「1日3食きちんと食べる」という当たり前のことをひとつずつ。

2020年11月2日

思いがけない「がん宣告」がきっかけとなり、新たな道を切り拓く方が多くいます。そのひとりが武藤麻代さん。

終電で帰るのが当たり前で、朝食を抜くこともしばしば。そんな日々を送っていた彼女は41歳の時に甲状腺がんを患い、「今まで日常生活をおろそかにしてきた」と気づき、人生の方向転換をします。

がんが見つかってから12年。現在、食育のスペシャリストとして活躍するまでの道のりは「走りながら考える」というバイタリティにあふれたものでした。

武藤麻代(むとうあさよ)さん

1967年生まれ。東京都出身。2008年に甲状腺悪性腫瘍が見つかり、翌年、悪性腫瘍を手術で取り除く。がん患者になったことで食の大切さに気づき、医療従事者と患者をつなぐ役割をしたいと、ヘルスケア教育の事業化を決意。立教大学大学院にてMBAを取得し、2011年に食育の活動『学びの食卓』プロデュースを手がける。健康食育シニアマスターを取得後、2018年に合同会社オールスプラウツを設立。食育スペシャリストとして食育セミナー、ワークショップ・企画開発などを行なっている。

ひどい二日酔いと思っていたら……

 医療機器メーカーに従事していた武藤さんは、終電までみっちり仕事をし、翌朝、始業時間に出勤するという、忙しい日々を送っていました。
「自分の体力を過信していたんですよね。気持ちとしては『なんとかなる』と思っていましたが、体は悲鳴をあげていたんだと思います」

 がんが見つかったのは40歳のとき。「激しい頭痛がして、『はしゃいで、飲みすぎた』と二日酔いのひどいものと思っていましたが、痛みが一向に引きませんでした。しかも全身を突き刺すような痛みだったので、クリニックで診てもらうことにしたんです」
 エコーをとったところ、首もとに影があると言われました。会社の健康診断でも甲状腺が腫れていると言われ、大学病院で喉仏のあたりの細胞をとって検査した結果、甲状腺がんと診断されました。

「がんを経験された方なら誰もがそうでしょうが、晴天の霹靂でした。とはいえ、仕事柄、ドクターの方々とのつながりがあったので、信頼できる先生にセカンドオピニオンをもらうなど、冷静に対処できていたと思います。切らずに済む方法がないか、ご意見をもらいましたが『切ったほうがいい』とアドバイスをいただいたので、不安を抱くことなく手術にのぞめました」

 幸いにも転移はなく、10日ほどの入院を経て自宅療養に。3ケ月に1回の定期検診を現在まで続けています。

「術後、放射線治療もなく普段の生活に戻れましたが、がんになったということはショックな出来事です。今までおろそかにしていたことを見直さないといけないと切実に思いました」


甲状腺がんが分かった当時につけていたノート。そのときの気持ちや治療内容などを記していました。

一番身近な食から整えてみる

 がんになる前の生活では自炊することはほとんどなく、食事の時間もばらばらでした。顔色は青白く、目の下にはクマができ、いつも疲れていてだるさが抜けない状態。

「マイナスだったものをゼロにすることを実践しようと、まずは『毎日3食、コンスタントに食べること』を心がけました。夕飯をきちんと食べるために残業をやめたりして、生活を変えていったんです。ただ、料理が好きなほうではないので(笑)、手の込んだものは作らず、雑穀ごはんを炊いたり、一汁一菜の定食にしたりなど、あくまでもできる範囲で。何よりも『食べないこと』をやめるのに重きをおいていました。以前は1食くらい抜いてもいいやと思っていましたからね」

 食生活を変えて1年くらいたった頃から、よく眠れるようになり、さらには体温が上がって血色も良くなり、体調が整ってきたのを実感したといいます。

 同時に、仕事においても新たな道を考えるようになりました。以前のように忙しい日々に戻ってしまったら再び病気になるかもしれない、という恐怖が拭えず、新しくやりたいことが漠然と見えてきたタイミングが重なり、会社を退職。

「ひとまず会社を辞めてリセットしようと思ったんです。半年くらいは旅行に行ったり、好きなことだけをして過ごしていました。リフレッシュしながら、具体的なことを考えていくうちに、起業するのが一番だと思い、大学院のビジネススクールに行くことにしたんです」


大学院に通い始めたのは2011年。「東日本大震災の直後であり、誰かの役に立ちたいという思いがいっそう高まりました」

患者さんのアウェイ感をなくしたい

 武藤さんが、がん患者になって痛感したのは、医療従事者と患者の意識や知識の違いでした。

「患者としてインフォームドコンセント(医療者側の十分な説明を理解したうえでの同意や選択)のプロセスを経験しましたが、うまくいかない面があると実感しました。ドクター=先生と呼ばれる方と患者さんの間には、どうしても上下関係ができてしまいがちで、患者さんにとってはアウェイなんですよね。病気のことを説明されても未知の領域だし、いきなり治療や手術に関しての判断を自分でしなくてはいけない……」

 病を宣告されただけでも動揺しているのに、医学的な内容をすぐに理解するのは大変なことです。

「ひと昔前だったら先生任せでしたが、今後はもっと変わっていかないといけないと思います。医師と患者がフラット(対等)な関係になって患者側が意志を持って話ができるようになればいい。そのためには、患者のリテラシーを上げ、知識を増やす必要があります。賢い患者、生活者を育む土壌を作りたいと思ったんです」

 そこで着目したのが「食」でした。「食は誰にとっても必要なことだし、自分で変えることができるもの。そこを切り口にして、微力ながらお手伝いができるんじゃないかと」

汗をかくことで広がったネットワーク

「考えているだけでは始まらないので、動きながら考えよう」というのが武藤さんのスタンス。2014年に任意団体『学びの食卓』プロデュース(以下『まなしょく』)を立ち上げ、「食卓のような場作り」を目指しました。

「最初は家庭医、薬剤師、栄養士など専門的な資格を持った方々をお招きして、ワークショップを開催しました。一般の方々が毎日の生活で取り込んでもらえるような気づきがあればと思い、毎回テーマを決めて。西洋医学だけではなく、自分をメンテナンスできる術を含めて、実践しやすい話題にするように心がけました。参加してくださった方には、がん患者さんやそのご家族の方もいらっしゃいました」

 集客や情報発信の難しさなど、実際に動いてみると壁にぶつかることが多々ありました。「思い通りにならないことのほうが多かったです。でも、回数を重ねていくうちに、賛同者や協力者、応援してくれる人が増えてきたのが何よりも代えがたいことです」。汗をかくことでネットワークが広がったのです。

 東京・豊島区にあるカフェ『コスタ デル ソル』のシェフ・横山詠津子さんもそのひとり。

「あっちゃん(武藤さん)のとぼけた感じがいいんです(笑)。最初、チラシを置きに飛び込みで店にきた時はすごく緊張していました。ほとんどの方はチラシを置いたらそのままなのですが、あっちゃんは、その後、チラシを撤去しに伺いますとメールをくれて、本当に誠実な人だと思いました。人に対してまじめで丁寧な姿勢に心を動かされた。だから、あっちゃんが変なことをしても許せちゃいます」
「わあ、えっちゃん(横山さん)もっと褒めて」
「そうそう、人の話を聞かないところとかね」
 漫才のようなテンポのいい楽しい掛け合いに、信頼関係の深さを感じます。


横山さん(左)は「『まなしょく』の活動を始めたころ必死だった」という武藤さんの情熱や誠意に感化されたそう。

仲間から教わった万能な一品

 横山さんが作る「大麦もち」は武藤さんが多くの人におすすめしたい一品のひとつ。大麦は水溶性と不溶性の食物繊維がバランスよく含まれているので、腸の働きが弱い人にも負担なく栄養が吸収されると言います。


大麦のなかでも丸麦は粘り気が少なく、ゆるやかな仕上がりに。

 今回使うのは、丸麦。まず、浸水させたものをミキサーで液状にし、それを鍋に入れて水を加えて火にかけるだけです。
「砂糖をかければデザートになるし、出汁をかければおかずにもなります。食欲のない方やお年寄りの流動食にもいいですし、下剤が手放せない便秘の方が体調を整えるのにも役立つと思います。血糖値のコントロールにもいいと思いますよ」と横山さん。


液状になったまる麦を5分ほど火にかけるとトロリとしてきます。

「えっちゃんは、私よりも食にくわしくて本当に頼りになるので、アイディアをもらっています」と武藤さんは話します。


献立アドバイザーや食意識アドバイザーなどの資格を持つ横山さん。

 とろろのような、わらび餅のような「大麦もち」は、モチっとしながらも口どけがなめらかで、シンプルな味わい。ひと皿ぺろりと食べてしまうおいしさです。冷やすと葛餅のようなプルンとした食感になり、また違った楽しみ方ができると言います。
 デザートバージョンは砂糖ときな粉をかけて。おかずバージョンは、出汁とねぎ、ごまをかけ、素揚げのしいたけをのせて。香川出身の横山さんは、いりこ出汁を使っています。


左が、おかずバージョン。右のデザートバージョンで使った砂糖は、ミネラル豊富な奄美の素焚糖(すだきとう)です。あつあつの出来立ては滑らかな舌触りです。

「がんばらない食」でみんなを健康に

 現在、合同会社オールスプラウツの代表である武藤さんが主に行っているのが食育の講演やセミナーです。
「社員研修などでよくお話しするんですが、バランスのいい食事がいいとわかっているものの、なかなか実践できないのはなぜだろうか? また、なぜ、1日3食とる必要があるのか? そんな疑問に対する答えをロジカルに伝えると、納得ができ、毎日の食生活を整えやすくなるんです。大人の食育にはロジックが必要なんですよね」


武藤さんの事業内容が記されたパンフレット。「糖質制限の影響でお米が悪いものと思っている方もいるので、なぜ体に必要なのかなど、正しい情報を伝えることが大切です」

 でも、がんばりすぎるのはだめなんです、と武藤さんは続けます。

「ストイックになりすぎると、負荷がかかってストレスになるだけです。一汁一菜をある程度の割合で食べればいいわけで、時間がないときはささっと済ませてもよし。メリハリがあっていいんです。誰かと楽しみながら外食するのも大事だし、その方たちに合わせたアプローチを提案しています。当の私も完璧にできているわけではないですし(笑)。私が心がけているのは、具沢山の味噌汁を自分で作って飲むこと。『がんばらない食』でいいと思っています」

 会社員時代とは違った苦労はあるものの、がんになる前では得られなかった幸福感に満たされているという武藤さん。彼女が走れば走るほど、人の輪ができてプラスの力が生まれ、多くの人たちに幸せを運んでいました。

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エピソードをひとさじ

今回、大麦もちには丸麦を使っていますが、もちろん、押し麦でも同じように作れるそう。「もち麦を使うと、もっとやわらかい仕上がりになって、また違った食感なんですよ」と横山さんが教えてくれました。試して食べ比べてみるのも楽しいかもしれませんね。(編集部)

わたしの逸品

大麦もち

調理時間
1時間以上
主な材料
大麦、しいたけ、ねぎ
栄養価(1人分)
食塩相当量0.8 g
エネルギー102 kcal
たんぱく質2.5 g
投稿者のコメント
体調不良でうまく食事をとれない人に向けて、なにかいいメニューはないかと考えました。食欲のないときにも食べやすい食感、味付......

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