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村本 高史の「がんを越え、”働く”を見つめる」第3回

掲載日:2021年7月9日 13時41分

 2011年の夏、食道入口のがんが再発しました。

 入院の準備をする中、がんのことや治療後のことなど、様々な情報をネットで調べました。そんな中、主治医の先生が言っていた「食道発声」に関して、教室が開催されていることを知り、公益社団法人銀鈴会の食道発声教室を妻と一緒に事前見学しました。

 行ってみて、大変感動しました。そこにいたのは、喉の周りの各種のがんで声帯を失った人たちばかり。今では上手に話ができる人が先生をやっていて、同じ境遇の人たちを教えていました。明るく、けれども懸命に発声練習をする人たちを目にし、「生きてさえいれば何とかなる」と思い、大きな勇気と希望を得て帰りました。

打ちひしがれた入院生活

 

 けれども、入院生活は予想以上に苛酷でした。9月下旬に入院しましたが、手術直後に呼吸がどんどん苦しくなり、「このまま死ぬのではないか」と思った瞬間がありました。

 実は、1回目の手術では奇跡的に声帯を残すことができました。ただ、手術箇所がうまく機能せず、結局、2週間後の緊急再手術で声帯を含む喉頭を全摘しました。もう少しでICUから出られると思っていたのに振り出しに戻り、打ちひしがれました。

 結局ICUには26日間、入院は43日間。久々に帰り着いた自宅で、生還した喜びと安心で涙が出ました。年内は自宅療養しました。

仕事への復帰

 3ヶ月半、仕事を休み、2012年年初から仕事に復帰することにしました。問題は声が出ないことです。発声教室に通い始めてはいましたが、とても会話というレベルではありません。廊下ですれ違っても挨拶の言葉も出ないなら、お互いに気まずい思いもするだろう。そう思って、自分の現状と復帰を予め知ってもらうべく、お世話になった社内外の人たちに年末にメールを送ることにしました。

「人間は自分が気付いている以上の可能性を持っていて、私もその一人と信じ、自分にできることをやりながら、自分にしかできないことを考え、実行していきたい」。この時点では、自分にそう言い聞かせるしかなかったのかもしれませんが、自分自身の言葉は後々も大きな拠り所になっています。社内だけでも150通以上の返信は、何度も読み返した貴重な財産です。

 2012年1月5日、休んでしまった申し訳なさも感じて久々に出社した会社は、変わらず温かく迎えてくれる仲間がいて、本当にいい会社だと思いました。

村本高史(むらもと・たかし)
サッポロビール株式会社
人事部 プランニング・ディレクター
1964年東京都生まれ。1987年サッポロビール入社。2009年に頸部食道がんを発症し、放射線治療で寛解。11年、人事総務部長在任時に再発し、手術で喉頭を全摘。その後、食道発声法を習得。14年秋より専門職として社内コミュニケーション強化に取組む一方、がん経験者の社内コミュニティ「Can Stars」の立上げ等、治療と仕事の両立支援策を推進。現在はNPO法人日本がんサバイバーシップネットワークの副代表理事や厚生労働省「がん診療連携拠点病院等の指定検討会」構成員も務めている。

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