「がんばれ」は難しい
木口マリの『がんのココロ』は、がんにまつわる「心」と、がんのはてなを読み解く「その心は⁈」を、ちょっとゆるめにお話ししていきます。かたりべとなるのは、子宮頸がんサバイバー(=体験者)であり、がん関連の取材に取り組むフォトグラファー/ライターの木口マリです。「がんばれ」と言ってはいけない?
「うつ病の人に、『がんばれ』と言ってはいけない」――そんな話が、少し前に話題になりました。
言ってはいけないというか、重荷になるという意味だと思うのだけど、それが世間にワッと広まったら、「がんばれ」という言葉自体が、何やら少しマイナスな気配を帯びてしまった気がします。
うつ病に限らず、病気の人に「がんばれ」と言うことがよろしくないような、妙な火種が人の心の中に点いてしまったような。人によっては、「そうか、がんばれはダメなのか」と杓子定規にとらえてしまい、「がんばって!」と言われたら「マイナスなことを言われた」と感じる、なんてことにもなってしまっていたりして。「がんばれ」は、だいぶ肩身が狭くなっているに違いない。
本来、「がんばれ」は、悪い言葉じゃない。
だけど、すべての言葉がそうであるように、そこに込められた気持ちが、意図しているとおりに伝わらないことがあるのが問題なのだろうと思います。
特に「がんばれ」は、“ここぞ”という場面でホイホイ使われる割には“伝わり度”が低く、それどころか逆効果にもなってしまいます。“ここぞ”という場面はいろいろありますが、そのひとつが「がんの人に言うとき」です。
「がんばって」に一言付け加えてみた
看護学部の学生さんに向けて講演をさせていただく際、「がん患者さんに『がんばりましょう』と声がけするのは良くないですか?」という質問を受けることがあります。それに対する私の答えは「伝え方による」です。
「がんばれ」という応援って、素敵だと思います。「がんばって!」と言われたことに対し、誰もが人生で一度は、「よーし、がんばるぞ!」という気持ちになったことがあるのではないでしょうか。
でも、「がんばれなんて言わないでよ」と思ってしまうこともあります。その違いは何なのか。
それは、「その先にワクワクがあって『がんばりたい!』と思っているとき」なのか、「本当はこんなことをしたくないのに『がんばらなきゃいけない』と思っているとき」なのかの違いではないかと思います。
前者は、スポーツの試合など、後者は、病気の治療などです。治療中、看護師さんやお医者さん、家族などに「がんばれ」と言われて負担に感じてしまうことがあるのは、そのためだろうと思います。

ちょっとがんばってる虫
「がんばる」は、人を包み込む言葉にもなる
つい先日、あるがん体験者さんが、インターネットの生放送番組『がんノート』でこんなことを話されていました。
「本当に辛いときに、師匠(サバイバーとしての生き方を教えてくれた先輩)が『がんばったね』と言ってくれた。そのときはマジで泣きました」
この話を聞いて、私も治療をしていたころを思い出し、目が潤んでしまいました。
「がんばってね」はこれからに向けてのことだけれど、「がんばったね」は、相手がこれまで努力したり、耐えていたりしたことを想っての言葉です。私は治療に関して、「がんばろう」としたことはないと思っています。でもきっと、知らず知らずのうちに心は張り詰めた状態にあり、「がんばっていた」のだろうと思いました。
おそらく、多くの人がこのときの私と同じような状態にあるのではないでしょうか。グッと心の中で抱えているものがあって、限界点ギリギリで耐えているのに、自分ですらそれをはっきり自覚していないような。そんなときの「がんばったね」は、心のすべてを緩ませてくれるような、そんな言葉なのだという気がしました。
「がんばろう」は誰かを鼓舞する言葉です。ですが、ほんの少しの違いで、人を包み込む言葉にもなるのだと思います。「一緒にがんばりましょう」にしても「がんばったね」にしても、その人を「支えよう」「受け止めよう」とする温かさが、とても深く伝わってくるからだと思いました。
言われた側も、相手を想うことが大事
と、いろいろと患者の気持ちとして書いてきましたが、私は、患者も、言われた言葉をダイレクトに受けるのではなく、相手の言葉の奥にどんな意味があるかを考えてみることが大事だと思っています。
「『がんばれ』と言われたけれど、その言葉の奥には、どんな想いが隠されているのか。一瞬、不快な気がしたけれど、もしかしたらすごく温かい気持ちで言ってくれているのではないか」というような。
人は、想いのすべてを言葉として表すことができません。言葉にすることが上手ではない人もいるでしょう。医師や看護師だって、当然ながら人間で、例外ではありません。家族や友達も、伝えることが思っていたより下手な人かもしれません。
そんな、“想いと言葉のギャップ”を埋めるのは、ほんの少しの落ち着きと、自分を想う相手への「思いやり」です。状況によっては自分の問題だけでいっぱいいっぱいなこともあるかもしれないけれど、「言葉の表面に見えていない想いがあるのかも」と、心のどこかに持っておくだけで、受けるものは違ってくるのではと思います。
言葉がなければ伝わらない。人間は、本当に厄介な生き物です。しかも人の心は複雑で、全然うまく伝わらないこともあります。
しかし、言葉があるからこそ、誰かの想いを受け止めて、心の中に抱き続けることもできるもの。「がんばれ」という言葉も、「言われたくないもの」ではなく、「想いが込められたもの」として、支えとなっていけばいいなと思います。

療養中フォトギャラリー by iPhone ©木口マリ
木口マリ

「がんフォト*がんストーリー」代表 執筆、編集、翻訳も手がけるフォトグラファー。2013年に子宮頸がんが発覚。一時は人工肛門に。現在は、医療系を中心とした取材のほか、ウェブ写真展「がんフォト*がんストーリー」を運営。ブログ「ハッピーな療養生活のススメ」を公開中。