5年前に乳がんとわかった、看護師の米倉公子さん。脳への転移により、左手がほとんど動かせなくなり、現在は抗がん剤治療とリハビリを続けています。
毎日の料理や食事など、これまで何気なくやっていた日常生活の動作が、左手の麻痺で難しくなったとき、どんなふうにそれを乗り越えてきたのでしょう。
米倉さんは、困っていることは素直に周囲に伝え、助けを借りたり、工夫したりすることで、できることを増やしてきました。看護師として長年、患者さんに寄り添ってきたからこそ、「つらいことはつらいと伝える」ことの大切さを感じているのです。
パンや味噌を作ったり、友人とビールフェスに出かけたり。米倉さんの日常には、症状と付き合いながら、作ること食べることを自分らしく楽しむヒントが、たくさん詰まっていました。
文=加藤奈津子、写真=西希
米倉公子(よねくらきみこ)さん
1969年生まれ。福島県出身。2014年に左側の乳がんとわかり、全摘出手術。2016年、脳への転移が判明し、放射線治療と腫瘍の摘出手術を行う。2018年、骨への転移と脳腫瘍が新たに見つかり、放射線治療と抗がん剤治療を行っている。脳への転移により、左手が動かなくなり、リハビリを継続中。看護師として東京都内の病院で、勤務時間を短縮しながら仕事を続けている。
生活の中で、できることを増やしていく
「料理を作ることも好きだし、食べることも好き。お酒を飲むのも好きですよ」
そう言って、明るく朗らかに笑う姿が印象的な米倉さん。脳腫瘍の影響で左手がうまく動かせなくなり、実感したのは、「料理や食事など、今までやってきたことがこんなふうに難しくなるんだ」ということでした。
「そんなとき、通っているリハビリセンターの作業療法士の方が教えてくれたんです。リハビリとは要は筋トレみたいなものだと。筋トレだけしても今までと同じ動作ができるようになるわけではなくて、日々の生活の中で工夫しなければいけないよ、って。そうか、なるほどなあと思いましたね」
生活の中で試しながら、少しずつ分かってきた、片手でも調理できる方法や、食べやすいもの。米倉さんが取り入れている工夫を、教えていただきました。
アイデアで広がる、片手での調理
昔から料理が好きな米倉さんですが、左手が不自由になってからは、思わぬところに苦労がありました。その一つが、“開ける(開封する)”という動作。「たとえば、フタをくるくる回すタイプのソースやドレッシング、ペットボトルは、左手でしっかり握って支えないと開かないので、難しい」と言います。
そのため、少しでも支える力が少なくて済むようにペットボトルは容器がしっかりと硬いものを選び、調味料は別の容器に詰め替えるなど、負担の少ない方法を考えています。
また、食材を切る場面ではこんな苦労が。リンゴのように大きかったり転がるものは、しっかり押さえて切らないといけないので、片手では難しいのです。
そんなときは、器の中に滑り止めシートを置いて食材をのせ、上からナイフを入れます。半分ほど切れたら、ひっくり返して残りを切る。こうすることで、丸く転がりやすい食材もカットすることができると言います。
包丁よりも扱いやすい道具として、スライサーやピーラーもよく使うようになりました。小さなアイデアの積み重ねで、できることが少しずつ広がっています。
“細長い”が食べやすさのキーワード
不自由さは、料理だけでなく食事面でも同様です。
片手での食事で食べやすく感じるのは、 “細長いもの”だと言います。
「その一つが、麺類。フォークでくるくる巻くことができるので、片手でも食べやすいんです。反対に、ご飯などポロポロこぼれ落ちやすいものは少し苦労します」
麺類の中でも調理しやすく、よく作るのがパスタです。特にナポリタンが好きで、抗がん剤治療の副作用で苦味を強く感じる時期も、「甘酸っぱいケチャップ味なら食べられて。1日3食、食べているときもありました」と話します。
さらに、「野菜もピーラーなどで細長くすると、くるくるフォークで巻けるし、刺しても転がらないので食べやすい」とのこと。野菜は、ピーラーやスライサーで薄く、長く切るのがポイントです。キュウリやニンジン、大根などを、リボン状に切っています。
外食でも、好きなものを楽しむために
外食時にも米倉さん流の楽しみ方があります。たとえば、大好きなお肉料理。ステーキのように「切る」ことが必要なものは、遠慮せずお店の人に頼んで一口大に切ってもらいます。そして骨付きチキン、ラムなどの片手で「手づかみ」できる肉料理も選択肢に入れることで、食べられるものが広がりました。
「以前、職場での食事会があったときに、『手づかみで食べても大丈夫なようにラムチョップにしたからね』と、用意してくれたことがあって。なるほど、ラム肉とか骨付きのお肉なら、みんなも手で食べるから、私が片手で食べても変には思われないんだなと。それからは、選択肢が増えました」
パン作りや味噌作りも変わらず楽しみたい
「これはみなさんへのお土産に」と米倉さんが取材当日に用意してくださったのが、手作りのパン。手ごねでいちから作ったというから驚きます。
「もともとパンを作るのがすごく好きで、いろいろな種類を焼いていました。左手が動かなくなってから、じゃあ片手ではどれができるかなって、最初は丸パンから始めて」と、おいしそうに焼き上がった2種類のパンを手渡してくれました。
そんなふうに、がんに罹患してからも、好きなことを自分らしく楽しんでいる米倉さん。サッカーが大好きで、2018年のワールドカップは、現地ロシアまで応援に行ったほどです。ビールフェスなどの食のイベントに友人と出かけたり、パンや味噌を手作りしたり。左手の不自由を抱えながらも、積極的に外へと出かけています。
そのベースには、「病気のことはあまり隠さずにやっています」と朗らかに話す、米倉さんのがんとの付き合い方がありました。
「左手が動かなくなって、私にはできないことが確かにいろいろあると思うんです。でも、今まで10できていたことが、5しかできなくなったとしても、それで好きな場所に行かなくなったり、お味噌作りはもうできないや、と思ってしまうよりは、まず周りの人に伝えてみようと。『私、左手が不自由なんだけど、ちょっと手伝ってもらえたら、できると思う』って。それで周りの人が『一緒にやろう』と手助けしてくれるのなら、それはやってもいいんじゃないかな、と思うんです」
信頼できる周囲の人たちには、病気や手の麻痺のこともオープンに話すことで、気持ちや生活がラクになり、前向きな日々へとつながっているのです。
そんなふうに思えるようになったのは、「乳がんになったときに、職場の同僚たちが『困ったことがあったらなんでも言ってくれていいんだよ』と、親身にフォローをしてくれたことも大きかった」と振り返ります。
助けられたり、助けたりしながらともに生きていく
米倉さん自身も看護師として患者さんのためにできることを、常に模索しています。今は外科の外来を担当しているため、検査や手術を前にした、がんの患者さんと話す機会も多いと言います。
「自分が病気になったことで、患者さんにプラスアルファのことを伝えられるんじゃないかなと思って。自分が治療に行っても、こんなことが役に立つかも! って、結局、患者目線じゃなくて、看護師目線で考えちゃうんですよね」と微笑む姿は、まさに、看護師歴27年というベテランの安心感と温かさをまとっています。
自分が当事者になったことで、改めて感じたのは、「同じ病気でも、困っていることは人それぞれに違う」ということ。だからこそ自分から言わないと伝わらない。「困っていること、手伝ってほしいことは、もっと周りに言っていいんだよ」と、患者さんにも声をかけてきました。
少しでもラクに、無理なく生活していけるように、自分の気持ちを周りに伝えていくこと。
助けられたり、助けたりしながら、好きなこと、楽しむことをあきらめないこと。
そうやって、自分自身の心に灯す明かりが、周りをも温かく照らし出していくのかもしれません。笑顔で語る米倉さんの姿が、そのことを何より教えてくれているようでした。
エピソードをひとさじ
記事中に登場した、手作りのパン。帰りのあいさつ程度の気軽さで「おみやげ」と手渡してくださったものです。私たちのために作ってくださったと知り、胸がいっぱい。これはぜひ紹介したいと、カメラマンも片付けたカメラを瞬時に取り出し撮影と相成りました。「りんごのパン」に使ったりんごは、米倉さんの故郷・福島で育てられたもの。使用した酵母は自家製と、米倉さんの愛情とぬくもり、こだわりがつまったパンでした。(編集部)
わたしの逸品
リボンサラダ
- 調理時間
- 15分
- 主な材料
- 大根、きゅうり、にんじん
- 栄養価(1人分)
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食塩相当量 0.3g エネルギー 49kcal たんぱく質 0.6g - 投稿者のコメント
- 脳腫瘍の影響で左手に麻痺があるので、左手に負担が少なく調理ができ、右手だけでも食べやすいメニューをよく作ります。包丁だと......