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がん医療50年 佐々木常雄の『灯をかかげながら』
第6回 新型コロナウイルスとがん死生学

掲載日:2020年4月17日 16時44分

個々の死を大事にする社会

 私たち、がん医療に携わってきた者は、治療法がなくなった時、死に向かう患者の身体のつらさをより少なくし、そして個々の心の思いにできるだけ寄り添えるようにと考え、一人ひとりを看取ってきた。


 患者が、どのような人生を送ってきたか、深くは知りえず、どれほど心に添えたかは分からない。それでも僭越ながら、「最後は良かった」「世の中、それでも良いこともあった」、もしかしてそう思っていただけたのではないかと、そう考えることもあった。


 私たちは一人ひとりの終末は個々のものであり、型通りの死とか、死の定型とかはないと考え、これは先人からの教えでもあった。そこには「個々の死を大事にする社会」があったように思う。


 一方で、宗教書も、哲学書も、死にゆく人に平穏な死を迎えさせようとするためか、死ぬことを納得させようとし、本当は死が怖いはずなのに「怖くない」と説いた。「死を受け入れろ」と「死の受容」を説いた。


 宗教は何千年もの間、永遠の命を主張してきた。「魂は宇宙の彼方に戻るのです」「生命のなかには、永遠の生命がやどり、それが子孫に甦っていく」。哲学者ハイデガーも「死を見つめれば怖くなくなる」と言った。



「生きたい」と叫んでよいのだ

 生きているものは、すべて死ぬ。それはみんな分かっていることだ。しかし、そう説かれても、それでも、誰もが死は怖い。みんな心の底では生きたいのだ。これは生物の本能だと思う。


 人は、時が来れば死を自覚し、そして仕方なしに死んでいく。生きたいと思ったまま死んでいく。それが本当だろうと思う。


 私は死が怖い。怖いからこそ、死の恐怖を乗り越える術を知りたいのだ。  誰だって、死から逃げたい。死を忘れて生きていたい。当然ではないか。怖い時に、怖さを分けあえる人がいれば、少しは心が軽くなるのかもしれない。


 世の中に自分が役立っている、役立っていない。そんなことはまったく関係ない。老若男女、みんな「生きたい」と叫んでよいのだ。そして生きていてよいのだ。私はそう思う。



新型コロナウイルスには「考える時間」がない

 今年に入って、新型コロナウイルスの大流行である。  クルーズ船の集団感染、クラスター感染、病院の院内感染、そして市中感染に及んでいる。


 市民誰にでも、目に見えないコロナウイルスが、ひたひたと身近に迫ってきた。コロナに罹っても、多くの方は症状なしで過ごすが、むしろそれが蔓延を引き起こす。


 そして悪化した人は厳しい。健康で元気な方が、ある日、発熱からたちまち呼吸困難、肺炎、急激な意識状態の悪化を起こす。人工心肺装置ECMO(エコモ)に繋がれて助かる人もいるが、あっという間に亡くなる人もいる。志村けんさんの死では多くの方が衝撃を受けた。


 今や、世界で210万人以上が罹り、14万人以上が亡くなっている(4月17日現在)。毎日毎日、個々の死ではなく、その数を、マスとして報道される。しかも、科学、文化の頂点にあるはずの米国での死者が多い。


 コロナの死は厳しい。感染症だから、うつるから、家族も面会できず、遺体にも会えず、焼き場にも立ち会えず、骨になってから家族に引き渡される。この不条理さは何なのだ。


 この急激に迫りくる死は、がんにおける「個々の死を大事にする哲学」とは180度違う。がんでは、告知され、病気を知り、治る見込みがない場合でも、運命を自分に、家族に納得させる時間があった。いろいろな議論はあっても、「余命あと半年、3か月」と考える時間、そして看取る時間があるのだ。


 ところが、新型コロナウイルス感染症による死には、考える時間がない。がんを基にした死生学は崖から蹴落とされたのだ。そして医療現場では、戦争を知らない世代に、コロナとの戦争を強いている。相手は、とらえどころのない存在なのだ。


ウイルスは人間を住処に増殖する

 人類史を振り返れば、感染症は文明の発展と関係が深い。新型コロナウイルスの流行も、グローバル社会ならではの形を取っている。  人類が地球を我が物顔にして、いじくり、壊してきたからなのか?


 ウイルスは人間を住処にし、増殖する。  いま私たちは、ウイルスと闘う、感染した患者を診る医療者を称えながら、治療薬、ワクチンの開発を待っている。


 うつし合わないように、人から離れて、ただ逃げるだけ、見えないウイルスから逃げて暮らすのである。しかし、医療者をはじめ介護サービスなど、人から離れているわけにはゆかない方たちがたくさんおられる。


 国の対応に、いらいらしながらも、人から離れて逃げられる方は逃げているしかない。経済よりも、まず命が大切なのだ。コロナ後は、世界のありようも変わるかもしれない。


 それでも、こうして生きていられることに感謝したい。人間は生きていてこそ人間なのだ。じっと我慢して生きようと思う。


シリーズ「灯をかかげながら」 ~都立駒込病院名誉院長・公益財団法人日本対がん協会評議員 佐々木常雄~

がん医療に携わって50年、佐々木常雄・都立駒込病院名誉院長・公益財団法人日本対がん協会評議員の長年の臨床経験をもとにしたエッセイを随時掲載していきます。なお、個人のエピソードは、プライバシーを守るため一部改変しています。

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