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5月2日 トップの理解と覚悟で、組織は動く

掲載日:2018年5月6日 15時31分

垣添忠生の全国縦断がんサバイバー支援ウォーク 一言ブログ 5月2日



 今日は、今回のウォークで唯一の病院訪問で、群馬県立がんセンターへ向かいました。
 朝、日本対がん協会群馬県支部(公益財団法人「群馬県健康づくり財団」)の戸塚俊輔専務理事がホテルまで迎えに来てくださりました。その後、徳川家発祥の地という太田市の世羅田東照宮でも何人かと合流して、そのうち戸塚さんら3人と私で歩きはじめました。

 旧中島家住宅の前を通ります。中島飛行機(後の富士重工=現スバル、の前身)の創設者・中島知久平が、昭和初期に両親のために築いた大邸宅です。敷地1万平方メートルの近代和風邸宅で、2016年に国の重要文化財に指定されました。当時のお金で100万円、今なら何億円になるのでしょうか。

 その後、カフェ尾島という元は呉服屋さんだったカフェで一休み。戸塚さんがすかさず、今年10月のリレー・フォー・ライフ・ジャパンぐんまのご案内をすると、女性主人が「私は毎年、参加しています」とのお答え。うれしいサプライズでした。
 県立がんセンターの建物が見えてきたところで、お昼です。うなぎとナマズの天ぷらをいただきました。最近はうなぎが激減しているので、いつまで食べられるかわかりません。機会があればいただくようにしているので、ありがたかったです。ナマズの天ぷらは、淡泊な白身で、キスに似た品のいい味でした。

 いよいよ群馬県立がんセンターに到着です。ざっと見たところ、80人ぐらいの方が横断幕を掲げて待っていてくださいました。
 病院のスタッフ、リレー・フォー・ライフや支部の方、群馬県患者団体連絡協議会の方などです。東京から、日本対がん協会でリレー・フォー・ライフを担当している原優子さんも駆けつけています。

 鹿沼達哉院長とは初対面ですが、とても柔らかい感じを受けました。院長室でさっとお話ししたあと、一緒に会議室へ。入院中の患者さんでしょうか、パジャマ姿の方も2人ぐらいいらっしゃいます。聞けば、私の来訪を館内放送で2度も流してくださったそうです。開かれた対応は出色ですね。

 病院でボランティアをされているサバイバー、平日は院内、休日は院外の集まりやすい場所でカフェを開いているサバイバーといった方たちも見えました。がん相談支援センターでは、ハローワークと連携したり、社労士による相談を実施したりしています。
 深刻な訴えは出ませんが、とても暖かい雰囲気です。トップの理解や覚悟があれば組織は動く。それを実感しました。

 会議室には、今回のウォークでお世話になっている、群馬県立県民健康科学大学の狩野太郎教授もいらっしゃいました。狩野先生が質問しました。
「垣添先生はなんでそんなにお元気なのですか?」
「私は家で妻を看取り、幸せに亡くなったと思っています。私も家で最期を迎えたいと考えています。高齢者の単独世帯なので、しっかり体を鍛えているのです。毎朝腹筋を500回やって……」
 と答えたところで、「ウォー」と驚きの声が上がりました。

 私は、もし体が不自由になったら、ベッドから遠隔操作で玄関を開け閉めできるようにして、訪問看護を受けたいと考えています。最後の旅立ちは1人でもいいと思っています。遺骨は、妻との思い出の場所に散骨してもらう心づもりです。
 実はこのことは、狩野先生にはウォークの最中に話していました。先生はすべてご存知で、場の空気を盛り上げるために、聞いてくださったのですね。おかげで、一段と暖かい空気に包まれました。

 そんなこんなで、私にとっては、とても楽しく、印象に残るウォークとなりました。10月に前橋市で開かれるリレー・フォー・ライフ・ジャパンぐんまへの出席もお約束して、上州路を後にしました。
 みなさんのお力添え、誠にありがとうございました。


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