体のケアのために作り始めた 実験レシピが日々の潤いに

2020年9月1日

「料理はあんまり好きじゃないんですよ」と笑いながら、体にやさしいデザートを作ってくれた木口マリさん。「苦手だからこそ、できるだけ簡単にすること」と自分なりにアレンジするのが得意なのです。  子宮頸がんを患い、2度の手術、そして思いがけず人工肛門を付けることになるなど、一難去ってまた一難の毎日。食べ物がまったく口にできない時期もありました。そんな逆境を乗り越えるたび「自分に必要なものが見えてきた」という、強さと輝きの源とは――。

木口マリ(きぐちまり)さん

1975年生まれ、埼玉県出身。写真家、執筆家。2013年、38歳の時に子宮頸がんが見つかり、円錐切除術と広汎子宮全摘出術の2回の手術を行う。診断はステージIIb。リンパ節転移があり抗がん剤治療(TC療法)を4ケ月にわたり受け、現在は経過観察。抗がん剤治療後に絞扼性イレウス(腸閉塞)を発症。一時的に人工肛門(ストーマ)をつけるが、翌年、小腸と大腸をつなぎ直す手術を受けストーマを外す。ブログ「ハッピーな療養生活のススメ」http://happyryouyoulife.blog.fc2.com やがん患者さん・家族・友人・医療従事者が撮った写真活動「がんフォト*がんストーリ」https://www.ganphoto-ganstory.comなど自身の経験をさまざまな形で発信している。「がんサバイバー・クラブ」でも「がんのココロ」を連載中。

検査してもがんが見つからない

「がんの心配はないですよ」と婦人科クリニックでいわれた木口さん。半年から1年近く、生理ではないのに鮮やかな血が時々出る状態が続いていました。気になって診察を受け、細胞診をしたところ「子宮頸部に多少炎症が見られましたが、自然に治っていくでしょう」と診断されます。

 ただ、医師からは2〜3週間ごとに検診に来てくださいといわれ、何度か通ううちに、組織診(疑わしい部分をとって顕微鏡で観察をする)でがんが見つかりました。

「あとで分かることなんですが、私のがんは変わっていて、腫瘤を作らないんです。先生が何度診察しても子宮はきれいといわれたように、見た目ではわからない。普通の細胞の顔をしているんだけど、顕微鏡でみるとがん化している珍しいタイプでした。クリニックの先生が粘り強く診てくれたからわかったんですよね。もし放置していたら、今生きていなかったかもしれません」

 患部を取り除く簡単な手術で終わるだろう、と大学病院を紹介され、このときは自分の病をそれほど重く考えていませんでした。

不正出血が時々あるくらいで、特に体調に違和感はなかったという木口さん。

セカンドオピニオンを経て、現実を受け入れられるように

「大学病院の先生って殿様みたいな感じなんだろうと身構えていましたが(笑)、主治医になってくださる先生に会って1分もしないうちに、この人は信頼できると即座に思いました。すごく忙しいにも関わらず、私の目をしっかり見ながら1時間くらいかけて、これからどんな治療をするのか説明してくれました」

 その主治医との信頼関係がその後、彼女の大きな力になるのです。

 がんがどれくらい進行しているかわからないため、できるだけ早く手術をすることになり、子宮を残して患部のみをくり抜く円錐切除術を受けました。このときに切除した箇所を病理検査した結果、がんが広がっていることが判明します。

「主治医の先生は『悪い結果です』とストレートにばしっというんですよね(笑)。子宮、左右の卵巣、卵管、骨盤の内側にあるリンパ節のすべてを摘出することになるという話でした。予想を超える悪い結果で、泣きそうになるのをぐっとこらえていたら、先生が気づいたようで『セカンドオピニオンを受けますか?』と言ってくれました。ああ、受けてもいいんだと思えたんです」

 国立がん研究センターの先生を紹介してもらい、話を聞いたことで少しずつ冷静さを取り戻していった木口さん。

「結果は変わらないとわかっていたんですが、セカンドオピニオンを受けなかったと後悔しないためにも、不安を払拭するためにも、必要なことだったと思います」

 そうやって行動をすることで現実をゆっくりと受け入れていきます。

情報収集は主治医の話と書籍だけにしていました。惑わされてしまうので、無闇にネット検索はしなかったそう。

ビニール袋に詰められたお菓子のあたたかさ

 事実を受け入れてはいるものの、思っている以上に精神的にはショックを受けていました。

「お腹は空くんですけど、ごはんが食べられなくなってしまって。診察のあとにファミレスで料理を口にしても、なぜか飲み込めない。そのうち食べ物が、消しゴムなどのようなモノにしか見えなくなってしまいました。家でも食欲がわかず、大きな手術が控えているのにこれではダメだと思って、ウィダーインゼリーやカロリーメイトでなんとか凌いでいました」

 木口さんは、最初に診察してくれた婦人科クリニッックの先生にサードオピニオンをもらいにきます。女医さんだったので女性としての意見も聞きたかったのです。

「やさしいおばあちゃん先生で、話すことで気持ちが楽になりました。食欲がないことを心配してくれて、帰り際に看護師さんがビニール袋にお菓子をぎゅうぎゅうに詰めて、ちょっとでも食べてね、と渡してくれたんです。あったかい気持ちになって、それから急にお腹が空いて、ラーメン屋さんに寄ってぺろり。その一杯がすごくおいしかった」

不安や思いを伝えることで、強くなっていける

 姉の存在も大きかったですね、と木口さんは続けます。

「最初の手術が終わった後、姉がディズニーシーに連れていってくれたんです。そのときはまだ食欲がなかったのでフラフラでしたが、姉は何事もなかったかのように振る舞ってくれていました。それまでは抱える不安を人に伝えること自体が怖くて、病気のことはあまり話していなかったのですが、ふと言える気がしてきて、不安や弱音を口にしたんです」

 木口さんにとって一番の不安は「痛み」でした。最初の円錐切除術後、かなり重い生理痛のようなものがあったので、より体へのダメージが大きい開腹手術となると、どれほどの痛みが訪れるのか恐怖しかありませんでした。

「その思いを伝えてみたら、姉は『そりゃ、怖いよね』と一言。その言葉に救われた。〝私、怖がっていいんだ〟と思えたんです。そしてこの人は、何もいわずにずっと一緒にいてくれるんだと心の支えができた気持ちになりました」

闘病中に書いていたノート。マヨネーズを手作りして、レシピをメモしていたり、髪が抜けたことからスカーフをどう巻けば楽しめるか考えたりと、イラスト入りで綴られています。

 不安や思いをしっかりと伝えることが、木口さんの強さになっていきました。主治医の先生にもありのままを伝えることに。

「先生に『痛いのが怖いんです』と正直に話すと、できるだけ痛みをなくす方法を取りましょう、と提案してくださって、結果的にはほとんど痛みがありませんでした。それと、将来子供を持つ可能性を残したかったので、卵巣を1つでも残せないかという相談もしました。開腹してみて問題がなければやってみましょうということになり、幸運なことに今でも卵巣が1つ残っています」

 2度目の手術である、広汎子宮全摘出術は6時間に及び、無事に成功。ただし、がんがリンパ節まで転移していたため、抗がん剤治療を受けることになります。

「主治医の先生は病室に入るやいなや『悪い結果です』と。また直球での宣告でした(笑)。私が受ける抗がん剤治療は『吐き気が少なく体に負担を感じにくい種類です。でも髪の毛は抜けます』と説明を受けました。先生には絶対的な信頼を置いていたので不安なく治療に入れました」

 確かに吐き気はありませんでしたが、抗がん剤の点滴を受けた2日後くらいに、壮絶な倦怠感に襲われます。まったく動けなくなり食欲はゼロに。そのため副作用が始まる前に、カロリーをできるだけとって、食べられない時期を乗り越える備えをしていました。身体的に辛い1〜2日を我慢すれば、普段と変わらない生活を送ることができていました。

「体にいいことをしている」という気持ち

 そんな生活のなか、それまでの食事を見直し始めたと木口さんは話します。 「私はフォトグラファー兼編集の仕事をしていて徹夜の日が多く、ひどい食生活を送っていました。三食とも出来合いのお弁当で済ませることも多かったのが、がんが見つかってからは、避けるようになりました。というのも、パッケージに書かれている食品表示を見ると知らない材料ばかりで……。だったら、安心できる材料を選んで自分で作ろうと思ったんです」

 手術、治療が続き保険に入っていたものの、仕事は休業していたため、節約が必要だったことも、自炊する大きな理由でもありました。 「『1回1000円計画』というのをやっていました(笑)。一度の買い物で、1000円以下しか買わない計画です。その効果で無駄使いがなくなりました」

 よく使っていた食材はかぼちゃ、さつまいも、じゃがいもなどでした。栄養を逃さずに簡単に作れる調理法といえば「蒸すこと」だと考え、実践していたそう。 「蒸すと、野菜の自然な甘みがしっかり出るうえに、柔らかくなる度合いが程よいんです。とくに、かぼちゃとさつまいもにハマりました。自家製のパン、ハム、マヨネーズに蒸したかぼちゃをよくのせていました」

 パンやハム、マヨネーズまでも手作りしていたと続けます。

「ポイントは、できるだけ少ない材料で、家にある道具だけで作ること。それを目標にして実験する感覚で試行錯誤しながらやっていました」

 パンの材料は強力粉、薄力粉、ドライイースト、水、きび砂糖、塩。バターは使わなくてもおいしく仕上げられるよう、試行錯誤。自宅のオーブンに入るよう、牛乳パックで型を作るなど工夫を重ねていきました。ハムは、いろいろと試した結果、栄養、食材の扱いやすさ、金額面を考えて、鶏の胸肉が定番に。マヨネーズは油を選べるのが利点だったと言います。

「最初、オリーブオイルで作ったんですが、私にはにおいがキツくてNGでした。太白ごま油や米油にしたら、格段においしくなって。それらの油に卵、酢、塩だけで簡単にマヨネーズって作れるんだと知って、驚きましたね。こうやって、自分で作ったパンに、ハムやマヨネーズをのせて食べると、体にものすごくいいことをしている気がして楽しかった。気分ってすごく大事です」

作る時間も楽しい、簡単おやつ

 また、デザートもよく作っていたということで、この日は3種類ものスイーツを作ってくれました。  まず、豆乳と豆腐、ココアで作るババロアは手軽にできて、たんぱく質もとれるおやつ。よく作って食べていたと振り返ります。

豆乳と豆腐、ココアを混ぜて粉ゼラチンで固めるだけのババロア。「ハンドブレンダーがあればすぐに作れます」/small>
生クリームやフルーツをのせてデコレーションしたり、食べやすい量にカットしたババロア。おしゃれなカフェメニューのようです。

 次に、りんごに赤ワインやレモン汁をかけて電子レンジで加熱するだけのコンポートも。手軽にできるので、今でもよく作っているおやつだそう。

「このままでもおいしいし、ヨーグルトに混ぜたり、トーストにのせたり。食べる時間もまた楽しいんです」

砂糖を使わず果物の甘みだけで楽しめるりんごのコンポート。
薄く切って作ることもあれば、ヨーグルトなどに混ぜやすいよう、小さめに切ることも。試行錯誤の実験の結果です。

 さらには、ココアパウダーとはちみつと水を混ぜて冷蔵庫で固めれば「なんちゃってチョコレート」が完成。夏場でも溶けないので、仕事中もつまめるように持ち歩いているといいます。

口どけなめらかなチョコレートをかばんに入れて持って歩くことが多い。生クリームを使っていないすっきりとした味わい。

「抗がん剤治療の後、絞扼性イレウス(腸閉塞)を患ったので、お腹を下しやすいんです。朝食を家でたっぷり食べて、外食は控えるようにしているので、外出先でもちょこっと食べられるうえに、エネルギーになりやすいものがあると便利なんですよね」

 手軽でおいしいおやつをあれこれ試しながら作る、そして、それを味わうことが、毎日のなかでのちょっとうれしい時間となっていました。

がん患者さんの目に映る景色

 フォトグラファーであり編集、執筆もしていた木口さんは、自分が体験した症状、治療についてブログで発信していました。仲良くなった看護師さんと協力し、院内でがん患者さんや医療従事者たちが撮影した写真を展示する写真展を開催したこともあります。

がん患者さん、家族、友人、医療従事者が撮った写真を集めた「がんフォト*がんストーリ」を冊子にまとめて。

「せっかくだから、楽しい展示にしたいと夜中に病院に行って準備しました。写真が映えるように額を作ったり、布をたらしたりと院内をカフェのように変身させていく感じでわくわくしました」

 病院内写真展を発展させたのが「がんフォト*がんストーリー」で、木口さんにとって大切な活動のひとつ。たくさんの人が写真を撮り、それを公開する場になっています。

「がん患者さんたちの写真がすばらしいんです。思いや温かさなど、しっかりと伝わるものがある。〝今、この瞬間を撮りたい〟という熱量がすごく高いんです。みなさんの写真を展示すると、その空間の温度が上がるような感じがしました」

 その影響で写真家として、本当に撮りたいものだけを撮ろうという覚悟が芽生えたといいます。 「限られた人生、無駄なことをしている時間はないですもんね」。その思いが彼女をいっそう輝かせるエネルギーとなっていました。

写真は30代から始めフリーランスで活躍し、海外に日本文化を伝えるフリーペーパーなどを制作。
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エピソードをひとさじ

「料理は好きじゃない」と言いながらも、木口さんはとても手際よく3品のデザートを作ってくれました。「実験のようなことが楽しい」という、自分なりの「好きの基準」があることで、料理に前向きに取り組めていたのかもしれません。どれもおいしく、仕上がりもきれいな3品が何よりの証拠でした。(編集部)

わたしの逸品

豆腐と豆乳のココアババロア

調理時間
1時間以上
主な材料
木綿豆腐、豆乳、ココア、ブルーベリー
栄養価(1人分)
食塩相当量0.1g
エネルギー194kcal
たんぱく質9.6g
投稿者のコメント
子宮頸がんを患ってから食生活を見直すようになりました。デザートも市販品ではなく、できる範囲で手作りするように。できるだけ......

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