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村本 高史の「がんを越え、”働く”を見つめる」
第19回 言葉を考える⑤~「治る」

掲載日:2024年3月7日 12時00分

 企業の間に「健康経営」が浸透してきました。一人ひとりが病気を予防し、健康を増進することは個人にとっても、企業にとっても重要です。

 もしも病気になったら、きちんと治すこと。そうできるに越したことはありません。

 とはいえ、「治るか治らないか」というのは、「白か黒か」のようにはっきりしたものなのでしょうか。今回はそのことを考えていきましょう。


「まず治してから」は正しいのか

 がんなどの病気がわかった時、周囲がどのように対応するかは非常に大きなものがあります。その人自身が不安や混乱を生じる中、周囲の側は本人の話や気持ちを受け止め、寄り添うことが大切なのは言うまでもありません。

 しかし、周囲も心配や動揺を隠せず、自分の経験や価値観に基づいて言葉をかけてしまうことがあります。例えば「治療に専念」という言葉です。この言葉は連載の第6回にも書きましたが、人によって受け止め方が異なります。当事者本人の意思表明によるのなら特に問題はない一方、本人の意思表明の前に他の人から言われると、「よかった。治療に専念していいんだ」と受け止める人もいれば、「仕事の大事な機会を奪うのか…」と思う人もいるでしょう。

 同様に発しがちな言葉が、「まず治してから」です。これは、病気と聞くと「治さないと」と、本人も周囲もとっさに思うからではないでしょうか。

 ただ、がんや慢性病の中には、治療が長期にわたったり、完治が望めなかったりするものもあります。この場合は病気とうまく付き合っていくことが大事になります。それなのに「まずはきちんと治してからね」と言われると、「仕事はそれからね」という暗示を含め、「病気のことを一体どれだけ理解してくれているのか」と不安を助長してしまいます。「いつになったら仕事ができるのか…」といった絶望感にもつながりかねません。


「寛解者の社会」を生きる

 昨年の秋、社会学者の田代志門さんの講演を通じて、同じく社会学者のアーサー・C・フランクによる「寛解者の社会」という言葉を知りました。

 「寛解」とは、病状が消失または安定しつつもリスクが残っている状態といった意味を一般的に指します。田代さんはフランクの言葉を紹介する中で、「回復しているとも回復していないともいえない中途半端な状態への宙吊り」と述べています。

 フランクの著書「傷ついた物語の語り手」には、「病気と健康との前景・後景の関係は、相互浸透しながら徐々に移行していく」ものであり、「光と闇とが明確に区分されている状態ではない」という記載があります。自らががんを経験したフランクだからこその視点だと感じます。

 がんを考えてみた場合、5年、10年といった長期の経過観察や治療が必要な場合があります。その過程では落ち着かず、不安な思いも時折よぎることでしょう。

 「白か黒か」をはっきりつけたがるのは人の本性かもしれません。不安と共に、それでも希望や日々の喜びを失うことなく、宙吊りを生きること。昨今よく言われる「ネガティブ・ケイパビリティ」にも通じます。

 けれども、その力は決してその人たち自身にだけ求めてはならないようにも思います。応援や支援、共感など、周囲の人たち、あるいは距離は遠方でも同じような経験をした人たちから与えられるものも少なくないのではないでしょうか。

 ふと周りを見回せば、働いている仲間たちにも育児や介護、障害や病気、さらには自己認識に関する苦悩といった様々な事情を抱えている人がきっといることでしょう。

 両立支援の目的とは何か。それは「治る」などの目標や達成を目指すことというよりも、事情を抱えながら日々を生きるプロセスを支えることのような気がしてなりません。



村本高史(むらもと・たかし)
サッポロビール株式会社 人事部 プランニング・ディレクター
1964年東京都生まれ。
1987年サッポロビール入社。
2009年に頸部食道がんを発症し、放射線治療で寛解。
11年、人事総務部長在任時に再発し、手術で喉頭を全摘。その後、食道発声法を習得。
14年秋より専門職として社内コミュニケーション強化に取組む一方、がん経験者の社内コミュニティ「Can Stars」の立上げ等、治療と仕事の両立支援策を推進。
現在はNPO法人日本がんサバイバーシップネットワークの副代表理事や厚生労働省「がん診療連携拠点病院等の指定検討会」構成員も務めている。



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