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第29回 話を聴くということ 〜インタビューをする・されるなかで気づいた「心のかけら」〜 木口マリの「がんのココロ」

掲載日:2019年10月10日 10時30分

 私は仕事柄、人の話を聴く機会がたくさんあります。特にがんになってからは医療にまつわる人々を中心に取材・執筆を行っているため、がん経験者や家族、医療従事者へのインタビューがとても多くなりました。私自身を取材していただくこともちょこちょこと増えています。

 話を聴いたり、聴いてもらったり。
 そうするうちに、「インタビューというのは、普通の会話とは全然違う、特殊な作業なのだ」と気づきました。

 だれもが日々行う「会話」。そしてその先にある「聴く」ということ。今回は、私がインタビューをする・されるなかで思った、「話を聴くということ」について書きたいと思います。

「聴く」とは、相手の心のなかを一緒に歩くこと

インタビューを受けたときにいただいた写真。手術前に立ち寄った思い出のある場所で撮ってくれました。

 「傾聴」という言葉を聞いたことがありますか? 文字通り、「耳を傾けて、熱心に聞くこと」(『デジタル大辞泉』小学館)です。私の場合、言葉として知っていても、実際に耳にするようになったのは自分ががんになり、さまざまな患者支援活動をする人たちと出会ってからでした。

 インタビューが普通の会話と違う点は、この傾聴にあります。特に私が行う取材は、情報を得るためではなく、人の想いを言葉に置き換え、多くの人に伝わる形にするためのものが多いため、その要素はとても強くなります。

 相づちを打ったり、少しの会話をしたりはしても、何を意見するわけでもなく、批判するのでもなく、ひたすら相手の言葉に耳を傾け、心の内にあるものをたどっていきます。その人が経験のなかで感じた苦悩や喜びを紐といていくのでした。
 聴くうちに、自分が知り得ない経験や感情を感じとることができます。相手の心のなかを一緒に歩くことで、擬似的に体験していけるのです。

 意識せずにインタビューをしていたけれど、あるとき「傾聴というのは、こういうことなんだ」と気づきました。だれしも日々のおしゃべりで「こんなことがあってね」と会話をすることはあっても、そのうち話題がそれてしまったり、一人で話し続けることに気兼ねしてしまったり。ひとつのテーマで、ここまで一方的に話をする・される機会なんて、なかなかない。

 実際、自分がインタビューされる側になってみると、これはなかなか気持ちのいいものです。話すうちに、「私ってこんな想いを抱いていたのか!」と、心の整理になることもしばしば。

親しい人ほど、知らないことがある

人恋しくなる秋は、言葉に耳を傾けるのにいい季節かもしれません。

 私は、たまに家族や友達など、身近な人もインタビューします。始めはちょっと照れくささもあるけれど、改めて話を聴いてみると親しい人ほど知らない経験や感情の動きがあったりして、これまでいくつもの新しい発見がありました。というよりも、毎度、意外な発見がないことがない。

 ずっとそばにいる家族や、何度も一緒に飲みに行っている友達なのに、ここまで知らないものなのかというほど。もしかしたら、親しいからこそ、普段の会話では想いを言葉にしづらいのかもしれません。

 前回の『がんのココロ・28』で登場した私の姉にもインタビューをしたことがあります。
 姉は、私の抗がん剤治療中に姪と一緒に沖縄旅行に出かけてしまい、母から「まったくもう」とブーイングを受けていました。
 しかしインタビューで姉から聴いたのは、「私もキャンセルを考えたけれど、あのときは普段と同じ生活をすることが私の心にとって必要だったし、あなたは自分の病気のために家族が余計な気遣いをすることを嫌がるだろうと思った」という話でした。「でも旅行中、何を見ても娘と『これ、マリちゃん好きかなあ』と話していたんだよね……」と。

 初めて知った、姉の想いでした。当時、私は姉が旅行に行くことを全然イヤだと思っていなかったし、むしろそうしてもらいたいと思っていたけれど、何となくひっかかりがないわけではありませんでした。ちゃんと話を聴いてみたら、私の気持ちを深く考えたうえでの旅行だっただけでなく、「旅の最中にずっと想っていてくれたんだなぁ」と改めて気づくことに。

 また、ある友人は、20代で重い病気になり、辛い治療をしていた数年後に、今度はがんになってしまいました。いつも笑顔で優しく、社会貢献活動をバリバリ行っていて、楽しそうに過ごしているように見えていた友人。しかし実は、しばらくどん底の気持ちでいた時期があったそう。「このまま世間からフェイドアウトしてしまおうかと思っていたこともあった」とのこと。
 だからこその笑顔で優しさなのだと、何年も知っていた友人の、知らなかった苦しみや人としての深みを感じて、何だか抱きしめたい気持ちになりました。

 家族を亡くしたある友人は、しばらくの間「怒り」を抱えていたと話してくれました。感情の形は変わっていっても、十数年間悲しみとともに生きてきたといいます。
 私は近い家族を亡くしたことがなく、その悲しみがどれほど心に影響するものなのかを知りませんでした。
 ちょうど別の友人が長年の喪失感に苦しんでいたこともあり、二人の話を聴くうちに、それぞれの「失う」という経験の片鱗を見た気がしました。私の知らない経験のなかにある心の揺らぎを、少しだけ感じとれたように思います。

 インタビューでは、対象が親しい人でも自分は客観的な聴き手でいます。
 感傷的な反応はせず、自分の考えと反していても途中で話を遮ることもしません。あくまで、その人が心のなかに持っているものを自ら外に出せるように、少しの手助けをするだけです。聴いているうちにいろいろな想いを胸にしても、ひとまずは心のなかに置いておきます。

 これはある意味、技でもあるのだけれど、とにかく穏やかな気持ちを忘れずにいさえすれば誰にでもできます。「話を聴く」のは、相手のためでもあり、自分にさまざまなものを与えてくれるものでもあります。

心のかけらを見つけていくこと

ときには京都のお寺でインタビュー(笑)

 人のなかにあるのは、一つの心ではありません。さまざまなかけらが集まって心という形を作っています。目に見えるかけらだけでは、きっと何も判断できません。人を本当に理解しようとするなら、その奥にも見えないかけらが潜んでいることを心に留めておくことが大切です。

 そして話をするときには、相手も自分も、お互いに多面体であることを忘れずにいたいと思います。相手が、自分のかけらのすべてに気づけないことも。

 長年のつながりがある相手であっても、人のなかのかけらは少しずつ(ときには大きく)変わっていくもの。ときどき、じっと耳を傾ける時間を持ってみたら、お互いに新しいかけらを見つけられるはず。人としての理解や信頼が深まり、人生も広がっていくのではと思います。

木口マリ

「がんフォト*がんストーリー」代表
執筆、編集、翻訳も手がけるフォトグラファー。2013年に子宮頸がんが発覚。一時は人工肛門に。現在は、医療系を中心とした取材のほか、ウェブ写真展「がんフォト*がんストーリー」を運営。ブログ「ハッピーな療養生活のススメ」を公開中。

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