食生活に科学者の目を取り入れて

2019年11月1日

 群馬大学教授の奥津哲夫さんは、理系の研究者です。2007年に胃がんの手術をしたあと、「自分の体を実験台にして食事の試行錯誤を繰り返した」と言います。気分を上げようと、有名シェフのレシピに学んだ料理も作ってきました。今ではアクアパッツァもお手の物。「自分の体験が誰かの役に立てれば」とおっしゃる通り、奥津さんの話からはサバイバーに大切なメリハリが浮かんできます。

奥津哲夫(おくつてつお)さん

 1961年生まれ。神奈川県小田原市出身。群馬県在住。群馬大学教授(専門は光物理化学)。2007年秋、胃がんのステージ3Aと判明し、全摘する。術後、補助化学療法も行う。その後、肺に転移をするも、抗がん剤で治療。一方で、2012年ごろから抑うつ状態になるも乗り切り、2015年にがんも寛解。2人の子どもは独立し、夫婦で暮らす。


奥津先生が取材チームに作ってくれたアジのマリネ。アジは小田原で育った少年時代からのなじみです。

人気シェフそっくりのアジのマリネ

 イタリア料理店の前菜と錯覚しそうなアジのマリネが、目の前に並んでいました。

「落合先生のレシピで作ったんです。イワシをアジに替えています」
 奥津哲夫さんが笑顔を見せました。落合先生とは、東京・銀座の人気イタリア料理店のシェフ、落合務さん。本だけでなく、実際に食べに行って、写真も撮って研究したそう。

「がんになってから、素材を生かした料理が好きになりました。味覚が変わったというより、気持ちが変わった。何事にも感謝する気持ちが出てきて、素材にも感謝しています」

 いまでは土日の食事は奥津さんが担当。居間の机に料理本をどーんと置き、夫婦で何を食べようか思案して、仕込みにもたっぷり時間をかけるそうです。

 しかし、胃を全摘してからここまで来るには、さまざまな紆余曲折がありました。


落合務シェフの料理本をはじめとする奥津さんの“師匠”たち。NHK出版の「きょうの料理ビギナーズ」も定期購読していました。

銀色のお盆に載せられた胃

 1991年、東京工業大学の大学院を出た奥津さんは、富士フイルムに入社しました。一世を風靡した「写ルンです」(86年発売)の高感度フィルムの開発に携わります。94年、34歳のとき、恩師の平塚浩士さん(現・群馬大学学長)の引きで群馬大学へ転職。高校の後輩でもある妻の睦実さんと、地縁のない土地で新たなスタートを切りました。


当時のことを思い出しながらお話ししてくれた奥津哲夫さん、睦実さんご夫妻。

 以来、群馬大学一筋。ところが、2007年8月の終わりに異変を感じます。

「食べたものが落ちにくいというか、さつまいもを食べて詰まっちゃったような感触があったのです。10月に入ると、お湯まで詰まる感じでした」

 睦実さんは、食べた物を胃に落とそうとして、奥津さんがよくジャンプをしていた姿を覚えています。

 10月にがんと確定。11月半ばに前橋赤十字病院で手術を受けます。リンパ節へ転移していて、ステージ3Aと判明しました。胃を全摘し、食道も半分切って、脾臓や胆のうも切除、8時間に及ぶ大手術でした。

 外で待っていた睦実さんは、医師から全摘した胃を見せられます。

「先生が、銀色のお盆に胃を載せて持ってきてくれたんです。鶏肉の塊のような感じなのです。今でも鶏料理を作ると、ときどき思い出します」

家族と同じメニューが食べたい

 2週間で退院。しかし、一度にたくさんは食べられません。食べる量も手術前の半分から6割ぐらい。「どう考えても、1日1200キロカリーぐらいでした」と、カロリーで説明する奥津さん。食事はタンパク質と脂肪優先で、糖質は間食で補給することにしました。

 料理は、睦実さんの手作りです。
 たとえば、キャベツ、にんじん、タマネギ、カボチャを200グラムずつぐらい、寸胴鍋で調味料なしで30分ぐらい煮込み、野菜の甘みが出た煮汁を飲みます。残った野菜はみそ汁の具にする。がん関係の雑誌に載っていたレシピです。


鶏肉の雑炊に入れる野菜。食べやすい大きさに切ってあります。

 術後1カ月ほどで仕事に復帰すると、お弁当持参です。小さめのおにぎり2個、ごま油を使い調味料なしの卵焼き、鶏肉、フルーツ。フルーツは、ビタミンを意識してキウイやいちご、ブドウなどが多かったそう。

 一方で、がんが消えることを謳うレシピは、魅力的に見えるものの、科学者の目から、エビデンス(科学的根拠)がないと断ちきります。同様に、「漂白した小麦粉や砂糖のように人の手が加わっているものはよくない」という「白い食品=悪」説にも、疑問を感じました。親が送ってくれたロイヤルゼリーさえ送り返しました。

 しかし、ときに回鍋肉のような、科学的には体に優しくなさそうな料理にも挑戦しました。なぜ? 当時は同居していた長男の真一郎さん(1992年生まれ)、長女の真理子さん(1995年生まれ)ら家族と同じメニューだからです。奥津さんが振り返ります。

「負けてたまるか、という気持ちがあったのです。その表れでしょう」

 鶏肉の雑炊も、その延長の定番メニューでした。家族用に作ったけんちん汁の出汁にごはんを入れて温め、サトイモ、大根、にんじん、白菜、シイタケ、一口大の鶏肉などを加えて加熱。最後に卵とネギを入れます。味付けは塩少々と、しょうゆは色がつく程度。

 そういえば、と睦実さんが思い出しました。手術後に退院するときも、飲めないはずの缶コーヒーや缶ジュースを買っていた、と……。


けんちん汁の具にごはん、卵、ネギを入れて雑炊の完成です。消化にもよさそう。

5年日記と大型バイク


おなかの手術痕まで見せながら語ってくれた奥津さん。手術後に最初に思ったのは「味噌ラーメンの麺を3本食べたい」だったそうです。

 奥津さんは、手術の後遺症に対しても、自らを実験台に、科学的にアプローチします。

 膵液が食道に逆流し、食道がただれて、ヒリヒリします。膵液はアルカリ性なので、酸性のものを飲んで中和することを考えました。レモンやオレンジジュースなどクエン酸系の飲み物を試したら、染みてダメ。お酢はおいしくない。やがてコーラがよく効くと気づき、枕元や車の中など、いつもそばに置いておきました。

 ビスケット1枚で大量の汗をかき、脱力症状になったこともあります。こうしたダンピング症候群(食べ物が直接腸に流れ込むため、めまい、高血糖や低血糖、動悸、発汗などの症状が起こること)対策では、糖尿病の人が食前に服用するサプリメントや特保のお茶を飲むと、いくらか効果がありました。

 手術前に72キロあった体重は、最終的には51キロまで減りました。


5年日記をめくりながら話す奥津さん。睦実さんは読んだことはないそうです。

 そんな中で、自らを鼓舞するために始めたことが、2つあります。
 一つは5年日記。手術の翌年、2008年1月1日から書き始めました。冒頭の記述はこうです。

 《充実した1日1日を過ごす。生き抜く……転移が起こりませんよう希みを持って新年を迎える。時限爆弾のタイマーが∞であることを願う》

「生き抜く」を○で囲んでいます。「5年経って再発しなければ治癒とみなせる」。それが念頭にあったそうです。

 もう一つは、大型バイクです。
 2008年5月に大型自動二輪車の免許を取り、ホンダのVFR800という大型バイクを買いました。週末に、八ヶ岳一周、尾瀬や日光などへ1人でツーリングなどに出かけます。その様子は、日記にもたびたび描かれています。

「術後、脳みその働きも鈍くなったように感じていました。バイクは運転中に雑念が入らず、集中していると無我の境地に達します。バイクは瞑想の道具です」


5年日記の一部。書き始めた元旦には「自然体でいこう」という言葉が。「明日死ぬと思って生き、ずっと生き続けると思って勉強せよ」というガンジーの名言が書かれた日も。

スポンジのように聞くしかない

 起伏はあれど、心身ともに復調してきました。お酒も復活しました。
 ところが、2010年7月、左肺に転移が見つかります。睦実さんによると、検査結果を夫婦で聞きに行った際、ふだんは泰然自若としている主治医があわてていたそうです。

「人生の終わりが見えて、投げやりになり、5年日記もやめてしまいました」

 とはいえ、そこは科学者。ネットや群馬大学医学部の図書館で、胃がんの化学療法に関する英語の論文をいくつも読みます。そして、当時は標準治療になっていなかった「TS-1+シスプラチン」という治療法と出会いました。

 しかし、抗がん剤のシスプラチンは副作用がひどく、ぐったりしてしまう。下痢、耳鳴り、食欲不振も追い討ちをかけます。エネルギー補給型のゼリーなどを食べてしのぎました。

 家族に当たることもしばしばで、出勤時に睦実さんが「がんばってねー」と声をかけると、「言うなっ!」とドアをぴしゃりと閉めてしまう。そのくせ、睦実さん相手に、愚痴や嘆き節が続きます。睦実さんは「スポンジのように聞くしかないだろう」と思ったそうです。生命保険会社で働いており、仕事が気分転換になっていました。

 結局、奥津さんは、副作用に耐え切れず、治療を3クールでやめました。ただ、医師に「奇跡的」と驚かれるほど、劇的に効いたそうです。


睦実さんからの言葉でうれしかったのは、手術前に言われた「ちゃんと治してください。一緒じゃなきゃ嫌だ」でした。

燃え尽き症候群になり、料理に目覚める

 転移から1年近く経った2011年6月には、教授に昇進。猛烈に働きます。7月には、今度は右肺に影が見つかりましたが、転移ではありませんでした。

 朗報が2つ。それなのに、燃え尽き症候群のようになってしまいます。「56キロまで戻っていた体重もまた51キロに。9%ぐらい減ったのです」

 大学で大事な会議を忘れてしまい、奥津さんはうつ状態を自覚。近くのクリニックにかかりました。2014年のことです。そして、老医師に言われた言葉で楽になりました。

「目標が高すぎるんです。目標を下方修正しないと折り合いがつきません」

 うつ病の本をあれこれ読むと、「うつ病のときは、脳内の神経伝達物質が減っている。肉を食べると改善される」と書いてありました。そこで、自分でステーキを焼いたりしました。
 今日に至る、料理の道の始まりです。やがて、気持ちも快復していきました。

 2015年10月、再発がないまま定期的な検査が終了し、がんも“卒業”しました。
 睦実さんによると、奥津さんは、よく笑うようになり、睦実さんにもぐっと優しくなり、分担する家事の量も増えました。今年の夏には、夫婦で台湾旅行を楽しみました。

「私の好きな小説『モンテクリスト伯』に『待て。しかし希望せよ』という言葉があります。がんになると、多かれ少なかれ、うつっぽくなります。でも、必ず人生を楽しめるときが来るのです」

 そう語る奥津さんはいま、ピアサポートの活動にも力を注ぎ始めています。

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エピソードをひとさじ

 ピアサポートは、がん体験者や家族が、がんの人や家族を仲間として支援すること。経験者だからこそ気づくきめ細かなサポートができます。奥津さんは、2018年の夏ごろから、他のサバイバーの役に立ちたいと考えたそうです。まずは前橋市で開催されたリレー・フォー・ライフ・ジャパンぐんまに出向き、がんと向き合う仲間との関わりを深めていきました。その後、講演や傾聴ボランティアなど活動を広げています。冷静で不屈、何事にも凝るマインド。奥津さんならではのサポートが力を発揮する気がします。(編集部)

わたしの逸品

けんちん汁から作る鶏雑炊

調理時間
1時間以内
主な材料
ご飯、里いも、にんじん、大根、卵
栄養価(1人分)
食塩相当量2.3g
エネルギー566kcal
たんぱく質27.8g
投稿者のコメント
胃がんの手術後「自分だけ特別扱いされたくない、家族と同じ味を食べたい」という思いから生まれた一品です。家族用に作ったけん......

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