新着情報

自分らしくなくてもいい、しぶとく生きていく
~がんになった緩和ケア医、大橋洋平さんのリアル~ 後編

掲載日:2020年10月22日 15時12分

 ジストが転移した緩和ケア医の大橋洋平さんは、「足し算人生」という考え方を見出す。転移が見つかった日を第1日として、翌日は2日、その翌日は3日……と過ごせた日を積み上げていくのだ。医者として患者さんへの接し方も変わった。たどり着いた境地は、あの有名な曲の替え歌に昇華した――。 (文・日本対がん協会 中村智志)
大橋洋平さん。

 早すぎた転移

 2019年4月、CT検査の3日前から、右の上腹部、ちょうど肝臓のある位置に、鈍痛があった。  結果は肝臓への転移。あかねさんは横で、「どうしてこんなに早く転移するの? グリベックを飲んでいたら、9割以上の人は5年生きられるんでしょ」と涙を流し続けた。告知のときよりもショックが大きかった。

 帰途、大橋さんは髪を切った。あかねさんと広将さんが「出家したみたい」というほど刈り込んだ。そして翌朝には、ある決心を固めた。

「転移が見つかった4月8日を第1日と定めよう。そうすれば、今日は第2日。これからは足し算の人生だ」 

2020年9月に出版した『がんを生きる緩和ケア医が答える 命の質問58』(双葉社、1300円+税)。

 

 人は余命を告げられると、あと何日と引き算してしまう。反対に、過ごせた日を積み上げていこうというのだ。大橋さんは余命こそ言われなかった。しかし、逆転の発想で望もうと舵を切り替えたのである。背景には、生きていることへの感謝の気持ちが広がる。

 あかねさんのほうが立ち直りが遅かった。1カ月ぐらいは落ち込んだ。 「家族は第二の患者、を実感したのはこのころでした」  と大橋さんは思い返す。転移は1カ所、横隔膜の下で難しい場所だったが、手術の選択肢も示された。しかし、CTの画面に映っていないがん細胞がある可能性があること、再び食べられない日々が来ることなどを考慮して、断った。そして、新しい薬としてスーテント(一般名スニチニブリンゴ酸塩)を飲み始めた。

 グリベックは1錠2500円で1日に3錠、スーテントは1錠7500円で1日に4錠。「抗がん剤代は4倍になった。だったら、4倍効いてくれ」と祈った。


 あきらめることで、がんばれる

 スーテントは、4週間飲んで2週間休む、が基本だが、副作用で白血球が下がるため、3週間飲んで3週間休むこともある。服用する量も、ほどなく、1日2錠に減らされた。

 副作用はグリベックより強い。手の親指の先や関節の皮膚が硬くなってくる。指が曲げにくく、ペットボトルを開けづらいときもある。手のひらや足の裏のように重力がかかる部分が固くなったり痛くなったりするので、クリームは手放せない。

 最近は、歩くときに、足の裏が圧迫されるような痛みを強く感じるので、屋外では厚底の靴を、家の中でも靴を履いている。スーテント服用から3、4週間目が特にきつい。

 口角がただれたり切れたりする。舌が荒れて、歯磨き粉を付けて歯を磨くと舌が染みるので、水で磨く。味覚もやられ、辛さやしょっぱさがわかりにくくなった。

「もともと辛いものが苦手で、ココイチ(CoCo壱番屋)のカレーも甘口にしないと食べられなかったけれど、今は中辛や普通でも平気で食べられる。感じてないんだと思います。逆に、甘いものがめちゃくちゃおいしいんです。コーヒーも砂糖を入れて飲んでます」 

 それでも、食生活はいい方向に変化してきている。  ごはんだったら、1回20粒ぐらい口に入れながら、お茶碗に半分ぐらい。おかずも2品か3品、小分けして食べる。3時間おきぐらいに何かを口にする。夜中でも、目が覚めて食べることがある。

 食べ物の種類は、以前と同じぐらいに戻った。地元・木曽岬町の名産、トマトや海苔も、当初はつっかえてダメだったが、食べられるようになった。ただ、腸閉塞になりやすいので、餅類は食べない。大好きだった牛乳も、下痢してしまうので、飲めない。

「お店で就学前の子どもがパクパク食べてるのを見ると、なんでこんな子どもに負けんのや、と悔しくなるときもありましたが、最近はそう思うことは減ってきました。前のように食べることをあきらめたんです。あきらめんかったら、執着が残るので、しんどくなる。できなくなったこと、今後もできないであろうことをあきらめる。すると、がんばれるんです。もちろん、生きることは全然あきらめてないです」 

がんになる直前、大学の同級生の集まりで。100キロ以上あった(2018年)=大橋さん提供。

 

 体調の波はある。2020年8月下旬には、夜8時ごろからお腹が痛くなりだした。未明にピークに達し、いったん収まったものの、朝になると再び激しく痛んだ。ついに、人生で初めて救急車を呼んだ。入院する準備を整えていたが、幸い痛み止めの点滴でやわらぎ、検査の結果も「急を要することはない」であった。

 長期的な視点で見れば、スーテントは効いている。2020年5月ごろからは、体調全般も上がってきた。手術を選ばなかったことは、正解であった。


 よりよくってどういうこと?

 がんになっても自分らしく、よりよく生きる。  表現の差異はあれ、しばしば聞く言葉である。

 以前は大橋さんも、そう信じていて、患者さんにも、緩和ケアの研修などでも言ってきた。がんを克服してがんばっている人、がんになったことで、考えを深めている人。そういう人がクローズアップされて伝わり、それが正統ながん患者のように示されている。

 できる人はやればいい。しかし、それが全てではないのではないだろうか。そうではない患者だって、人として、しっかり生きたのではないだろうか。

 大橋さん自身、ずっと、自分は患者の気持ちがわかり、寄り添っている緩和ケア医だと思っていたが、実際に経験した「患者のリアル」は全然違った。

「朝日新聞の投書にも書きましたが、がんは想像以上に苦しい。いざ自分がなってみると、人一倍好きなだけ食べるのが自分らしかったのに、そんなんは全然できへん。自分らしくなんてないよ。よりよくってどういうこと? 全て悪いよ。だけど、生きているよね。生きていたいよね。だったら、自分らしくなくてもいいから、でも生きていくぞ。生きていいんだし、しぶとく生きていたい。そういう思いです」 

 緩和ケア医として、患者さんと接するときにも、この考え方がベースにある。  大橋さんは、雰囲気次第で、「実は私もがんなんです。治療中です」と明かすこともある。スルーされることもあれば、「そういう話を聞かせてもらっただけで、私も元気になりました」といった反応もある。

「がん患者であることを売りにはしてないが、こういう医者もいるんや、こういうがん患者もいるんやと知ることで、患者さんに何かの力になるんであれば、意味があるのかな、と思ってます」 


 先生の存在自体が僕には力になるんや

 2019年秋に会ったMさんは、60代半ばで、すい臓がんだった。緩和ケア病棟に入る際の面談を担当したわけではなく、詳しい経過は聞いていない。Mさんは、大橋さんの著書を読んでいて、こう言っていた。

「大橋先生が、患者風を吹かせてしぶとく生きるなら、僕もやけくそに生きる。先生は先生でやってください。先生の存在自体が僕には力になるんや」 

 あるとき、Mさんが、家族と外出する前に、「お腹に痛みがあるけど、やけくそに食べてくる」と宣言した。大橋さんには、「腹痛を恐れて我慢するのではなく、痛くなっても食べたいものは食べる。やったるわ」というふうに聞こえた。 

 Mさんは好きなラーメンを食べたという。後に奥さんが「思った以上に食べられたのでびっくりしました」と話していた。

 70代前半のIさんは、泌尿器科系のがんだった。2018年の秋に緩和ケア病棟に入る前に面談し、入院後に病室を訪ねた際、「私もがんで治療中です」と明かしてから親しくなった。白衣は着ていたが、患者同士という気持ちで、ときどき病室でおしゃべりした。

「Iさん、こんにちは、大橋です」  挨拶のあと、「調子はどうですか?」と続く。ところが、いつのころからか、Iさんが先に「先生、調子はどう?」と聞くようになってきた。それは、Iさんがトイレに行くのも大変になってからも、変わらなかった。

海南病院の緩和ケア病棟で。患者さんとの会話は大切な時間だ(2020年3月)=大橋さん提供。

「さりげないやりとりの中で、お互いに通じるものがある。がん治療中の人が医者としてもやっている。逆に、医者でありながらがん治療をしている。相手の受け止め方次第で、自分でも大きな存在になり得ることに気づきました。患者さんに投げるボールを、受け取ってもらえたらうれしい。返ってきたら、もっとうれしい。通り過ぎていっても、それはそれでよし、です」  大橋さんは、自らを医師とは言わない。医者と呼ぶ。


 意図的に楽しみや目標を作る

 妻のあかねさんは、若いころ、大橋さんと同じ病院で看護師として働いていた。大橋さんの一目惚れだという。

 あかねさんにとって、夫婦で一緒に生きているのがあたりまえで、その生活がずっと続くと思っていたら、ある日突然、崩れた。あかねさんはこう語った。 「今までの何気ない日常のほうが奇跡だったんです」

 大橋さんの入院中は、夫の話を聞きながらパソコンで打った。そこに自分の気持ちも加えた手記は、術後2カ月ぐらいまで書き連ねており、本の執筆の参考にもなった。

 これまでに最もつらかったのは、2019年4月に転移がわかったときだという。 「私のほうが絶望してしまいました。毎日泣けてきて、生活するのがやっと。前を向くのに必死でした」

 朝、大橋さんが「おはよう」と声をかけてくる。うれしい半面、「これから具合が悪くなるかもしれない」と考えただけで涙が出た。  今も、大橋さんの体調によって、あかねさんの気持ちも上下する。

「この2年ほどの間、夫のそばにいることが幸せだと、心底わかったんです。一緒にいられること自体が、ありがたいことなんです。穏やかな日が1日も長く続くように。『毎日お疲れさま。生きていてくれてありがとう』という言葉をかけてあげたい」 

 大橋さんは、人間が好きだ。人との出会いが楽しみで、生きがいにもなっている。新型コロナウイルスが流行してからも、国からの給付金で新しいノートパソコンを買い、フェイスブックを始め、Zoomでの集いにも参加している。

 小旅行でリフレッシュし、家で少年時代同様に地図を眺めては、景色を想像したり、旅番組で登場する土地を確認したり。趣味の競馬でも毎週、勝負している。基本的に、あまり強い馬は買わない。

「長い目標よりも近い目標が大切です。意図的に楽しみや目標を作っているところもあります」 


 今日を一日と 足し算命よ

 10月3日、三重県四日市市の四日市市文化会館で、大橋さんの記念講演が行われた。一般社団法人あした葉の主催で、タイトルは「しぶとく生きる」。

 感染対策を取りつつ、リアルとリモートの同時開催となった。大橋さんを取材してきた中日新聞編集委員の安藤明夫さんとの対談があり、続いて大橋さんの講演が行われた。講演のスライドに使った肩書きは、「現役がん患者」のみ。「自分本位でええ。最近は自己満足という言葉が好きなんです」などと語った。

 ラスト、ギターを肩にかけた安藤さんが舞台に再び登場し、大橋さんは、会場にも促されて、講演で歌詞を披露した谷村新司の「昴」の替え歌を歌った。安藤さんの控えめな伴奏に、大橋さんのまろやかな歌声が響く。

 落ち込んで何もできず 転移知らされたあの日  がん治療始まり 愛車スバルすでに無し  ああ 悲喜めぐる 天命のわが生き路  今日を一日と 足し算命よ  我は生く 手放して気ぃ楽に  我は生く さらば惜しむを

 息を吸える生きている 患者風吹かせて  一期二会ちっぽけな 出会いまた求める  ああ さらけ出す 弱みも苦しみも  地べた這ってでも しぶとく生きるぞ  我は生く できるあらん限り  我は生く さらば出来ぬを

 ああ 限りある 唯一無二わが生命  ああ 永久にある あなたが生きる時間  我は生く 己の想うままに  我は逝く さらば現世よ  我は生く 心あなたよ

 替え歌はYouTubeにも、「足し算命520」のタイトルで上げている。そこで歌っているのは、あかねさんだ。

 大橋さんは、マイルストーンのように、小さな目標をつないでいる。その積み重ねが、自分でも想定外の長い距離を歩むことにつながるのであろう。  この日、転移の日からの足し算は、「545日」になった。

三重県四日市市で開かれた記念講演「しぶとく生きる」で歌う大橋さん(2020年10月)=一般社団法人あした葉提供。YouTubeで視聴できる。https://youtu.be/oq0st12UxPE  
ぜひメールマガジンにご登録ください。
ぜひメールマガジンに
ご登録ください。
治りたい
治りたい
治りたい
治りたい
治りたい