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第89回 トラウマの記憶 〜腸閉塞事件の1年後〜/木口マリの「がんのココロ」

掲載日:2025年12月2日 16時37分

 間もなく、年末です。年末というと、何を思い浮かべますか? 私の場合は、「恐怖のカウントダウン」です。カウントダウンといっても年明け数秒前のアレではなく、もっと個人的なことですが。

“刻一刻”と近づく記憶

腸閉塞事件の寸前に買い、退院後の1月末にやっと飾れた鏡もち。


 がんになって、告知の日や手術日などを新たな記念日としている人は多いのではないでしょうか。私も例にもれずそれらを記念日にしているのですが、そのほかに忘れられない日があります。

 その日とは、2013年12月27日。十数年経った今も記憶に色濃く残る、キグチ史上もっとも怒涛で、もっとも恐ろしい「腸閉塞事件の日」です。以降、数年間、私は毎年“その日”が近づくにつれて背筋にそこはかとない緊張を感じていました。

 その年の年末は抗がん剤治療がひと段落ついて、「ひとまず家でお正月を迎えられそうだ」と軽やかな心持ちでいたころ。ところが12月27日の夕方、お腹にとてつもない激痛が襲いました。しばらく耐えていたもののどんどん悪化していくその痛み。ついには自分で救急車を呼んで搬送され、緊急手術となり、目覚めたら人工肛門になっていました(このときの詳細は「第37回 術後合併症!ザ・腸閉塞事件〈其の一〉 〜木口マリの『がんのココロ』」にて https://www.gsclub.jp/tips/12524)。

 当初は検査をしても診断がつかず、手術に踏み切る材料がなかったものの、その日の当直医だったイケメン先生が「手術しよう」と判断を下しました。お腹を開けてみたらすでに腸が壊死していて破裂寸前だったそう。

 たまたま病院の近くに住んでいて、たまたま状況判断が的確な医師がいて、たまたま命がつながりました。

 多分、それはギリギリの綱渡り。何かが欠けていたら、私は今、ここにいなかったかもしれないーー。そう思うと、私にとってまさに「運命の日」といっても過言ではなかったのです。

 その数時間前までは、抗がん剤明けの開放感にひたりながら年末ムード満載の街を散策し、ルンルン気分でお正月飾りや鏡もちを眺めていたのに……。

 あのときすでに、刻一刻とその瞬間に近付いて行っていたのかと想像すると、ノホホンと過ごしていた自分がとんでもなくあわれに思えるのでした。

 そして翌年の年末。12月27日へのカウントダウンを意識するようになっていました。まるであの日の追体験をするようで、「同じ行動をしたら同じ運命を辿るのでは」などという意味不明な不安を感じ、前年と同じ行動を取ることができなくなっていました。あの日に行った場所に行けず、お正月飾りを手に取るのも何となくためらってしまう。

 結果的に身体は回復したわけだし、人工肛門も「人生で出会えてよかったものTOP10」に入るほどだったので心配なことなどないはずなのに。やはり心は軽いトラウマのようなものを抱えていたのだと、お正月飾りを買えないことから思ったりもするのです。

また起こるのでは!?の恐怖

“あの日”はとても寒かった。そのキンとした空気感はこんなイメージ。


 当時の日記を読み返すと、「じんわりとした不安は、足元を覆う霧のように漂っていた」とありました。トラウマというのはおそらく発作みたいなもので、心の奥底から得体の知れない煙のように湧き上がってきて、不安を呼び起こさせるものなのだと思います。

 何が私の「トラウマの素」になっていたのかを考えると、そのときに感じた恐怖とか焦りとか激痛の記憶というだけでなく、がん治療でたびたび感じてきた落胆と、それらを一つずつ乗り越えてきた苦労をもう一度繰り返すことになるのでは、という絶望感だったと思います。

 言わば「フリダシに戻る」の感覚。やっとのことで崖を登ってきて、あと少しと希望が見えたところで突き落とされ、「もう一度登らなければならないのか」と心が折れるような。しかもこのときは、登り始めた位置よりさらに深くに落とされたように感じていました。

 翌年の12月27日はまったく違う日だし、何も起こらないだろうと頭では理解していながらも「もしかしたら、もう一度恐ろしいことが起こるのでは」という思いに心が囚われていたようです。

怖い日。だけどそれは「いい日」でもある

たくさんの人の手を受けた日。そう思うと、あたたかな気持ちになりました。


 と、まあ何が言いたいのかといえば、「人間は思う以上に繊細だ」ということです。心というのは、知らないうちにいろいろなものを取り込んで、ときには傷を負っています。それが数年に渡って影響し、単に、お正月飾りに手を伸ばすだけの行為でさえ、制限してしまうことがあるのだと思います。

 しかし今、このときのトラウマはまったく残っていません。記憶としては忘れることのない日ですが、12月27日が近付いてくることに不安を感じなくなりました。人間は妙に不安定な生き物だと思いつつ、そこから回復する確かな力も備えているものです。

 おまけにこの日は、たくさんの人に助けられた日でもあります。がんになってからというもの、多くの医療者が私の治療に関わってくれましたが、この日を境にさらにそれが増えました。

「どれくらいいたのだろう」と、書き出してみると、名前が分かる医療者だけでも50人以上。分からない人を含めると、もっと、もっと多い。加えて、家族や大勢の友人たちにも支えられてきました。

 12月27日は確かに怖い記憶の残る記念日です。しかし、それだけたくさんの人の手を受けた日でもあります。それならば、この日は「いい日」なのかもしれない。

 自分の命に関わってくれた人が、こんなにたくさん。これは、人生にそう何度もあるものではありません。そう考えると、自分は幸せな人間だと思えてくるのでした。

木口マリ
「がんフォト*がんストーリー」代表 執筆、編集、翻訳も手がけるフォトグラファー。2013年に子宮頸がんが発覚。一時は人工肛門に。現在は、医療系を中心とした取材のほか、ウェブ写真展「がんフォト*がんストーリー」を運営。ブログ「ハッピーな療養生活のススメ」を公開中。
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