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第39回 術後合併症!ザ・腸閉塞事件〈其の三〉 〜木口マリの「がんのココロ」 私が、人工肛門でも「ま、いっか」と思えたワケ〜

掲載日:2020年3月13日 11時00分

 がん治療の合併症からの腸閉塞。そして人工肛門との出会い。  それらは私にとって、がんになったこと以上に突然で、とてつもないインパクトのある事態でした。  

 しかし、そこからの立ち直りと学びの経験は、そのインパクト以上に貴重なものとなっています。   

つぶされそうな毎日から「パチン!」と立ち直る

 がん治療にあたってくれていた婦人科の主治医との握手(前回参照)によって大きな力を受け取りはしたものの、当然ながらまだまだ精神的な安定からはほど遠いままでした。とにかく無気力で、全てがわずらわしく、放っておいてほしいと思うばかり。  

 受け答えは必要最小限。家族にも、仲のいい看護師さんが会いに来てくれても、作り笑いすら至難の業。究極に無愛想だったと思います。  

 朝になり、昼になり、夜が訪れ、また朝がくる。  ただ、時が過ぎるのを待つだけの、つぶされそうに重い一日。  

 がんの治療中と同様に、「この経験は絶対に無駄にはならない。必ず、自分か誰かの役に立たせることができる」という思いがあっても、そんな自分を鉛でずっしりと押さえつけられているようでした。  

 このようなときの心理は、頭では理解しがたい。普段なら難なくできているような論理的な思考が、ほぼ停止しているような状態でした。おそらくそれは、衝撃的な状況下で精神を崩壊から守るための、人間に備わった機能なのかもしれません。  

 そして不思議なことに、その数日後には、何の前触れもなくいきなり「パチン!」と立ち直るという経験をしました。きっと、“停止状態”の水面下で、ダメージを受けた精神の修復が急ピッチで行われていたのだろうと思います。  

唐突に湧いた自信

「ま、いっか」の後は、人工肛門とのくらしが楽しくなりました(退院後間もなくの写真)。

「パチン!」が起きたのは、2014年のお正月。人工肛門が登場してから5日目の朝でした。  

 お父さんは朝からお屠蘇でイイ気分、子供は福笑いよりお年玉、犬は庭を駆け回り、猫はこたつで丸くなるという、ニッポン中が一年でもっともお気楽極楽なこの瞬間……。  

「ま、いっか」という言葉が、唐突に、心にポンっと浮かんだのでした。それこそ空気鉄砲のように。  病院のベッドに横たわり、天井を見つめることしかできない状態のまま、「うん、大丈夫。なんとかなる!」と、どこから湧いたか自信満々。  

 まだ人工肛門自体を体の一部として受け入れられたわけではありませんでしたが、そういう状態で生きていくことをよしとしたようです。それ以降、一度も人工肛門のために気に病んだことはありません。  

「なんで !?」と、首をかしげたアナタ。  実を言うと、私も同じ思いです。立ち直りのはっきりコレといった理由が、何も思い当たらないのです。この謎が解明できれば誰かの助けになるかもしれないと、今にいたっても考え続けています。  

自然のちから、人のちから

自然も人も、あったかい。

 現在のところ思いついているのは、 「さまざまな細かい要素が、知らないうちに心のどこかで組み合わさって、『ま、いっか』の火薬玉みたいなものを作った」ということです。  

 私が考えた「細かい要素」のひとつは、無意識下での「心理的な断捨離」です。  人は、平穏に暮らしているうちに好きなものや大切にしたいことなど、「心の持ち物」がどんどん増えていきます。しかしそれらが本当に必要なのかというと、ほとんどは無くてもたいして問題がなかったりします。たとえば、「いい暮らしがしたい」とか「みんなに好かれたい」とかは、究極の状況下では、私にとってはまったく不必要なものです。  

 それを頭で考えるのではなく、心が勝手に整理してくれたのだと思いました。欲の多くが、どうでもよくなったり、心のなかの「今は重要じゃないBOX」にポイっと放り込まれてしまったという。そして残った「本当に大切にしたいもの」は、「今のこの状態でも十分に持つことが可能」と判断できたのだと思います。  私の場合、その工程をひととおり終えたのが、術後5日目の朝だったのだろう、と。  

 そのほかに思いついたのは、「自然のちから」です。  術後の5日間で私の記憶に強く残っているのは、毎日の朝日がとても明るかったことでした。窓から射し込む冬の朝の光が、それはそれは清々しかったのです。4日目までは美しいとも何とも感じずただ目に入っていただけでしたが、それでも光の明るさは今もはっきりと覚えています。  

 普段の朝でも曇りよりも晴れている方が爽快な気持ちになるように、無気力で何も感じられないときであっても、自然は心に働きかけているのだろうと思います。心を暖めて柔らかくしてくれた気がします。  

 さらに、大きかったのではと思うのが「人のちから」です。  周りの人たちが、決して見捨てないでいてくれたことがひとつだと思うのです。そのときの私は、ほとんど言葉も発しないし、ニコリともしないし、想像できないほど心を閉ざしていました。それでも家族も病院スタッフも、誰も変わることなくそばにいてくれたのです。  

 そこに誰かがいてくれて、「いつでも支える準備があるよ」という気持ちを感じられるのは、たとえ本人が「放っておいてくれ」と思っているときでも大事なことなんだと思います。落ち込んでいる最中には気が付いていませんでしたが、その安心感が、戻って来る導きのひとつになったのではと感じています。  

自分の心を信じてほしい

「そんなに都合よくいろいろ組み合わさるなんて、まれな話」「キグチの性格だからできたのだろう」と思うかもしれません。でもきっとそういった“心の作用”は、大きさの違いはあっても、誰もが知らぬ間にどこかで経験しているんじゃないかと思います。自然に起こることなので、自覚していないだけ。  

 人工肛門の登場からの数日間は、心の奥底に沈み込んでいるような気持ちでした。そこから立ち直ろうとか、気持ちを盛り上げようとかなんて考えもしなかったし、その努力どころか、身体的にも精神的にも何をしようとも思いませんでした。  

雪のなかでも、一歩一歩。

 今も多くの人が、苦しさのなかにいると思います。気持ちの回復は、「そうしよう」と思ってできるものではありませんが、そのちからは誰の心にも備わっているのだと思います。回復にかかる時間はそれぞれに違います。まずは、自分の心を信じてあげてみてください。  

 そして、その苦しみのなかにいる人を支えている家族やお友達や医療者も、その人の心のちからを信じて、見守ってあげてもらえたらと思います。目に見える効果はなかなか感じられないかもしれないけれど、きっと、その気持ちは心の奥に届いていると思います。  

(腸閉塞事件 おわり)  


木口マリ
「がんフォト*がんストーリー」代表 執筆、編集、翻訳も手がけるフォトグラファー。2013年に子宮頸がんが発覚。一時は人工肛門に。現在は、医療系を中心とした取材のほか、ウェブ写真展「がんフォト*がんストーリー」を運営。ブログ「ハッピーな療養生活のススメ」を公開中。
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