「まずはやってみる」で開いた未来

2020年2月3日

 赤ジソのやさしい色に染まった梅干し、美しい層を成す花梨のはちみつ漬け……。ご自宅の保存瓶が置かれた棚には、味噌、たくわん、らっきょうといった手作りの調味料や漬物が並び、山口さん夫婦の丁寧な暮らしを垣間見ることができます。

「きちんとした食事で体調がよくなるのを実感したし、何よりも〝純粋においしい〟と思えたのがうれしいです」と秀司さんは言います。

 ある日突然、脳腫瘍で余命2年の宣告を受けた秀司さん。前に進むための原動力は、奥さんと二人三脚で積み重ねてきた「やってみる」の姿勢にありました。

山口秀司(やまぐちしゅうじ)さん

1968年生まれ。大阪府出身。2016年3月、前頭葉に脳腫瘍が見つかり、グリオーマ(神経膠腫)のグレード4という診断を受け、余命約2年と宣告される。手術後は1ケ月半の放射線治療、1年半の抗がん剤治療を受け、再発せずに現在に至る。治療中、ひどい便秘に悩まされたことなどをきっかけに、妻の真弓さんと一緒に料理教室に通い玄米菜食の生活に。「食」の大切さを実感している日々。手術後1年半休職し、現在は会社の産業医と相談して、体調に配慮した形で職場復帰している。

楽しい温泉旅行が一変した日

 秀司さんの異変は、両親を招いて訪れていた伊豆の温泉旅館で起きました。

「朝風呂の脱衣所でぼーっと立っていたらしいんです。それからの記憶はほとんどなくて」(秀司さん)

 帰ってからすぐに埼玉県内の総合病院に行き、CTスキャンを撮ったところ、ゴルフボールサイズより大きい腫瘍が脳にあることがわかりました。即、手術のできる病院へ移りICUへ。

 手術は2日後――。それほど緊急性を要していたのです。「呼吸がいつ止まってもおかしくなかった」と真弓さんは医師から告げられました。診断は脳腫瘍のなかでもグリオーマ(神経膠腫)のグレード4という重いもの(グリオーマでは、ステージの代わりにグレード=悪性度を使う)。2016年3月のことでした。

「予兆といえば、4ケ月前ごろから頭痛が続いていましたね。地元の総合病院では鎮痛剤しか処方されず、そういうものかとやりすごしていました」という秀司さん。7~8時間に及ぶ手術で腫瘍の大部分は取り除くことができましたが、浸潤している部分までは取りきれず、放射線治療と抗がん剤治療が必要でした。

  

「手術前の検査結果で、余命2年と言われました。死ぬ準備をさせなさいって。腫瘍はどうやっても取りきれず、しばらくするとまわりに浸潤しているがん細胞によってまた腫瘍が大きくなり、再発してしまう、と。長くはもたないという話でした」

 余命をどう告げればいいのか……。真弓さんの頭の中では、その迷いと覚悟が四六時中めぐっていました。あまりにも残酷な内容だと考え、余命を医師から本人に告げてもらうという選択肢もありましたが、真弓さんは自分で伝えなければと思ったと言います。

「図書館でがん関連の本を40冊ほど借りたり、ネットで様々な情報を検索したり。毎日病院に見舞いに行きながら、まずは再発を防ぐ治療や手段がないかを調べました。そのうえで、『お医者さんからは余命が告げられたけど、できることはある』と言うことが大切だと思っていました」

立ち止まっている時間はない

 主治医に急かされながらも、なかなか告知できずにいた真弓さん。手術後10日ほどたったところで外泊が許可され、自宅に帰った際にやっと告知をしました。彼女の前向きな姿勢が伝わり、秀司さんは冷静に受けとめられたと言います。

「僕は楽観的で、入院生活を楽しんでいたくらい。その間、家内が悩んでいたことをあとから知りました」(秀司さん)

「そうそう。のんびり朝ドラ見られるとか言って、くつろいでいたよね(笑)」(真弓さん)

 そんな秀司さんの大らかさと真弓さんのきめ細やかさが理想的なバランスのご夫婦。真弓さんはがんに効果が高いと言われている免疫療法の薬であるオプジーボについて製薬会社に問い合わせをしてみたり、ふたりでここぞと思った他病院にセカンドオピニオンを聞きに行ったり、新しい治療法や治験(薬として承認される前に効果や安全性などを確認するための臨床試験)情報を調べたりと、立ち止まることなく「今できること」を行動に移していきました。

     秀司さんの体を考えて、奥さんの真弓さんが手作りした梅干しやらっきょうなど。「やってみたら思いのほか手軽にできて驚きました」(真弓さん)

体によさそうと聞けば何でもやってみることに。

「抗がん剤の副作用なのか、入院中にひどい便秘が続き、看護師さんに相談しても下剤をくれるだけでした。薬を飲まないと出ない、というのが嫌で何か方法はないかと家内が調べてくれたのがビワ葉温灸でした。都内のサロンで温灸をしてもらったら、とても気持ちよくて。自分でもできるよと先生がやり方を親切に教えてくださったんです」

 サロンで手にした冊子を通じて、伝統的な和食を中心とする健康づくりを提唱している東城百合子先生を知ったふたり。

「賛否両論があるのはわかったうえで、まず話を聞いてみてから判断しよう」と、無料で行われている「お手当て講習」に参加することにしました。

「その講習会の最後に出たのが、玄米のおにぎり。それが、もうおいしくて、おいしくて。玄米は体にいいとは知っていたけど、パサパサのイメージがあったので、そのもちもちした食感と旨味に驚きました」と秀司さん。

 自分でも炊けると聞き、台所に立ったことのなかった秀司さんが、東城先生の料理教室へ週に一回、通うことになったのです。

  勉強会で食べた玄米ごはんをきっかけに料理への興味が高まったのは、秀司さんにとって大きな変化。

意外と簡単においしく作れる玄米ごはん

 その後、ふたりで料理教室に通い、玄米菜食を自宅で実践するようになりました。毎日の食事は無農薬の玄米に、ハトムギ、さらに黒豆、黒米などを入れて、栄養バランスを取ったごはんを主食に、野菜中心のメニューです。

「玄米って炊くのが難しいイメージがありましたが、圧力鍋を使えばもっちりと仕上がるんです。今では炊飯器の出番はなく、もっぱら圧力鍋が大活躍しています」と真弓さん。

  山口家では、お味噌も自家製。「『ごぼう味噌』には、より熟成させた味噌を使ったほうがおいしくなります」と真弓さん。

「あっそうそう、秀くん、ごぼうおろしてね」という真弓さんの言葉に、「はいはい」と手際よくおろし器を用意し、ごぼうを皮ごとすりおろしていく秀司さん。

 すりおろしごぼうと自家製味噌としょうがをよく混ぜて作った「ごぼう味噌」をお椀に入れ、さらに青菜やふのりを入れ、お湯を注ぐだけの味噌汁ができました。出汁を使っていないとは思えないほど、しっかりとした風味が広がる一品です。

  「ごぼうは横にしてすりおろすと早いというのも料理教室で習いました」と秀司さん。

「仕事のときは、家内のお弁当を持っていくのが基本ですが、会社の社員食堂で食べることもあります。週末は外で食べることもあるし。最近は野菜中心や、玄米菜食のレストランが増えてきたので、ふたりで見つけて、行くのが楽しみなんです」と秀司さんは、うれしそうに話してくれました。

玄米ごはんとごぼう味噌のお味噌汁、さらに自家製の梅干しと野菜のぬか漬け。

再発したかもしれない……

 手術して約1年半後のことでした。

 当時の主治医の先生から「再発していると思う」と告げられた秀司さん。MRIの画像に気になる影が写っていたのです。すぐに国立がん研究センター中央病院を紹介され、開頭手術したところ、異常はなく再発はしていませんでした。そのまま、この病院に転院することに。

「あのときは慌てましたが、影は放射線治療の際に壊死した部分が写っていただけでした。結果的に何もなかったんですが、本人は開頭してよかったみたいです」(真弓さん)

再発かもしれない、と医師から言われても冷静に構えていた秀司さん。

「そうなんです。今お世話になっている主治医の先生にお会いできたことで、治療の選択肢が広がりました。開頭手術の際に細胞を採って、あなたに合う治療法を見つけたいと言ってくださったんです」

 ちょうどその頃、抗がん剤を続けるかの判断でもふたりは悩んでいました。長く続けることでの副作用への不安があり、1年半で抗がん剤治療を打ち切ることに。そして、再発しないまま、現在に至っています。

「私たちは、いいというものがあれば、積極的に試してきました」と力強く真弓さんは言います。その上で、自分たちの感覚に合う合わないを判断して取捨選択してきました。

 便秘がひどい時にやってみたビワ葉温灸をはじめ、米や野菜、調味料にも気を配ったり、農家に行って、菜種やエゴマ等の油を採る植物の栽培をやってみたり。自由診療の薬を試したこともあれば、病院や製薬会社から提案された治験にも参加しました。

「たとえば治験って怖がる方が多いのですが、病院や製薬会社の全面的なサポートがあるので心配しませんでした。いち早く薬を使えて、そのおかげで治るかもしれない。将来的に私のデータが製薬にも役立つわけですし。現在の標準治療があるのも、これまでの治験の積み重ねのおかげですから」(秀司さん)

「手頃で安価にできる、東城先生の『お手当て(ビワ葉温灸、里芋湿布、こんにゃく湿布)』は、気持ちが良くて体が喜ぶのが感じがするということで、ずっと続けています。とにかくいろいろなことをやりましたが、行動して後悔したことはなかったですね」(真弓さん)

 さまざまな経験が前に進む力になっていることは確かでした。

みんなの力を借りてこそ

「家内がいなかったら、おそらく私はここにいなかったと思います」と秀司さんは静かに話し始めます。

「それはみなさん、おっしゃってくださいます」と明るく前向きに返す真弓さん。

「私たちは結婚してまだ7年目なんですが、家内は結婚生活の半分以上が私の病気との付き合いでした。病気がわかった時にちょうど決まっていた家内の再就職も結局できなかったしね」と秀司さんが振り返ります。

真弓さんは、一人で余命を知ったあの日、本当はどんな気持ちでいたのでしょうか。

「病院では平然としていましたが、家に帰ったら泣いて……の繰り返しでした。病気のことも怖くて、ネットで調べることができませんでした。そんな私がどうして前に進めたかというと、兄のひと言だったんです。『秀司さんを生かすも殺すもお前次第だぞ。ぐずぐずしてたら間に合わないよ』って。そのときは兄と縁を切ろうと思うくらい傷つきましたが、あの言葉が背中を押してくれたんです」

「迷っている時間はない、まずは行動してみる」という姿勢が、真弓さんの中で芽生えた瞬間だったのかもしれません。

「私たちは本当に多くの方に助けられました。大病するまで、人の温かさやサポートに気づきませんでしたが、がんのおかげでありがたさを知ることができたんです」と秀司さん。

 携わってくれたすべての方への感謝と恩返しの気持ちから、患者会(NPO法人脳腫瘍ネットワーク=JBTA)などにも参加し、自らの経験を伝えていきたいというふたり。病を乗り越えたことで生まれた絆、未来を切り開く力が、いっそう強くなっているようでした。

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エピソードをひとさじ

写真にもあるように、真弓さんはたくさんの保存食を作っています。味噌もその年によって仕上がりが違って風味も変わるので、いろいろブレンドして楽しんでいるそう。「一度にたくさん作った『ごぼう味噌』は、製氷皿に入れて冷凍しています。食事の支度の時には一食分をさっと取り出せて便利ですよ」と教えてくれました。秀司さんはお弁当と一緒にごぼう味噌を持っていき、会社でお湯を注いで食べるとか。自分たちに合う食事を見つけ、気負わずに楽しんでいる様子が伝わってきました。

わたしの逸品

すりおろしごぼう入りのおみそ汁

調理時間
30分以内
主な材料
みそ、ごぼう、小松菜、麩、ふのり
栄養価(1人分)
食塩相当量1.4g
エネルギー42kcal
たんぱく質2.9g
投稿者のコメント
脳腫瘍を患ったことをきっかけに食生活を見直しました。みそにすりおろしたごぼうを混ぜた「ごぼうみそ」を使うと、だしをとらな......

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