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1人から始める

掲載日:2018年6月6日 10時21分

 日本対がん協会会長の垣添忠生の「全国縦断 がんサバイバー支援ウォーク」は、5月31日に第6回を終えました。5月14日に埼玉県から出発して、東京を縦断し、千葉、茨城、栃木、福島を回り、山形県の米沢市まで。長丁場のうえ、泌尿器科医なのに尿閉になるというハンデを抱えてのウォークでした。  それでも、訪れた病院では、サバイバーや医療者と活発な意見交換ができましたし、国会の前でもアピールできました。尿閉も治りました。  日々の様子は、特設サイトの一言ブログとインスタグラムにアップしています。今回のまとめレポートでは、「1人」に焦点を当てました。

輸血パックを持って米国へ

 6月1日の夜、東京・新橋で寺松尚さんを偲ぶ23回忌の会が開かれました。寺松さんは、厚生省の審議官や保健医療局長などを歴任された方で、田中角栄のように扇子をあおぐ豪快な人でした。「地球を何周かするぐらいビールを飲んだ」と豪語されていました。  会場はアンテナショップの「とっとり・おかやま新橋館」。寺松さんは、岡山県の出身だったのです。何人もの厚生労働省の現役、OBの方たちが集まっていて、私も来賓として、思い出話を語りました。
 国立がんセンターの病院長時代、私は、寺松さんと一緒に米国のNCI(米国国立がん研究所)の視察に行ったことがあります。当時研究所長で、のちに私の前任の総長となる寺田雅昭先生も同行しました。 寺松さんは肝臓がきわめて悪く、万一に備えて、輸血用の空のパックを持っていきました。飛行機の機内で、いざとなったら乗客に採血をお願いして輸血をする。そんな算段でした。幸い、輸血パックは使わずにすみましたが、米国ではホテルの部屋のドアまで、お送りしていました。
 寺松さんは生前、がんセンターで治療を受けておられて、お礼に医師たちをホテルオークラのフランス料理店に招いてくださいました。もうひとり、自民党の大物だった梶山静六さんにも、同じような趣旨で、料亭の吉兆に招かれたことがあります。  どちらの会も、お料理もお酒もおいしくて表面的には明るいのですが、何とも言えない寂しさが底辺に漂っていました。「お礼の会」であると同時に「お別れの会」になるかもしれない、と誰もが感じているのです。
 5月31日の一言ブログでも触れましたが、人の運命は誰にもわからないもの。ウォークを続けていると、命が編み上げる風景の奥深さを思います。

泌尿器科志望は1人だけ


宗谷岬を目指す若者たちと(5月26日)。
 今回、栃木県で、北海道宗谷岬まで徒歩で旅している男性3人組と出会いました。完全歩行による挑戦で、若さの特権でしょう。  同時に私は、自分との姿勢の違いも感じました。 「1人から始める」が私の哲学なのです。
 若いころ、東大医学部の同窓生120人のうち、泌尿器科を志望したのは私だけでした。外科と内科の両方が実践できるから、面白そうに見えたのです。 例えば腎臓なら腎炎、結石といった内科的な病気もあれば、手術が必要な腎臓がんという外科的な病気もある。呼吸器や消化器などほかの科では、内科医は病変を診断できても、手術はしません。外科医は病変の場所が分かってからメスを握ります。私は泌尿器科の魅力に惹かれました。国内で腎移植がスタートした頃、という時代背景もありました。
「垣添は早く教授になりたいから、競争の少ない泌尿器科を選んだんだろう」と口さがない連中は噂しましたが、そんなことは夢にも思いませんでした。  本格的に外科の勉強をしたいと思い、東大医局の人事の常識にとらわれず、外科修業をしたいと申し出たときも、1人で動きました。その結果、埼玉県熊谷市の藤間病院で、生涯に残る果実を得られました。  思えば、人生の大事なことはすべて、1人で決めて、道を拓いてきました。

 

百名山の一筆書きにヒントを得て

 ウォークも、1人で決断しました。  決断したときは、76歳。人生で最後のビッグイベントになる可能性もあります。少なくとも、これほど大きな挑戦は、もうできないでしょう。  ウォークの原点は、「がん=死」のイメージをひっくり返したい、という強い思いです。
 5年生存率が60%を超えて、がんになっても元気に職場復帰したり家庭生活を営んだりしている人はたくさんいます。それなのに、世の中にはいまだに「がん=死」のイメージが強い。だから、がんサバイバーは、がんと告知されたときから孤独と不安にさいなまれてしまう。実際、3人に1人が離職するというデータがあります。
 この状況を変えることが私の最大の目標です。そのために、昨年6月、がんサバイバー・クラブを立ち上げました。会員100万人の国民運動に育てたい、と願っています。数は力、なのです。とはいえ、そう簡単には進みません。 それならば、後期高齢者の私が体を張って全国を歩くことで、アピールしよう! 声を上げ続けることで、世の中は変わる!
 田中陽希さんという人がいます。30代半ばのアドベンチャーレーサーです。2014年、鹿児島県の屋久島(宮之浦岳)から北海道の利尻島(利尻岳)までの日本百名山を、一筆書きでつなぎました。陸上は徒歩、海もカヤックで渡るという人力での挑戦です。約7800キロを208日と11時間で達成したそうです。  田中さんはその後も、二百名山、三百名山とチャレンジしています。  私は田中さんのことをNHKのBS放送で知りました。ウォークも、田中さんの冒険にヒントを得ています。田中さんもまた、1人から始めています。

テレビで見ました!

 第6回のウォークまでに、全国がんセンター協議会加盟の32病院のうち27病院を訪ねました。日々の一言ブログでお伝えしているように、たくさんのサバイバーの方にお目にかかり、サバイバーならではの思いに耳を傾けています。医療者のみなさんからも、現場で感じることや課題などをお聞きしました。  おかげさまで、メディアの取材もたくさん受けました。特にNHKニュースの影響力は大きく、放送翌日などは、「テレビ見ました!」と声をかけてきたり、車の中から私を見つけて、「あっ、ニュースで見た人だ」という顔をされたりする方もいらっしゃいます。
 本当に、多くのみなさまに支えられてきました。心よりお礼を申し上げます。  5月31日に帰京し、6月1日の日本対がん協会の理事会を終えて、3日から第7回のウォークに入っています。山形、宮城、岩手と、みちのくを歩きます。引き続き、どうぞよろしくお願い申し上げます。

都立駒込病院では、車座で語り合った(5月16日)。

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