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第88回 治療中の、小さくてユルい日常/木口マリの「がんのココロ」

掲載日:2025年11月13日 17時16分

 治療中というのは、特別な時間だと思います。

 先日、体調を崩したときも、仕事やら家事やら何もかも後回しにして、ひたすら布団にくるまり、体を治すことを第一に考えていました。

 今、時間を自分のためだけに費やしているなぁと感じ、「たまには、そういうのも悪くないな」と思ったものです(仕事を待ってもらった人たちへの迷惑を差し置いて)。

 がん治療真っ盛りのときは、さらに多くの「自分の時間」を過ごしていました。心身ともにいろいろと大変だし、びっくりするほど体力もお金もない。それでも、思い返せば日々の中に小さな幸せをたくさん感じていた気がします。日常的すぎて、普通に考えると取るに足らないようなことばかりなのですが。

当時の「近所の公園」。季節ごとにさまざまなお花が咲いていました。


 例えば、入院中の読書。通勤中とか空き時間のひまつぶしではなく、まとまった「読書の時間」を取れるのは、こういうときじゃないと案外ないものだよな、と思います。病気のオマケとしてついてきた「大人のゆとりタイム」といえるかもしれない。

 入退院の合間には、よく近所のレンタルDVDショップに行きました。借りるのは、決まってDVD2本と、たまにマンガを2〜3冊。お金がないのでそれ以上は借りません。でも何だかとてもウキウキとしたものです。

 自宅療養中、節約しながらの食材の買い物は「1回につき、(だいたい)1,000円以内計画」なんてものをやっていました。何度もやるうち「安くていいもの」を見つける目利き具合がグレードアップしてきて、ギリギリ1,000円以内でたくさん買えたことにニヤリとほくそ笑む。

 少々イレギュラーなところでは、抗がん剤の点滴中の昼寝。普段は入院中も自宅療養中も「絶対に昼間に寝ない(夜に寝られなくなるから)」と決め込んでいたのですが、抗がん剤の点滴中だけは「昼寝ヨシ」としていました。

 それというのも、私が使っていた抗がん剤のひとつにはアルコールが多く含まれていて、お酒が割と好きなキグチとしては案外心地よかったから。「晴れた日の草原で、昼間からビール飲んで転がって寝る」というくらい気分が良くて、病院のベッドなのにそよそよと風がそよいでくる気さえしました。

「1回1,000円以内計画」の成功例(今の物価では多分ムリ)。


 副作用が出ている間は目玉さえ動かしたくないほどグロッキーでまったく何もできないのだけど、おさまってくると毎日早朝から近所の公園へ散歩に出かけました。

 夏も朝は涼しく、濃い緑の葉をつけた木々の中を歩いたり、池で亀やコイやカモがゆるゆると泳ぐのを眺めたり。ときには本とパンとコーヒーを持って行き、木の下で「ひとりモーニング」をすることも(「ウチの食卓」と呼んでいた)。
 そのうちお散歩中のお年寄りが隣にやってきて、昔語りを聴くこともしばしば。これがまた、時代を感じさせる波瀾万丈な人生体験だったりして面白い。

自然を肌で感じる、そんな時間。


 副作用明けは、「体のどこもつらくない」という“いたって普通”の状態を、心から気持ちいいと感じられる瞬間でもありました。
 ある日の昼すぎ、窓辺に座って楽しみにしていたマンガを読むことにしたのだけど、昨日までのだるさは皆無だし、エアコンがほどよく効いた部屋でくつろぐその時間はこの上なく心地よく、「何て幸せなんだ……」と心が緩んだものです。

 診察の待ち時間はそもそも私にとって苦痛ではないのですが、入院中の友人をたびたび呼び出しておしゃべりしていたのもいい思い出です。
 もうその人は亡くなってしまったけれど、「着きました」とメッセージを送るとニコニコしながら待合室まで降りて来てくれた、その笑顔は今もよく覚えています(コロナ前の、今となっては古き善き時代)。

 太陽の動きとともに暮らしたり(入院生活の影響で)、リハビリと称して少しだけ遠くの図書館まで歩いてみたり。
 このほかにもたくさん、ちょっとした幸せがありました。みなさんは、どうでしょうか。


公園のベンチで過ごす、至福のとき。


 何かのきっかけでひとつ思い出すと、そこから立て続けに同系統の記憶がよみがえることがあります。このときは「治療中のいい時間の記憶」が、ぽこぽこと湧き出てきました。

 昼寝をしたり、近所を散歩したり、おしゃべりしたり。ただそれだけのことなのだけど、今、思い出してみても、気分がいい。

 通院中も入院中も、抗がん剤の副作用の最中も、私の時間。いずれの時間も無駄なんかじゃなくて、それはそれで大切なものです。その中には、いろいろな“いいもの”とか、“いつかいいものになるもの”が、たくさんあるのだと思います。

 最近は、仕事でもがんの活動でも、「もっといろいろできるんじゃないか? 努力が足りていないのでは?」と、焦りを感じることが多々あります。

 でも、そんなに背伸びをしなくていいのかも、という気がしました。治療中の小さくてユルい日常は、今の私にも心のゆとりを与えてくれているようです。

木口マリ
「がんフォト*がんストーリー」代表 執筆、編集、翻訳も手がけるフォトグラファー。2013年に子宮頸がんが発覚。一時は人工肛門に。現在は、医療系を中心とした取材のほか、ウェブ写真展「がんフォト*がんストーリー」を運営。ブログ「ハッピーな療養生活のススメ」を公開中。
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