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正しい情報で、スキルス胃がんに光を ~轟哲也さん、浩美さんが歩んできた道~

掲載日:2018年2月21日 12時43分

 スキルス胃がんは、胃がんの約10%を占める。進行が速く、早期発見も治癒も難しい。弁理士の轟哲也さんもそうだった。2013年12月に発覚。その後、NPO法人「希望の会」(現在は認定NPO法人)を立ち上げて理事長に就任し、2016年8月に他界するまで、妻の浩美さんとともに、スキルス胃がんの患者のための活動を続けた。浩美さんは今も患者や家族を支え、正しい情報の周知に力を入れている。(文:中村智志)

もしかしたらスキルス胃がん

『もしかしたらスキルス胃がん』。イラストが親しみやすい。電子ブックでも見られる。

 1冊の冊子がある。
『もしかしたらスキルス胃がん -治療開始前に知りたかったこと-』
 NPO法人「希望の会」が2016年1月に作成して、ホームページからもダウンロードできる。42ページ。専門用語の解説も交えながら書かれていて、わかりやすい。
「治療を受ける人自身が主役」「主治医に、どんなことでも感じていることを伝えましょう」といった診察時の心がまえから、「体重が急に減る」「胃が動かない」などスキルス胃がんを疑うべきサイン、スキルス胃がんの特徴、転移の現れ方、治療方法、緩和ケア、臨床試験の参加方法、セカンドオピニオンの取り方、ネットや書籍の情報の探し方(「がんが消えた」などの表現に惑わされない)などまで、幅広い。

 医療に関する部分は、「希望の会」理事長だった轟哲也さんが執筆し、それ以外の部分は妻の浩美さんが担当した。浩美さんはこう語る。
「胃炎と診断されてピロリ菌を除去したのに、胃の違和感が残る。内視鏡検査をしても何も映らない。スキルス胃がんは胃の表面に出てこないで、胃壁の内部を浸潤するので、医師でも気付きにくい。経過観察をしているうちに、ようやく見つかったときには、ステージ4、というケースが多いのです」
 哲也さんも、その一人であった。

最初の診断は胃炎だった

 2013年1月のある朝、哲也さんは朝食を取らなかった。代わりに、唐突に切り出した。
「今日、実は胃カメラの検査を受けに行くんだ」
 おどろく浩美さんに、事情を説明した。2012年11月の区の検診で「要再検査」となったこと。「画像診断に自信がある。慶応義塾大学病院から独立した」というクリニックで検査をすること。満腹になる量が以前より減ってきているという自覚症状があること。

 哲也さんは健康に気を配っていた。食事は野菜中心で、酒もたばこもやらない。ジョギングやウェートトレーニングにも精を出す。父方の家系に胃がんの人が多く、若いときから、いつか自分も胃がんになると考えていた。そのため、毎年、区の検診を受けていた。
 浩美さんは勤務先の学校法人へ、哲也さんはクリニックへ出かけた。哲也さんは弁理士で、自宅が職場であった。帰ってきた浩美さんに、ホッとしたように言った。
「がんではなかったよ。胃炎だと言われた」

 ただ、胃の中に、胃がんの原因にもなるピロリ菌があったので、除去することになった。除去には数カ月を要した。哲也さんはその間にも、「胃がどんどん悪くなる」と感じていた。食後にみぞおちのあたりが痛む。少し食べると、のどが、蓋が閉まるようなつっかえる感じがする。そうした症状をクリニックの医師にも伝えても、
「ピロリ菌の除去をすると、逆流性食道炎のような症状になることがあります」
 という答えが返ってきた。地元の行きつけの胃腸クリニックにも相談したが、検査はせずに「胃炎ですよ」と言われた。

1年後、スキルス胃がんとわかる

2015年5月3日、浩美さんの誕生日にバイクにまたがる哲也さん。(轟浩美さん提供)

 やがて1年が過ぎて、2013年11月、再び区の検診を受けた。バリウムを飲んだ瞬間、哲也さんは冷や汗が吹き出し、胃が破裂しそうになった。「これは、まずい」と直感した。

 2週間ほど経ったころ、家の電話が鳴った。都立広尾病院の医師からであった。
「胃のX線画像に病変が見られます。一刻も早く精密検査を受けたほうがいい」
 4日後に広尾病院で胃の内視鏡、CTスキャン、病理検査などを受けた。結果を聞きに行く日は、長男の健太さんの誕生日でもあった。その朝、哲也さんが浩美さんに言った。

「今日は胃がんだって言われてくるよ」
 浩美さんは「胃がんは切れば治る時代だ」と考えていて、いつも通りに出勤した。しかし、哲也さんからの連絡は違った。
「やっぱりがんだった。それも、スキルス胃がん。治療法がない。『命は数か月ぐらいと考えてください』って言われたから」
 哲也さんは理科系で、自分でよく調べるタイプだ。診断を受ける前から病名を推測していた。頭が真っ白になるのではなく、「ようやく正しい治療が受けられる」と受け止めた。

 主治医からは、「腹膜播種(腹膜への転移。がん細胞が種をまいたように広がる)があれば、まず抗がん剤で転移をなくし、その後、胃の全摘手術を行う」という治療方針が示された。後で知ったことだが、腫瘍マーカー(CA19-9)は750と、正常範囲(0~37.0)を大幅に超えていた。
 このときの浩美さんには、スキルス胃がんの知識はなかった。

抗がん剤とにんじんジュース

 哲也さんは告知の1週間後に入院した。腹腔鏡手術で調べると、腹膜播種がみられた。ステージ4。がん研有明病院でセカンドオピニオンを受けたが、広尾病院の治療方針で問題がない、という結論だった。
 抗がん剤治療が始まった。点滴のドセタキセル、飲み薬のTS-1の2種類。治療を始めて数日後、食べ物が抵抗なく胃に入っていくようになった。スキルス胃がんのスキルスは「硬い」という意味。進行すると胃が陶器のようになるという。哲也さんは、胃が柔らかくなったのを実感した。希望が見えた。


 治療を受けながら、哲也さんは身辺整理にも力を入れたという。一方の浩美さんは、
「この人を助けるには、私も何かしなければいけない。私が仕事をしていたから気付かなかったのか。作った料理が悪かったのか」
 という客観的に見れば抱く必要のない懺悔の気持ちもあって、インターネットであれこれと検索した。そして、いわゆる民間療法に引き込まれた。フコイダン、アガリスクなどのサプリメントを買い、高濃度ビタミンC点滴を受けられるクリニックに行き、にんじんジュースを低速のジューサーで一生懸命につくった。
 哲也さんは、民間療法で治るとは考えていなかった。しかし、浩美さんの気持ちを酌んで、サプリメントを服用し、にんじんジュースを飲んだ。
 

ブログをきっかけに「希望の会」を立ち上げる

2015年8月、東京・秋葉原のアキバキャンサーフォーラム2015に「希望の会」としてブースを出した。(轟浩美さん提供)

 2014年1月、浩美さんは、実家の火事で母を亡くした。哲也さんのがんを乗り越えようという気持ちになりつつあった矢先のことだ。浩美さんは、実父もその17年前に大動脈瘤で亡くしている。突然の別れのつらさ。さらに、職場でも孤立して仕事を失う。

 一方の哲也さんは、臨床試験のことも調べていた。2014年の春、「腹腔内投与」という治療法を知る。お腹にポートを埋め込んで直接抗がん剤を入れることで、腹膜播種を消すという方法だ。腹膜播種が消えれば、胃を全摘できる。しかし、浩美さんが、この臨床試験を行っている東大病院に連絡を取ると、「抗がん剤を一度も受けたことがない」という条件が付いていた。広尾病院では実施していない。
「かかる病院によって治療の選択肢が違う」
 浩美さんは不公平感を突き付けられた気がした。

 スキルス胃がんは、情報が少ない。哲也さんは2014年4月、情報を集めたい気持ちもあって、ブログを始めた。タイトルは「スキルス性胃がんに勝つ ~同じ病と闘っている人達の参考になれば、と思って、日々の闘病生活を綴ります~」。浩美さんには黙っていた。
 だんだん、ブログに人が集まり始めた。ブログ上で呼びかけて、2014年10月、患者会「希望の会」を結成した。その時点でも、浩美さんは何も知らなかった。
 11月、浩美さんは突然、こう誘われた。
「同じ病気の人と会うから大阪に行く。一緒に行く?」
 11月23日、夫婦で日帰りで大阪へ向かった。哲也さんはブログにこう綴った。
《お互いの経験や、知りえた情報などを出し合い、情報を共有することができました。今まではネット上の仮想癌友でしたが、今日からはリアルの癌友です》(抜粋)
 翌日には、東京でもオフ会を開いた。哲也さんのブログの筆致も前向きだ。
《スキルス性胃ガンの話ができる、スキルス性胃ガンだけど元気な人達が目の前にいる、それだけでも〔希望の会〕の存在意義があると思っています》(抜粋)
 希望の会は、2015年3月に、NPO法人化された。理事長は哲也さん、副理事長は浩美さん。浩美さんの友人のデザイナーも加わるなど広がりも見せていた。

国立がん研究センター理事長との対談

 2015年5月に「全国がん患者団体連合会」が立ち上がると、浩美さんが連絡を取って参加した。こうしたことから、専門医をはじめ各方面への人脈も広がった。

 7月には、国立がん研究センター(国がん)の理事長の堀田知光さんと対談した。哲也さんは、希望の会で企画しているスキルス胃がんの冊子の内容チェックなどの協力を依頼した。堀田先生は「国がんと一緒に創りましょう。その内容を、国がんが展開しているがん情報のサイトでも見られるようにしましょう」と賛同してくれたという。
 浩美さんは、金沢大学や近畿大学などの先生にも内容チェックを依頼した。ときに、講演会の出待ちまでして頼んだ。だれもが快諾してくれた。哲也さんが執筆した医療関連の部分は、医師たちの赤字チェックもほとんど入らなかった。
 2016年1月下旬、冊子「もしかしたらスキルス胃がん」が完成した。哲也さんと浩美さんは、堀田先生はじめお世話になった先生たちに手渡した。

最期までスキルス胃がんの希望のために

2016年4月、インターネット生放送番組「がんノート」に出演。左はNPO法人「がんノート」の岸田徹さん。(轟浩美さん提供)

 だが、そのころから、体調は芳しくなくなってきた。ほとんど食べられず、食べても吐いてしまう。呼吸困難になったり、転移した骨が痛んだりする。バイクも手放した。介護ベッドも入れた。愛犬の柴犬、豆太郎も16歳で天国へ行った。

 哲也さんは2015年には必死に探して金沢市で「腹腔内投与」の臨床試験も受けたが、骨転移が判明して、胃の全摘手術には入れなかった。東京に戻り、イリノテカン、保険適用されたばかりの分子標的薬サイラムザといった薬で治療を続けていた。
 そして、千葉県柏市の国立がん研究センター東病院で、免疫チェックポイント阻害剤の「日本人で初めて」という臨床試験に賭けた。スキルス胃がんの患者へ臨床試験の道を開きたいという思いもあった。

 3月半ばに始めた臨床試験は、5月末に中止。その後はサイラムザとパクリタキセルという抗がん剤の併用療法を再開した。
 8月8日の早朝。哲也さんは旅立った。自ら終末期鎮静を決断し、集まった家族に別れを告げた。最期の言葉は母への「産んでくれてありがとう。あなたの子どもで幸せでした」だったという。その前日には、浩美さんに「出会えてよかった」と感謝を伝えていた。遺体は、哲也さんと浩美さんの遺志で剖検された。

2016年7月、聖路加国際病院の市民公開講座「緩和ケアのことをちゃんと知ろう」で。(轟浩美さん提供)

 浩美さんは8日、ブログ「あきらめない!(スキルス胃がんステージⅣ! 私たちの挑戦」にこう綴った。
《早朝、旅立ちました。
最期までスキルス胃がんの希望のために生きました。
私は彼の意志を継いでいくつもりです。
綺麗な朝焼けでした》(抜粋)

知ることは力になる

 哲也さんと浩美さんの歩みから浮かんでくるのは、情報の重要性だ。簡単に正しい情報へアクセスできること。治療法や臨床試験などのすべての情報が素早く平等に提供されること。スキルス胃がんそのものの知識が広まること。
 浩美さんはこう語る。

「結果が悪ければ、自分が選ばなかった道のほうがよかったんじゃないかと思ってしまうものです。だからこそ、医師は最初に病気のことをわかりやすく説明して、正しい情報を知る機会を平等に与えてほしい」
 ネットだけでなく、一般紙にも「奇跡の治療法」を謳った書籍やイベントの広告が載る。現実をしっかり受け止めないと、民間療法やサプリメントに走ったり、治療をしないという選択をしてしまったりするかもしれない。
「知ることは力になる。『希望の会』ではいつもそう言っています。知る機会を増やすことが、患者会の役目だと思います。亡くなった人は戻らないけれど、制度や医療は変えられる。そこをやっていきたい」

イクメンだが食事は作らなかった

友貴さんの成人式の記念写真。右奥は健太さん、右手前は哲也さんの母の轟ミチ子さん。このころ、最初のバリウム検査が引っかかった。(轟浩美さん提供)

 浩美さんは都立青山高校からお茶の水女子大学家政学部へ入り、幼稚園の先生を目指した。哲也さんは都立戸山高校から早稲田大学理工学部に入った。2人は、早稲田大学の準体育会のようなスキーサークルで知り合った。浩美さんが早稲田のサークルに入った理由のひとつは、野球の早慶戦の後に新宿で盛り上がるところに憧れていたからだ。ともにスキーは初心者で、哲也さんは1年先輩だった。
「いかにも理系で、どんなことでも客観視している。ぶれない。これ、と決めたら絶対に動かない人でした。論理的なので、議論したら必ず私が負けました」

 今でも、判断に迷ったときに、哲也さんならどうするかなと考えるという。長男の健太さん(28)もこう話す。
「テレビひとつ買うのでも、すべてのカタログを比較検討しました。衝動買いなんて絶対にない。抽象的なことも好まなかったですね」
 哲也さんは、いわゆるイクメンだったが、食事だけは作らなかった。「おふくろの味」を大切にしたい、というポリシーだったと浩美さんはみる。

 健太さんはキユーピーを退職し、「Medical Compass」という会社で働いている。哲也さんともつながりがあり、厚生労働省で医療改革にも携わっていた医師の宮田俊男さんが2016年12月に立ち上げた会社だ。症状を入力して質問に答えると市販薬を紹介してくれる「健こんぱす」などのアプリを開発している。長女の友貴さんはフリーライターとして韓国に拠点を置く。

いつまで悲しんでいてもいい

 哲也さんの旅立ちから1年半近く。浩美さんには、
「静かな遺族でいたかった」
 という思いもある。テレビに出たりしたことで、たとえばリレー・フォー・ライフなどのイベント会場で静かに追悼したいときにも声をかけられたりする。遺族の代表として発言を求められる機会も少なくない。
「今のほうがつらいですね。立ち止まる時間ができて、本当にいないんだな、と感じます。家族は、忘れようとしなくていい。若い人が配偶者を亡くしたりすると、『そろそろいい人見つけたら』なんて善意で勧められたりしますが、かえって心を閉ざしてしまう。後になるほど悲しくなることもあるんです」
 2018年1月末のブログではこう書いた。

2017年10月、大阪府貝塚市で開かれたリレー・フォー・ライフに参加した。(轟浩美さん提供)

《夫が遺した言葉
【自分がいなくなった後、家内には、支えてくれる友人達が周りに溢れるほどいてほしい。息子や娘には、それぞれが家庭を持ち、親のことよりも自分達の家庭の幸せのために一所懸命に毎日を送ってほしい。それが去りゆく者の願いです。】
 これが、どんなに愛されているということだったのか、今更ながら深く感じています。》
 浩美さんは今も、活動を続ける。若いころからの信念は、「あきらめない」。その思いが、スキルス胃がん、ひいてはがんに立ち向かう人たちに一筋の光を照らしている。

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