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佐々木常雄の「灯をかかげながら」
第18回 忘れられない、下肢切断のこと

掲載日:2022年4月1日 9時30分

手術前、17歳の患者に下肢切断を伝えなかった担当医

 ずいぶん前のことですが、忘れられない17歳A君の話です。

 A君は右下腿の痛みがあり来院されました。X線検査上、放射線科の診断では骨肉腫が考えられるとのことで、私は早速、A君を整形外科に紹介しました。

 A君は、母親が実母でないなど家庭的な問題もあって寮生活をしていました。現在の母親とは、うまくいっていなかったようでした。兄弟はいません。

 整形外科に入院した数日後、担当医が、私にこんなことを言いました。

「A君の右下肢は切断することになる。このことは、本人には手術前には言わないことにしたい」

 私は驚きました。

 全身麻酔から醒めて、その時に、A君は、右下肢がないことに気づくことになります。A君の心にはいろいろ問題があるかも知れず、これには私は反対しました。切断に反対しているのではなく、最初から右下肢を切断する目的の手術なのに、それを本人に話さないというのは、それはないだろうと思いました。本人に切断することを手術の前に話すべきであると私は主張しました。

 当時、病院内での多職種カンファランス等は、まだ行われていない時代でした。骨肉腫というがん告知もしていません。

 担当医は、手術が終わって、目が覚めてから「切断せざるをえなかった」と話すというのです。

 しかし、患者は麻酔から覚めて、右下肢がないことに初めて気づく。この時のA君の衝撃は、どんなに残酷なことであろうかと思いました。

 父親は、すべて担当医に任せると言っていたようでした。


悪い情報を隠すことが患者への思いやりだという時代もあった

 手術の翌日になって、私は病室にA君を訪ねました。

 A君は、いっぱい涙を流していました。私はただ、励ましの言葉を言っただけでした。

 当時、病棟には40歳代のGという看護師がいました。A君はGさんには特別に気を許していたようでした。G看護師は、自分の子と同じように、とても可愛がってくれ、A君はGさんを母親のように、慕っていたようでした。

 それが良いことかどうか、組織的には問題と思うのですが、G看護師の存在がその後のA君の心を支えていたように思います。

 手術後、骨肉腫は肺に転移したことが判明し、抗がん薬治療となりました。

 そして、半年後には、かわいそうにA君は亡くなったのです。

 がんの告知だけではなく、他のことでも真実を言わない時代がありました。

 あの当時、私は進行した胃がんの患者を数名も受け持っていました。「手術して胃がんは取り切りました。再発するといけないので、専門の医師に抗がん剤治療をしてもらいましょう」そう言われて紹介されてきた患者がいました。

 実は開腹したが、がんは腹膜にも進んでおり、胃がんには手が付けられなかった。つまり、胃は切除できず、そのままお腹を閉じた患者でした。この場合は、胃を切ったのかどうか、患者本人は腹の中のことは分からないのです。

 しかし、A君の場合の下肢の切断は、隠すことはできません。

 担当医は、手術前のA君の心の動揺を心配したのだったと思います。

 がんという病名を隠すだけではなく、下肢切断という悪い情報も隠す、それは医療者の患者への思いやりであるという時代でもあったのです。


すべてを知らされる患者の心を誰がみてくれるのか

 今では、真実を話すのが当たり前の時代です。一般的に、10代後半になれば、病気のことは、成人と同じように理解できる、「高校生の自己決定権をどこまで担保できるか」を考慮すべきと言われます。

 それはそうなのですが、すべてを知る、知らされる患者の心を誰がみてくれるのか、とても心配なことでもあります。

シリーズ「灯をかかげながら」 ~都立駒込病院名誉院長・公益財団法人日本対がん協会評議員 佐々木常雄~

がん医療に携わって50年、佐々木常雄・都立駒込病院名誉院長・公益財団法人日本対がん協会評議員の長年の臨床経験をもとにしたエッセイを随時掲載していきます。なお、個人のエピソードは、プライバシーを守るため一部改変しています。


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