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第62回 ポジティブって何?/木口マリのがんのココロ

掲載日:2021年9月2日 12時00分


 私はよく、「ポジティブな人だ」と言われます。  

 たしかに、「脱毛が楽しかった」と言ってみたり、「かっこいいがん患者になろう」と治療中からオシャレに精を出したり、自分のがんとの向き合い方を回想してみると、ポジティブなんだと思います。  

 でも実は、私は、自分がポジティブだと思ったことはありません。 「ポジティブでいよう」とか、「前向きに考えよう」と努めたこともないのです。  

「よかった探し」にモヤモヤする

たんぽぽが好きです。小さいけれど、しなやかで、秘めた強さがあって。

 そもそも、ポジティブって、どうやってなるものなのでしょうか。  

 子供のころ見たあるアニメで、登場人物が「よかった探し」をするくだりがありました。たしか、よくない境遇のなかに、あえて「よかったこと」を探し出すお話だったと思います。  

 大変な目にあった子供たちが、みんなで「よかった、よかった」と笑い合うのを見たとき、私の心は妙にモヤモヤしました。子供ながらにすごくウソっぽく感じたのです。  

 見て見ぬふりをしているというか、つらさとか怒りとかの気持ちにフタをして「私は幸せ」と口先だけで言っているような気がしました(やけに冷めた子供だ)。  

「それって、根本的には、ずっと苦しいままなのでは……?」  

 たしかに、困難のなかにも「いいもの」は存在します。でもそれは、無理矢理探し出すものではないと思うのです。つらくてしょうがない気持ちを押し殺していると、どこかに無理が生じてしまいそうです。  

私の思う「ポジティブ」とは

深く沈んでいるときに撮ったスマホ写真。当時の心の有りようを思い出しますが、それも私の大事な一部です。

 治療中、私が極端に落ち込んだのは2回。「子宮も卵巣もすべて取る」と医師に言われたときと、人工肛門になった直後の数日間です。  

「子宮も卵巣もすべて取る」のときは、病院を出た直後に、「家に帰りたくない」と思いました。今、帰ったら、一人でモンモンと考えて、余計に落ち込みそうな気がしました。  

 だから、あえて今やらなくてもいい用事をしに街を行ったり来たり。いつもならバスを使う道のりを歩いてみたり、夜道で友人に電話をかけてみたりもしました。  

 思い返すとそのときは、家に一人でいる静けさよりも、街の喧騒や、夜の風や、あたたかな友人の声といった刺激を、心が欲していたのかなと思います。そうするうちに、ほんの少し気持ちが整ってきて、家に帰ることができました。  

 人工肛門のときは、気づいたらそういう体になっていたので、落ち込む以外にできることがない状態(しばらく寝たきりだったし)。  心にまったく余裕がなかったせいもあるけれど、話すことも愛想笑いもせず、朝から晩まで押し黙っていました。  

「悲しい」とも「イヤだ」とも思わず、起こったことに否定も肯定もせず、とてつもない落ち込みのなかに、ただ心の成すままユラユラと漂っているような感じ。  

 そうするうち、なぜかいきなり、心が復活しました。まるで、パソコンを再起動したかのようなリフレッシュぶり。「スカーン!」と空が晴れ渡ったようで、大変爽快な気分でした。  

 その理由ははっきりしておらず、自分でも摩訶不思議で異例すぎる話ではありますが、「そんな立ち直りもあるんだ!」という記憶は、強烈に残っています。  

  「ポジティブ」とは、そのようないくつもの「心の回復」という経験を重ねることで、作られていくのかなと思います。  これは誰にでも言えることで、「ほんの少しでも気持ちが整ってくる」ことや、ふとした瞬間の新しい気づきは、それぞれが成功体験のようなもの。それらが積み重なることで「次もきっと大丈夫」という自信に繋がっていくのかもしれません。  

キグチ流、落ち込み対処法

森林のなかを歩いていると、体中の細胞がきれいになる気がしました。

 このような話をすると、「キグチだからできたのだろう。私には無理」と言われることがあります。  

   たしかに、立ち直り方が極端なことも多い(と、自分でも思う)ので、そう言われるのも無理はないと思いつつ……。でも、いずれの落ち込みのときでも、私がしていたのはとても単純なことでした。  

   それは、「何もしない」。  落ち込みに対しては、何の抵抗もしません。  いい方向に考えようとか、がんばらなきゃとか、まったく考えずにあえて放置しています。  

   ただ、そのときの自分の心に従って、「今、やりたいと思うこと」をして、「やりたくないこと」をしないでいます。  

   「家に帰りたくない」と思えば帰らないし、「沈黙していたい」と思えば口を聞きません。もしかしたら家族や友人に「どうしたのだろう」と心配されるかもしれませんが、とんでもなく落ち込んでいるときぐらい、自分の気持ちを第一に考えてもいいだろうと思うのです。  

   余裕ができたときに「あのときは、ごめんね」と謝ればヨシ。もしできるなら、事前に「今は、自分の気持ちを整えるのに精一杯だから、しばらく無愛想になるかも」などと伝えておくのも一つの手です。  

   私も、治療が始まったばかりのころ、母に対してこんなことを言った覚えがあります。 「心配してくれているのは、よくわかっている。でも悪いのだけど、今は、自分の気持ちを第一にさせてもらう」(今思うと、すごいことを言ったもんだ)。  母は、ちょっと驚いたかもしれません。でも、「そうだね、もちろんだよ」と見守ってくれました。  

   周囲の人も、苦しんでいる人に対して「無理して作る笑顔」なんて望んではいないはず。今は心配をかけたとしても、いつか、だれかがつらい思いをするときがあったなら、今度は自分が支えてあげればいいのです。  

ちょっとだけ、心地いいことをしよう

みなさんの心が安らぎますように!

 しかし、落ち込みは「ない方がいい」と思われがちですが、本当にそうでしょうか。人間に自然に起こる現象である以上、 “今、それが必要だから”起こっているのかもしれないと思ったりします。心の深部でどんなことが行われているのか分かりませんが、きっと、落ち込みも大事。  

 私たちは、自分の心や体を自分のもののように信じていますが、自分の意思と関係なく動いている部分がたくさんあります。  落ち込んでいるときも、心は「何とか回復しよう」と、見えないところでがんばっているはず。時間はかかるかもしれないけれど、それを信じて、見守ってあげられたらいいなと思います。  

 そうはいっても、やはりつらいものはつらい。  私の経験上、ほんのちょっとの刺激があると、心の回復も早くなるような気がします。  

 ここでいう刺激とは、「心地よさを得られるもの」です。  たとえば、好きなお茶を飲むでも、電車に揺られながら本を読むでも、がんの仲間と語り合うでもいいと思います。私は、風にそよぐ洗濯物を見るのが好きなので、よく洗濯をします。特に、白いシーツが光を透かしながらそよそよするのがたまらない。  自分が心地いいと感じる時間は、心にとっての深呼吸のようなものかもしれません。  

 ポジティブとは、結果としての現象であって、そうなろうと努力する必要なんてありません。ただ、小さなことでも「前より元気がわいた」と感じたときの自分を「ヨシヨシ」と褒めてあげてほしいと思います。  

 少しでも、みなさんの気持ちが上向いていきますように。  

 

木口マリ
「がんフォト*がんストーリー」代表 執筆、編集、翻訳も手がけるフォトグラファー。2013年に子宮頸がんが発覚。一時は人工肛門に。現在は、医療系を中心とした取材のほか、ウェブ写真展「がんフォト*がんストーリー」を運営。ブログ「ハッピーな療養生活のススメ」を公開中。
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