金もらえないけどやってるよ」と。その言葉にまた3人は大笑い。
こうやって笑い合い、話し合い、協力して、家族で過ごしてきたのです。しっかり結束したチームとしての日々が、これまでの中村さんの支えであり、そして、これからの礎ともなっていくのでしょう。
エピソードをひとさじ
インタビュー中に、中村さんがこれまでに描いたイラストを見せてくれました。それぞれ、ゴールデンウイーク、母の日、お花見など、季節やイベントがモチーフになっています。療養中に巡った季節と思い出を描きためていたのです。 イラストを眺めると、当時の気持ちや行動を思い返すことができるのだそうです。室内に優しい印象の油彩画が飾られていたのですが、それも自身の作品だというからスタッフ一同びっくり。異なるタッチの絵を描き、裁縫もさらりとこなす多才な中村さんなのでした。(編集部)わたしの逸品

いなり寿司
- 調理時間
- 30分
- 主な材料
- ご飯、味付け油揚げ、ひじき
- 栄養価(1人分)
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食塩相当量 0.9g エネルギー 512kcal たんぱく質 15.8g - 投稿者のコメント
- 白血病の影響で、だるさと付き合う日々。仕事をしていることもあり、平日の夕ご飯は中学生と高校生の娘たちが交代で作ってくれま......